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第二十一.五話 俺の命の恩人 *マリオ(マリエッタ)視点


 ウィリアムは、俺の命の恩人だ。

 騎士を辞めることにはなったが、生きてる人間を辞めずに済んだのは戦場でウィリアムが俺を背負って逃げてくれたからだ。

 中堅どころの伯爵家の三男ともなるとどこかのご令嬢のところに婿入りするか、自分の力で身を立てていくかのどちらかだ。長兄のように爵位を継ぐための教育は受けないし、万が一の替えである次兄のようにも大事にされない。居ても居なくてもどちらでもいい穀潰し、それが俺の、マリオの立場だった。

 マリエッタとして生きるのは楽しい。もともと異母兄であるラルフの家で過ごすうちに綺麗な布や糸に興味をもつようになって、小遣いや給料は服に注ぎ込んでいたから、寧ろ、天職だ。

 そりゃあ、最初の頃はまずは客を捕まえるのに苦労したけど、ラルフの助けもあったし、ウィリアムやアルフォンス、騎士団の他の仲間たちが新進気鋭のデザイナーとしてマリエッタを屋敷に招いてくれるようになると、マリエッタは徐々に人気デザイナーになった。まあ、もちろん、俺の実力でもあるんだけどな。

 言っておくけど、女装は単なる趣味であって俺の中身はしっかり男だからな。

 それにマリエッタの職業は、たくさんの貴族や裕福な家庭に出入りすることが多くなる。すると、自然と色んな情報が集められるようになるのだ。

 だんだんと意図せず色んな情報を得ていることに気付いた俺は、師団長という立場に出世していたウィリアムに話を持ち掛け、情報を提供するようになった。ウィリアムは代価を払おうとしたけど、俺は断った。俺の命を助けてくれたんだから、俺があいつに感じた恩はどれほどの情報を得たとしても返せるものじゃない。学院時代から積もり積もったこの恩は、来世まで持ち越しそうなほどだ。

 カドックのように常に傍で恩人を支えられたらと思ったことがないわけじゃない。デザイナーは心の底から好きな仕事だし、誇りでもあるけれど、騎士のマリオだって俺の人生の誇りだったのだ。

 だけど、碌に剣も握れない俺では足手まといになるだけだ。だから、情報という目に見えないけれど強い力を持つものを新たな武器にして、命の恩人たちを、大事な人たちを護ろうと心に決めた。

 ウィリアムとアルフォンスとは学院時代からの腐れ縁だから、勿論、ウィリアムの婚約者騒動だって知っている。アルフォンスはご令嬢を含め向こうに一族郎党の首を差し出させようとしていたみたいだが、それはウィリアムが止めた。アルフォンスは、時に冷酷だ。自分の身の内のものを傷付けられれば相手が女だろうが子どもだろうが容赦しない。ある意味、国を治める王としては必要な素質なんだろうけど、ウィリアムはそんなことが出来るような器用な性質じゃなかった。

 それから女性不信と女嫌いを発症したウィリアムは、表面上はにこやかでも青い瞳はいつも冷たく言い寄る女性を侮蔑していた。こりゃ、一生独身かもねとアルフォンスと言い合っていたのは記憶に新しい。

 だから、まさか約一年前、いきなり結婚したってアルフォンスから聞いた時は本当に驚いた。

 俺が知らされたのは、結婚式も終わった後だ。招待されていないことはショックだったが、アルフォンスも実は招待されておらず、無理矢理招待状をもぎ取ったと言っていた。向こうの家もウィリアムの方も公表も公言もしなかったので、俺ですら情報を掴めなかった。

 そして、そこから一年、ウィリアムは自分で娶って来た妻を放置した。

 その間、周りはかなり奥さんと向き合うように言ったらしいけど、ウィリアムは誰の言葉にも耳を貸さずに仕事に打ち込んで、結果、過労が祟ってすっ転んで頭を打って、記憶喪失とかいう馬鹿みたいな事態に陥った。本当に馬鹿だな、と呆れかえって言葉も出なかった。

 でも、それは侯爵夫婦にとっては転機になったらしい。

 いきなりドレスが欲しいと言うからお見舞いがてら持って行ったら、フレデリックが「馬鹿だから全部忘れた途端、奥様に一目ぼれしたんですよ」と教えてくれた。

 その時は会えなかったけど、今日、漸く本物のリリアーナ様を見て、納得した。

 リリアーナ様は、ウィリアムの好みど真ん中を打ち抜く可憐な美人だった。

 前の侯爵令嬢ははっきり言って、ウィルアムの好みじゃなかった。親の決めた政略結婚で、まあ、悪い子ではなかったし性格的な相性は良かったようで仲は良かったけど、活発で自己主張の強い絵にかいたような令嬢だった。

 でも、俺やアルフォンス、フレデリックなんかは知っていた。

 ウィリアムの好みは、控えめで淑やかで穏やかな小柄で尚且つ、巨乳の女の子だということを。

 リリアーナ様はそこら辺を全部、網羅していたパーフェクトな奥様だ。その上、月の女神と見紛うほどの清楚で可憐な美しさを兼ね備えている。儚げに微笑むだけでそこら辺の男は容易く落ちるだろう。

 俺とラルフの関係を教えた時に「だから仲が良いんですね」と微笑まれた時は、ちょっと俺も危なかったもん。

 大体の場合は、憐れまれて同情されるか、貴族が平民と関わるなんてって馬鹿にされるんだけど、そのどっちでもなく「仲いいですね」と笑ってくれたのはリリアーナ様が初めてだった。


「あんな可愛い奥さんを一年も放置してたなんて罪な男ねぇ」


「その気色の悪い口調は止めろ」


 ウィリアムは顔を顰めて、デスクに寄り掛かる。アルフォンスは、漸く笑いが治まったのか、フレデリックから水をもらって喉を潤していた。

 というか今のはわざ女口調にしたのだ。こいつに引きずられて連れて来られたおかげでウィッグを廊下に落としてきてしまった。


「エルサには勝てっこないって言ってるのにねぇ、ウィルってば飽きずによく挑むよ」


 ふーと息を吐き出しながらアルフォンスが肩を竦めた。

 あの綺麗系美人の侍女ちゃんは昔から強い。なんだかこう、逆らえないものがあるのだ。


「俺はさっさと話しを済ませて、リリアーナとセドリックと庭を散歩するんだ。出すものを出せ」


「いやだわぁ、せっかちな男は嫌われるわよ?」


 本気で嫌そうに顔を顰めるウィリアムにそこそこ満足したので、俺はポケットから煙草を取り出して口に咥えた。すると伸びてきた手に無遠慮に奪い取られる。


「これからリリアーナと庭を散策する俺に臭いがつくだろうが。リリアーナが煙草の臭いを嫌いだったらどうしてくれるんだ」


 ぽいっとまだ火をつけてもいない煙草は、フレデリックが差し出したゴミ箱に投げ入れられた。


「……はいはい、悪うございました」


「ね、面白いでしょ?」


 ケラケラと笑いながらアルフォンスが言った。


「あの女嫌いのウィルがべた惚れとはな。世の中、何が起こるか分からないもんだな」


「ねー。って分かった、分かったよ、仕事すればいいんでしょ、仕事すれば。カドック、例のあれちょうだい」


 影のように控えていたカドックが、懐から紙の束を取り出してアルフォンスに渡した。


「あのクソ爺の近辺を洗ったけど、やっぱりなかなか尻尾は掴めなくてね。でも……最近、あの糞爺の領地ですこーし怪しい動きがあるんだよね」


「怪しい動き?」


 ウィリアムが眉を寄せる。


「やけに小麦を仕入れているんだよ。フックスベルガー公爵領は去年も今年も干ばつや長雨による不作はないし、病気だって流行ってない。十分な備蓄を確保している筈なのに、なんでか()()()()と小麦を買い集めているんだよねえ」


「……確か公爵が外交を担う内の一国、デストリカオ国は、昨年の酷い長雨で小麦が大打撃を受けて一昨年も不作だったために備蓄がなく危機的状況だったはずだな」


 ウィリアムの眉間の皺が深くなる。


「そして、デストリカオはうちの統治下にはいる前は武器と火薬の製造に制限がなく、一昔前はそこら中で戦争をしていたからそれを輸出し国の収入源としていた。今はこちらが武器の製造に関しては全てを管理して、宝石加工や鉄製品製造による収入へと移行させている最中だけど……何事も品行方正に収まりはしないだろう?」


 アルフォンスが手に持っていた紙の束をデスクに置いた。俺も横から覗き込む。今の話を更に細かく分析したものがそこに書き込まれていた。そして、デストリカオの武器及び火薬の密造についての子細な調査結果も記されている。

 戦争が終わってまだ七年。クレアシオン王は属国から過剰な搾取をしたり、奴隷として国民を差し出させてはいないが、それでも嘗ては自立した国家であったプライドはそれぞれに残っている。クレアシオンからの独立を虎視眈々を狙っている国があるのは事実だ。

 その中で特にその傾向が強いのは――フォルティス皇国。

 ウィリアムが戦況を覆し、救国の英雄と呼ばれるようになる戦争をしていた相手であり、ウィリアムを最も憎んでいる国だ。

 多分、ウィリアムが上司の嫌がらせによってあの時、戦場にいなければクレアシオン王国は逆にフォルティス皇国の配下に置かれることになっただろう。それほど戦況は皇国に有利な状況だったのだ。


「もっと決定的な不正の証拠を掴まない限り、公爵を捕まえるのは不可能だ」


「ちょっと僕より長生きしている分、あれこれ蓄えているからねぇ」


 アルフォンスがため息交じりに零す。


「公爵のことは以上だよ。まだ不確定要素が多くてね、ここまでしか報告は出来ない」


「分かった。……それでそっちは?」


 ウィリアムが顔を上げ、青い瞳が俺に向けられる。


「……サンドラ夫人は元夫のエイトン伯にも内緒で領地の運営を任されていた管理人を篭絡して、納税額を誤魔化し浮いた金を横領していた疑いがある」


「うわー。道理でねえ、エイトン伯爵領の規模からいって収入が少ないなって思ってたんだよねぇ」


 アルフォンスがやっぱりケラケラと笑うがその空色の眼差しは、どこか剣呑だ。

 それはそうだろう。領地からの納税を横領するということは、領民を蔑ろにすることだ。領民は全てクレアシオン王の愛しい子と言われるこの国においてそれは王家を欺く行為でもある。


「それとマーガレット嬢は、ちょっと種の出所が分からない」


 ウィリアムとアルフォンスが顔を見合せ、また俺を振り返る。


「リリアーナ様の誕生する三か月前にマーガレット嬢は生まれたことになっているけれど、本当の予定日は一か月先だったんだって。夫人は産婆と医者を金で買収して出生届を誤魔化したんだ。その頃、エイトン伯はリリアーナ様の母君とのことで実家に監視されていたから自由に夫人には会えなかったし、夫人は可哀想な私を演出してエイトン伯に会うことを拒んでいたからね。母親じゃ兎も角、何の知識もない父親なら月齢なんて分かんないだろうし。では、何故、そこまでする必要があったのか、それはどうやっても予定日通りに生まれてしまうとエイトン伯の子ではないことが分かってしまうんだ。夫人がマーガレット嬢を身籠ったその月、エイトン伯は彼の父に連れられて結婚の挨拶をしに領地にいたからね」


「……じゃあ、誰の子?」


 アルフォンスが首を傾げる。


「さあね、随分と奔放に遊んでいたみたいだから流石の俺もそれは分からなかった」


「まさか公爵か?」


 ウィルの言葉をアルフォンスが否定する。


「ああ見えて、公爵は公爵夫人のことを本当に大切にしていて、愛していたんだよ。公爵夫妻には子どもが居ないだろ? そのことでかなり周りから離縁しろって言われたみたいなんだけど公爵は絶対に聞く耳を持たなかった。貴族の義務を放棄するほどには公爵は公爵夫人を愛していたんだよ。だから、公爵夫人が流行り病で急逝した時の公爵の落ち込み様は、流石の僕も同情するほどだった。だから、あのメギツネババアに付け込まれちゃったのかもしれないけどね」


 どこか寂しそうにアルフォンスが目を伏せた。


「リリアーナ嬢は、前妻のエヴァレット子爵のご令嬢だったカトリーヌ様の娘だから、血統はばっちりだ。セドリック様も伯爵の子なのは間違いない。夫人も二度も馬鹿をやからすほど阿呆じゃないからな、後継ぎが産まれるまでは大人しかったんだと」


「リリアーナと欠片も似ていない訳だな」


 ウィリアムが鼻で笑って、デスクの上にあった紙の束を手に取り目を通し始めた。


「ただ、ちょーっと厄介なのは。その義理の姉でもないマーガレット嬢がどうにかしてリリアーナ嬢に会おうとしてるってことかな」


「ああ、私のところにも招いて欲しいだとか、セドリックに会いたい、リリアーナに謝りたいという嘘くさい手紙が来たから全部お断りだと書いて送り返した」


「先日は、わざわざ当家に馬車で乗り付けやがりましたので、私とアーサーで対応いたしました」


 にゅっと突然現れたエルサに俺は思わず体をのけぞらせた。


「マリオ様、マリエッタ様のお忘れものをお届けに参りました」


 エルサはこちらを気にした様子もなく淡々と俺の落としたウィッグを渡して来た。どうも、と礼を言ってそれを受け取る。


「セドリック様が廊下でそれを拾って困惑しておられました。大変、可愛らしかったです。ところで、マリオ様」


「なんでしょう」


 苦手なエルサを前に俺は、本能的に背筋を正す。


「マーガレット様についての情報は、私個人にも下さいませ。代わりに私も知り得る限りのお話をお渡しすることも可能です」


「待て、エルサ。お前、マーガレットになにをする気だ」


 ウィリアムが頬を引き攣らせながらエルサに問う。エルサはにっこりと笑った。


「あの阿婆擦れは私の大事な奥様の頬をぶったのですから、奈落の底で家畜のように生きていく覚悟がおありとお見受け致しました。ですので、その奈落の底までの道のりに僭越ながら、花を添えて差し上げようと思っているだけでございますわ」


「わー、良いアイディア! 僕も協力してあげるよー!」


 アルフォンスがぱちぱちと拍手を送って、賛同を示す。ウィリアムは異論がないらしく、うんうん、と頷いている。でもエルサが怖いのか口を挟もうとはしない。


「まあ、アルフォンス様がお力を貸して下さるなんて、とても心強いですわ」


「公爵の所為で流れちゃったけどボニフェース卿は幸い乗り気なんだよ~、ほら、彼って趣味は独特だけど商売人としては凄く優秀だからさ、僕もマーガレット嬢を差し出したいんだよね」


「ボニフェース卿とはすばらしい方をご用意して下さっているのですね。あの阿婆擦れには相応しいですわ」


「でしょー? 僕も得するし、エルサも嬉しいし、マーガレット嬢も片付くし、いいことづくめだよね!」


「流石は、次期クレアシオン王国を担うお方でございます。視野が広く、その寛大なお心、国民としてこれ以上に心強いことはございません」


 アルフォンスが、ほめ過ぎだよーとひらひらと手を振った。

 カドックがちょっと怯えた顔でそっぽを向いているのがなんだか可哀想に思えた。


「それでは私は、奥様の元に戻りますので、失礼いたします」


 言うが早いかエルサは、頭を下げるとさっさと書斎を出て行った。


「よーし、僕もますます頑張らなきゃ。これからマリオにどう動いてもらう? ウィル」


「そのままサンドラ夫人とマーガレット嬢を探ってくれ。特に、リリアーナやセドリックに危害を加えようとする気配を見せたら即刻報告をしてくれ」


「了解」


 俺が頷くとウィリアムは、頼んだぞと俺の肩を叩いた。

 恩人に頼られるのは素直に嬉しい。


「マリオ、もう一つ、お前には探って欲しいことがある」


「ん?」


「……九年前、リリアーナが七歳の時、彼女とエイトン伯が襲われた事件についてだ」


 まるで戦場に居た頃のように鋭く細められた青い瞳と肌を刺すような殺気に俺は思わず息を飲んだのだった。




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