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第九話 初めてのディナーと贈り物



 エルサを筆頭にメイドの皆さんが私の部屋のテーブルにディナーの支度をしてくれています。

 私は、ジャマルおじいさんに切ってもらった花を花瓶に生けている最中です。鮮やかな赤のダリアの花と小ぶりの向日葵、そして、大き目の葉っぱや控えめな白い小さなお花と一緒に青いガラスの花瓶に生けます。少し離れて全体を見てからちょこちょことバランスを整えて、私が「よし」と呟くとエルサがタイミングよくやってきます。


「素晴らしい出来ですわ、奥様。テーブルにお持ちしてよろしいですか?」


「はい、お願いします」


 エルサは花瓶を慎重に持ち上げて、白いクロスの掛けられたテーブルの真ん中にそれを飾ってくれました。

 お料理は旦那様が来てから運んで来て下さるのでナイフやフォークといったカトラリーが置かれているだけです。今日は私のお部屋でディナーを想定した本格的なコース料理で練習をするのです。ダイニングは緊張してしまうので自分の部屋というのはとても有難いです。

 ですので私もオフショルダーのマーメイドラインのドレスを着ています。とてもシンプルな深い緑のドレスは光沢があり綺麗ですが、フリルやレース、リボンと言った装飾はありません。大分前にネックレスがない胸元をエルサが寂しがっていたので、白銀の糸で蔓の紋様を刺繍しました。髪はエルサが丁寧に梳いて、綺麗にまとめてくれました。普段、項を出さないのでスースーするのが少しくすぐったいです。

 全ての準備が整った頃、ノックの音がして旦那様がやってきました。後ろにはフレデリックさんもいます。

 ドアのほうへ行きますと、旦那様が私に気付いて私の頭からつま先へと視線を走らせ、もう一度、顔に戻って来てふわりと笑って下さいました。どうやらおかしなところはないようです。


「リリアーナ、いつもの君も綺麗だが今夜の君は女神のように美しくて、神秘的だ」


 ストレート過ぎる褒め言葉が恥ずかしくて私は逃げるように顔を俯けました。頬が火照って暑いくらいです。

 旦那様はことあるごとに可愛いとか綺麗だとか褒めて下さいます。その度に私の胸はふわふわとして、落ち着かなくなるのです。


「あ、ありがとうございます。旦那様も素敵です」


 少しだけ顔を上げて微笑みましたが、深い蒼を基調とした正装姿の旦那様はとても素敵で直視できなくて再び顔を俯けてしまいました。

 ですので、旦那様が両手で顔を覆って悶えているのには気付きませんでした。

 暫く顔を上げられなかったのですが、旦那様に名前を呼ばれて深呼吸をしてから顔を上げました。

 何故か旦那様は平べったい大きな箱を持っていました。


「君の好みに合うかは分からないのだが、明日、出かける時に着てもらいたいと思って用意したんだ」


 咄嗟に旦那様の言葉の意味が分からず、私は首を傾げて悩んだ後、その差し出された箱が私に向けられたものだと漸く気付きました。着てもらいたいというからには、この赤いリボンの掛けられた箱の中には、ドレスが入っているのでしょう。


「……私に、ですか? あ、あの……頂いたドレスは全部、大事にしていますし夏用のドレスも結婚した時に仕立てて下さったものが……なのに、新しくドレスを頂くなんて」


 急にドレスをなんて、私はまた何か仕出かしてしまったのでしょうか。もしかしたら自分で手を加えて少しずつデザインを変えたのが旦那様のお気に召さなかったのかもしれません。

 私がオロオロしているとエルサがその箱を受け取り、私の前に差し出しました。


「奥様、これは夫から妻への贈り物です。純然たる厚意ですから受け取って差し上げて下さいませ」


「君に何か悪いことがあったとか、君のドレスが変だったとか、そういうことじゃない。リリアーナに贈りたいと思って用意したんだ、受け取ってくれないか?」


 旦那様が私の手を取り、握りしめて懇願するように言いました。青い瞳は真摯に私を見つめています。

 ふとアルフォンス様の「ウィルを信じてあげて」という言葉を思い出して、私は心を決めました。


「ほ、本当に頂いてよろしいのですか?」


「勿論、さあ、開けてみてくれ」


 旦那様は嬉しそうに顔を綻ばせて、私の手を箱の白いリボンへと導きました。私は旦那様の笑顔を信じて、リボンを解きます。横からフレデリックさんが箱の蓋を持ち上げてくれました。

 

「まあ」


 私は思わず顔を輝かせてしまいました。

 箱の中には、綺麗な勿忘草色のドレスが納まっていました。そっと手に取り、持ち上げます。箱から出て来たドレスはスクエア型の襟のプリンセスラインのドレスでした。襟には繊細な薔薇の刺繍が銀の糸であしらわれていて腰にはウエストを強調する太めの濃い青のリボンが巻かれています。七分の袖は薄い水色ですがドレスと同じ色の糸で蔓薔薇の刺繍が施されています。


「行くのが孤児院だから、シンプルな方が良いと思ったんだが……地味だっただろうか?」


 心配そうに尋ねて来る旦那様に私は、ぶんぶんと首を横に振りました。


「とても素敵です」


 私は思わずドレスを抱き締めます。胸から溢れる喜びが勝手に笑顔に変わっていきます。

 旦那様は何故か真っ赤になって固まってしまいました。フレデリックさんが隣でニヤニヤしています。エルサもニヤニヤしています。


「薔薇は一番好きな花なのです。覚えていてくださったんですね」


「あ、ああ、もちろん」


 旦那様はぎこちなく頷きました。

 数日前に好きな花は何かと聞かれて、薔薇とお答えしたのを旦那様は覚えていてくださったようです。たったそれだけのことでもますます喜びが膨れ上がっていきます。


「派手なドレスは似合いませんので、こういうシンプルなもののほうが好きなのです。それに、この刺繍がとても綺麗で繊細で……本当に素敵です」


 私の貧相な語彙力では、素敵、という言葉以外は思いつきませんでした。私は抱き締めていたドレスを体から離して、今度はもっとよく見ようとしました。するとエルサがドレスを持ってくれました。


「ねえ見て下さい、エルサ。この繊細な刺繍……それにこの腰のリボンは旦那様の瞳と同じ色です。なんて綺麗な青でしょう」


 腰を強調する青いリボンは旦那様の瞳と同じ色で、その色が私のドレスにあるなんて夢みたいです。偶然だとは思いますが、夫の色を身につけるなんてまるで本当の夫婦みたいです。


「ふふっ、良かったですね、奥様。明日が楽しみですね」


「はい。旦那様、本当にありがとうございます。一生大事にします」


 私は旦那様にもう一度、お礼を申し上げました。にこにこと笑みがこぼれて止まりません。旦那様は片手で口元を覆うと真っ赤な顔のまま横を向いてしまいました。


「気に入ってもらえたようで、良かった」


「旦那様、お顔が真っ赤です……もしや熱でも?」


「いいえ、奥様。ちょっと予想以上に可愛かったので悶えているだけですのでお気になさらず」


 旦那様の代わりにフレデリックさんが応えてくれました。私よりずっと旦那様を知っているフレデリックさんがそう言うのですから、熱が出たわけではないのでしょう。


「奥様、クローゼットにしまっていまいります」


「ベッドの上に置いておいてもらってもいいですか? 寝る前にもう一度、ちゃんと見たいのです」


 私はエルサにちょっとだけ我が儘を言いましたが、エルサは優しく笑うと「分かりました」と頷いて隣の私の寝室へと箱に戻したドレスを置きに行ってくれました。


「旦那様、本当にありがとうございます」


「そこまで喜んでもらえたら、私としても嬉しいよ」


 まだ少し頬が赤いですが、旦那様は私に腕を差し出してくれました。初日は首を傾げてエルサに教えてもらうまで意味が分からなかった私ですが、流石に一週間近く毎日昼と夜にこうして腕を差し出して頂いているのですからもう迷いません。私は、旦那様のがっしりとした腕に自分の手を添えました。すぐそこのテーブルですが、旦那様はいつもエスコートして下さる紳士なのです。

 フレデリックさんが引いてくれた椅子に腰かけると旦那様も向かいに用意されたご自分の席に腰を下ろします。戻って来たエルサがベルを鳴らしました。料理が来るまでの間、旦那様は食前酒を楽しまれます。私はあまりお酒が好きではないので、少しだけ口を付けるだけです。

 最初に運ばれてきたのは彩り鮮やかな前菜です。それはエルサの手によって私の前に置かれました。旦那様の給仕はフレデリックさんが担ってくれています。

 素敵なドレスを頂いたお蔭か少しだけ飲んだお酒のお蔭か私は緊張することなく、お料理を楽しむことが出来ました。フィーユ料理長さんのお料理はいつも美味しいですが、今日は何だか特別美味しい気がします。


「旦那様は昔から少々せっかちなところがありまして、子どもの頃、旦那様と奥様が夜会などで留守の時は「一度に全部持ってこい」と言って横着をしていたのですよ」


 フレデリックさんが私のグラスに水を注ぎながら教えてくれました。普通なら給仕をしている使用人が口を挟むことはマナー違反ですが、こうして周りの誰かが話題を提供して下さる方が私は気が楽です。それにこうやってお話していれば、旦那様の記憶も戻って来るかもしれません。


「フレディ、お前とアルはもっと私の好感度が上がるような話題を提供したらどうなんだ」


「好感度、それは気が回りませんでした」


 フレデリックさんは大袈裟に驚いてみせました。旦那様は苦虫を噛み潰したような顔をしています。お二人は乳兄弟ですから、仲が良いのです。


「フレデリックさんは、アルフォンス様とも仲が宜しいのですか?」


「そうですね、私は基本的に旦那様のお傍におりましたしアルフォンス様は寛容や方ですのでアルフォンス様とよく旦那様を揶揄い……いえ、三人で仲良く歓談したものです」


 何となくアルフォンス様とフレデリックさんに遊ばれる旦那様のお姿が浮かんでしまいました。


「お前とアルは同じ種類の人間な気がする」


「一介の執事が王太子殿下と同じな訳がありませんでしょう?」


 フレデリックさんは、さらっと受け流してしまいました。旦那様は「そういう意味じゃない」と少々拗ねております。


「こういった子供染みたところのある旦那様ですので、幼い頃はエルサの服に虫をいれたり、カエルを投げたりと悪戯坊やな一面もありましてね」


「まあ、カエルを?」


 セドリックと一緒に彼が持ってきた図鑑では見たことがありますが、本物は見たことがありません。


「安心してくださいまし、その都度、ちゃんと報復は致しました」


 エルサがにっこりと笑って言いました。一体何をしたのか少し不安です。

 エルサがフレデリックさんと幼馴染なら旦那様ともそうなるのだと私は今更気が付きました。


「旦那様と私は五つほど年が離れていましたので、旦那様は私を妹のように可愛がってくださったのです。まあ子供染みた旦那様でしたので可愛らしい悪戯も多々ありましたが」


「おかげで私は自分の好感度を上げられて、こうしてエルサと夫婦になれたので、旦那様には感謝していますがね」


 フレデリックさんがエルサを愛おしそうに見つめて言いました。エルサは、少し気恥ずかしそうにそっぽを向いてしまいました。白い頬が少し赤くなっていて可愛らしいです。


「……お前たち、結婚してたのか?」


 何故か旦那様が驚いています。

 フレデリックさんとエルサは顔を見合わせました。エルサが首を横に振ると、フレデリックさんは「ああ」と小さく声を漏らしました。


「言ってなかったようですが、私とエルサは二年ほど前に結婚しました」


「……お前、他にも私に言っていない大事なことがあるんじゃないか?」


 旦那様は疑惑の眼差しをフレデリックさんに向けました。フレデリックさんは、ははっと爽やかに笑って、はいともいいえとも言いませんでした。旦那様は追及しようとしましたが、丁度、最後のデザートが来たのでお話はそこで強引に流されてしまいました。


「奥様、そろそろ旦那様に例の件についてお話しされては如何ですか?」


 デザートのプチケーキの盛り合わせを私の前に置いたエルサが、そっと耳打ちしてくれました。

 私は、そうですね、と頷きました。何度か言おうと試みたのですが、なかなか口に出来なかったのです。ですがここで言わないともう後がありません。私は意を決して顔を上げました。


「あ、あの、旦那様」


「ん?」


 顔を上げた旦那様が首を傾げます。

 私はテーブルクロスで見えないのを良いことに隣に立つエルサのスカートをちょんと摘まみました。気付いたエルサが優しく私の手に自分の手を添えてくれました。そのぬくもりに勇気を貰い、可愛いセドリックのためにと私は頑張りました。


「そ、その……明日、なのですが、か、帰りで構いませんので、オールウィン家の様子を、知りたいのです」


「オールウィン家はそれほど遠くは無いから構わないが……もしかして、弟君のことか?」


 旦那様は怒った様子も不快になった様子もなく、私はほっと息を吐き出しました。緊張で鼓動が少し早くなっていたのを今になって自覚します。


「はい。いつも第二週の頭には手紙が来るのですが……今月はまだ来ていなくて。私に手紙を出すよりも楽しいことを見つけたのならいいのです。でも……も、もし、そうでなかったとしたらと」


 奥様、とエルサが私の肩を撫でてくれました。

 セドリックは私と違い、エイトン伯爵の爵位を継ぐオールウィン家の大事な跡取りです。酷いことはされないと信じているのですが、それでも何故か胸が不安で締め付けられるのです。


「今夜はもう遅いから、明日の朝、君の家に伺いを立てよう。そうすれば孤児院のバザーを見ている間に返事が来るはずだから、帰りに顔を見に行こう」


「本当ですか?」


「もちろん。セドリックは君の大事な家族だとこの間、教えてくれただろう?」


「ああ、何とお礼を申し上げら良いか……本当にありがとうございます、旦那様」


 私は安堵に泣きそうになったのを笑ってどうにか誤魔化しました。

 明日、セドリックに会えるかどうかは運次第だとは分かっていますが、それでも希望の光が見えたような気がして随分と心が軽くなりました。

 それからはデザートを楽しみ、食後の紅茶を頂いて、ディナーは恙なく済ませることが出来ました。


「今夜も楽しい時間をありがとう。それでは、また明日」


「私もとても楽しかったです。明日も楽しみにしています。旦那様も良い夢を、おやすみなさいませ」


 ドアの開けられた入り口に立つ旦那様は、じっと私の顔を見つめた後、急に私を抱き寄せました。そして頬に何か柔らかなものが触れたと同時に離されます。


「おやすみ、私のリリアーナ」


 旦那様は機嫌よくそうおっしゃると固まる私に笑みを零して、フレデリックさんと共にドアの向こうへと行ってしまいました。パタン、と閉められたドアに漸く私は頬にキスをされたのだと気付きました。

 真っ赤になってしゃがみこんでしまった私をエルサが慌てて心配してくれます。


「奥様、大丈夫ですか?」


「え、ええ……だ、だいじょ、だいじょうぶです」


 辛うじて答えたは良いものの、私の顔は熱でも出たかのように熱くて、心臓が緊張とは違った意味でドキドキと騒いでいます。

 これは一体、どういうことなのでしょうか。

 どうして私の心臓はこんなにも騒いでいるのでしょうか。

 どうして私の心はこんなにも喜んでいるのでしょうか。

 いつもよりふわふわして、体が浮き上がってしまいそうです。その答えが分からない私は、混乱したままどうにかこうにか火照る頬を冷まそうとエルサが水に濡らしたハンカチを持ってきてくれるまで手で顔を仰ぎ続けることしか出来なかったのでした。

 


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