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第二十三話 紳士の正体


「はぁー……落ち着く」


 サンドウィッチを大喜びで食べて下さったあとソファに腰掛け、私を膝に乗せて抱き締めたウィリアム様は、かれこれ三十分以上、こうしています。

 私は全く落ちつかないのですが、お疲れのウィリアム様がこれで疲れが解れて、元気になるとおっしゃって下さったので、私は頑張って耐えているのです。ちなみにウィリアム様が人払いをしてしまったので、エルサもアリアナさんも遅れてやって来たフレデリックさんもここにはいません。正真正銘、二人きりなのです。

 記憶喪失になった時ほどではありませんが、ウィリアム様のお顔にもお疲れが滲んで居ました。セドリックみたいに私の胸に顔を埋めたままあんまり動きません。手持ち無沙汰だったので、なんとなくウィリアム様の琥珀色のサラサラの髪をそっと撫でると、もっと、と言って頂けましたので、優しく優しく、その髪を撫でました。


「セディも来られれば良かったなぁ」


「今日はオズワルド先生が来て下さる日ですので……セドリックもウィリアム様に会いたがっていました」


 ちょっと悩んだのですが素直にお伝えするとウィリアム様は、そうか、と嬉しそうに顔を綻ばせて漸く、私から少しだけ離れてくれました。


「ところで本当にあの男にはなにもされなかったか?」


 ウィリアム様が心配そうに私の頬に触れます。


「あの方は、本当に具合が悪そうでしたから……あの、やっぱりいけなかったでしょうか」


「いや、そんなことはない。私と会った時も具合が悪そうだったんだ。彼は、フックスベルガー公爵といって外交担当大臣を担っている。この国の外交の最高責任者だ」


「こ、こうしゃくさまっ」


 とりあえず流石の私でもとんでもなく偉い方だというのは分かりました。

 アーサーさんに教わった主要貴族の関係というものの中でフックスベルガー公爵様は、国王陛下の兄の子ども、つまり、陛下の甥にあたられる方でアルフ様の従兄弟になります。


「わ、わたしそんな方に、とんでもなく失礼なことを……クッキーまで渡してしまいましたっ!」


「大丈夫だ、リリアーナ。彼は男に対しては厳しいし、事実、癖のある食えない男だが女性には優しい方だ。それに本当に具合が悪くて困っていたところに優しくしてくれた人に悪意を返すような人ではないよ」


 ウィリアム様が、よしよしと頭を撫でてくれました。

 確かに厳しい感じはありましたが、悪い人には見えませんでした。でも、公爵様に対してとっても失礼をしてしまった気がしてなりません。


「彼は新聞に載った事件で逮捕された男の上司の上司という立ち場で、私のところに話を聞きに来たんだ。今回の事件は、彼にとっても寝耳に水で、かなり色々な後処理に追われているのだろう。最初はちょっとした横領事件だったんだが、蓋を開けてみればその男は、外交官という立場を使って人身売買に携わっていたんだ」


 あまりに物騒な言葉に息を飲みました。ですが、そんなことを私に話してしまっても大丈夫なのでしょうか。


「大丈夫、明日の新聞に掲載されることだ」


 私の表情から察して下さったのか、ウィリアム様がくすくすと笑いながら教えてくださいました。けれどまたすぐに真面目な顔つきに戻ります。


「本当は自由に過ごして欲しいんだが、事件が落ち着くまで暫くは君もセディも個人的な外出は控えて欲しい。私が側に居られればいいのだが、何分、忙しくてな」


「いえ、もともと外にはあまり出ませんし、セドリックも危ないとちゃんと話せば我が儘は申しません。それよりウィリアム様もあまり無理はなさらないでくださいね」


「こうして君を抱き締めていればそれだけで元気が出て来るから」


 大きな手が私の頬を包むように撫でて下さいます。温かくて大きな手はいつも心地よいのですが、やっぱり心臓がどきどきとうるさいのです。けれど、ふと大きな手が離れて行ってしまいました。ですが寂しいと思う間もなく、その手は私の胸元に輝くサファイアに触れました。


「今日も付けて来てくれたんだな」


 ウィリアム様は心なしか顔を綻ばせて言いました。

 大きな青いサファイアは僅かな光でも反射して、キラキラととても綺麗です。

 シンプルなデザインですが、だからこそ、どんなドレスにも違和感なくつけることが出来ますので、実は毎日、必ず身に着けているのです。外すのはお風呂に入る時と眠る時くらいかもしれません。セドリックもこのネックレスを見ると「義兄上の色」と嬉しそうに顔を綻ばせてくれます。


「ウィリアム様の瞳と同じ色でつけていると、安心するの、で……す」


 言っている途中ですごく恥ずかしいことを言っていることに気が付いて、言葉がしりすぼみになってしまいました。無論、ウィリアム様のお顔なんて見られませんし、顔が尋常ではないくらいに熱くなっているのを感じます。


「……わ、わすれてくださいましっ」


「それは無理な相談だ、私の可愛いリリアーナ」


 ちゅっと私の髪にキスが落とされました。体を屈めたウィリアム様が下から私の顔を覗き込んできます。咄嗟に両手で隠そうとしたのですが、膝の上で握りしめていた私の手は大きな手に呆気無く捕まってしまっていました。

 青い瞳が柔らかに細められて、私を見つめます。


「一つ、聞きたいんだが……セディが寂しがってくれたように、君は、私がいないことを寂しがってくれたかい?」


 教えてくれ、リリアーナ、と甘い声が私の耳元でねだるように囁きました。

 心臓が破裂しそうで、胸が苦しくて言葉が上手く紡げそうにありません。


「私は寂しかった」


「……え?」


 予想外のお言葉におそるおそる伏せていた目を上げると寂しそうに細められた青い瞳がありました。


「たった一週間、君に会えないだけで寂しくて、寂しくて気がおかしくなりそうだった」


 熱い唇が頬を霞めて、額に、目じりに、鼻先へとキスが落とされます。


「記憶喪失になる前の私は半年に一度会ったきりだと聞いたが、今、そんなことになったら私は君に会えない寂しさに焦がれて、きっと狂ってしまうよ、私のリリアーナ」


 羞恥心と幸福に苛まれながらその狭間で見える青い瞳は、私の知らない烈しい感情が宿っているようにも見えて少し怖いとさえ思いました。思ったのに、どうしてかその青い瞳から目が離せないのです。

 私の手を解放した大きな手が、また私の頬を包み込んで少しざらついた親指が私の唇になぞるように触れました。ウィリアム様に触れられた部分が火傷しそうなほど熱く感じます。


「……教えてくれ、リリアーナ。私がいなくて、寂しかったか?」


 真っ直ぐに私を射抜く青い瞳から逃れる術を知らない私は、半ば無意識にその言葉に頷いていました。

 けれど、嘘ではありません。セドリックが寂しがるのを大人の顔で宥めてはいましたが、その笑顔がないことに、夜、抱き締めてくれるぬくもりがないことが、とてもとても寂しかったのは、本当なのです。

 吐息を交換するような近さにウィリアム様の端正なお顔があります。鮮やかな青い瞳に、情けない顔の私が映っているのが分かってしまうほどの近さは全てを見透かされているような気がして怖くなって、目を伏せました。


「……ウィリアム様に会えず、とても、寂しくて、心細かったのです」


 私の頬を包む手に力が込められてぐっと引き寄せられました。

 あ、と思った時にはウィリアム様のお顔が近づいてきていて、私は咄嗟に目を閉じました。


「リリィちゃん来てるってほんとー? 僕にもクッキーちょーだい!」


 バターンと勢いよくドアが開いて、耳慣れた声が聞こえてきました。

 咄嗟にウィリアム様によってぎゅうと抱き締められました。


「お前なぁ!!」


「あ、ごーめん、邪魔しちゃった? でもさあ、ここ中庭から丸見えだし」


 愉快そうなアルフォンス様の声にウィリアム様が、ばっと窓の方を振り返り私もなんとなく覗いて後悔しました。木々の影から騎士様たちが大勢、覗いてらっしゃるような姿が一瞬だけ見えました。


「お前たち、次の鍛錬で覚えておけ!!」


 ウィリアム様が大きな声で叫ぶと蜘蛛の子を散らすように騎士様たちが逃げて行きました。

 もう恥ずかしくて、恥ずかしくて顔を上げられる気がしませんでした。幸い、全てから隠すようにウィリアム様が抱き締めていてくださいますので、今はそれに甘えるという選択肢以外が見つけられません。

 というか、ウィリアム様はもしかして私に口づけをしようとしたのでしょか。だって、近かったですし、唇を撫でた吐息はウィリアム様のものでしたし、あの雰囲気は恋愛小説で読んだものに酷似しています。じわじわとそれでなくとも熱い頬がさらに熱を帯びてきました。

 ぐるぐると考えている内にまたもや意識が遠退いて来ました。


「え? あ、リリアーナ? リリアーナ?!」


 そして、私は焦ったように名前を読んで下さるウィリアム様に答えることも出来ずに結局、またもや羞恥に耐え兼ね意識を手放してしまったのでした。



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