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第二十二話 騎士団の中庭にて


「エルサ、本当にウィリアム様は喜んでくれるのでしょうか」


 馬車から降りながら、エルサに問います。


「もちろんでございますわ。奥様がいらっしゃることで旦那様は大喜びでお仕事をこなしますから」


「そうでございます、奥様を膝に乗せたらきっとパパパッと旦那様はお仕事を終えられるに決まっております!」


 バスケットを手にアリアナさんも私を勇気づけて下さいます。

 ここは王城近くにある騎士団の本部、つまりウィリアム様の職場です。石造りの厳かな建物が広い敷地には幾つか立っていて、遠くからは剣と剣のぶつかり合うような音が聞こえてきます。

 マリエッタさんとラルフさんが来て下さった翌日から、ウィリアム様は騎士団に行ったきり、帰って来られなくなってしまったのです。騎士様のお仕事のことは守秘義務というものがありますので詳しくは家族にも話せませんのでよくは知らないのですが、王都でちょっとした事件があって貴族が関わっていることが分かってウィリアム様は帰れなくなってしまったのです。この辺りは新聞に書いてあったので、アーサーさんが教えてくださいました。

 かれこれ一週間ほど、ウィリアム様は騎士団でお仕事に追われていて、今朝、一時帰宅したフレデリックさんが私に「どうか旦那様の機嫌をなだめすかしに来てください」と頭を下げてお願いせざるを得ないほど、ウィリアム様がイライラしているそうなのです。


「や、やっぱり私が行ったらもっと不愉快な思いをなさるのではないでしょうか」


「万が一にもあり得ません」


 エルサが笑顔できっぱりと言い切り、うんうんとアリアナさんも頷いています。


「奥様の作ったサンドウィッチとクッキーを食べれば、旦那様は絶対に元気になられますよ。さあ、参りましょう」


 エルサの有無を言わせない笑顔には頷くほかありません。

 サンドウィッチは作ったと言ってもフィーユ料理長さんに材料を用意してもらって、私はパンにバターを塗って挟んだだけです。でも、クッキーは孤児院の子どもたちに良く作っていたので、一から全部頑張りました。旦那様の好きなナッツとチョコレートのクッキーです。

 エントランスに横づけされた馬車がどこかへと去っていく音を聞きながら、騎士様が開けて下さった扉を潜って建物の中へと入ります。広いエントランスホールの左右には長い廊下があって石の床に赤い絨毯が敷かれていました。ホールの左右に螺旋階段があって二階までは吹き抜けになっていました。

 騎士様の姿がちらほらとあって、心なしか視線を感じてエルサの背後に隠れました。


「フレデリックが迎えに来てくれているはずなのですが……」


 エルサがきょろきょろと辺りを見回しました。私とアリアナさんも周囲を見回しますが、フレデリックさんの姿はどこにもありませんでした。


「仕方がありません。先にお部屋の方に行っていましょう。部屋番号は聞いておりますから。奥様は先にそちらでお待ちください」


 はい、とよく分かりませんが頷いて、歩き出したエルサについて行きます。アリアナさんは興味津々といった様子で周囲を見回していました。

 アリアナさんは、私より一つ年下の十五歳で今年の春に入ったばかりの新人さんのメイドさんです。年が近いのでお話し相手にとアーサーさんが紹介して下さり、今は将来の侍女候補としてエルサの補佐をしながら私の身の回りのことをしてくれています。

 エルサは上の階へは上がらず、左の廊下へと歩いていきます。ずらりと沢山の部屋が並んでいてドアに数字が刻まれています。「001」から順に始まって、その下に木札が掛けて有り、使用中、空室とそれぞれ書いてありました。


「騎士団は守秘義務がありますので、執務室に通すとなると色々と書類を片付けたりあれこれ隠したりと厄介なので、こうして談話室を借りるのが通例です。旦那様は師団長ですので応接スペースは別にあるので行けないことはないのですが……何分、五階ですので奥様の体力がもたないかと」


「……辿り着く前に倒れてしまいそうです」


 私は素直に認めました。

 侯爵家は三階建てですが、生活スペースが二階ですので上に上がることは殆どありません。前に一階から三階に上がった時は息が切れて大変でしたので、多分、五階は辿り付けないと思います。


「あ、奥様、お庭が綺麗ですよ」


 後ろを歩くアリアナさんの声に振り返れば、左手のほうにはお庭が広がっていて、お花よりも木がメインで植えられているようで廊下に差し込む木漏れ日がゆらゆらと赤い絨毯の上で揺れています。

 廊下の何か所かには、ドアがあってそのままお庭にも出られるようになっているみたいです。


「本当ですね、緑がとても綺麗です」


 晩夏に差し掛かったとはいえ、まだまだ夏の日差しは眩しくて、緑は青々とそんな日差しの中で輝いています。


「あとで旦那様と少し散策されては如何ですか? 旦那様の気晴らしにもなるでしょうから」


「そうだといいですけれど……」


 一週間もお会いしていないので、なんだか少し不安なのです。

 少し前は半年以上もお会いしていなかったのに私はいつの間にか贅沢になってしまっていたようです。

 エルサは何か言いたげに唇を震わせましたが、喉まで出かかった言葉を飲み込んでくれました。


「012番、ここですね……」


 エルサが予約済という札の掛けられたドアの前で足を止めました。札を使用中に掛け替えて、先にエルサが中へ入ってから私とアリアナさんを案内してくれました。

 談話室は、こぢんまりとしていて二人掛けのソファが向き合うようにしておかれていました。けれど、さりげなく置かれて居る調度品は、品があり部屋自体も壁紙が貼ってあり、絨毯が敷いてあるので雰囲気が全く違います。ドアの向かいには大きな窓があって、中庭へと出られるようでした。


「エルサ、少しお庭を見てもいいかしら」


「ええ、どうぞ。外にはまだ出ないでくださいませ」


 エルサがくすくすと笑いながら許可してくれたので、私は窓へと近づいていき、レースのカーテンを少しだけ開けて外を見ました。前庭と違って、中庭は木々も多いのですが花壇が設けられていて夏のお花が鮮やかに咲いていました。真ん中の方には、噴水があるのかじゃぶじゃぶと水の音が聞こえてきます。

 部屋の前は幅の狭いレンガの廊下とちょっとした策があって、その向こうが中庭です。三本ほど大きな木が植えられていて、その内の左端の一本が目の前にありました。木の下には木製のベンチが置かれていて休めるようになっています。


「大きな木ですね」


 隣にやってきたアリアナさんが木を見上げるようにして言いました。私は、そうですね、と頷いて返します。


「……あら?」


 そこへふらふらと一人の紳士がやってきました。くすんだ金の髪の紳士は、なんだがとても危ない足取りでベンチへ向かっていましたがあと三歩というところで突然、膝をついて地面に倒れ込んでしまいました。

 私は慌ててドアを開けて、庭へと出ました。アリアナさんが慌てて着いて来ます。

 どうにか起き上がろうとしているその人は、アーサーさんより幾分か年上といった様子の方で騎士服は着ていませんでしたが、上等な服を身に纏っていますので多分、上流階級の方です。

 ですが、顔が真っ青で手がぶるぶると震えていました。どうにか這うようにしてベンチに寄り掛かるようにして座りましたが今にも倒れそうです。


「もし、もし、大丈夫ですか? アリアナさん、エルサを」


「ここにおりますわ、奥様。私、どなたかを呼んで参りますのでここでお待ちくださいませ、とりあえず、お水をどうぞ」


 流石はエルサです。すぐに応援を呼びに行ってくれました。アリアナさんが水差しからグラスに水を注いで紳士さんに差し出しましたが、手が震えてしまって受け取れない様でした。


「失礼いたします」


 そうお声かけして、口元にグラスを運びました。薄っすらと目を開けたその方は、すまない、と掠れた声で囁いて、少しずつお水を飲んでくれました。


「ひんけつ、だとおもうのだが……」


「今、私の侍女が人を呼びに行ってくれましたので無理に喋らないで下さいまし……あ、アリアナさん、これを濡らして下さる?」


 私はハンカチをポケットから取り出してアリアナさんに差し出しました。アリアナさんがそれにゆっくりと水を掛けて濡らしてくれました。濡れたハンカチを軽く絞って整えます。


「濡れたハンカチを目元に当てても良いですか?」


 紳士さんが頷いてくれたので、私はそっと彼の目元にハンカチを当てました。気持ち良かったのか、ふーっとゆっくりと息が吐き出されました。

 アリアナさんが私が渡した扇子で紳士さんを仰いでくれています。


「ここのところ、激務でね……少々、過労が祟ってしまったようだ」


 ハンカチを私の手から受け取った紳士さんは、目元を覆ったまま苦笑交じりに言いました。先ほどよりも声がしっかりしています。


「過労は病ではありませんが、ありとあらゆる病を招く元になるとお医者様が教えてくださいました。あまり、無理はなさらないで下さいまし、ご家族や貴方を支える方々が悲しくなってしまいます」


 紳士さんはハンカチを持ち上げて、片目を覗かせました。綺麗なハシバミ色の瞳は厳しさがありますが、何だか今は弱々しくも見えました。顔色がいつぞやのウィリアム様と同じだからかも知れません。

 私と目が合うとハシバミ色の瞳が驚いたように見開かれました。


「……ターシャ?」


 どなたかと私を間違えてしまったのでしょうかと困惑していると寂し気に細められたハシバミ色の瞳は閉じられてハンカチの下に隠れてしまいます。


「いや、すまない……人違いをしていたようだ」


「いえ、大丈夫です。お気になさらないで下さいまし」


「旦那様!」


 男性の声が聞こえて顔を上げるとエルサと共に執事の方と思われる男性ともう一人、騎士の若い男性がこちらに駆け寄って来ました。騎士の男性は、布と棒で出来た簡易担架を抱えていて、こちらにやって来るとそれを紳士さんの横に置いて、執事さんと二人で彼を担架に乗せました。


「御婦人、傍についていてくださったのですね、ありがとうございます」


「いえ、私は何も……」


 私は慌てて首を横に振りました。ただ本当に傍に居ただけです。


「水を飲ませてくれて、ハンカチを当ててくれた……そういえば、名前すら聞いていなかったな」


「名乗る程のことはしておりません。それより早くお医者様に見て頂いたほうがいいです。顔色が優れませんもの……」


 ハンカチを降ろした紳士さんは、本当に倒れた時の旦那様のようにやつれていて、疲れ切っているのが伝わってきました。私は、ふと思い立ってアリアナさんにバスケットを持ってきてもらい、クッキーの包みを一つ、取り出しました。それを担架に横たわる彼に渡しました。


「お疲れの時は甘いものが良いとお医者様に教えて頂きました。どうぞ。見知らぬ者からのものですので、お嫌でしたら捨てて下さいまし」


 紳士さんは少し目を瞠りましたが、手の上のクッキーの包みをしげしげと見つめた後、小さく笑って下さいました。


「ありがとう、あとでゆっくり頂くよ。そして君の忠告を聞いて医者に行って休むことにする」


「い、いえ、あの、そういえば差し出がましいことを……」


 紳士さんの顔色があまりに悪く必死だったので何だか色々言ってしまったような気が致します。

 けれど、紳士さんは、いいや、と首を横に振ってオロオロしていた私の手を取りました。私の指先だけを包む大きな手は夏だというのに氷のように冷たくなってしまっています。


「……ありがとう」


「ゆっくり休んで下さいまし」


 なんだか迷子のような顔をしている紳士さんに私は少しでも心が解れればと笑みを浮かべて返します。具合が悪い時に周りまで不安そうな顔をしていると本人も不安になってしまいますもの。


「すぐによくなりますように、お祈りしておりますね」


 紳士さんは、少し表情を緩めると「そちらのお嬢さんもありがとう」とエルサとアリアナさんにもお礼を言って、私の手を離すともう一人、駆け付けた騎士さんが担架を持ち上げて運ばれて行きました。執事さんが深々と頭を下げてそれを追いかけて行きました。


「奥様、お手を」


 エルサが手を差し出してくれたので、その手を取って立ち上がりました。アリアナさんがすぐに裾を整えてくれます。


「ありがとうございます……でも、大丈夫でしょうか。とても具合が悪そうでした」


「ご本人は意識もありましたし、口調もしっかりしていたから大丈夫ですよ」


「そうだといいですけれど」


「リリアーナ!!」


 ウィリアム様の声がどこからともなく聞こえて来て、三人できょろきょろと辺りを見回しますが、お姿は見当たりません。気のせいだったのでしょうか、と首を傾げるともう一度、名前を呼ばれて、上だ、と付け加えられました。

 顔を上げると丁度、向かいの二階の窓からウィリアム様が体を乗り出していました。


「今行く!」


「ウィリアム様!?」


 言うが早いかウィリアム様は、窓枠に足をかけるとなんとそのままぴょんと飛び降りました。ウィリアム様は、猫のようにしなやかに着地を決めてこちらに駆け寄ってきます。そして、私が驚きにあたふたしている間に、ひょいと抱き上げられて、落っこちないように慌てて旦那様の頭を抱き締めました。私をぎゅーっと少し苦しいくらいに一度抱き締めるとウィリアム様は腕の力を緩めて顔を上げました。


「リリアーナ、今、私の知り合いの紳士と話していたようだが、彼はどうした? 何かされたのか?」


 何だか妙に心配そうな顔でウィリアム様が尋ねて来ます。


「私がそこの談話室からお庭を見ていたら、あの方が急にお倒れになって……」


「おそらくご本人も言っていた通り貧血か低血糖だと思いますが、私がすぐに人を呼びに行きまして、その間、奥様とアリアナが側にいたのです。お名前も頂戴しておりませんし、こちらも名乗ってはおりませんが」


 エルサが訝しむように答えました。

 何かいけないことをしてしまったのかとオロオロしていると、ウィリアム様は、いや、と小さく首を横に振って私を抱えなおしました。私としては抱えなおすのではなく降ろして欲しいのです。


「君に興味をもっていたか?」


「それは分かりませんが……あ、でも……私のことを『ターシャ』という方と一瞬、お間違えになったようでしたけれど」


 青い瞳が僅かに瞠目して、私を見つめます。どうしたのでしょう、と首を傾げているとウィリアム様は、何でもない、と言ってまた私を抱き締めました。


「ウィ、ウィリアム様、恥ずかしいのでやめてくださいまし……っ」


「嫌だ! 一週間ぶりのリリアーナだぞ!」


 ウィリアム様はきっぱりと言い切ります。

騒ぎを聞きつけた騎士様たちが集まってきているので、恥ずかしいのでやめて頂きたいのですがウィリアム様は放してくれそうにありません。


「でしたらせめて、談話室の中でおくつろぎください。ここでは奥様がただの見世物で御座います。よろしいのですか?」


 エルサの冷静な提案に「それは嫌だ!」と叫んだウィリアム様は、私を抱えたまま談話室へと歩き出して下さったのでした。


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