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第二十八話 小さなお家の奥様


「まあ、可愛らしいお家」


 サンドラ様と姉様の襲来から早三日が経ちまして、私たちは朝早くに王都の庶民街の住宅地にある小さなお家にやってきました。

 木製の柵にぐるりと囲まれた敷地にクリーム色の壁に茶色の屋根、小さいお庭には花壇があって秋のお花が風に揺れています。


「暫くはここで庶民の暮らしを体験してみよう。セディにもいい経験になるし、君もきっと楽しいぞ」


 ウィリアム様が中へと歩き出し、ウィリアム様に手を引かれて私もついて行きます。少し前を歩くセドリックも心なしかとても楽しそうです。

 昨夜からエルサとフレデリックさんが先に来ていて仕度をして下さっているそうです。エルサとフレデリックさんは、右隣に建つもう一回り小さなお家が偶然空いていたので、そちらに若夫婦として住むそうですが、エルサは我が家の通いの家政婦さんになるそうです。このお家は角に立っているので、左隣は道になっています。

 二日前の朝、突然、庶民の暮らし体験をしてみようと言われた時には驚きましたが、楽しそうなセドリックを見るとそれだけで嬉しい気持ちになります。母と姉の襲来にセドリックは、すっかり怯えてしまい私からぴくりとも離れなくなって、湯あみとお手洗い以外はずーっと私にくっついていました。私があの日、熱を出して倒れてしまったことも幼いセドリックの不安を煽ってしまったのでしょう。それにどうしてかなかなかお屋敷に帰れず、私自身もずっとあの会議塔の仮眠室にいたので少しだけ気疲れしてしまいました。


「あにう……あ、お、お父さん。ドア、鍵かかってま、じゃなくてええっと、鍵かかってるの」


「じゃあ、これをあげよう」


 セドリックが照れくさそうにウィリアム様を呼びました。ウィリアム様はくすぐったそうに笑って、ポケットから鍵を取り出すとそれをセドリックに渡しました。顔を輝かせたセドリックが早速、玄関のドアの鍵穴にそれを差し込みます。カチャリ、と音がするとセドリックはぱっと顔を輝かせてドアを開けました。


「すごい! 廊下短い! 全部、ちっちゃい!」


 セドリックはきゃっきゃっとはしゃぎながら家の中に入ってきます。


「セディ、色々壊さないようにね、今日から住むんですから」


「はーい! お父さん、探検していいですか?」


「ああ、いいよ。危ないことはしちゃだめだけど」


「はーい!」


 セドリックは良い子のお返事をして、玄関を入ってすぐにあった階段を上がって行ってしまいました。


「あ、セディ、鍵のかかっている部屋は駄目だよ。アル兄さんの部屋だからね」


「分かりまし……分かった!」


 上からまた元気なお返事が聞こえてきました。

 今日は私もウィリアム様もセドリックも庶民らしい服装をしているそうです。庶民というものをあまり見たことがないのですが、確か孤児院のバザーでは皆さん、こんな風にブラウスにスカート、そして、エプロンといったお洋服を着ていました。旦那様も黒のズボンに白のワイシャツ、そして、紺色の綿のベストで、琥珀色の髪もゆるくセットされています。私も後ろで一つにみつあみにしてみました。


「リィナ。こっちだよ、おいで」


「は、はい」


 呼び慣れない偽名にぎこちなく頷いて、またウィリアム様に手を引かれて歩き出します。

 こぢんまりとしたお家の中は、なんだか温かい雰囲気でとても可愛らしいです。アルフ様の秘密のお家らしいのですが、女性が好みそうな温かな内装です。


「ここはアルフのおじい様の持ち物だった家で時折、おばあ様と二人で来ていたらしい。おじい様が亡くなられた後、アルが相続したんだ。それでまだ学院時代の頃に、時々、寮を抜け出して俺とアルとマリオの三人で来たんだよ。フレディとカドック、マリオの従僕にそれぞれ身代わりの留守番をしてもらってね」


「怒られなかったのですか?」


「リィナ、悪戯って言うのは気付かれたら怒られるけれど、気付かれなければ遊びで終わりなんだよ」


 ウィリアム様は、どこか少年のような笑みを浮かべています。私はつられて、ふふっと笑ってキルトのカバーが掛けられたソファの置かれたリビングを見回しました。リビングはそのままお庭に出られるように小さなデッキがあって南側の大きな窓からは小さなお庭が一望できます。暖炉の傍におかれたロッキングチェアは座り心地が良さそうです。暖炉の上には、綺麗な風景画が掛けられていました。


「ウィリアム様、これ」


「こーら、リィナ、違うだろう?」


 柔らかに窘められて腕の中に閉じ込められてしまいました。私は恥ずかしいやら困ったやらでおろおろとウィリアム様を見上げます。

 今朝、このお家では私はリィナ、セドリックはセディと偽名を使うようにと言われました。ウィリアム様のことは、ウィルと呼び捨てて呼ぶように言われて、セドリックはお父さんと呼ぶように言われています。ですので、私のことはお母さんとセドリックがくすぐったそうに呼ぶのが可愛いです。あ、いけません。現実逃避をしていました。今は私を捕まえているウィリアム様に分かって頂かなければなりません。


「で、ですが、旦那様を呼び捨てにするなんて……っ」


 そんな心臓に悪いこと、逆立ちをしたって出来そうにありません。


「でも、それじゃあバレちゃうぞ? 誰も怒らないし、俺がそう呼んで欲しいと言っているんだ、呼んでくれ私の可愛いリィナ」


 ちゅっと瞼に唇が落とされます。

 もう頭が爆発してしまいそうです。でも無理なものは無理なのです。ウィリアム様を呼び捨てにするなんて、どうやっても出来そうにないのです。私は一生懸命、考えました。考えて考えて、ふといつもの恋愛小説の知識を一つ思い出しました。町娘の可愛い女の子が幼馴染の男の子と結婚するまでを描いたほのぼのした恋愛小説で彼女は、旦那様になった男の子を名前でもなく、旦那様でもなく、こう呼んでいました。


「あなた!」


 鮮やかな青い瞳がぱちりと瞬きました。


「あなた、じゃだめですか?」


 私はちょっと泣きそうになりながらウィリアム様を見上げてお願いしました。ウィリアム様の頬が何故かだんだんと赤くなって、ばっと解放されたかと思うとウィリアム様は両手で顔を覆っていつものように悶え始めてしまいました。


「あ、あなた?」


「許可する、許可するから、ちょっと待ってくれっ」


「ありがとうございます、あなた」


 何かウィルアム様が感動するポイントがあったかどうかは分かりませんが、あ、もしかしたらここで過ごされた学院時代の思い出が胸にたくさん溢れて来てしまったのかもしれません。ウィリアム様は、アル様やマリオ様といらっしゃるときは生き生きとしていらっしゃいますので。


「リィナさん、もう来てたのですね」


 エルサの声に振り返れば、今日は彼女もブラウスにスカートという出で立ちでした。でも白いフリルのエプロンは変わりありません。隣にはウィリアム様と同じような恰好をしたフレデリックさんも居ます。


「エル、どうですか? アリアナさんが仕度してくれたのですよ」


 私はエルサに今日の服装を見せました。エルサは私の周りをぐるりと回った後、ちょっと髪のほつれたところを直してくれました。


「合格です。庶民の可愛らしい奥様に変身できていますよ」


「エルは出来る家政婦さんという感じで素敵ですよ」


「ありがとうございます」


「リィナさん、これをどうぞ僕の奥さんとお揃いで用意してみました」


 フレデリックさんがくれたのは、エルサとお揃いの白いフリルのエプロンでした。いつもビシッとしているエルサが着ていたこれは出来る女の証のようにも思えて、密かに憧れていた代物です。

 私は早速、エプロンを付けてみました。これを付けるだけでなんだか出来る奥様になれたような気がします。


「あなた、フレッドさんとエルさんが早速、来て下さいましたよ」


 くるりと振り返ってウィリアム様に奥様らしく来客を告げてみたのですが何故かウィリアム様はまだ悶えていらっしゃいました。学生時代の思い出はとても輝いていらっしゃるようです。


「お父さん、お母さん!」


 セドリックが二階から降りて来て、リビングに飛び込んでくると私に抱き着きました。やけにはしゃいでいる可愛い弟に私は、どうしたの、と首を傾げます。


「あのね、二階、お部屋二つしかなかったの! でね、一個はアルお兄ちゃんのでしょ。だから一個しかないけど、そこにいつものベッドよりは小さいけどちゃんとベッドがあったよ!」


「そうなの? ……三人も眠れるかしら」


 眠れないようでしたら、私は床でもソファでも構いません。寧ろ、私は小さいですのでここのソファでも充分です。

 けれど、その心配はどうやら杞憂のようでした。


「大丈夫だよ! あのね、お父さんがね、僕とお母さんをいつもみたいにぎゅーっとしてくれたら三人で眠れるよ!」


「まあ、それなら安心ですね」


 うん、と満面の笑みで頷くセドリックは天使のように可愛いです。私の弟は可愛さで世界征服が出来てしまうのでは、と最近は真剣に考えてしまうことがありますし、エルサに相談したらエルサは「ありえますね、おおいに」と真面目に聞いてくれました。

 この時、私はセドリックの可愛さに気を取られていたので想い出に感動しているウィリアム様が息も絶え絶えになっていることには気づきませんでした。けれど、フレデリックさんとエルサの微笑まし気な視線には気付いてしまったので、ちょっと恥ずかしかったのでした。










「エル、私もお掃除がしてみたいのです」


 ウィリアム様は、感動から立ち直った後、私とセディをぎゅうっとしてからお仕事に行きました。

 でも、いつもはご一緒するフレデリックさんは、私たちの護衛も兼ねてここに残るそうで、お庭の柵の修繕をして草むしりをしてくれています。セディは、フレデリックさんにくっついてお外にいますので、家の中には私とエルサだけなのです。

 刺繍をしていてください、と言われていたのでリビングで刺繍をしていたのですが、思い切って私はエルサにお願いをしてみました。庶民の暮らし体験なのですから、私も何かしてみたいのです。

 廊下の掃き掃除をしていたエルサは少し悩んだ後、私の頭に埃避けの布を被せて、口元も布で覆ってくれました。そのあと、綺麗な布巾が渡されました。


「では、リビングとダイニングのテーブルを拭いていただけますか?」


「はい!」


 私はお仕事を貰えたことに胸を弾ませながら、まずはリビングへと行きました。

 小さなソファーテーブルの上には花瓶が飾ってありましたので、零さないようにちょっと離れた床の上に下ろして、隅の方から丁寧に拭いて行きます。いつもエルサやアリアナさんのお仕事を見ているので、見よう見まねでやってみます。

 拭き終わったら花瓶を戻して出来あがりです。もともと綺麗でしたが、もっと綺麗になったような気がします。

 次はダイニングのテーブルです。ダイニングはリビングの隣のお部屋でキッチンとはカウンター越しに繋がっています。小さなお部屋ですが白い壁に若草色のカーテンが爽やかなお部屋です。

 ダイニングのテーブルは六人掛けです。ここも私は丁寧に拭いて行きます。拭き終わるとタイミングよくエルサがやってきました。


「はい、合格です。流石、リィナさんですね、お上手ですよ」


 ただテーブルを拭いただけですが、褒められるというのは嬉しいものです。ですので、もっとお手伝いをしようとしたら今日はもう終わってしまったそうです。流石は優秀なエルサは、お掃除もとっても早いのですがちょっとだけ残念です。

 ダイニングを出て、リビングに戻るとフレデリックさんとセドリックが外から戻ってきました。セドリックは、草むしりのお手伝いをしたようで、少し汗を掻いていましたがその表情は満足げです。


「そろそろお昼ご飯ですね、リィナさん。フィーユには劣りますが、当分は僕が料理をしますので、ちょっとだけ我慢してくださいね」


 フレデリックさんは、茶目っ気たっぷりにウィンクをしました。フレデリックさんは格好いい方ですので、様になっています。でも、フレデリックさんがお料理をするということに私は驚きです。


「フレッドさんがするのですか……? エルがするのかと思っていました」


「僕の奥さんは、料理だけは苦手なのですよ」


 エルサが気まずそうにそっぽを向いてしまいました。

 エルサに出来ないことはないと思っていたので、驚きです。でも言われて見ると孤児院に贈るお菓子を作る時、アリアナさんやメリッサさんは手伝ってくれたのですが、エルサはいつも見ているだけでした。エルサは見守るのがお仕事なのかと思っていたのですが、どうやら違ったようです。


「どういう訳か、料理だけはどれほど練習しても上手くならなかったので、フィーユに厨房のものに触れるのを禁止されてしまったのです。流石にオーブンを爆破したのは悪かったと私も反省しております」


 一体、どんなお料理を作ったのでしょうか。セドリックが「爆弾作ったの?」と無邪気に尋ねたのですが、返ってきた答えは「グラタン」でした。知りませんでした。グラタンは失敗すると爆発するのですね、危ないです。


「でも、その分、僕が料理は得意ですからね。問題ないですよ」


「夫婦って感じで素敵ですね」


「ありがとうございます。では、昼食の仕度をしてきますね」


 ふっと笑ってフレデリックさんはリビングを出て行きました。


「ねえ、エル」


「はい」


「……フレッドさんに出来ないことはあるのですか?」


「それが……幼馴染を経て夫婦になった訳で私が生まれた時から一緒なのですが……弱点という弱点を私もウィルさんも知らないのです。私の夫、弱点、あるのでしょうか」


「あるのでしょうか?」


 エルサが真剣な顔をして悩み始めたのを、セドリックが真似して可愛いです。エルサがふっと表情を緩めて、笑ったので私とセドリックもつられて笑いました。

 それからフレデリックさんのお料理が出来上がるのを待つ間、私は刺繍をセドリックは読書をして過ごしました。エルサは食器を出したり、並べたりという調理に関わらないお手伝いです。夜ご飯の時は、何かお手伝いさせてもらえないかフレデリックさんに頼んでみましょう。

 フレデリックさんが作って下さったのは、トマトとチーズとベーコンのパスタでした。簡単なものですが、とフレデリックさんは謙遜していましたが一緒に出されたサラダもパンもとても美味しかったです。

 そうしてウィリアム様が帰って来るまでの間、刺繍をしたりお庭でお花の観察をしたりと何だか久々にのんびりと過ごすことが出来たのでした。



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