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第十七話 新しい役目



 セドリックは、にこにこしながら朝食のクロワッサンを頬張っています。昨日、あんなに高い熱を出して苦しんでいたのが嘘のようです。

 セドリックが泣き止んで落ち着くのを待って寝室から、隣の部屋に移動して朝食の時間です。もちろん旦那様も一緒です。小さなテーブルが三人分の朝食でいっぱいになってしまいました。

 朝食の前にモーガン先生がセドリックの怪我を見て下さいました。その時、どのお薬をどの傷に塗るかと包帯の巻き方のコツを教えて頂きました。昨日熱が出たので、朝ごはんを普通に食べても良いのか心配だったのですが「これだけ元気なら大丈夫ですよ」と先生が言ってくれましたので、私たちと同じものをセドリックも食べています。

 両親には恵まれなかったセドリックですが実家の使用人たちにはとても可愛がられて育ちましたので、とても人懐こく、この短い時間で旦那様にもエルサやフレデリックさんにも人懐こい無邪気な笑顔を向けています。


「……セドリック、怪我は痛むかい?」


 食後のコーヒーを飲みながら、旦那様が躊躇いがちに尋ねました。

 紅茶を飲んでいたセドリックは、首を横に振ります。


「姉様がいるから平気です」


「……そうか。だが、無理はしないように。今日はリリアーナと一緒に部屋でゆっくり休みなさい」


「ありがとうございます、侯爵様」


「良い返事だ。……ところでセドリック、話したくないなら話さなくて良いのだが、その怪我は父君に? それとも母君に?」


 満足げに笑った旦那様は、その表情を神妙なものに変えるとセドリックの顔色を窺いながら問いました。セドリックは、困ったような顔になると私を見上げました。


「大丈夫よ、セドリック。姉様も知りたいわ」


 私が小さな手を握りしめるとセドリックは、少しの間を置いて小さな唇を震わせました。


「……お父様とマーガレット姉様です」


「リリアーナが結婚してからずっとかい?」


 旦那様の問いにセドリックは首を横に振りました。


「……お父様もお母様もマーガレット姉様も僕には興味がありませんでしたから……時々、八つ当たり気味に食事を抜かれることはありましたけど、それ以外は特に何も。だから姉様がいなくなって寂しかったですけど僕は今まで通りに暮らしていました。でも……二日かくらい前、急にお父様が僕を呼び出して、それで……理由は分からないですが、僕、とてもびっくりして、痛くて、こ、怖くて」


「セドリック……っ」


 私は椅子から立ちあがり、セドリックを抱き締めました。セドリックの小さな手が私の腕をきゅっと掴みます。


「マーガレット姉様は、お父様と入れ替わるようにやって来て、僕を蹴って、鞭で叩いたんです。ええっと確か……マーガレット姉様が婚約したかったチャールズという方から断りの手紙が来たからっていう理由だったと思います」


「嫌なことを思い出させてしまったね。だが、これで完全に私が君を保護できる。もう二度とこんな目には遭わせないから安心してくれ」


 セドリックは、ほっとしたように表情を緩めました。

 旦那様は大きな手でセドリックの小さな頭を撫でました。


「でもセドリック、その怪我がもう少し良くなるまでは部屋を用意するからベッドで休んでいなさい」


「……僕、もう少しだけ姉様と同じお部屋が良いです」


 セドリックが旦那様の顔色を見ながら言いました。

 すると旦那様は、ふっと表情を緩めるとセドリックの頭の上に置いたままだった手でまた小さな頭を撫でました。


「一年ぶりだものな。でも、セドリックが「もう大丈夫」と自分で思えるようになるまでだぞ?」


「はい! ありがとうございます、侯爵様!」


 にこっとそれはそれは嬉しそうにセドリックが無邪気で愛らしい笑みを浮かべました。旦那様もとびきり優しい笑顔になると両手でセドリックの頭をぐしゃぐしゃっと撫でました。きゃっきゃっと声を上げて笑うセドリックに私も自然と笑みがこぼれてしまいます。


「セドリック、よければ私のことは兄と呼んでくれ。何せ私は君の姉上の夫だから、君の義理の兄になるのだからな」


「分かりました、義兄上!」


 素直に答えるセドリックに旦那様はますまず表情を緩めました。失礼がないかとヒヤヒヤしてしまいますが、旦那様は優しい方ですので大丈夫そうです。


「さて、セドリック、私は少しリリアーナと話があるから、先にベッドの上で休んでいなさい」


「……姉様、すぐに来ますか?」


 途端に不安そうな顔になったセドリックに、笑うことは出来ても心の傷は深いのだと胸が締め付けられました。旦那様も少しだけ悲しそうな顔をしましたがすぐに優しい表情を浮かべて頷きました。


「ほんの少し話をするだけだよ。寝室のドアを開けておくといい」


 はい、と心なしかしょんぼりと頷いたセドリックは、私が腕を緩めると椅子から降りて何度か私を振り返りながら寝室に行きました。エルサが「私がお傍にいましょうか」と言ってくれたので、一も二もなく頷きました。エルサがセドリックの背を追いかけるように寝室へと行ってくれました。エルサが傍に居てくれるなら何が有っても安心です。


「……本当にリリアーナのことが好きなんだな」


 旦那様がしみじみと言いました。


「ある意味、私にとってもあの子にとっても心を許し合える家族はお互いだけだったものですから……私のことを母のようにも慕ってくれているのです。父も母も姉様にしか興味がありませんから……旦那様、本当にありがとうございます」


 私は深々と頭を下げました。

 旦那様には感謝してもしきれません。私だけではなく、セドリックにまで優しさを分けて下さるなんて本当に旦那様は素晴らしいお方です。


「リリアーナ、私はお礼を言って貰えるようなことはしていないよ」


「そんなことはありません。旦那様のお蔭でセドリックは救うことが出来たのです。それに温情まで掛けて下さって、本当にありがとうございます」


「……わかった、その感謝は素直に受け取ろう」


 その言葉に、ありがとうございます、とお礼を重ねて私は体を起しました。旦那様は困ったように笑っていましたが、座るように促されて自分の席へと戻りました。温くなってしまった紅茶で口の中を潤します。

 

「それで君に言わなければならないことがあるんだが」


 私は、カップをテーブルの上に戻して背筋を正します。


「……リリアーナ、昨日、言いそびれたんだが今日から騎士団の仕事に復帰する」


 私は、息を飲んで数秒ほど固まってしまいました。


「そ、そうですか……」


 漸く返せたものは、情けないものでしたが声が震えなかっただけでも頑張ったと思います。


「記憶が戻ったのですか?」


「いいや、戻ってはいないが一応、立場ある身だったからな。私のサインと決済を待つ書類が溜まっているんだ」


 旦那様は嫌そうに顔を顰めました。旦那様は書類仕事がお好きではないのです。

 私は寂しい気持ちを胸の奥にしまい込んで、頑張って笑顔を浮かべました。

 恋心を自覚した途端、会えなくなってしまうのは寂しいです。この二週間、毎日、顔を合わせていましたし、一緒に過ごす時間も長かったので私は贅沢になってしまったのでしょう。でも、会えないなら会えないでこの恋心がバレずに済むのかも知れません。


「ではまた暫く会えないのですね……あの、半年、いえ、三か月後くらいには帰って来ていただけますか? あまり無理をしてまた過労でお倒れになったら大変です」


「……え?」


「ぶふっ」


 旦那様の後ろでフレデリックさんが吹き出したような音が聞こえました。旦那様がぎろりと睨みましたが、既にフレデリックさんはいつもの涼しい顔に戻っています。気のせいだったのかもしれません。フレデリックさんは、旦那様を支える優秀な執事さんですものね。


「リリアーナ、私は毎日帰って来る気なんだが……」


「毎日、ですか?」


 まあ、と私は驚いて片手で口元を抑えました。


「……旦那様の自業自得ですよ」


 フレデリックさんがぼそっと何かをおっしゃいましたがよく聞き取れませんでした。旦那様はまたフレデリックさんを振り返りましたがすぐに私に向き直りました。


「今度は、()()()()()()帰って来るから……もし二十一時過ぎたら先に寝ていてくれ。その代わり、それまでに帰って来たら、出迎えて欲しい。あと見送りもして欲しい」


「お見送りとお迎え、していいのですか?」


「以前の私は断ったらしいが、今の私は君にして欲しい」


 旦那様は真剣な眼差しで私を見つめます。私は、まるで妻のような役目をさせて頂ける喜びに自然と顔が綻んでしまいます。逸る胸を押さえて、はい、と返事をしました。


「私でよろしければ、させて頂きたいです」


「そ、そうか! 良かった! では、私は部屋に戻って騎士服に着替えて出るが……今日はセドリックが不安がるか」


 優しい旦那様は、セドリックの心を慮って下さっているようです。それだけで私はますます顔が綻んでしまいます。


「でしたら、バルコニーからお見送りをしていただいたら宜しいのではないですか?」


 フレデリックさんの提案に旦那様が、表情を明るくしました。


「それがいい。リリアーナ、寝室のバルコニーから見送ってくれるか? 夜はセドリックの様子次第で無理はしなくていい」


「分かりました」


 私が頷くと旦那様は満足げに頷いて、では、と席を立ちました。私は、ドアのところまで旦那様を見送って、寝室へと足を向けました。寝室に入るとベッドの上でエルサとお話をしていたらしいセドリックがぱっと顔を輝かせました。


「姉様、お話は終わった?」


「ええ。旦那様は今日から騎士団のお仕事に行かれるそうですから……あとでセドリックも一緒にそこのバルコニーからお見送りをしましょうね」


「うん! 僕も義兄上をお見送りする!」


 嬉しそうに頷いたセドリックに私も嬉しくなりました。

 それから暫くして、私とセドリックはバルコニーに出て黒の騎士服に着替えた旦那様が馬に跨って出かけるのを見送りました。漆黒と金を基調とした騎士服を身にまとった旦那様は思わず見惚れてしまうほど素敵です。


「リリアーナ、セドリック、行ってくる!」


「はい、行ってらっしゃいませ、旦那様」


「義兄上、行ってらっしゃいませ!」


 セドリックがぶんぶんと手を振ると旦那様も馬上から手を振り返しました。そして、馬の腹を蹴ると颯爽と駆け出していきます。その背を同じく馬に跨ったフレデリックさんが私の隣にいるエルサに手を振ってから追いかけるようにして出かけて行きました。お二人は広い庭を駆け抜けて、あっと言う間に見えなくなってしまいました。


「エルサ、義兄上は、馬車では行かないの?」


 セドリックの疑問に私もそういえば、と首を傾げました。これまで旦那様はほとんど帰って来ませんでしたし、帰って来ても私が眠っている間のことでしたので馬車か馬なのかということは知りませんでした。


「馬車は襲撃された時に面倒だからとおっしゃって、視界の広い馬を好むのですよ。それにこの邸から騎士団まではほんの十分ほどですしね」


「義兄上、命を狙われているの?」


 不安に顔を曇らせたセドリックに、エルサは誇らしげに笑って首を横に振りました。


「旦那様は、クレアシオン王国一、強い騎士様ですので四十人くらいが束になって掛かっても倒せませんからご安心くださいませ。それに戦争が終わった直後の話です。今はもう旦那様を狙おうという勇者はそうそうおりませんよ」


 時折、旦那様に冷たい気がするエルサでしたので、その誇らしげな笑顔になんだかんだエルサも旦那様を尊敬して慕っているのだと安心しました。

 エルサの言葉にセドリックは、キラキラと目を輝かせました。


「義兄様は、王国の守護者って呼ばれているんだよね? オズワルド先生が教えてくれたんだよ」


「はい」


 エルサの唇が一瞬だけ引き攣りました。笑い出しそうになって堪えているのが私には分かりますが、何か面白いことを言ったでしょうかと首を傾げますがよくわかりません。それよりも旦那様には、そんな呼び名があったことに驚きです。ですが英雄と呼ばれる旦那様ですので、そういった呼び名があっても不思議ではありませんね。

 ちなみにオズワルド先生とはセドリックの家庭教師の先生です。


「旦那様は凄いのですね」


「……ええ、騎士としての腕前だけは右に出る者はありませんから。さあ、セドリック様、奥様、中へ入りましょう。セドリック様はベッドに横になってきちんと休んで下さいまし」


「はーい。……あのね、姉様、僕、前みたいに本を読んでほしい!」


 甘えたように私に抱き着いて来るセドリックを受け止めながら私たちは中へと入ります。


「ふふっ、いいですよ。その代わり、具合が悪くなったり、傷が痛くなったりしたらきちんと教えて下さいね。姉様はセドリックが苦しいのは嫌だもの、約束ですよ」


「うん。約束!」


 無邪気な笑顔に私は、愛おしい気持ちがこみあげてきました。父も母も姉もこんなに可愛いセドリックを知らないなんて、とても可哀想です。

 私は前々からセドリックが好きそうな本を見つけてあったので、エルサに頼んで持ってきてもらい、セドリックに読み聞かせました。セドリックは一喜一憂しながらお話を楽しんでくれて、再び愛しい弟のそんな姿が私の腕の中にあることに改めて、私は旦那様に感謝したのでした。



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