第二十一話 仕立屋さんと生地屋さん
「……楽しいのか、リリアーナ」
「はい、とっても楽しいのです!」
「奥様が楽しいのですから、動かないで下さいまし。ほら、奥様、こちらの色も素敵でございますよ」
「本当ですねえ、あ、でも、アリアナさんが持っている布も素敵です」
私はとても真剣に悩みながらエルサとアリアナさんの持つ布を交互に見比べました。
今、客間の一室にウィリアム様が呼んだ仕立屋さんと生地屋さんが来ていて、旦那様の服を見立てている真っ最中なのです。手触りもよく、光沢もあり、織り方によっては角度を変えるだけで模様が浮き出たりする様々な種類の布が更に様々な色に分けられて所狭しと並べられています。
仕立屋の御主人のマリエッタさんのアドバイスを聞きながら生地屋の御主人のラルフさんがあれこれと色々な布を進めて下さいます。
そこでウィリアム様ご本人に布を当てて、色味や手触りを確かめているのです。
ピクニックの時にお花畑でウィリアム様は観劇に誘ってくださいました。その時にお洋服を仕立てると言っていたウィリアム様は、あれから二週間ぶりにお休みの今日、こうして服を作っているのです。
酷い嵐に見舞われてしまったピクニックですが、セドリックはとても楽しかったらしく、秋になったらまた行こうとウィリアム様が約束して下さったので毎日、秋はまだかな、と秋を待っていてとても可愛らしいです。
私もとても楽しかったですが、アルフ様の別荘で過ごした夜、ウィリアム様の晩酌にお付き合いさせていただいたのは覚えていますし、最初の方は記憶があるのですが、後半は全く覚えておらず気が付いたらウィリアム様の腕の中でセドリックと共に朝を迎えていたのです。あのジュースはお酒だったらしく、酔っぱらった私をウィリアム様が運んでくださったそうです。粗相がなかったかとても不安だったのですが、ウィリアム様は優しい笑顔で「可愛いだけだったよ、大丈夫」と言って下さいました。信じてはいますが、酔うと正体を失くすと小説で読んだので、やっぱりちょっと心配なのですが怖いので深くは聞けませんでした。
「侯爵様は、スタイルが宜しいので濃い色がとくにお似合いになると思いますよ」
とても雰囲気のある美人なマリエッタさんはデザイナーさんでもあるので、親身になってアドバイスをくださいます。スケッチブックにさらさらとデザイン画を描いて下さいました。エルサとアリアナさんと三人で覗き込みます。
あっという間に素敵なデザインが紙の上に生まれます。
「すごいですねぇ、魔法みたいです」
「ふふっ、ありがとうございます、奥様」
ハスキーな声のマリエッタさんは、女性にしては背が高くてフレデリックさんくらいあります。
真っ赤な口紅がとても似合っていて、ブルネットの長い髪は綺麗に編み込まれています。
「それにしても侯爵様が一年以上も隠していらっしゃった奥様は、本当に可愛くてお美しいですねぇ」
スケッチブックを覗き込んでいた私をマリエッタさんが覗き込みます。近くで見ても迫力のある美人さんです。
「マリオ、近い」
伸びてきた手が急にマリエッタさんの頭を鷲掴みにしました。
「あだだだだっ!」
何故かウィリアム様の手の下から野太い男性の声が聞こえてきて驚きです。固まる私をエルサがひょいと後ろに下がらせてくださいました。
「私のリリアーナの半径百メートル以内に近付くな」
「いだだだだっ! んなこと言ったら屋敷の外じゃねぇか!? というか、割れる! 頭が割れる! 話せこの握力お化け!!」
私と同じく硬直していたアリアナさんをエルサが同じように後ろに下がらせました。私とアリアナさんが訳が分かりません。どうしてウィリアム様の手の下から男性の声がするのでしょうか。
「奥様ぁ~、こちらのカルロ地方のシルクはとっても上質でしてねぇ~、奥様におすすめしようとおもって持って来たんですよ~」
のんびりとマイペースなラルフさんが綺麗な黒に染められたシルクを見せてくれますが、正直、それどころではありませんでした。
「旦那様、奥様が固まっておいでです。説明をして差し上げた方がよろしいのではないですか」
エルサの冷静なひところにマリエッタさんの頭を脇に抱えるようにして締め上げていたウィリアム様が、ぱっと腕を離しました。
「いってぇな!! この糞野郎!」
「お前、俺の可愛いリリアーナの前で汚い言葉遣いをするな。あと大きい声出すな」
ウィリアム様はぞんざいにあしらって私の元へやってきました。
「大丈夫かリリアーナ」
「は、はい。私は特に何も……あの、マリエッタさんは一体……」
「リリアーナ、見てくれに騙されては駄目だ。あれは男だからな危ないから近付くなよ」
「お、男?」
横でアリアナさんが「えー!?」と叫んでエルサに怒られていますが、私も悲鳴こそ上げませんでしたが驚き過ぎてこれ以上の言葉が出ませんでした。ウィリアム様越しに向こうを覗くとブルネットのウィッグを外した黒髪の短髪の男性が痛そうに頭を擦っていました。
「マリオ、リリアーナがびっくりしているだろう。その見苦しい頭をさっさと直せ、ドレスと相俟って気持ち悪い」
「お前がヘッドロックなんてかけるから折角のウィッグがぐしゃぐしゃになっちゃったんだろうが!」
「リリアーナ、こいつは実は男で単なる女装好きの変態だが腕は確かだ……でも、リリアーナが嫌なら今すぐ追い出す」
「い、いえ、嫌だなんてことは……でも、とてもお綺麗な女性だと思っていましたので驚いてしまって」
マリエッタさんはぼーっとしていたラルフさんの頭にウィッグを乗せてぐしゃぐしゃになってしまったみつあみを解いてなおしています。マイペースなラルフさんは、気にした様子もなくにこにこしていました。
「転んで頭打って記憶喪失になった間抜けの癖に」
マリエッタさんがぼそっと零した一言にこめかみを引き攣らせたウィリアム様が踵を返してまたマリエッタさんの頭に手を伸ばそうとしたので、慌てて抱き着いて止めます。マリエッタさんは、ラルフさんを盾にして隠れました。
「ウィリアム様、痛いのはだめですっ」
「ああ、私のリリアーナはなんて優しくて可愛いんだ! マリオ、女神の慈悲に感謝しろ!」
ウィリアム様は、私を抱き締めることに腕を使って下さったので、どうにか未然に防げました。多分、離すとまた頭を掴みに行ってしまいますので私はそのままの体勢でウィリアム様を見上げます。
「お、お二人はお知り合いなのですか?」
「腐れ縁だ。あれはああ見えて、ウォーロック伯爵の三男で学院の同期で私と同じ騎士だった」
だったというのは過去形ですので、今はそうじゃないのでしょうか。
すると整え終えて、ウィッグを被り直したマリエッタさんが私の疑問に答えて下さいました。
「ウィルとは一緒に戦争行ってたんだけどね、そこでドジって怪我しちゃったのよ。普段の生活には問題はないんだけど騎士としては致命的でねえ。あたし、三男だったから騎士で身を立てて行く方法しか考えてなくて、父にも勘当されちゃって、でもまあもともとドレスとかワンピースとかレースとかリボンとか可愛くて綺麗なものが好きだったから、この職を選んだのよ、兄さんもいたしね」
「僕は、こーみえてマリエッタの同い年の兄なんですー。僕の家が生地屋でしてねぇ、小さい頃からマリエッタはうちの生地の倉庫に何時間もいる子で、戦争が終わった後、マリエッタはうちで働いて経験を積んで今はデザイナーとして活躍しているんですよー」
ラルフさんがのんびりと言いました。
私と姉様とセドリックもそんなに似ていませんが、マリエッタさんとラルフさんはもっと似ていません。
「父がうちでメイドをしていたラルフの母さんに手を出してね、異母兄弟ってやつ? あたしと父は折り合いが悪くて、屋敷を抜け出してしょっちゅうラルフのところに転がり込んでいたのよ」
「だから仲が宜しいのですね」
納得です、と私は一人頷きました。商売の仲間というよりも、どこか気の置けない雰囲気が二人にはあったので、兄弟と言われると納得ができました。
そこではたとウィリアム様にくっついたままだということを思い出して、慌てて離れようとしましたが力強い腕は何故かぎゅうと私を抱き締めました。
「ああ、可愛い。私の妻は、やっぱり天使じゃなかろうか」
「ウィ、ウィリアム様?」
名前を呼んで顔をあげるとちゅっと額にキスが落ちて来て私は慌てて顔を元に戻してその胸に押し付けました。マリエッタさん「ひゅー」という口笛とラルフさんの「おやまあ、仲良しですねぇ」という声が聞こえて私は羞恥で死にそうです。
ピクニックに行って以来、なんだかスキンシップが激しくなったような気がします。もちろん相手がウィリアム様ですので嫌ではないのですが、恥ずかしいのと心臓がどきどきし過ぎるのでほどほどにして欲しいのです。今はマリエッタさんとラルフさんもいるのですから余計に恥ずかしいのです。ぐいぐいと厚い胸板を押して脱出を試みますが、やっぱりびくともしません。
「旦那様、いい加減になさいませんと張り倒しますよ?」
ひんやりしたエルサの声にウィリアム様の腕の力が緩んで、私は早々に逃げ出しました。腕を広げて構えていたアメリアさんに抱き着くと私を庇うように前に出たエルサがウィリアム様と対峙します。
「奥様が恥ずかしすぎて死んだらどうするのです?」
全く持ってその通りです。そんな恥ずかしい死因は私だって流石に嫌です。
私が目で訴えるとエルサの向こうでウィリアム様は、うっとたじろぎました。
「だ、だってリリアーナが可愛いのがいけないんだっ!」
「奥様が可愛いのは太陽が沈めば夜が来て、月が沈めば朝が来るのと同じくらい当たり前のことでございます。私だって我慢しているのですから、旦那様も我慢してください! 私だって隙あらば奥様をぎゅっとしたいのを我慢しているのですから!」
「羨ましいだけじゃないか! 第一、私はリリアーナの夫だぞ!」
「記憶喪失を直してから出直してきてくださいませ、旦那様」
うぐっとウィリアム様が呻いて言葉を詰まらせました。どうやらいつも通りエルサが勝ったようですが、二人は一体、何の話をして喧嘩をしているのでしょうか。でも仲が良さそうで何よりです。
「エルサ、エルサ」
「はい、奥様」
私が呼ぶとエルサはすぐにくるりと振り返ります。
アリアナさんから離れて、私は腕を広げました。
「エルサだったらいつでもぎゅうとしていいのですよ。私、エルサのこと大好きですもの」
ちょっと照れくさくなって笑ってしまいましたがすぐに、ぎゅうと苦しいくらいにエルサが抱き締めてくれました。
「ああ、今日も私の奥様は森羅万象ひっくるめて本当にお可愛らしい! 私も奥様が大好きでございますよ!」
「ふふっ、両想いね、嬉しいわ」
「奥様、奥様、私だって奥様大好きですよ!」
ぴょんぴょんとアリアナさんが主張すると小柄なアリアナさんもまとめて、エルサが抱き締めてくれました。エルサは包容力がある素敵な女性です。
「そのドヤ顔やめろ!」
「失礼いたしました。私、奥様の大好きなエルサですので、両想いですから、つい喜びがにじみ出てしまって申し訳ありません、旦那様」
「あのね~、そろそろ僕の弟と入り口の副長さんが笑い過ぎて死にそうなんだなぁ~」
ラルフさんののんびりおっとりしたお知らせに顔を上げますと、マリエッタさんが床に蹲り、何時の間にいらっしゃったのかアルフ様がカドック様にもたれかかるようにして肩を震わせていらっしゃいました。お二人を案内して来て下さったのでしょうフレデリックさんも片手で口元を押さえてそっぽを向いています。
ウィリアム様は、いつも通りアルフ様を見て顔を顰めましたがすぐにエルサの腕の中に私に向き直りました。
「リリアーナ、ちょっと席を外す。君とこの変態を同じ空間に置いておきたくはないから連れて行ってしまうが、ラルフと一緒に好きな生地を選んでおいてくれ。セドリックにも秋の服が必要だろう?」
私はエルサの腕から出てウィリアム様と向き合います。
「セドリックのお洋服もよろしいのですか?」
「もちろん。私の可愛い義弟だからな。それに良く食べて、遊んで、眠っているからか背も伸びている。新調しないと袖や裾が間に合わないだろう」
「そうですね。実家から持ってこられた衣装も最近は、少し肩口や袖が小さくなってしまっているようですし」
エルサの言葉に、私も今朝着替えをしていたセドリックのジャケットが少々、窮屈そうでここには何の憂いもありませんのでセドリックはのびのびと成長しているのを実感したのを思い出しました。
「でしたら、セドリックの分もお願いしてよろしいですか?」
「ああ、好きなだけ選ぶと良い。では、行って来る」
「はい、行ってらっしゃいませ」
ウィリアム様は踵を返そうとして足を止めて、私の手を取ると手の甲に恭しくキスを落としました。突然のことに驚いて固まっていると甘い笑顔が向けられます。
「あとで一緒に庭を散歩しよう。私の可愛いリリアーナ」
ウィリアム様はおまけのように私の額にキスをして、未だに床の上で震えていたマリエッタさんの襟首を掴むとずるずると引きずりながら部屋を出て行ってしまわれました。アルフォンス様もカドック様が慣れた様子で連れて行き、フレデリックさんもその背に続いて行きました。
「ふふっ、侯爵様と奥様は、仲が宜しいのですねえ」
のんびりと笑うラルフさんに、私はじわじわと熱を持つ頬を手で仰いで冷ましながら、どう答えるべきか考えあぐねているとガチャリとドアが開いてセドリックがやってきました。手には何故か見覚えのあるブルネットのウィッグを持っています。
「ね、姉様……廊下に髪の毛が落ちていました……お化けの忘れ物ですか?」
至極真剣に困り顔で言ったセドリックに誰ともなく吹き出してしまい、羞恥心は有耶無耶に散っていきました。訳が分からず首を傾げるセドリックには悪いとは思いましたが笑いはなかなか治まりませんでした。
「セドリック様、お化けではなくとある方の忘れ物でございます。私が返して参りますので」
暫くしてエルサがセドリックからウィッグを受け取り、マリエッタさんに返却に行きました。私はセドリックを呼んで、ラルフさんに紹介しました。服を作ると言うとセドリックは興味がなさそうな顔をしていましたが、ウィリアム様とお揃いはいかがですか、とラルフさんが言うと嬉しそうに生地を選び始めました。セドリックは本当にウィリアム様が大好きなようです。
私はセドリックと一緒にセドリックの分とウィリアム様の分の生地をラルフさんとアリアナさんと一緒に選びました。エルサはしばらくたってから戻って来て、また一緒に布を選んでくれました。
ですが、ウィリアム様はなかなか戻って来られず、マリエッタさんとラルフさんも帰りの時間となってしまったので、デザインはまた今度ということになりました。セドリックの分だけは、早めに必要なのでマリエッタさんの好きなようにとお願いしました。
「何か難しいお話だったのですか?」
マリエッタさんとラルフさんをお見送りして、リビングに行くとウィリアム様がどこか疲労を滲ませたお顔でソファに座っておられました。
「いや、大したことじゃない。アルとマリオの相手を同時にするのが疲れたんだ……おいで、セディ、義兄上を癒してくれ」
セドリックが嬉しそうにウィリアム様に駆け寄ると、ウィリアム様はセドリックを膝に抱き上げて座らせました。私は向かいのソファに座ろうとしたのですが、ウィリアム様に「こっちだ」と呼ばれて近付くとあっという間にセドリックが座る方とは反対の膝に乗せられてしまいました。
「あー、最高に癒される」
ぎゅうーと私とセドリックを抱き締めるウィリアム様は、本当にお疲れのようです。
セドリックがうんうんと悩んだあと、いつも自分がウィリアム様にして頂いて嬉しかったことを考えたのか、小さな手で琥珀色の綺麗な髪を撫でました。
それに嬉しそうに顔を綻ばせたウィリアム様にセドリックが喜び、姉様もと言われて私も僭越ながらウィリアム様の琥珀色の髪をそっとあやすように優しく撫でました。ウィリアム様は、なんだかとっても幸せそうでした。
それが嬉しくて、私とセドリックもつられて笑ってしまうのでした。