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第十四.五話 愚かな男 *ウィル視点



 濃い金髪に緑の瞳の男は、どこか落ち着きのない様子で私の前に座っていた。

それなりに背が高く年の割に引き締まった体をしていて、これまたそれなりに整った顔立ちをしている。記憶を失くす前は社交の場で何度も会っていたらしいが、記憶を失ってからこうして会うのは初めてだった

 一秒でも早くリリアーナの下に行くのを目標に定めて、口を開く。


「急な訪問にも関わらず、快くお招き下さり感謝します。エイトン伯」


 私は足を組み、背凭れに体を預けるようにしながら口を開いた。エイトン伯の整えられた眉がぴくりと僅かに跳ねた。


「……スプリングフィールド候、して、一体、私に何の御用がおありでしょうか?」


 嫁いだ娘の様子も聞かず、エイトン伯は早々に本題を問うてきた。


「まあ、そう焦らず。使用人の皆さんは、すまないが席を外して頂けるかな? 個人的な話があってね」


「かしこまりました」


 エイトン伯の背後に控えていた執事が頷き、紅茶の仕度をしてくれていたメイドが二人、彼と共に部屋を出て行く。


「フレディ」


 フレデリックが私に視線を投げかけて来る。私は肩を竦めて返し、ひらひらと手を振った。フレデリックは、私を真似るように肩を竦めると彼らの後について応接間を出て行く。

二人きりになった空間でエイトン伯に顔を戻す。先ほどから、いや、ここに来た時から一向に目が合わない。しかし、私が視線を外すと不意に期待に満ちた眼差しが向けられることがある。

 私は、リリアーナが私の胸で泣いた夜、彼女の心の憂いを取り払うと決めた。だから翌日、すぐにエイトン伯にリリアーナが弟に会いたがっているという旨の手紙を出したのだが、何かと理由をつけて断られた。なので、アルフォンスを呼び出し、そういうことが得意な騎士団の部下に情報収集を頼んだ。

 そして、彼らが丁寧に調べてくれた結果、一年前、エイトン伯の抱える三千万リルという多額の借金を肩代わりしてやったというのに、この男は性懲りもなくまた借金を作り、既に五百万リルに達しているというのだから呆れたものだった。その借金は、どちらもエイトン伯の賭博と夫人と一番上の娘による浪費によって生み出されたものだった。

 当時の私は、最低なことにリリアーナに興味がなかったので一応、借用書と誓約書は書かせたが三千万リルで娘を買い、煩わしい女どもを追い払えるなら構わないかと返済については言及せず、利子もつけずに無期限としていた。しかし、アーサーに確認したところ、この一年の間にエイトン伯から返済の打診があったことは一度もないという。

 だが、今回は話が別だ。私は、リリアーナに心からの笑顔を浮かべてもらうためにエイトン伯に金銭的援助をするような文言をチラつかせたのだ。するとあれだけ渋っていたくせに、エイトン伯は手のひらを返したように了承の返事を寄越したのだ。


「エイトン伯、三日前の夜はどちらに?」


 その肩が大袈裟なほどびくりと跳ねあがった。


「ど、どうしてですかな?」


 上ずった声を自覚しているのか否か、それでも平静を装った体でエイトン伯は首を傾げる。


「いえ、私の友人が賭場で貴方に似た人物がルーレットに熱中してかなりの財産を得ていたと気付いたのですよ。ですから、多少は返済の余裕も出来たのかと思いまして」


 エイトン伯の顔が面白いほどの勢いで血の気を失っていく。


「ああ、でも昨夜は貴方によく似た男がかなり負け越していたようだとも聞きましたね」


 右往左往する瞳と小刻みに絶えず揺れる膝、彼の両手は腿を擦り続けて落ち着きがない。語るに落ちるとは正にこのことだ。そもそも一度だって私の目を見なかった時点で彼の負けは確定していたのだ。

 背もたれに預けていた体を起し、膝の上に肘をついて手を組み、その上に顎を乗せる。


「……ですがおかしいですね。借金の肩代わりを申し出た折、賭博からは手を引き、領地の運営に真面目に取り組むとお約束してくれましたよね? 誓約書にもそう記してありますし、貴方の署名もある」


 エイトン伯は唇の色が失せるほど噛み締めて逃げるように顔を俯けた。ガタガタとその体が震えだす。

 組んだ手の上に顎を乗せて、優雅に笑って私は首を傾げる。ガタガタと震えるエイトン伯は、歯をカチカチと鳴らすばかりで答えない。


「所で、夫人は何処に?」


「出かけて、おります」


「そうですか。それにしてもマーガレット嬢は随分とお美しいですね」


 リリアーナの足元にも及ばないがな、と心の中で付け足した。しかし、そんなものは微塵も聞こえないエイトン伯は、いきなり生気を取り戻して顔を上げた。


「マーガレットは、自慢の娘でして! 母親譲りのあの美貌もさることながら、気配りができ、心優しい娘です。それに社交も得意ですので、あの出来損ないの娘と違って、社交という貴族にとって重要な場面でも侯爵を支えられるでしょう」


「そうですか」


 私の声のトーンが下がったことに気付かず、エイトン伯はべらべらと良く喋る。


「そうなのです。流行にも敏感ですので、装いもいつも完璧です。そう言った面でも侯爵様に恥を掻かせることもありません」


「そうですか」


 廊下の向こうが騒がしくなり、私はソファに立てかけてあった剣に手を伸ばす。そうですか、そうですかと同じ返事を淡々と繰り返すが、阿呆は興奮した様子で喋り続ける。わざわざリリアーナを引き合いに出して、彼女を蔑みあの性格の悪い娘を持ち上げる。


「それになにより、リリアーナと違って美しく健康的な娘です。侯爵様の御子も立派に産み育て、ひぃぃぃっ」


 最後まで言い切らせるのも鬱陶しかったので、彼の顔の真横に剣を突き刺した。エイトン伯の緑の瞳が、ぎょろりと動いて、紙一重の距離にある私の剣を捉える。


「ごちゃごちゃとうるさい男だなぁ」


「なっ、ひっ」


 はくはくと唇が動き、意味のない音が彼の口から洩れる。


「私が言えた義理ではないが、これまで散々、私の妻を虐げた貴様を赦す訳がないだろう?」


 はっと鼻で笑って、その濃い金の髪に手を伸ばして鷲掴みにし、顔を上げさせる。


「貴様は何を勘違いしているか知らんが、リリアーナは私の妻だ。リリアーナ・カトリーヌ・ドゥ・オールウィン=ルーサーフォード、スプリングフィールド侯爵夫人。お前より爵位も地位も権力も上だ。彼女を馬鹿にするということは、私を馬鹿にするのと同じことだとは思わなかったか? まあ、思わないからこの様なんだろうがな」


「ど、どうして……っ、えんじょ、と、マーガレットを見初めて、くださった、のでは?」


 都合の良い言葉だけを拾って、きっと楽しい妄想をしていたのだろうなぁ、と嗤いながら髪を掴む手に力を籠める。その痛みに緑の瞳が歪む。というか後半の下りはどこから出て来た妄想だろうか。随分と酷い妄想だ。

 確かにあれは見てくれだけは良かったが、顔に性格の悪さが出ている。


「書いてあっただろう? リリアーナの大切な家族を助けるために、オールウィン家に援助をしてやると」


「だ、だから、私たちにっ」


「リリアーナは家族と呼べるのはセドリックだけだと言った。お前たちはこれっぽっちも含まれていない。私が援助するのは、セドリックが背負うことになるオールウィン家だ」


「とうしゅは、わたっ、あぐっ」


 リリアーナを褒めることもなければ、実の息子の心配一つしない。いい加減、私も我慢の限界だった。

 私が無理矢理立ち上がらせたエイトン伯の腹に膝を入れるのと応接間のドアが開いて騎士たちが入って来たのは同時だった。私は嘔吐いたエイトン伯の体を思いっきり蹴り飛ばす。折角リリアーナが褒めてくれた服に汚物をつけられるのはごめんだ。エイトン伯は飛んでいった先で飾り棚にぶつかり、装飾品が彼の上に降り注ぎ騒がしい音を立てる。


「ぐおっ、うえぇぇっ」


 嫌な音が聞こえ、独特の臭いが鼻を突く。エイトン伯は、そのまま吐しゃ物の中に倒れ込んだ。


「あ、師団長! 駄目だって言ったじゃないですか!!」


「人の家のものを壊すと始末書ですよ!? また副団長に怒られますよ!?」


 黒の騎士服を纏った部下が二人、割れた飾り皿やガラス製のオブジェに具に気付いて文句を垂れる。


「弁償すればいいだろ。いいからさっさと縛り上げろ、()()()()()()()()()()だ。俺が直々に相手をするから四番に入れておけ」


「うげっゲロまみれじゃないっすか!」


「そこの庭に池があっただろが。俺はもう妻のところにいく、アルは?」


 剣を鞘に戻して腰に佩きながら私は、部下たちに応える。部下たちは「うぇー」と顔を顰めながらエイトン伯を踏ん付けて動けないようにし、ロープで拘束していく。


「副長は、セドリック様の保護に向かわれました。……これ、池に放り込んだらもっと臭くなりません?」


「向こうへ行ったら井戸水でも掛けてやれ」


 それだけ言い残して、私は部屋を後にする。

 アルフォンスが用意してくれたオールウィン家の見取り図は完璧に頭に入れてある。二階へ駆け上がり、セドリックの部屋を目指し、丁度、エルサが針金で鍵を開けているところだった。焦れた私が剣を抜こうとしたのと同時に鍵が開き、エルサと共に私も部屋に飛び込んだ。ひと悶着あったが無事にセドリックをリリアーナの腕の中に戻してやることが出来たのだった。










「……私を殴ったのわざとだろ」


「ちょっと何言ってるか分からないです」


 私の隣で床に座り込み泣きながら抱き合うリリアーナとセドリックを涙ぐみながら見守っていたエルサにぼそっと文句を言ったが、涙を引っ込めた彼女はにっこり笑って首を傾げた。

 リリアーナの姉を殴ろうとしたエルサを取り押さえたら裏拳を頬にもらった。普通に痛かった。どさくさに紛れて絶対わざとやったに違いないのだが、どういう訳か逆らうことが出来ないので、私は賢明にも口を噤んだ。

 気を紛らわせようとなんとなく部屋の中を見回す。

 色あせたカーテン、すすけた絨毯、装飾の剥がれ落ちたクローゼットは両開きの扉が片方外れていて、他には小さなベッドが一つあるだけだった。あのクソ共のことだから、リリアーナの部屋は彼女がここにいた時から、こんなにも寂しい部屋だったのだろう。奥の方に扉が二つあるが、あれは見取り図が確かならシャワールームとトイレだ。あのクソ共は本当にリリアーナをここから出す気がなかったのだ。

 こんな空虚な部屋に十五年間、リリアーナは住んでいたのかと思うと拳に自然と力が入る。

私は怒りをどうにか振り払い、リリアーナの下に歩み寄り、傍に膝をついた。

 

「リリアーナ、ここは騒がしくなるから屋敷に帰ろう。セドリックも怪我をしているんだろう?」


 姉弟の一年ぶりの再会に水を差すような真似はしたくなかったが、この屋敷はこれから騒がしくなるのは確かだ。だから侯爵家に帰ったほうがリリアーナもセドリックも安心して過ごせるはずだ。 

 私の言葉に、はっと顔を上げたリリアーナがセドリックの顔を覗き込む。


「セドリック、セディ、怪我を見せ、て……セドリック!」


 リリアーナの呼びかけに答えることなく、セドリックの小さな体が崩れ落ち、私は咄嗟に手を出して抱き留める。

 セドリックの小さな体は酷い熱を帯び、短く洗い呼吸が薄い胸を忙しなく上下させている。羽織っただけと思われるシャツの隙間から包帯が見えて私は、セドリックをうつ伏せにして頭をリリアーナの膝に乗せるとそのシャツを脱がした。

 皆が一様に息を飲む。

 背中全体を覆う白い包帯に赤い血が滲み、細い腕には赤黒い痣があった。


「ひど、い……っ」


ひび割れそうな声が隣で聞こえ倒れそうになるリリアーナを受け止め私にもたれかからせる。

どうせならもう三発は蹴りを入れて、腕の一本くらいは切りおとしてしまえば良かったと、小さな子どもが背負うには不似合いな紅いそれに唇を噛む。ともすれば溢れ出そうになる殺気をどうにか抑えて、ゆっくりと息を吐き出した。


「だ、だんなさまっ、ど、どうしたら……っ、こ、こんな怪我っ」


 リリアーナは、酷く取り乱して真っ青な顔をしていた。ぽろぽろと涙が白い頬を濡らしている。

 私はリリアーナを抱き締めて、その背中を擦る。


「大丈夫だ、リリアーナ」


 リリアーナは余程ショックだったのだろう、ガタガタと震えている。


「フレディ、お前は先に行ってモーガンを呼んでおけ。エルサはエントランスに馬車をつけるように頼んで来てくれ」


「僕の馬を使っていいよ、僕は適当なのに乗って帰るから」


 アルが懐から取り出した手帳に万年筆を走らせて、そのページをちぎってフレデリックに渡した。フレデリックはそれをしかと受け取り、懐にしまう。そして二人はすぐに部屋を出て行く。アルフォンスがベッドからシーツを剥ぎ取りセドリックを包み込んで抱き上げ、私もリリアーナをそっと抱き上げる。細い腕が私の首にしがみつくように回された。震える体が彼女の不安と恐怖を訴えて来る。


「行こう」


「ああ」


 彼に声を掛けて私は出口に体を向ける。蹴破られたのだろう憐れなドアが部屋の隅に転がっているのに気付いた。フレデリックもアルもどちらだったとしても不思議はない。記憶はないが、そんな気がするのだ。

 元来た道を引き返し、エントランスへと急ぐ。使用人たちを保護し、暗殺者の残党を探す騎士たちが忙しなく出入りしている。

 今ここは、私を陥れるために暗殺者という脅威にさらされた伯爵家ということになっている。作戦通り、エイトン伯を暗殺者にでっちあげた訳だが、トップである私が黒だと言えば何でも黒になるのを利用した作戦だ。糞とは言え父親に縄が打たれる瞬間をリリアーナには見せたくなかったが故に先に送り出したのだが、赤くなっているリリアーナの頬にマーガレットも適当に誘惑してその場に残し執事辺りに案内させればよかったと後悔する。


「こちらです!」


エルサが待ち構える馬車へと乗り込む。私の隣にリリアーナを座らせ、アルが彼女の膝にセドリックを降ろす。リリアーナは、言葉もなくすぐに弟を抱き締めた。そんな彼女が座席から落ちないように細い腰に腕を回す。


「リリィちゃん、セドリックは大丈夫だからね」


 馬車から降りたアルが声を掛けるとリリアーナはかろうじて頷いた。アルが私を見上げて頷いたので、私もそれに応えて首を縦に振る。


「じゃあ、師団長、あとは僕が引き受けるよ」


「ああ。頼む、あれは四番に入れるように指示した。落ち着いたら私が行く」


「了解。閉めるよ」


 そう言ってアルフォンスがドアを閉めた。コンコンとエルサが壁をノックして御者に合図を出せば、すぐに馬車が動き出す。

 ガタガタと車輪が立てる音を聞きながら、私は一言も喋らず、ハラハラと涙を零すリリアーナを抱き寄せる腕に力を籠めるのだった。



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