表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/66

第一話 平和な日常に一報

本日、2度目の更新です!

朝7時にプロローグを更新しているので、未読の方は一つ前のお話をどうぞ!

 私は、ふぅと息を吐きだして糸の始末をつけ、余分な残りの糸をハサミで切りました。

 出来上がったのは、クッションカバーです。夏の花々をあしらった刺繍は彩り鮮やかな糸のお蔭でとても綺麗にできました。孤児院のバザーに出して運営費の足しにしてもらうのです。刺繍を始めとしてお裁縫は、取り柄のない私の唯一の特技です。

 旦那様と結婚し、侯爵家に嫁いできて早いものでもう一年が経ちました。

 大陸の西に位置するクレアシオン王国は広く豊かな領土を持ち、戦争が終結して数年がたった今はとても平和で穏やかな国です。

 そのクレアシオンを統治する王家直属のヴェリテ騎士団で王都を護る第一師団の師団長を務める旦那様は、ほとんど屋敷には帰って来ません。この一年で帰って来たのは、私の知る限りだとたったの五回です。その内、四回は夜遅くに帰って来て、夜明けを待たずにお出かけになられたので私は顔を合わせることもありませんでした。一回だけ、夕食のすぐあとに帰って来て下さったのでお出迎えをしましたが、二度としなくていいと言われてしまいましたので、お見送りは出来ませんでした。

 その時のことを思い出して、少しだけ気持ちが沈んでしまいそうになって慌てて首を横に振りました。その拍子に肩から流れ落ちた私の淡い金の髪が目に入りました。金髪というには色素が薄く、銀色というには黄ばんでいると言われる中途半端な色の髪です。それに加えて、曇り空と同じどんよりとした灰色の瞳。顔立ちもお世辞にも可愛いとも美しいとも言えない不器量なもので美しい継母や姉とは大違いです。お継母様と姉様は綺麗な胡桃色の髪をしていて、とても美しい顔立ちをしています。

 だというのに私は碌な持参金もなく、実の母は鬼籍ですので後ろ盾もありません。貴族令嬢としての知識もなく、貴族の妻の仕事である社交すら出来ない私は、旦那様がおっしゃられていた旦那様にとって都合がよいというメリットを除いても、三千万リルという大金を支払ってまで妻として迎え入れるにはデメリットが多すぎるのございます。ですから旦那様が私を疎むのは致しかたないことです。


 けれど、旦那様は私にとても良くしてくださっています。

 お会いすることも、言葉を交わすこともありません。プレゼントやお花を頂くこともありませんが、私が何不自由なく暮らせるのは旦那様のお蔭です。私の趣味が裁縫だと侍女が伝えたのか、立派な裁縫道具を用意してくれました。それにこの屋敷の中で旦那様の書斎と寝室以外は、私は自由に歩き回れますし、なんと、お庭に出たって怒られないのです。三日に一度ほど、エルサと一緒にお庭をお散歩するのは私のひそかな楽しみです。

 実家にいたころは一週間に一度書庫に行くと記か両親か姉に呼び出された時だけしか部屋から出ることは許されませんでしたので、とても新鮮です。

 ですので、私は旦那様にとてもとても感謝しております。


 私は間違いなく由緒ある歴史を持つエイトン伯爵の娘でしたが、実の母・カトリーヌは私が生後六か月の時に亡くなってしまい、母と結婚する前から愛人に入れあげていた父・ライモスは私を愛することはなく、妻の喪も明けぬ内にその愛人を後妻として迎えました。

 後妻として男爵家から伯爵家に嫁いできた父の愛人はサンドラ様といいます。私からすると継母にあたるのですが、物心ついた時には忌み嫌われておりました。それでも私が父の娘というのは事実でしたのでいつかは政略結婚の駒として嫁がせるため五歳から七歳までは家庭教師を付けて頂いておりました。ですが私が七歳の時に起こった事件で醜い傷跡が体に残ってしまい、私は貴族令嬢として何の価値も無くなってしまいました。それでも父と継母は私を捨てるようなことはありませんでしたが醜い娘を持て余していたのは事実です。ですので、私は書庫に出入りする以外は基本的には屋敷の片隅に与えられた部屋で過ごすように命じられておりました。


 私には、数か月年上の異母姉と七つ下に異母弟がおります。姉は私を嫌いでしたが、弟はこんな私を心から慕ってくれて、両親や姉の目を盗んで、しょっちゅう私の部屋に会いに来てくれました。私の実家での楽しみは弟のセドリックに会うことでした。使用人たちは、私を憐れんでくれたのかセドリックが可愛かったのかそのことについては目こぼししてくれていたので、留守がちだった両親と姉はそのことを知りません。

 セドリックは、とても心優しい子供で醜い姉を心から慕ってくれておりました。伯爵家の後継ぎであるあの子には優秀な家庭教師がついていたのですが、セドリックは無知な姉に自分が教わったことを教えてくれる賢い子でもありました。

 私の結婚が決まった時、セドリックは寂しそうにしていましたがあの子だけがお祝いの言葉をくれました。

 今も月に一度だけ手紙が届きます。姉様に会いたいと言ってくれるセドリックに応えたい気持ちはありますが、私は侯爵家に嫁いだ身、旦那様の許可なく実家に帰ることも弟と言えども客人を招くことも出来ません。それに何より私の両親がセドリックが私に会うのを良しとしないでしょう。私は、セドリックの友人である伯爵家の馬番見習いの少年の家に手紙を出して、セドリックに直接渡してもらっています。頻度が上がるとバレてしまう可能性があるので月に一度しか手紙は出せません。

 一番上の姉ばかりを可愛がる両親ですので私が侯爵家に嫁いで抱えている心配事は、大事なセドリックのことだけです。寂しい思いをしていないか、哀しい思いをしていないか、それだけが心配なのです。

 コンコン、と控えめなノックの音に私は思考の渦に呑まれていた意識を引き上げて、どうぞ、と答えて顔を上げました。


「失礼いたします。奥様、午後のお茶をお持ちしました」


 入って来たのは、私の専属侍女であるエルサでした。彼女はワゴンを押しながらこちらにやって来ます。私は、刺繍の針や糸を素敵は花柄の意匠が彫られた裁縫箱にしまっていきます。白木の裁縫箱は、蓋や側面に柔らかな木目の様々な花が彫られています。一つ一つが丁寧に着色されていてとても綺麗で可愛い裁縫箱なのです。

 エルサは亜麻色の髪を一部の隙も無く後ろでまとめて白いフリルのあしらわれた小さめのヘッドドレスを身に着けています。お仕着せは黒を基調としていてパフスリーブと白い丸襟が可愛く、フリルの白いエプロンと踝までのスカート丈は品があります。他のメイドさんのリボンは白ですがエルサの首元を飾る白百合の刺繍が入った赤いリボンは私の侍女であるという証です。


「本日は、奥様の好きな苺のタルトを料理長が作ってくれたんですよ」


 エルサがにこりと笑って、私の前に置いてくれたお皿には苺のタルトが品よく乗っていました。艶々の赤い苺に柔らかな黄色カスタードクリームと白い生クリームが綺麗で、見ただけで美味しいと分かる逸品です。


「ありがとうございます、エルサ。フィーユ料理長さんにもお礼をお伝えしてくださいね」


「はい。奥様、失礼いたしますね」


 そう言ってエルサも私の向かいのソファに腰を下ろしました。彼女の前にも私のものと同じ苺のタルトと紅茶が置いてあります。

 本来は、侯爵夫人であり彼女の主人である私と侍女のエルサが席をともにするなどありえないことです。私がエルサに対して丁寧過ぎる口調であることも咎められることはあっても褒められるものではありません。

 けれど、これらが許されているのはエルサや他の使用人さんたちの優しさなのです。

 屋敷に来た当初、こうしてお茶を出されても私は口を付けることが出来ませんでした。キラキラとまるで宝石のように美しいタルトをどうやって食べればよいか分からなかったのです。それは朝昼晩の食事も同様で実家にいたころはパンとスープだけだった私は、見たことしかない豪華な食事と左右に並ぶ沢山のフォークやスプーン、ナイフや他のカトラリーの使い方がさっぱりと分からず、粗相をしてしまうのではと恐ろしくて非常に情けないことに食事が出来なくなってしまったのでした。

 他にも私は使用人に敬称をつけない、使用人に敬語を使わないようにとこの家の筆頭執事のアーサーさんに初日に注意され、またも非常に情けないことに口を利くことが出来なくなってしまいました。伯爵家では、私は使用人に対しても敬称を付け、敬語を使わなければ父や継母に鞭でぶたれて食事を抜きにされていたのです。食事抜きは別に構いませんが、あの怒声と恐怖と痛みを体が覚えていて、私は彼らを呼ぶことも、何かを頼むことも、返事をすることも出来なくなってしまったのです。

 そんな私を助けてくれたのは、他ならない侍女のエルサでした。


「……美味しいです。苺がとっても甘くて、カスタードクリームも濃厚ですね」


「料理長が自画自賛しておりましたから。今日の夜は、奥様の大好きなじゃがいものポタージュを作ると張り切っていましたよ」


「本当ですか? とても楽しみです」


 私は、ふふっと笑ってタルトを小さく切り分けて口へと運びます。じゅわっと広がる苺の果汁、カスタードクリームと生クリームは苺の酸味を包み込んで一層、美味しさを引き立ててくれるのです。クッキー生地のタルトもざくざくとした触感が楽しくて、時折、間に挟む紅茶も茶葉の香りが豊かでタルトの美味しさをより一層、引き立ててくれます。エルサは、私の知る中でもっとも上手に紅茶を淹れる人です。 

 先ほども述べた通り、食事も出来ず、口もきけなくなった私を助けてくれたのはエルサです。

 あの結婚初夜に醜い傷跡を見られたくなくて、入浴と着替えの手伝いを泣きながら拒んだ私を心配してくれていたエルサは、親身になって私に尽くしてくれました。まるで母のように或は、姉のように尽くしてくれるエルサに私は一か月ほど経って、漸く心の内の恐怖や痛みを説明することが出来たのです。自分の情けなさに泣いてしまった私をエルサは抱き締めてくれて、敬語でも敬称でも何でも良いと言ってくれました。更には自分が教えるからとこうして一緒にお茶や食事をしてくれるようになりました。

 エルサの存在がなければ、私はどうなっていたか分かりません。エルサは私にとってかけがえのない存在になりました。

 エルサが説明してくれたのか、その日から厳しかった執事のアーサーさんも優しくなって「奥様のペースでよろしいですよ」と私の無作法を目こぼししてくれています。勿論、エルサやアーサーさんに教わって少しずつ淑女としてのマナーは学んでおりますが、私は人より劣っているのでなかなか上手には出来ないのです。ですが他の使用人さんたちもとても優しくて、私はルーサーフォード家に嫁いできて本当に良かったと心から思っています。

 私の心が抱えていたものは、エルサを始めとした皆のお蔭で少しずつ溶けていったのです。

 旦那様には愛してもらうことは叶いませんでしたが、その分、例え根底にあるものが夫に愛されない妻への、或は何も知らない小娘への同情であったとしても優しい使用人さんたちが居てくれるだけで私は十分でした。


 他愛のない話をしながら楽しむお茶の時間は、のんびりと過ぎていきます。

私は、もう一杯だけ紅茶をおかわりして、ワゴンを廊下に出して戻ってきたエルサから旦那さんとの惚気話みたいな痴話げんかの話を聞いています。私より五つ年上のエルサはエルサより五つ年上で幼馴染の副執事の青年・フレデリックさんと結婚しているのです。フレデリックさんは、旦那様の乳兄弟でもあります。


「フレデリックときたらまたワンピースを買って来て、次の休みこそ出かけようと果たせもしない約束をするのですよ? そうやってため込まれたワンピースやドレスが何着あると思っているのでしょうか」


 ぷりぷり怒っているエルサは、いつもの大人びた彼女よりもずっと可愛らしくて少女のようです。

 私は、エルサとフレデリックさん夫婦の話を聞くのをとても楽しみにしています。だって二人は恋愛小説の幸せそうな恋人や夫婦そのもののようなのですよ。幼馴染だったという二人はその分遠慮がないのかよく喧嘩をしますが聞いている側からすればそれはただの惚気です。言うと「違います!」と全力で否定してくるので言いませんけど。


「ふふっ、エルサとフレデリックさんは本当に仲が良いですね」


「奥様、私は仲の良し悪しの話はしておりません。殿方の中身を伴わない約束にはお気を付けくださいませ、と経験談を踏まえてお話し申し上げているのです」


 エルサがむっとしたような顔で言いました。くるくると表情の変わるエルサは、見ているだけでも楽しいです。エルサは、美人さんなのでその豊かな表情はますます彼女を魅力的に見せているのです。

 私は、エルサのことだけは呼び捨てに出来ているのです。達成するまでに三か月も掛かりましたが初めて自然に呼べた時にはエルサがとても褒めてくれたので、私はすんなりと彼女のことだけは呼べるようになりました。とはいってもまた口調を直すのは難しいのです。


「それにしてもよく降る雨ですね」


 エルサが窓の外に顔を向けて言いました。それにつられるようにして私も窓のほうへ顔を向けます。

 お茶をする前よりも少し雨脚が強くなったような気がします。このまま夜まで降るのでしょうか、と私が呟いた時、不意に外のほうから騒がしい声が聞こえて来て私とエルサは顔を見合わせました。立ち上がったエルサが窓から外を覗き込み驚いたような顔になるとこちらを振り返ります。


「旦那様がお戻りになられたようです。馬車が玄関に停まっております」


「ど、どうしたらいいのでしょうか」


 急なことに動揺を隠せません。見送りも出迎えもしなくていいとは言われていますが、こんなに早い時間に帰って来たのは結婚してから初めてのことです。


「確認して参りますので、奥様はここで……」


 トントントンとやけに焦ったようなノックの音がエルサの言葉を遮りました。エルサが私に目で確認してから「誰ですか」と誰何します。


「副執事のフレデリックで御座います。奥様、入室の許可を」


「ど、どうぞ……」


 フレデリックさんはエルサの夫です。副執事とは言ってもこの屋敷では無く旦那様に仕えているので会うことはほとんどありません。主が屋敷に帰って来ないのでフレデリックさんも帰れないのです。

 ガチャリとドアを開けて入って来たフレデリックさんはその涼し気な印象を与える端正な顔に焦燥と困惑を浮かべていました。


「奥様、落ち着いて聞いて下さい」


 ただならぬ雰囲気にすぐにエルサが隣にやってきて私の手を握りしめてくれました。そのぬくもりに私はどうにか背筋を伸ばしてフレデリックさんの言葉を待ちます。


「旦那様が訓練中にお怪我をなさいました。命に別状はありませんが、転んだ拍子に頭を打って……少々、問題が起きてしまったのです」




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] 所々誤字が… 報告受け付けておられないのが残念です。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ