表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/66

奥様の一日 中編 *エルサ視点


 ガタガタと馬車の車輪の音を聞きながら、私とアリアナは奥様とセドリック様のお供として公爵家に向かっております。

 公爵の位を授かる家はクレアシオン王国には、七家しかありません。クレアシオン王国では公爵というのは王家の人間が臣籍降下するか旦那様のように国の英雄と呼ばれる程の功績を残すと授与される爵位でございます。

 その中で最も新しいのがフックスベルガー公爵家です。そんなにほいほい公爵家を誕生させては威厳も何もありませんので、大抵の場合は第二、第三の王子殿下や姫殿下は外交のために他国へ婿入り、嫁入りするか、侯爵以上の家と婚姻を結ぶことが殆どです。我がスプリングフィールド侯爵、ルーサーフォード家も歴史のある家柄ですので、何代かに一度は、王家から姫君が嫁いで来られております。

 とはいえ幾ら家としての歴史が浅いとは言いましても、フックスベルガー公爵家は現王と最も濃い血縁ですので敬意を払うべき存在なのは間違いありません。

 馬車が停まって、少しの間を置いてドアが開かれます。私とアリアナが先に降り、セドリック様が降ります。そして小さいながらも紳士であるセドリック様は、リリアーナ様に手を差しだして、姉君が馬車か降りるのを支えておられます。


「ありがとうございます、セディ」


 奥様にお礼を言われたセドリック様はちょっと得意げでとてもお可愛らしいです。


「それでは奥様、またいつもの時間にお迎えに上がりますので」


 護衛を担ってくれていたジュリア様が奥様にお声をかけます。


「ありがとうございます、ジュリアさん。よろしければどうぞ、これをお休みの時間にでも」


 奥様は、アリアナの差し出したバスケットからあらかじめ取り分けて別にしてあったパウンドケーキをジュリア様に渡しました。ジュリア様は、嬉しそうにお礼を言ってそれを懐にしまいます。

 ジュリア様は、いつぞやの会議塔で護衛をして下さっていた女性騎士です。旦那様が信頼を置くほど腕も良く、何より心の狭い旦那様は男性騎士が側にいるのは赦せないようで、週に一度の公爵家訪問の際は必ずジュリア様を奥様の護衛として任命されるのです。

 ジュリア様は、私たちにも一礼すると愛馬に跨り颯爽と去っていきました。男装の麗人ではないのですが、とても魅力的な方でアリアナはすっかりファンになってしまっています。今もうっとりとその背を見つめていました。ごほんと咳払いすれば、アリアナは慌てて居住まいを正します。


「ようこそ、スプリングフィールド侯爵夫人」


 お出迎えをしてくれるのは、公爵様の専属執事であるジェームズ様です。

 奥様は綺麗な礼をして、挨拶を交わします。その隙にアリアナが、お土産のパウンドケーキをメイドさんに渡しました。お茶の時間になれば切り分けて持ってきてくださるでしょう。


「旦那様は、サロンでお待ちしておりますので、どうぞ」


 そう言ってジェームズ様が歩き出して奥様とセドリック様は仲良く手を繋いでその背に続き、私とアリアナもついて行きます。

 我がルーサーフォード家より広いお屋敷は、奥様もお子様もおられないのでとても静かです。

 来るたびにこの静けさが、公爵様を追い詰めてしまったのではないかと思うのです。亡き奥様のストールを抱き締めて泣いた公爵様のお姿は忘れようと思っても忘れられるようなものではありません。


「旦那様、侯爵夫人とセドリック様がお着きになられました。お通してよろしいですか」


「ああ」


 短い返事が聞こえて、ジェームズ様がドアを開けます。

 ドアの向こうに公爵様を見つけたセドリック様がぱっと顔を輝かせて駆けて行きます。


「おじい様!」


「やあ、セディ。今日も元気なようだね」


 公爵様は座ったままセドリックを抱き締めて、そのまま膝に乗せて挨拶のキスを頬に交わしました。奥様もゆったりと部屋に入り、公爵様と挨拶のキスと抱擁を交わし、隣に腰掛けました。


「二日ぶりですね、お父様。お変わりないですか」


「ああ。おや、今日は私が贈ったリボンをして来てくれたんだね、とても似合っているし、なんだか今日の私の娘はいつもよい大人っぽいな」


 公爵様の素晴らしく的確な褒め言葉と気配りに、奥様は嬉しそうにしておられます。奥様のその笑顔は世界征服も夢でないと常々思えるほどに愛らしくて、無邪気なのです。旦那様に向けられる恋情の混じったものとは違い、本当に心からの信頼と親愛を感じます。

 奥様があの忌々しい阿婆擦れに襲われた時、公爵様はその身を挺して護って下さったそうです嘗て暴漢に襲われて実の父に縋りつき、突き飛ばされて深い傷を負った奥様にとって、腕を負傷しようと毒に侵されようと、その身を盾にして護って下さった公爵様は、七年前のあの日、父親に突き飛ばされて絶望し怖い思いをした奥様の中に居た小さな少女を救って下さったのです。

 ですので、私たちが思っている以上に奥様にとって、公爵様は「お父様」なのだと思います。

 旦那様も勿論、奥様をその身を挺して護ったのですが、奥様にとって旦那様は「王子様枠」或は「騎士様枠」でございますので。流石の旦那様もセドリック様なら大喜びでしょうが奥様の「お父様枠」には入りたくはないと思います。


「お加減のほうはいかがですか?」


「ここのところは暑くもなく、寒くもなく過ごしやすいからね。元気だよ。来週には一度、叔父上に会いに行かねば」


「お元気ならば、何よりです」


「はい。おじい様、お散歩はちゃんとしてますか? この間、ジェームズが僕と姉様がいないとサボって困るって言ってましたよ」


 セドリック様の問いかけに公爵様は恨めし気な眼差しをジェームズ様に向けました。ジェームズ様はさらっと交わして何食わぬ顔です。

 例え恨まれようと主の健康を守るためには最も効果のある手段を選ぶのは私たちの役目でございます。


「まあ、お父様、私ともお医者様とお約束したはずですのに……」


「ジェームズと歩いたって何も楽しくないだろう? だから今日、可愛い娘と孫と歩こうと思って体力を温存していたんだよ。庭のガゼボに席を用意して貰っているから、散歩がてら一緒に行こう」


「僕、一度、おじい様のお家のお庭も探検したかったんです!」


「そうかいそうかい。お供を付けて上げるから、たくさん遊ぶと良い。さあ、行こうか」


 セドリック様が膝から降りて、窓の方へ駆け寄ります。


「おじい様、こっちから行くのですか?」


「ああ、そうだよ。メアリ、開けてあげてくれ」


 公爵家のメイドさんが、すぐにガラス戸を開けて下さり、セドリック様が一足先にお庭へと出ます。アリアナが慌てて追いかけて行きます。公爵様はジェームス様から杖を受け取り、ゆっくりと立ち上がりました。一時は、寝たきり故に筋力が落ちてしまい、もう歩けないのではと心配していましたが、公爵様はゆっくりとですか確実に回復されているようです。しっかりと奥様に肘を差し出し、エスコートをなさっているのですから、まだまだ回復されるでしょう。私は、荷物の中から奥様にショールをお掛けします。


「ありがとうございます、エルサ」


「いえ、お足元にお気をつけて下さいませ」


「はい」


 素直に頷いた奥様は、公爵様のエスコートの元、お庭へと出かけられます。

 もちろん、私もその背に続きますが、お邪魔にならないようにそっとついて行きます。

 奥様はとても楽しそうにお話をしておられます。時折、セドリック様が何かしらの発見をすると奥様に報告に来ます。奥様が優しく相槌を打ち、時折、公爵様が質問を投げかけ、セドリック様は「もう一回見て来る!」とヘロヘロのアリアナの手を引き駆けて行きました。


「ははっ、元気だねえ。そろそろアリアナではお子守りが間に合わないだろう? 従僕もそろそろ付けておかないと、オールウィン家は上位貴族だから従僕なり執事なりを連れて行かないと学院では困るだろう?」


「ウィリアム様もそうおっしゃって、今、従僕候補になりそうな方を探して下さっているのです」


「そうかい、ウィリアム君の人選なら間違いないだろうね」


 本来でしたら、エイトン伯爵家ほどの家ならば、乳兄弟がいてもおかしくありませんし、専属の侍女がいてもおかしくはないのですが、セドリック様には特定の使用人は付けられていませんでした。


「ほら、あそこだよ。セディ、私とリリアーナはそこにいるからね!」


 公爵様がガゼボを指差してお声を掛けました。庭のどこからか「はーい」という元気なお返事が聞こえていました。

 セドリック様は、穏やかで大人しいお子様ですが、外で遊ぶのはとてもお好きです。走り回って遊ぶというよりは、植物ですとか虫ですとかトカゲやカエルといった小動物に対する好奇心が旺盛で、興味のあるものを見つけると走り出しているという感じです。ですが、お相手に旦那様がいると剣術ごっこをしたり、体当たりしたりと男の子らしい遊びも楽しんでおられます。小さくとも男の子、力が強いのをちゃんと自覚しているので奥様やアリアナにそういったことは一切なさらない良い子でございます。


「まあ、素敵ですね」


 奥様がぱあっと顔を輝かせました。

 公爵家のガゼボは庭の片隅にありました。レンガの土台、数段の階段を上がった先に白い屋根と柱の立派なガゼボがあります。秋の冷たい風を考慮してか、白い大きな布がカーテン代わりに掛けられていて、中には赤い布張りの三人掛けのソファが置かれていました。公爵様が階段を上がる時は、ジェームズ様が距離を詰めて万が一がないようにと待機します。私も奥様がつられて落ちないようにと気を配ります。

 公爵様と奥様が並んで腰かけられました。ガラスのローテーブルには既にお茶の仕度がされていて、奥様お手製の栗がたっぷり入ったパウンドケーキが生クリームを添えられてお皿の上にいました。


「ターシャとよくここでお茶を飲んだんだ。とはいえ君みたいにじっとはしていられない人だったから、セディのように探索に繰り出してしまうんだがね」


「お父様もご一緒に探索されたのですか?」


「時々ね。ほら、ここだと庭が良く見えるだろう? 猫の子のようにはしゃぐターシャを見ているのも楽しかったんだよ」


 公爵様が指差す先を辿れば、花壇の前にしゃがみ込むセドリック様がいて、見知らぬ青年がそばに居ました。


「あの方は?」


「あれはジャック。うちの庭師の一人だから大丈夫だ。ちょっと武骨な男だが、セディは植物を傷付けたりしないし、多分、セディが花の種類でも聞いているんだろう。おお、どうやら気に入られたみたいだ」


 男性はセドリック様をひょいと肩車して歩き出しましたが大きな木の下で、足を止めました。セドリック様は頭上の樹に手を伸ばしていました。何か気になるものがあったのでしょう。


「あの子、暫くあの小さなお家で暮らしたのが切っ掛けで、お花や植物にとても興味を持ったみたいで、暇さえあればお庭で庭師さんのお仕事について回っているんです」


「将来は植物学者かな」


「本人は騎士様になりたいようですが……姉としては危ないお仕事よりはと思ってしまいます」


 少し申し訳なさそうに目を伏せた奥様の膝の上にあった手を公爵様がぽんぽんと撫でます。


「親心とは複雑なものだからね。私だってもっと早く君に出逢っていたら、君を養女にしてウィリアム君に嫁がせるのは難色を示しただろうね。騎士というのは誇り高く素晴らしい仕事で、この国にとって大事な仕事だとは分かっているが、親としてはいつ死ぬとも知れない男の下に大事な娘を嫁がせたいとは思わないものだからね」


「で、でも、私はちゃんと幸せですよ」


 奥様が慌てて言いました。

 すると公爵様は、優しく微笑んで頷きます。


「大丈夫、分かっているよ。君やセディを見ていれば、ウィリアム君が私の可愛い娘たちをどれだけ大事にしてくれているかはこれでもかというくらいに伝わって来るよ」


 そのお返事に奥様は、ほっとしたように表情を緩めました。

 それから紅茶を飲み、パウンドケーキを味わい、お二人は他愛のない話をしておられました。公爵様は、流石は外交の最前線でこの国と他国の懸け橋となっていただけはあって、いつも聞き役に回ってしまう奥様から上手にお話を引き出して耳を傾けて下さいます。奥様も幼い少女が大好きな父親に話をするようにあれこれお話をしておられます。お可愛らしいですね。


「ところでお父様、お聞きしたいことが一つ、あるんです」


「何だい?」


 公爵様がハシバミ色の瞳をきょとんとさせて首を傾げます。


「エルサもウィリアム様も「可愛い」と話しをはぐらかして、教えて下さらないのですが……前にアーサーさんにお父様がどんな方なのかお勉強の一環で教わった時に、イスターシャ様と結婚してからは浮いた話はないと聞いたのですが、」


 公爵様の口端がちょっと引き攣りました。私は心の中で「奥様、奥様!!」と制止を試みましたが、残念ながら届きませんでした。


「浮いた話とはどんなお話なのですか?」


「あー、それはだね」


 流石の公爵様も歯切れ悪く視線を逸らしました。

 見目も良く、優秀で王家と深い繋がりのある公爵家の嫡男であった公爵様は、若い頃は社交界きってのプレイボーイとして有名だったそうでございます。奥様のイスターシャ様と出会ってからは、当家の旦那様同様、奥様一筋だったそうですが。


「お父様、浮いていたのですか? 手品というものですか?」


「はい?」


 私の可愛い奥様は、とんでもなく可愛い勘違いをなさっているようでございました。愛らしいお顔をキラキラと輝かせて公爵様を見ていました。


「アーサーさんが、お父様は社交界で女性に人気だったと……もしかして、手品をして喜ばせていたのかと思ったのです」


 公爵様が片手で口元を覆って「ん”ん”」と悶えました。

 私、非常に公爵様のお気持ちが分かります。奥様は、お勉強もなんなくこなす賢い方なのですが、時折、よく分からない勘違いをしておられるのです。本当に本当にお可愛らしい。


「私の娘は可愛いなぁ、なんだい、手品が見たいのかい?」


「……違うのですか?」


 しょんぼりと奥様が自分の頭をそっと撫でる公爵様を見上げます。


「違わないとも。手品の一つ二つ覚えておくと、可愛い娘を喜ばせるにも事欠かないからね」


 そう言って公爵様は奥様の頭を撫でていた手を引っ込めると、何もないのを確認させてから右手で拳を作り、数度、左右に振ると左の人差し指で三回ほどトントントンと叩きました


「どうだろうか、久々だからね。準備ができたかな」


 奥様はじっと公爵様の手を見ていました。

 そんな奥様のご様子に公爵様は、くすくすと笑うと「いくよ」と声を掛けて、ぱっと手を開きました。


「まあ!」


 愛らしく可憐な笑顔が零されます。

 公爵様の手の平には、どういう仕掛けか布で出来た淡いピンク色の薔薇の飾りがちょこんと乗っていたのです。


「エルサ、エルサ、見ましたか? 魔法みたいでしたね」


「はい、見ておりましたよ。本当に魔法のようでしたね」


 流石は公爵様、手品も出来るとはポテンシャルがお高いです。


「お父様、凄いです。本で読んだ魔法使いみたいです」


「そうだね、可愛いリリアーナの魔法使いなら大歓迎だよ。エルサ、このリボンを飾ってみてくれないか」


「かしこまりました」


 私は公爵様からピンクのバラを受け取り、奥様の髪を彩る青いリボンの真ん中にピンになっているそれを差し込みました。ドレスの緑、青いリボン、そして、淡い金の髪に咲くピンクのバラはとても綺麗でバランスも最高です。


「この間、仕事で街に出かけた時に雑貨屋の店先で見かけてね。私の可愛い娘にこそ似合うとつい手に取ってしまったんだよ」


 奥様の細い指先がそっとバラに触れます。


「で、ですがこの間、リボンもいただいたのに……」


「私は親馬鹿だからね。可愛い娘にはあれこれ買い与えたくなってしまうんだよ。父親の生きる意味みたいなものだから気にすることはない。セディにも植物図鑑を買ってしまったからね。あとで渡したら喜んでくれるだろうか?」


「ありがとうございます、お父様。大事にしますね。セディもきっと喜びます」


 頬をくすぐるように撫でられた奥様は、娘の顔をしてとても嬉しそうにお礼を言いました。

 旦那様、こういうことですよ。これくらいの余裕と口のうまさが必要なのですよ、と私はいまだに自分でプレゼントを渡せない旦那様に心の中でアドバイス差し上げました。


「姉様! おじい様ー!」


 セドリック様の呼ぶ声に振り返れば、セドリック様は胸に何かを抱えています。

 近づくにつれ、それがふわふわとした何か毛皮的なものだと分かりました。セドリック様の後ろからアリアナと庭師の青年がやってきます。


「見て下さい、猫ちゃんです!」


 ほらとセドリック様が見せて下さったのは、そのお言葉通り、小さな猫でした。まだ子猫なのでしょう、みーみーと愛らしい声で元気よく鳴いています。

 ですが、セドリック様は髪もぼさぼさで葉っぱが頭についていますし、服に蜘蛛の巣がついていました。アリアナがせっせと世話を焼いています。


「まあまあ」


 奥様が顔をこれでもかとキラキラさせています。


「ジャック、どうしたんだい?」


 公爵様が庭師の青年に尋ねます。


「木に登って降りられなくなっていたようで、セドリック様が見つけられたんです。近くには親もいませんでしたし、置いてかれちまったのかと」


「そうかい……どれ、セディ、見せてごらん」


 公爵様が手を伸ばすとセドリック様は素直に子猫を渡しました。子猫は「みーみー」と鳴きながら、くねくねしています。

 薄汚れていますが、おおむね元気そうな猫は白い毛並みの猫でした。私も猫は飼ったことがないのでよく分かりませんが、ふわふわしているのでもしかしたら毛の長い猫なのかもしれません。


「二か月くらいのレディだね。少し痩せているから野良猫の子だろう」


「お父様、猫ちゃんのことよくご存じですね」


「昔、飼っていたんだよ。十六年と長生きしてくれてね、前に話したと思うがこんな風に庭に迷い込んで木の上にいてターシャが見つけて助けた猫だよ」


 そういえばそんなお話を、あの紅茶のシミが残るストールを頼みに来た時にお話ししていたのを思い出しました。奥様も思い出したのか、あ、と小さく呟く声が聞こえました。


「おじい様、義兄上のお家じゃ飼えないから、おじい様のお家なら飼える?」


「セディ」


 奥様が慌ててセドリック様を窘めましたが、公爵様はいやいやと首を横に振って、セドリック様のぼさぼさの頭をくしゃくしゃっと撫でました。


「子猫がいると楽しいだろうからね。この子は、私が貰ってもいいかな? 二人目の娘にしよう」


 公爵様のお言葉にセドリック様は、ぱぁっと顔を輝かせて嬉しそうにうなずきました。おろおろしていた奥様もセドリック様の嬉しそうなお顔や公爵様の優しい笑みに、少し悩んだあとほっとしたように表情を緩められました。


「でもまずは洗わないとね。メアリ、頼めるかい?」


 公爵様がジェームズ様の横に控えていたメアリさんに声を掛けて、メアリさんが大事そうに猫を受け取ります。


「おじい様、僕もお手伝いしていい?」


「で、出来れば私も……っ」


 子猫を触りたくて仕方がない奥様がちらちらと子猫と私を交互に見ています。公爵様がくすくすと笑いながら「どうぞ」と頷いて、私も「お怪我なさらないように」とお声を掛けると、お二人はそっくりな笑顔を零して頷きました。


「ついでに二人で名前も考えてくれるかい?」


「はい!」


「姉様、頑張って良い名前を考えようね」


「ええ、セディ」


 頷き合うお二人の周りは色んなものが浄化されていくような気が致します。空気が澄んで、天使が舞い降りて来てもおかしくはありません。癒しの聖地です。

 公爵様も一緒に戻られるというので、私たちは子猫のためにお庭を後にしました。

 洗面器の中で丁度良い湯加減が気に入ったのか、猫だというのに水を嫌わない子猫を奥様とセドリック様が楽しそうに世話を焼くのを眺めながら公爵様はずっとにこにこしておられました。

 綺麗に洗われた子猫は、メアリさんによって爪が調えられて毛並みも整えられて、見違えるほど可愛らしい子猫になりました。抱っこしたときの奥様の笑顔が一番、可愛らしかったのは世の理ですが。

 そして、雪のように真っ白な子猫には、セドリック様とリリアーナ様が「スノウ」という名前をプレゼントしました。

 スノウは奥様の膝の上でまったりと寛いでいて、奥様が感動にぷるぷるしながらそっとその毛並みを撫でています。


「可愛いねえ。ウィリアム君が良いと言ってくれたら、侯爵家に遊びに行くときにも連れて行こう」


「本当? おじい様?」


「ウィリアム君がいいと言ったらね」


「エルサ、義兄上、猫、好きかな?」


「猟犬は領地のお屋敷の方で飼っていて旦那様も可愛がられておりましたが、猫はルーサーフォード家では飼ったことがないので……ですが、動物は概ね好きでございますよ」


「なら、聞いてみてもいいかな?」


「もちろんでございますよ」


 私の言葉にセドリック様も、そして奥様も安堵をその顔に滲ませました。

 想いも通じ合い、奥様のこともセドリック様のことも誰が見ても分かる通りに溺愛している旦那様ですが、どういう訳かお二人と旦那様の間には壁があるような感じがするのです。

 絶対にありえないと言い切れないのが記憶喪失前の残念な旦那様の最悪な点なのですが、もしや奥様にオールウィン家の借金の話でもしたのでしょうか。

 お二人が言葉を初めて交わされた初夜の出来事を奥様は絶対に教えてくれませんが、その時に「借金を肩代わりして、君をもらい受けた」とかなんとかほざいていてもおかしくはありません。寧ろ、そうである方が遠慮が過ぎる奥様のお心が分かるような気が致します。

 今度、問い詰めましょう。と私は決意ました。

 それから残りの時間は、子猫とたっぷりと過ごしたお二人は、迎えの馬車が来たので公爵様にお別れのキスの挨拶をしてから公爵家を後にしました。最後まで猫ちゃんに後ろ髪を引かれていたようですが、当の子猫は公爵様の膝の上で微睡んで居ました。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ