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第三話 強引な約束




 モーガン先生が診察して下さった結果、旦那様は頭を打ったために一時的な記憶喪失になったのだろうということでした。後頭部には確かに大きなたんこぶが有りましたので、ぶつけた時の衝撃はかなりのものだったでしょう。

 ですが先生曰く、この一時的というのがどれほどの期間になるのかは分からないのだそうです。脳というものはとても繊細で複雑でそれでいて大雑把なもので、ふとした拍子に思い出すこともあればこのまま一生記憶が戻らないということもあり得るそうです。そして、無理矢理思い出そうとすると脳が拒絶反応を起こしたり、或はその負荷に耐えきれなくなったりして重大な疾患が出てしまう可能性もあるのでそういうことはしないようにと先生がきつく旦那様に言い聞かせていました。

 幸い、旦那様は記憶喪失になった以外、頭痛を訴えることもなく、目が見えなくなったり、手足が麻痺したりということもありませんでした。しかし、極度の過労と診断された旦那様は、一週間はベッドの上で過ごすようにと先生に厳命されてしまいました。

 旦那様は渋りましたが前々から旦那様は働き過ぎだと私も使用人さんたちも思っておりましたので、この機会にゆっくりと体を休めて欲しいとおお願いしたところ旦那様は、快く了承してくださいました。

 ゆっくり休んで頂きたいので、私は午前中に少しだけお顔を見に行きお話をするだけでしたが旦那様は見る見るうちに回復して、ご飯も良く食べて、良く眠ったおかげで顔色も随分と良くなり、肌にも艶が戻りました。


 そして旦那様は何故か一週間ぶりにベッドから出る許可が出た途端、どうしたことか私の部屋を訪ねて来たのです。

 今朝、お会いした時にはそのような素振りはありませんでした。旦那様は、今日こそはモーガン先生に起きる許可を貰うと息巻いていらっしゃいましたが、それ以外のことは何も言っていませんでした。ですので、昼食を終えて日課である刺繍をしているところに急に訪れた旦那様には驚きを隠せませんでした。

 旦那様は、慌てる私に刺繍を続けるようにと言うと向かいのソファに腰掛けて、それから何を言うでもなくずっと私を見ているのです。何度か顔を上げて様子を窺うのですが、その度に目が合うので間違いありません。エルサが部屋の隅に控えていてくれているのが唯一の救いです。

 私は、一週間後のバザーに向けてクッションカバーや小物入れ、ヘッドドレスやリボンに刺繍を入れていますので見ていても面白くないと思うのですが、旦那様は部屋にお戻りになる様子がありません。正直、何を話したらよいのか全く分かりません。旦那様は記憶がありませんし、私には旦那様を楽しませるような話術も話題もありません。


「……旦那様、あの……お部屋で休んでいらした方が……」


「リリアーナは、刺繍が好きなのか?」


 私の言葉はさらっと受け流されてしまい、逆に質問が返されました。

 旦那様は、じっと私を見つめて答えを待っているようです。


「……刺繍をすると、誰かが喜んでくれるので好きなのです」


 とは言っても私が自分から刺繍を贈ったことがあるのは、セドリックとエルサだけです。セドリックは私が刺繍をしたハンカチやスカーフをとても喜んでくれていたので、私は刺繍が好きになったのです。エルサの赤いリボンは不注意でシミが出来てしまったことをエルサがとても悔やんでいたので、小物入れをアレンジしたいからとちょっとだけ嘘をついてリボンを貰い、エルサにぴったりの百合の花を刺繍したのです。出来上がったものをプレゼントしたらエルサはとても喜んでくれました。


「確かに見事な腕だ。これを贈られたら皆、嬉しいだろうな」


 テーブルの上にあったクッションカバーを手に取り、旦那様がしげしげと眺めます。

 向日葵をメインに据えた夏をイメージしたデザインの刺繍は、書庫にあった刺繍のモチーフ集の中にあったものを参考にしたもので、なかなかの力作です。

 そこではたと私は、旦那様に裁縫箱や刺繍糸を買って貰ったお礼を言っていないことを思い出し、刺繍をしていたハンカチを傍らに置いて立ち上がりました。いきなり立ち上がった私に旦那様が首を傾げます。


「あ、あのっ、旦那様」


「ん?」


「裁縫箱と刺繍糸、とても嬉しかったです。妻として何の役目も果たせていないのにこんなに素晴らしいものを買って下さって、とてもとても感謝しております。お礼を言うのが遅くなってしまい、申し訳ありません」


 ぺこりと頭を下げて一気に言い切りました。噛まず、つっかえず、途切れず最後まで言えたことに私の心を達成感が満たします。この一年、エルサやアーサーさんの指導の下行われた淑女教育が着実な成果を上げているのを確信しました。そうでなければ、旦那様とお話しすることがそもそも出来なかった自信があります。

ですが達成感に浸る私とは裏腹に「顔を上げてくれ」と少し焦ったような声で旦那様に言われて体を起します。


「裁縫箱と刺繍糸くらい、お礼を言われるようなことじゃない」


 旦那様が苦笑を零されました。


「そんなことありません」


 私は即座に首を横に振って返しました。


「実家にいた頃は、こんなに綺麗な糸は自由に使うことは出来ませんでしたし、裁縫箱だってメイドさんのお下がりを貰ったので、針も少し曲がっていたり、折れたりしていたのですが、旦那様はこんなに綺麗な裁縫箱をくださいました」


 隣に置いた裁縫箱を振り返り、繊細な花の意匠を撫でました。職人さんが丹精込めて彫ったのでしょう柔らかな木目と色とりどりの花はとても愛らしく、貰ってから三日くらいは使うのが勿体なくて毎日、眺めていました。蓋を開けたら開けたでまるで虹のようにずらりと並ぶ彩り鮮やかな刺繍糸に感激して、そこからまた三日、眺めていました。初めて針を刺したのは、裁縫箱を貰ってから一週間も経ったあとのことです。


「私、毎日毎日、この綺麗な糸を眺めているだけで幸せなのです」


 ずらりと並ぶ糸を撫でながら、自然と頬が緩んでしまいました。

 赤色一つとっても少しずつ濃淡の違うものが五種類はあるのです。その繊細な色の違いに頭を悩ませながら刺繍をするのはとても楽しいことです。それに糸の減り具合をエルサが確認して、それとなく補充をしてくれているので色が欠けることもありません。

 私はもう一度、心を込めて精一杯、感謝の気持ちを伝えました。


「旦那様、本当にありがとうございます」


「あ、ああ、いや、喜んで、貰えたのなら何よりだ」


 旦那様は心なしか顔を赤くしてそっぽを向いてしまいました。

もしや無理をして熱でも出てきてしまったのでしょうか。やはり、たったの一週間では回復しきれなかったに違いありません。


「旦那様、お顔が赤いです。もしやお熱が出たのではありませんか? すぐにお部屋に戻って休みましょう」


「これは違うから大丈夫だ。まだ部屋には帰らない、もう少し君と話しがしたいんだ」


 妙に勢いよく旦那様が言いました。


「でも……」


「大丈夫ですよ、奥様」


 いつのまに近くに来ていたのか顔を上げればエルサが居ました。


「あまりにお綺麗だったのでちょっと見惚れていただけですから」


 エルサがにっこりと笑って言いました。


「確かに、この糸はとても綺麗ですものね……でも、本当に大丈夫かしら」


 無理をするのが一番いけないとモーガン先生は言っていましたから、私は心配でなりません。

 するとエルサは、そっと私の肩に手を置いて首を横に降りました。


「旦那様は殺しても死にやしませんから大丈夫ですよ。でも、奥様のお心に憂いが残るなら、今、すぐにでも部屋から追い出し」


「エルサの言う通り、私は大丈夫だ」


 エルサの言葉を遮って旦那様が言いました。エルサが舌打ちをしたような気もしますが、きっと気のせいでしょう。

 旦那様は、ごほんと咳払いをして居住まいを正しました。すっと背筋をまっすぐ伸ばされるだけで存在感が増します。何かお話があるご様子ですので、私も背筋を正して旦那様と向き合いました。


「……その、リリアーナ」


「はい」


 旦那様はなんだかとても言い辛そうなご様子で、鮮やかな青い瞳は何かを探すようにうろうろしています。薄い唇も何かを言おうとしては閉じて、また開いて、でも何も言わずに閉じてを繰り返します。

 もしや私は自分でも気づかぬ内に何か無作法なことをしてしまったのでしょうか。心優しい旦那様は、それを正そうとしてくださっているのかも知れません。きっと、厳しい言葉にならぬようにと心遣いをして下さっているのです。


「旦那様、申し訳ありません」


 私は立ち上がり深々と頭を下げました。旦那様が「リリアーナ?」と少し驚いたように私を呼びました。


「私、旦那様が不愉快に思われるようなことをしてしまったのですね……」


「は? え? ち、違う、断じて違う!」


「ですが、何やら言い辛そうにしていらっしゃいますし、難しいお顔をなさっていますし、やはりなにか私が……」


「だから違う、ええっとあの、そうだ、これ! これは何に使うものか聞きたかったのだ」


 旦那様が手に取ったのは、レースと布で作った花の飾りをあしらったヘッドドレスです。それだけではなく、楕円形の紺色の下地には、白の糸で菱形の模様を線で表現し、角にはガラス製のビーズをあしらっています。エルサとメイドさんたちが、とても素敵だと褒めてくれた品です。

 旦那様は男性ですので知らなくても無理はありません。きっと年下の小娘にこれが何かを聞くのが恥ずかしかったのですね。


「ほらな、君は何も悪いことはしていなから、座ってくれ」


 そのお言葉にほっと胸をなでおろして、私はソファに座り直しました。


「これはヘッドドレスと申しまして、エルサが使っているものはお仕事用なのでシンプルですけど、これはちょっとしたお出かけ用ですとか、おめかし用にと思って作ってみました」


「そうか……この布の花も君が?」


「はい。エルサが幾つか布をくれたので……クッションカバーはいらなくなったシーツで作りました。リボンはメイドさんたちが子どもたちの為にと寄付してくれたので、私は刺繍をしただけです」


「子ども?」


「旦那様はお忘れかも知れませんが……奥様がこれらを作っているのは全て、当家が運営している孤児院のバザーに出すためです」


 エルサが私の足りない言葉を補って旦那様に説明してくれました。

 私が立ち上がろうとするとすぐにエルサが私の気持ちを汲み取って隣の私の寝室に行き、ベッドの枕元に置いてあるお菓子の箱を持ってきてくれました。お礼を言ってそれを受け取り、膝に乗せます。


「それは?」


「孤児院の子どもたちがお礼にとくれたのです。寄付で貰ったというお菓子の箱の中に私へのプレゼントをたくさん詰め込んでくれたんですよ。セドリック以外に初めてお手紙もいただきました」


 王都で評判のお菓子屋さんの箱は、捨てるのが勿体ないくらいに綺麗です。蓋を開ければ、押し花や子供たちが描いてくれた絵、毛糸で作ったコースターと何通かのお手紙が入っています。子どもたち手作りのクッキーやマフィンも入っていたのですが、それは頂いたその日にエルサと一緒に美味しく頂きました。


「アーサーさんがルーサーフォード家の孤児院は、他の孤児院よりもずっと子供たちが豊かに暮らせていると教えてくださいました。このお手紙やお花を見るたびにその通りなのだだなぁと思います。きっと心根の優しい子どもたちなのでしょうね」


 一度、慰問に行かれてはとアーサーさんが提案してくださいましたが、旦那様の許可が下りなかったので行ったことはありません。

 ですが、旦那様の立場を考えれば私のほうが軽率でした。エルサが教えてくれたのですが社交界で旦那様はとても人気があるのだそうです。有力貴族の若き当主で見目麗しく、背も高くスタイルも抜群です。その上、七年前の隣国との戦争で多大なる功績を残した旦那様は騎士団では出世頭で王太子殿下からの信頼も厚いとくればますます人気に拍車がかかるのも頷けます。

 けれど、旦那様は同時に女嫌いでも有名でダンスは殆ど踊らず、令嬢との交流も必要最低限だったらしいのです。ですから、その旦那様がいきなり伯爵家に居たのかどうかも怪しい娘と結婚した時は多くのご令嬢が涙したそうです。

 故に夜会にも茶会にも一度も出たこともない侯爵夫人を多くの貴族の皆様が――特に女性が知りたがっているのです。私は社交界にデビューすることなく嫁いで参りましたし、実家にいた頃もお茶会などにも出たことがありませんので家族と使用人さん以外は誰も私を知らないので余計に噂になっているのです。私が継母や姉のように美しく完璧な淑女であれば良かったのですが、噂の侯爵夫人が不器量で何も出来ないただの小娘では皆様をがっかりさせてしまう上、旦那様の評判に傷がついてしまうのは明らかです。なので、私は侯爵家に嫁いでからもこの屋敷の敷地の外へは出たことがありません。とは言っても実家にいたころに比べれば、ずっとずっと自由で幸せなので困ったことは一度もありませんが。


「リリアーナ。私と君は、教会の戸籍上は夫婦だ」


 徐に旦那様が切り出しました。確かにその通りなので、はい、とその言葉を肯定します。


「しかし、お互いのことは全くと言って良いほど知らない。その上、私は自分のことも分からなくなってしまった」


 旦那様の端正なお顔に悔しさが滲んでいるのを見つけてしまいました。旦那様が記憶を失ってまだ一週間、でも旦那様にとってはもう一週間なのかもしれません。


「焦らないでください、旦那様。モーガン先生が無理は禁物だと言っていましたし」


「……ありがとう。君は優しいな」


「いえ、お優しいのは旦那様です。旦那様のお蔭で私は何不自由ない暮らしが出来るのですから」


 旦那様は、そうか、と小さく呟いて顔を俯けました。けれど、数拍の間を置いてすぐに顔を上げます。そして、徐に立ち上がるとこちらにやって来たかと思えば、何と私の足元に膝をついたのです。


「だ、旦那様っ?」


 慌てる私を他所に旦那様は私の手を取ると、その大きな両手で包み込むようにして握りしめました。顔を上げた旦那様の鮮やかな青い瞳に囚われて私は固まってしまいます。


「だが、私は夫としては失格だっただろう。君を省みることもなく、寧ろ、自分勝手な理由で疎んでいたとアーサーに教えられた。挙句の果てに君のことを綺麗さっぱり忘れて、どれだけ頑張ってみても思い出すことも出来ない。これまでの私は君を傷付けるばかりだった」


 まるでそのことを心から後悔しているかのように旦那様は言葉を紡ぎました。

 旦那様は本当にお優しい方です。私は、旦那様に握られている手とは反対の自分の手を重ねて、旦那様の御心が少しでも軽くなればと願いました。


「旦那様、そんなにご自分を責めないでくださいませ。私が旦那様に傷付けられたことはこれまで一度だってありません。それに思い出せなくても仕方がないことです。たった三回しか顔を合わせなかった人間のことなどもともと記憶になくても不思議はございませんもの。思い出すものがないものを思い出すことは神様にだって出来ません。ですからどうか、ご自分を責めないで下さいまし」


 握りしめられた手に力が込められたかと思うと旦那様は、どうしてか今にも泣き出しそうな顔になってしまいました。旦那様、とお声を掛けるとその顔を隠すように私の膝に顔を埋めてしまいました。それでも握った手を離してくれる様子はありません。どうしたら良いのか分からず、私はエルサを見上げました。エルサは何だかとても冷たい目をして旦那様を見ているような気がしましたが、優しいエルサがあんな冷たい目をするなんて私の見間違いに違いでした。何故なら私の視線に気づくとエルサはいつもの優しい眼差しを渡しに向けてくれましたから。


「そのすっからかんの頭を撫でて差し上げれば、その内復活すると思いますよ」


「でも具合が悪くなったのならモーガン先生をお呼びしたほうが……」


「いいえ、旦那様は懺悔しようにもその資格すらも無いという想定外の事態に耐えられなかったただの腑抜けで御座いますので。奥様がお心を痛める必要は一切ございません。それに奥様が頭を撫でで差し上げればそれで充分、寧ろ、贅沢です」


 エルサの言葉の意味はよく分かりませんでしたが、エルサの言うことを聞いておけばまず間違いはありません。私の侍女は皆に自慢したくなるくらいにとっても優秀なのです。

 私は、旦那様の琥珀色の髪をそっと撫でました。セドリックの子供特有の柔らかな髪に比べると旦那様の髪はしっかりとしていますが、さらさらと私の指の間を抜けていきます。こっそり確認しましたが、旦那様の後頭部にあった大きなたんこぶはなくなっていました。

 それから暫くそうして髪を撫でていたのですが、旦那様は微動だにしなくなってしまいました。


「エルサ、どうしましょう、旦那様、もしかしたら気を失っているのかもしれないわ。だって動かないんですもの」


 あまりにも動かない旦那様に不安になって助けを求めるようにエルサを見上げます。


「そのようなことはございませんよ。……いい加減にしないとアーサー様を呼びますよ、ヘタレ(旦那)様」


 何か言外に別の意味合いも含まれていたような気がしますがそんなエルサの呼びかけに旦那様の逞しい肩がびくりと跳ねました。良かった、気を失っていたわけではないようです。

 私がほっと息を吐きだしたのとほぼ同時に旦那様が勢いよく顔を上げました。


「リリアーナ」


「は、はい」


 急に動きだしたのでちょっと驚いてしまいました。


「今度の孤児院のバザーに一緒に行かないか?」


 予想外の言葉に今度は私が固まってしまいました。


「私と君は、夫婦だ。これから死が二人を別つまで共にある関係なのだから、お互いのことを良く知るためにその機会を設けるべきだと思うのだ。だからもっと話をするべきだと思うし、一緒に出掛けたりもしたい。これから毎日、私は君と過ごすための時間を少しでも作りたいと思う。だから、今度の孤児院のバザーにも一緒に行かないか?」


 旦那様は冗談を言っているようには見えませんでした。至極真剣な眼差しで私を見つめています。

 一体全体、旦那様はどうしてしまったのでしょう。私の顔を見るのすらあんなに嫌がっておいででしたのに一緒に過ごしたいなんて驚き以外にありません。

 ですが記憶喪失になってしまって何もかもが分からない中、お飾りでも妻という家族の肩書を持つ私に縋りたくなるほど心細いのでしょう。


「こうしてお話をするのは構わないのですが……孤児院は……行けそうにありません」


 孤児院の子どもたちに会ってみたい気持ちはあります。けれど、旦那様の評判に傷をつけてしまうことほうが恐ろしいことです。

私は、また無意識の内に左の鳩尾に手を当てていました。


「私と出かけるのは、嫌か?」


 旦那様がおそるおそると言った様子で私に問いかけます。私は、まさか、と慌ててその言葉を否定しました。


「……私のようなものが旦那様と一緒に行くなんて、侯爵夫人がこんな不器量で醜い娘では旦那様のお顔に泥を塗ってしまいます」


 自分で言って泣きたくなりました。私がお継母様や姉様のようにもっと美しければ、旦那様にかけるご迷惑が一つ減ったのに。鳩尾に当てていた手に勝手に力が籠もります。


「みにくい?」


 旦那様はその言葉を初めて聞いたかのような顔をしました。記憶喪失で人に関する記憶は失っても知識までは失っていないと思われた旦那様ですが、どうやらその知識にも欠落があったようです。


「醜い、とは私のような娘のことを言うのです」


 私は、悲しい気持ちになりながら旦那様に言葉の意味をお伝えしました。

 すると旦那様は、ぽかんと口を開けたまま首を傾げました。つられて私も首を傾げます。


「待ってくれ、私は頭を打って言葉の意味が反対になってしまったのだろうか?」


「そのようなことはないと思います。旦那様と私は普通に会話が出来ていますから……」


「では何で君が不器量で醜いことに……誰かに言われたのか?」


「お継母様と姉様が教えてくれたのです。私のお継母様と姉様は、私と違ってとても綺麗なのですよ」


「娘と妹に向かってそんなことを言う女が綺麗な訳が無いだろう。君は何かを勘違いしている……リリアーナ、君はとても美しい」


 旦那様の口から贈られた言葉に私はますます首を傾げました。もしかしたら頭を打って、視覚にも異常が出てしまったのでしょうか。やはりモーガン先生をお呼びしたほうがよいでしょう。そう結論付けてエルサを振り返ろうとしましたが旦那様に先手を打たれてしまいました。


「言っておくが、私の審美眼は間違いなく正常だからな。頭を打ったことは一切関係ないぞ。な、エルサ」


「この件に関してだけはこのヘタレに同意ですわ。前から薄々気付いてはおりましたが、やはりそのような勘違いをなさっていたのですね。奥様はとてもお美しいですよ」


 エルサもどこかで頭を打ったのかも知れません。


「私は頭を打っておりません」


 私の心の中を読んだエルサにも釘を刺されてしまいました。


「……リリア―ナ、君はとても美しいよ」


 旦那様はやっぱり冗談を言っているわけではなさそうです。綺麗な青い瞳はどこまでも真っ直ぐ、真摯に私を見つめています。

 けれど、その言葉は信じることが出来ませんでした。旦那様のその眼差しから逃げるように顔を俯けました。私はそこで自分の右手がまだ左の鳩尾を押さえていることに気付きました。この際、千歩くらい譲って顔の造りは人並みに整っていると認められたとしても間違いなく醜く悍ましいものがここにはあるのです。


「リリアーナ、こうなったら何が何でも孤児院のバザーに行こう」


 有無を言わせぬ口調で旦那様は私の手を強く握りしめて宣言しました。後ろでエルサまで、うんうん、と頷いています。

 それを拒否することは許してもらえそうになく、私はおずおずと頷くことしか出来ないのでした。



明日も十九時更新予定です!

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[気になる点] 結婚した時は、五年前の戦争で英雄として名高い旦那様が! 結婚して1年経って、七年前の戦争って…? 他にも誤字が………。
[一言] 「見間違いに違いでした」←「見間違いに違いないでしょう」か「見間違いに違いありません」か「見間違いでしょう」なのでは?
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