第三十一.五話 援護
「では、公爵様は味方だということですか?」
エルサが念を押すかのように首を傾げる。
「まあ、敵か味方で言えば、今回は味方だよ。指輪を置いて行ったのは、自分も一緒に攫われたってことを伝えたかったんだと思うよ。でなきゃ公爵がこんな大事なものを落とす訳がない」
「ですが、何故、公爵様があの家に? あの家は限られた人間しか知らないのではなかったのですか?」
「昨夜、僕はサンドラの居場所でも知らないかなぁ、と思って公爵に会いに行ったんだよ。公爵もおそらくサンドラの居場所を探っている筈だからなんか掴んでるかなって思って……それでその時、色々と約束事を交わしてね。サンドラの居場所こそまだ掴んで居なかったけれど、この五年間で公爵がサンドラから引き出した犯罪の証拠を貰ったから、代わりに、リリィちゃんの居場所を教えたんだ。言っておくけどね、公爵は食えない糞爺だけど、この国が不利になることだけはしないから向こうに情報を売ったとかはありえないよ」
「どうしてそう言い切れるのですか?」
フレデリックもエルサも納得できない様子だった。
「公爵は、クレアシオンの血を引く者。この国を愛する者。この国を護る者だ。僕やウィルと同じようにね」
僕は静かに微笑んでテーブルに腕を付き手を組んで顎を乗せる。
「推測だけどリリィちゃんにストールの進捗を尋ねに出かけたら、たまたま蠍がリリィちゃんを誘拐しに来て、どうしてかウィルは抵抗が出来ず、公爵共々、誘拐されちゃったんだろうね。護衛騎士を倒したのは、おそらくだけどジェームズだよ」
「公爵様の執事のですか?」
「そうそう。ああ見えてね、君たちと同じで護衛も兼ねているから、強いんだよ。……カドック、ラザロスを呼んで来てくれ。彼の隊を使う」
背後に控えていたカドックがこくりと頷き、二人に会釈をして部屋を出て行く。
「ジェームズはジェームズで公爵の命が惜しければ、片付けて来い的なことを言われて動いたんでしょ。ところで君たちも行く? お姫様の救出」
「もちろん、最初から同行するつもりでしたが、場所は分かっているのですか?」
「まあまあ、落ち着いて。そろそろ来る頃だろうからさ」
僕は、きょとんとする二人を見上げて、ふふっと笑いを零すのだった。
「随分と不自由そうだなぁ、リヤン」
燭台の灯りに照らされたそこは正しく地獄絵図だった。地下のワイン庫から厨房、廊下、使用人たちが使用する階段までも屍が山と転がっていて、どうやら英雄殿はたった一人でこの惨状を作り上げたらしい。余程奥方が、大事なのだろう。屍の道に迷いはなく、大体がたった一撃で仕留められているのが見て取れる。
リヤンは片腕だけではなく、両腕を失い床でもがいて、呻いている。
「英雄殿は、強かっただろう?」
俺はしゃがみ込んで、それの頭を掴んで顔を上げさせる。アクラブ、とその口が俺を呼んだような気もするが、生憎と彼の口から洩れたのは血液と呻き声だけだった。
それなりに腕が立つので傍に置いていたが、彼は少々自惚れが強すぎた。クレアシオンの英雄、ウィリアム・ルーサーフォードに対しても常に「俺の方が強い」と宣っていた。
だから、ならばと現実を知らしめてやろうとサンドラ御所望のリリアーナ嬢とついでに英雄を攫っておいでと送り出した。もちろん、英雄殿が在宅の時間を狙って、だ。すると運が彼に味方したのか、英雄殿とリリアーナ嬢の誘拐には成功し、食えない公爵まで連れて来た。
だがしかし、リヤンは剣を握る利き腕を呆気無く切り落とされた。
よくは分からないが、襲撃時、英雄殿は体調不良で効かないはずの薬が効いて、意識が朦朧としていたらしい。リヤンは実力だと言っていたが、運が良かったのだろうと俺は思う。でなければ、これに英雄殿が捕まえられる訳がない。
リヤンはもうほとんど意識を失っているようだった。冷たくなるのも時間の問題だろう。
「サンドラもそうだが、実力を見誤るとこういう目に遭うんだ。あの世で反省すると良い」
俺は、よっこいしょと立ち上がり、辺りを見回す。
「よくもまあ、これだけやったもんだ。たった一人だったんだろう?」
「はい。その上、丸腰で……まあ、武器は目の前の人間が持って居る訳ですから奪い取って調達したようですが」
クロルが淡々と答える。
「成程ね。それで可愛い奥様のところに行っちゃったわけだ」
「そのようです。如何いたしますか? サンドラは数名、勝手に使っているようですが」
「ああ、それは俺がやったんだよ。公爵がどうもきな臭いって言うから、十五人ほどやったんだ。まあ、大した奴らじゃないからあっという間に英雄殿にあの世に送られちゃうだろうけどな」
くすくすと笑って肩を竦める。
「さて、そろそろ厄介な連中が来るだろうから俺たちも行こう。でもその前に一度、英雄殿に挨拶をしておかないとね。クロル、お前は逃走経路の確保をしておけ。俺は挨拶に行って来る」
「御意」
クロルは俺に燭台を渡すと暗闇の中に溶けるように消えて行った。
その背を見送り、俺は何とも歩きづらい廊下を進んでいく。
「サンディ、やっぱり君は、手を出しちゃいけないものに手を出しちまったんだよ」
僕は、カドックを右に控えさせて、部下たちが強引に押し開けたオールウィン家のエントランスの扉の向こうへと足を進める。
広いエントランスホールには、有象無象の下っ端集団が各々、武器を構えて脂下がった笑みを浮かべている。ざっと見渡しただけで、五十以上はいるだろう。それ以外にも、多分、色んな所にいるんだろうなと見当を付ける。
僕は、腰の剣を引き抜いて肩に担ぎながら、にっこりと笑う。
「どうも、こんにちはー! ヴェリテ騎士団ですけどー! うちの第一師団師団長、ウィリアム・ルーサーフォードと可愛い奥様のリリアーナ・ルーサーフォード夫人を返してもらいにきましたー!」
「殿下、失礼を承知で申し上げますが、当家の旦那様もお忘れなきようお願い申し上げます」
ジェームズが僕の横に出て来て言った。
ああ、そうだった、ごめんごめんと謝って「僕の従兄のフックスベルガー公爵も返してもらいに来ましたー!」と宣言するとジェームズは満足げに頷いて後ろに下がった。
公爵はジェームズを馬車に残し、あの小さな家に着いて、庭に足を踏み入れようとしたときヤンとかいう男に捕まったらしい。ジェームズは公爵の命を取られてしまった以上は手も足も出せず、公爵の指示する通りに隣家にいた騎士たちを伸して、向こうに気付かれないように後をつけ、運ばれた先がオールウィン家であることを突き止めると、僕のところに来た。
そう、僕が待っていたのはジェームズだ。僕の傍にカドックが、ウィリアムの傍にフレデリックが居るように、公爵の傍にはジェームズが居る。ジェームズは優秀な執事だから、ちゃんと仕事をこなしてくれた。
僕の後ろに控えるのはフレデリックとエルサ、ジェームズ。その背後には僕が連れて来た、ラザロス隊長率いる小隊、三十二名がいる。
「ははっ、たったそれだけの人数でようこそおいでくださいました、王子様」
エントランスホールの真正面、吹き抜けになっている二階の手すりにもたれかかりながら男が小ばかにしたように笑う。多分、この有象無象集団の中ではリーダー核なんだろうね。
「王太子を歓迎するには、ちょっと人数が足りないんじゃないかな?」
「ご安心ください、庭にも上の階にもそこら中にいますよ。ただねえ、あんまり抵抗されるとオールウィンの使用人たちの命がどうなるかは分かりませんけど」
下卑た笑いを浮かべる男に後ろで舌打ちが聞こえた。
これでこの僕に勝ったつもりだろうかと、甚だ可笑しくなってくる。
「ねえ、僕は君も知っている通り、王太子だ。たかが使用人の命とルーサーフォード侯爵夫妻、フックスベルガー公爵の命を天秤にかけているとでも思っているの?」
「見捨てる気か? そうなれば世間はなんて言うだろうなぁ? 心優しいと評判の王太子殿下が使用人を見殺しにしたなんて知ったら、国民たちはどう思うと思う? 小さな火種があれば、国は堕ちるぞ」
男は、酷く愉し気に言った。
僕は剣で肩をとんとんと叩きながら、男を見上げる。
「訂正すると僕は、心優しい王太子殿下ではないよ。私は寛大な王になる男だ! なあ、カドック!」
カドックが深く頷いて、剣を抜く。
緊張感が次第に高まる中、男の背後からやけに背の高いブロンドのメイドが現れ、メイドは手すりに足を掛けると勢いよく、エントランスホールに飛び降りた。突然のメイドに周りがざわめく。
カツカツと靴音を響かせながら、メイドは僕の前にやってきた。
「報告申し上げます!」
ブロンドのメイドは、野太い声を上げた。
「オールウィン家の使用人、総勢、二十八名、無事に保護致しました! 現在、我々諜報部隊が騎士団へと護送中です! ですので……」
メイドはブロンドの髪をむんずと掴んで、それを脱ぐ。
「アルフォンス・クレアシオン王太子殿下のお好きなように、暴れて良いわよー!」
マリオが男を振り返り、ウィンクを贈った。
男が慌てて横にいたた男に何かを告げ、数名がどこかへ走っていく。おそらくマリオの言葉の真偽を確かめに行ったのだろう。
「マリオ、ご苦労だったな」
「ったく、人使いが荒いぜ。リリアーナ様は、彼女の部屋だ。怒り狂ったウィルが走って行ったから、勝負はついているかもしれねえけどな」
あいつ、俺に気付きやしねえと笑いながらメイド服を脱いで、マリオはシャツとトラウザーズというラフな格好になる。全身真っ黒なその姿は、闇に溶け込むにはもってこいだ。
マリオはフレデリックの代わりだった。それはつまり四六時中、ウィルにくっついているということだ。
だから、あの小さな家の通りを挟んだ向かいのアパートメントに諜報部隊の数名の仲間と共にずっと待機していたのだ。諜報部隊は、マリオのように怪我や病気で剣を握れなくなった騎士が多く在籍しているため、非戦闘要員だがそれでも、一般人よりははるかに強いし、こんな有象無象なら怯むこともない。彼らは不審者が侵入し、エルサとフレデリック、或はウィリアムに撃退されたそれが逃げ帰る先を特定するために潜んでいたのだが、物事とはなかなか予定通りにはいかないものだよね。
公爵夫妻が攫われた後、彼はジェームズが報告に戻るのを見越して、僕らの登場に合わせて場を整えるべく、奔走してくれていたのだ。
「リリアーナ様は無事ですか?」
エルサが前に出て来てマリオを縋るように見上げた。
「もちろん。公爵様がずっとサンドラを見張っているしウィルもとっくに彼女の下に行った。すまない、俺たちじゃ完全に守り切れる保証がなかったから保護出来なくて」
マリオが申し訳なさそうに言った言葉をエルサは首を横に振って否定した。
マリオは、強い。けれど、それは完璧ではない。利き手の握力がほとんどない彼では、いざという時不利になる。ただの使用人たちなら兎も角、リリアーナに掛けられる追手は間違いなく手練れの者だろう。そうなるとマリオでは不利なのだ。
「いえ、無事ならそれでいいのです。それに旦那様がお傍におられるのなら、奥様の無事は絶対ですので」
エルサが安堵を滲ませ微笑んだ。
いつも辛辣なエルサだが、彼女は心からウィリアムを信頼しているのだ。
「だな。よし、じゃあ……殿下、俺はもう一仕事、こなしてきますので」
「どこに?」
「マクニッシュ商会。仔細はあとで報告いたします」
「了解」
僕が頷くとマリオは、騎士たちの間を通り抜けるようにして外の闇の中へと消えて行った。その背を見送り、僕は再び男たちに向き直る。
どうやら使用人たちが居なくなったことに漸く気付いたらしい彼らの苛立ちが空気を余計、ビリビリとしたものに変えていく。
「有象無象の愚か者共、よーく聞け!!」
僕の声がエントランスに響き渡る。
「我が子を護るが親の役目だ。我が子らを護る為ならば、私はどんな手段でも、どんな人間でも、何であれ躊躇うことなく使役する」
ゆっくりと銀色に光る剣を男に向ける。
「火種ならば、いくらでも作るがいい! 私の手足となる者たちがそんなものはいくらでも消してやろう!! だが、私の愛する国民に手を出そうと言うのなら、死の覚悟を持って挑むがいい!!」
僕の声に背後で一斉に抜剣する音が次々に聞こえる。
「カドック!!」
叫ぶと同時に駆け出して、僕は一緒に駆け出したカドックの手を踏み台に二階へといい気に飛び、目を見開く男に極上の笑みを返してやる。
「たかが虫ケラ風情が私の国で好き勝手に出来ると思うなよ」
剣を横に一閃すれば、呆気無く首が飛ぶ。
僕は、二階の手すりに降り立ち、剣を構える。
「全隊に告ぐ!! 情けは不要!! 一掃せよ!!」
その宣言に一瞬、静まり返ったエントランスが一気に剣戟と怒号の響く地獄となる。庭からも雄叫びが上がり外は昼のように明るくなる。
僕は手すりから降り立ち、飛び掛かって来た男共に応戦する。
数は多いが大したことはない。
ちらりと映る視界の端で、燕尾服の尻尾とメイド服のスカートがひらひらと舞って、誰より早く僕の方へと駆けて来る。もちろん、カドックはとっくに僕の隣で戦っているけれどね。
「王太子の首をとれ!! さすれば英雄だ!!」
「私の首がそんなに安いものだと思うなよ!!」
はっと嗤って、次から次へと現われる敵をなぎ倒し、蹴り倒し、ぶん殴って、剣で貫き、骨を砕いて、ありとあらゆる手段で持って先へと進んでいく。
「数で押せ!!」
そんな浅墓な叫びと共に五人同時に飛び掛かって来た時、二人はカドックの剣にもう二人は、フレデリックとジェームズの拳に沈み、もう一人はエルサの蹴りに吹っ飛んでいく。
「いやぁ、相変わらず強いねぇ」
「奥様をお守りするために日ごろから鍛錬は欠かさずにおりますので」
笑顔で答えて、エルサはメリケンサックを嵌めた拳を飛び掛かって来た男の顔にめり込ませた。ぐきゃっと鼻の潰れる音がした。
「君たちに主さえいなければ、騎士団に勧誘したのになぁ」
僕の言葉に物騒な執事と侍女は「光栄です」と微笑みながらまた一人、また一人と敵を沈めて行くのだった。
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北海道での大きな地震に更新するのも躊躇したのですが(内容的にも物騒だったので表現をかなり削りました)、それでも少しは気分転換になればと思い更新しました。
私の大事な友人も北海道在住です。地域的には震度3、2なのですが停電している今、携帯電話のバッテリーはかなり重要なものだと思っているので、連絡をするか否か非常に悩んでいます。
台風21号での被害も酷い中、不安な夜もあると思いますが厚かましくも少しでも気分転換になればと願っております。