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第十三話 悪魔のように笑う人


 さび付いた鉄門が馬車を通すために開けられましたが、キィィ――……と甲高い嫌な音がして肩を震わせました。


「大丈夫か? リリアーナ」


 私の様子に気付いた旦那様が心配そうに尋ねて来ました。

 内心は、緊張と不安であまり、というか全く大丈夫じゃないのですが、それでも心配させまいと私は頑張って微笑みながら頷きました。けれど、旦那様は困り顔のままでした。もしかしたら笑顔が引きつっていたのでしょうかと頬に手を当てました。


「そんな青ざめた顔で頷かれても信憑性はないぞ」


 どうやら笑顔云々の前に顔色が私の嘘を隠してくれなかったようです。

 そもそもやっぱりどういう訳か旦那様の膝の上におりますので、隠すという行為がそもそも無駄だったのかもしれません。孤児院でキャパオーバーになった私は、気が付いたら馬車の中で旦那様の膝の上でした。旦那様に抱えられたまま馬車に乗ったかと思うと顔から火が出そうで、違う意味で心臓が騒がしくなります。次に会う時、子どもたちにどんな顔をしたら良いのでしょうか。


「奥様、大丈夫ですよ。旦那様もおりますし、私やフレデリックもおりますから」


 向かいの席に座るエルサも私を励ましてくれます。


「ありがとう、エルサ。でも大丈夫です、だって、セドリックに会えるんですもの」


 そう口にしてみると目的が言葉という形になっただけで勇気が湧いて来ました。私が会いに来たのは、お父様でも姉様でもありません。大事な大事な可愛い弟のセドリックです。


「そうだな、必ず会える。もし、セドリックが了承したら今夜は我が家に招くと良い」


「本当ですか?」


 私はパァッと顔を輝かせて旦那様を見上げました。旦那様は、優しく目を細めると、ああ、と頷いた。


「実は客間も仕度を命じてあるし、料理もフィーユがはりきっていたからね。君とセドリックの父上との交渉は私がするから大丈夫だよ」


「ありがとうございます、旦那様っ」


 胸がふわふわして夢のようです。

 きっとセドリックは、侯爵家に遊びに来てくれるでしょう。たった一晩でも一緒に過ごすことが出来るというのならそれはどれほど素晴らしい時間でしょうか。セドリックに読んであげたい本も、見せてあげたいお庭のお花も、たくさんあるのです。


「リリアーナは、セドリックと何がしたいんだ?」


「まずは、抱き締めてあげたいのです」


 旦那様は少し目を瞠りました。

 本も読んであげたいですし、お花も見せてあげたいです。でも、何よりも愛情を欲するあの子を抱き締めてあげたいのです。


「……私が嫁いだからと言ってマーガレット姉様がいる以上、両親がセドリックに愛情や興味関心を向けるとは思えません。私が以外にあの子を抱き締める人は、この家にはいませんでした。一年間、どれほど寂しい思いをしたのかと思うと……もういやだといわれるくらいには、抱きしめてあげたいのです」


 青い瞳は、じっと私を見つめていましたが数瞬の間を置いて柔らかに細められました。大きな手が私の頬をそっと撫でます。


「思う存分、抱き締めてあげるといい。もし、君の腕が足りなかったら私の腕も貸そう」


 私の腰に回されていた腕に少し力が込められたのを感じました。

 旦那様は、本当になんとお優しい方でしょうか。私だけではなく、私の弟にまでその優しさを分け与えて下さるなんて。


「旦那様の腕の中は、とても安心いたしますので、きっと、セドリックも喜びます」


 ふふっと笑いながら旦那様の大きな手に自分の手を添えます。

 きっと、旦那様は王国を護って下さる騎士様だから、その腕の中はとても安心するのかも知れません。


「旦那様、もう馬車降りますけど」


 フレデリックさんのどこか呆れたような声が聞こえました。


「五分、五分待ってくれ」


「二分でどうにかしてください」


 顔を上げれば、旦那様は何故かそっぽを向いておられますが、耳が真っ赤です。心なしか頬に添えられた手もいつもより暑い気がします。


「旦那様、どうかなさいましたか?」


「なんでもない。大丈夫、ちょっといつものやつだから」


 確かに最近はよくあることですが、馬車の中が暑いのでしょうか。だとしたら私を膝に抱えていない方が良いのかと思い、降りようとしましたが旦那様は私の腰を抱える腕の力を緩めてはくれませんでした。

 馬車が完全に停まり、外で人の声がしました。旦那様のお蔭で解れた緊張がまた一気に増します。


「大丈夫、リリアーナ。深く息を吸って、ゆっくりと吐き出してごらん? それだけで落ち着くよ」


「はい、旦那様」


 お声を掛けて下さった旦那様にお返事をして、旦那様の合図に合わせて呼吸を整えました。不安と緊張が徐々に和らいでいきます。

 そして、外から御者さんがドアを開けていいかと尋ねる声が聞こえました。私が頷くと旦那様が返事をします。ガチャリ、とドアが開きフレデリックとエルサが先に降りて行きます。その間に私は旦那様の膝から降りようとしたのですが、やっぱり腕がびくともしません。


「さあ、行くぞ、リリアーナ」


 やけに楽しそうに笑った旦那様が、私を抱えたままひょいと立ち上がりました。


「だ、旦那様!?」


 今度は私の頬が熱を持つ番でした。旦那様は、私の抗議の声を無視してさっさと馬車を降りてしまいました。

 一年ぶりに見た父と姉の顔は、驚愕に彩られていてエルサとフレデリックさんはあきれ顔を浮かべているのが一瞬見えましたが、私は恥ずかしくてそれどころではありませんでした。セドリックの声も姿も見えなかったのでまだ幸いですが、父や姉のいる家に旦那様に抱えられて帰るなど想像もしたことはありませんでした。


「義父上、孤児院で子どもたちと遊んでいた折に少し足を痛めてしまいました。これ以上、私の愛しい妻に何かあっては困りますのでこのまま案内願えますか?」


「旦那様、歩けます……、エルサ、旦那様を説得し」


「駄目ですよ、奥様。悪化したらどうするのですか?」


 エルサまで敵です。良い笑顔で全然、援護してくれません。


「で、ではこちらに……」


 どこか呆然としたオールウィン家の執事さんの声に促されるように旦那様が歩き出しました。逞しい肩越しに後ろを見れば、エルサとフレデリックさんが何食わぬ顔でついてきますが、エルサはニヤニヤするのを我慢しています。一年も一緒に居るのですから、私には分かります。

 結局私は、無駄な足掻きと思いつつも応接間のソファに下ろして頂けるまで両手で顔を覆って現実逃避をすることしか出来なかったのでした。









 正直、お父様や姉様と同じ空間にいることはもっと緊張して、恐ろしいのだろうと思っていましたが全然、それどころではありませんでした。

 エルサとフレデリックさんが背後に控えていてくださることは勿論、心強いのですが、隣に座る旦那様が私の腰に腕を回したまま全然、話して下さらないのです。おかげで私の体の左側は旦那様に完全密着です。

恐怖よりも緊張よりも羞恥が私を蝕んでいます。


「……久しいな、リリアーナ。息災か?」


「は、はい、お父様。長らくご無沙汰しておりました」


 挨拶もお父様の顔を見られません。顔から火が出そうです。


「侯爵様、娘は……粗相ばかりで大変でしょう?」


「粗相? まさかとんでもありませんよ、義父上」


 お父様の言葉を旦那様は大袈裟に肩を竦めて一刀両断してしまいました。


「我が侯爵家が運営する孤児院の子どもたちの為に針仕事をしてくれて、使用人たちとも上手にやってくれています。私には厳しい頑固な老庭師もリリアーナには甘いのですよ。それに仕事が忙しく、殆ど家に帰れない私の方が、きっと彼女にとっては良い夫ではないでしょう」


「そんなことはありません。旦那様は、私に本当に良くしてくださって、私は何不自由ない暮らしをさせて頂いております」


 羞恥を忘れて私は、お父様の顔を久しぶりに真正面から見ました。

 記憶の中の父はいつも怒ったような顔をしていて、鞭を振るう時はもっともっと怖い顔をしていて、だから少し呆けたようなその顔は初めて見ていました。少し怖いという想いはありますが、旦那様が傍に居てエルサが後ろにいてくれる今、それ以上の感情は湧き上がっては来ませんでした。


「このように彼女は、私にとって本当に素晴らしい妻です」


 ぐいっと腰を更に抱かれて旦那様を見上げます。青い瞳は、優しく細められていますがその奥に私を気遣う優しさがありました。私は膝の上にあった旦那様の手に自分の手を添えて、はい、と頷きました。すると旦那様は掌を返して私の手をそっと包み込むように握りしめて下さいました。心に僅かに残っていた恐怖も霧散してしまいます。


「ところで義父上、セドリックにも会いたいのですが。これまで一度もあったことがないので、是非」


 旦那様がお父様を振り返りました。お父様は緑色の瞳をすっと逸らして、ゴホンと咳払いをしました。


「愚息は、風邪を引いて寝込んでおりましてとてもではありませんが会わせることは出来ません。侯爵様に風邪を移したら大ごとですからな」


「ど、どれほどの熱なのですか? 咳や頭痛はあるのですか?」


 身を乗り出して尋ねる私にお父様が顔を顰めました。


「お前に教える義理はない。あの子は大事な跡取りだ、お前なんかに会わせては害しかない」


 すっぱりと切り捨てられてしまいました。

 お父様の緑色の瞳が憎々し気に細められました。鞭を打つ怖い父の顔そのもので私は言葉を詰まらせてしまいました。


「それはまたおかしな話ではないですか、例え、半分とはいえリリアーナとセドリックは血の繋がった実の姉弟ですよ?」


 旦那様の手が力強く握りしめてくれたことに萎みかけた勇気が再び力を取り戻しました


「今回は部外者の私は遠慮をしましょう。ですが、リリアーナには会う権利があるでしょう? それに義父上には大事なお話もありますからね」


 旦那様がにこやかに微笑んで小首を傾げました。私を睨んでいたお父様は、旦那様の笑顔にたじろぐと暫く黙り込んだ後、横に座っていたマーガレット姉様に顔を向けました。私はそちらに視線を向けて後悔しました。

 マーガレット姉様は、お父様の比ではないくらいに私を視線だけで射殺すような勢いで睨み付けていました。お継母様譲りのヘーゼルの瞳はまるで鋭く尖ったナイフのようです。


「マーガレット、案内してやりなさい」


「お父様、どうして私が……っ」


「足が痛いそうだから、ゆっくりと……もし痛みが増したらセドリックの部屋で休ませてやればいい。侯爵様とは我が家にとっても大事な話があるからな」


 お父様の言葉に姉様は、少しだけ表情を緩めて無言のまま立ち上がりました。

 私はその背を追いかけるために旦那様の手を借りて立ち上がりました。不意に旦那様が私の手を引きます。


「リリアーナ」


 掴んでいた私の手を引き寄せてつま先に唇が一瞬だけ触れました。

 ですが、それだけで私は十分でした。旦那様に掛けて頂いたおまじないがスカートの中で震えていた私の足を叱咤してくれました。


「行ってまいります、旦那様」


「ああ。気を付けてな、エルサ、頼むぞ」


「かしこまりました。さあ、奥様、お手をどうぞ」


 旦那様の手が離れて、私は差し出されたエルサの細い手に自分の手を重ねました。ゆっくりと歩いてくれるエルサと共に私は、さっさと出て行ってしまった姉様を追って、応接間を後にします。

 部屋を出る時、振り返った先で旦那様はいつもと同じ優しい笑みを浮かべてくれていました。








 私の部屋は、三階の隅にあって書庫も三階でしたし私の部屋のすぐ近くでしたので実は、生まれ育った家だというのにこうして三階以外の廊下を歩くのは初めてのことでした。婚約の時も結婚式の時もお父様の背についていくのが精いっぱいだったので、こうして屋敷の中を余裕を持って見るのは興味深いものでした。

 侯爵様のお屋敷と伯爵の屋敷を比べるなんて、失礼なことだとは思いますが何だか家の中は、どこか埃っぽくて空気が淀んでいるような気がしました。廊下の途中に飾られていたお花も何だか元気がありません。途中、二人ほどメイドさんとすれ違いましたが、侯爵家のメイドさんと違って顔に覇気がありませんでした。ですが、私の顔を見て驚いたような表情を浮かべて夢でも見たかのような顔をしていました。ですが、姉様が睨み付けると可哀想なほどに怯えて顔を俯けてしまいました。


「全く、忌々しいっ」


 吐き捨てるように言って姉様は顔を前に戻しました。

 そういえば、姉様の侍女は部屋に来るたびにそのドレスと同じように変わっていましたが、もしかしたら姉様は私にしていたのと同じようなことをメイドさんにもしていたのかもしれません。

 後ろから見る姉様は、胡桃色の長い髪を綺麗に結えて宝石の輝く髪飾りをしていました。真っ赤なドレスは、フリルがふんだんにあしらわれています。振り返った姉様の胸元を飾る宝石も大きくて綺麗です。


「ここよ」


 姉様が足を止めて言いました。自然と私とエルサの足も止まります。

 心臓がドキドキと高鳴ります。このドアの向こうに私の可愛い弟が居るのです。


「お前はここまでよ、他所の使用人風情には会わせられないわ」


 姉様は私の隣に立つエルサを嘲笑うように言いました。

 エルサは一瞬、真顔になりましたがすぐにいつもの出来る侍女の笑顔を浮かべました。


「私の大事な奥様は足を怪我しているのです。そばを離れるなんて、とてもとても」


 私は、エルサの言葉に全面的に同意しました。

 ですが、姉様は鬱陶しそうに顔を顰めるとこちらにやって来て私の腕を掴むと無遠慮に引っ張りました。突然のことに私はたたらを踏んで、エルサの手が私から離されます。そして、本当に流れるように私はセドリックの部屋に放り込まれて踏ん張りがきかずに床に転がり、姉様だけが部屋に入って来てすぐにドアを閉めてしまいました。次の瞬間には、ガチャリと鍵を掛ける音が聞こえてきました。


「奥様! 奥様!! ここを開けなさい!! この阿婆擦れ!! 私の奥様に何をする気なの!?」


 どんどんとエルサがドアを叩きながら叫ぶ声がします。

心なしかとんでもなく口にしてはいけない言葉が聞こえて来たような気がしました。


「セドリックに会えて嬉しがっているわ。脚も痛いみたいだし、あんたは侯爵様のところに戻りなさいよ」


「黙りなさい!! いいからここを開けろって言ってんのよ、阿婆擦れが!!」


その喧騒を背後に背負いながら姉様が、尻餅をついている私にゆっくりと近づいてきます。でも、そんなことよりセドリックです。私は立ち上がり、足をひょこひょこさせながら天蓋の掛けられたベッドへと向かいました。


「セドリック! セディ?」


 声を掛けても返事がありません。もしかしたら寝ているのかも、と抱いた一縷の望みは呆気無く潰えました。

 開け放ったカーテンの向こうの広いベッドの上は空っぽでした。


「いないわよ、ここにはね」


 笑いを含んだ声がすぐ近くで聞こえて振り返った瞬間、パッチーンと乾いた音が耳元でして燃えるような痛みが頬に広がりました。


「きゃっ」


 よろけた私の肩を容赦なく押して、床にまたも尻餅をついてしまいました。打ち付けたお尻が痛いですが、それどころではありません。這いずるように逃げながら顔を上げた先に居たのは、悪魔のように笑うマーガレット姉様でした。


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