表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/66

第六.五話 侍女の誓い *エルサ視点



「ジャマルおじいさん、これとこれはどうですか?」


「奥様のセンスは最高じゃなぁ」


 大きなつばの白い帽子をかぶった奥様は夏の日差しが降り注ぐお庭で小さなヒマワリをメインにした花束を手に、花壇の周りを楽しそうに歩いています。奥様にアドバイスをしながら老庭師のジャマルが要望に応えるように花を切って奥様に渡します。手渡されたラベンダーを花束に加えると奥様は鼻を近づけてその匂いを嬉しそうに確かめます。

 旦那様とのランチを無事にやり遂げたと喜ぶ奥様は、早速、旦那様の為の花を選びに庭に来ているのです。ちなみに旦那様はフレデリックに連行されて書斎で仕事をしています。今までサボったツケがそこにありますので。


「ラベンダーの香りには、リラックス効果がありますからな、旦那様もきっと心が安らぐでしょうて」


「なら、寝室の枕元にはラベンダーの花束を飾ったほうがいいかしら。ヒマワリの花束はお部屋か書斎に飾って楽しんでもらうのです」


 奥様の提案にジャマルは白いひげをなでながら、うんうんと頷きます。


「いいですなぁ。奥様は本当にお優しい。そうだ、奥様のお部屋にもラベンダーを飾ったらいかがですかな? 良く眠れますよ」


「まあ、ありがとうございます、ジャマルおじいさん」


 奥様は嬉しそうに女神のように美しい顔を綻ばせてジャマルにお礼を言いました。ジャマルは、いえいえと笑って奥様の花束を受け取ると腕に下げていた籠に入れました。ジャマルが「書斎と私室もそれぞれ花を飾ると良いでしょうからもう一つ」と提案し、奥様は楽しそうに再び花を選び始めました。偏屈で頑固なジャマルですが、孫よりも幼い奥様に対しては多分、この屋敷の誰よりも甘い爺さんです。


「エルサ、このラベンダーとってもいい匂いですよ」


 振り返った奥様が無邪気に笑いながら、私に新たに切ってもらったラベンダーを差し出します。私も鼻先を近づけて甘く爽やかな良い匂いを胸いっぱいに吸い込みました。


「本当に良い香りですね。そうだ……少し多めに頂いて乾燥させたものを小さな袋に入れて持ち歩けば香水代わりになりますよ」


「ううん、いいです。あんまり切ったら可哀想ですもの」

 

 そう言って奥様は、ふふっと笑うとラベンダーを手にジャマルと共に別の花壇へと歩き出しました。

 私はその後を邪魔にならないようについていきます。

 私こと侍女のエルサは、産まれも育ちもこのルーサーフォード家です。

 執事の父と侍女の母の間に産まれ、主一家に仕える侍女になるべく育てられました。大抵の場合、奥様になられるご令嬢は嫁入りに際してご実家から侍女を連れてきますので、私は奥様の侍女ではなく奥様と旦那様の間に生まれ来る坊ちゃま、もしくは、お嬢様の侍女になるべく教育を受けたのです。

 私と旦那様、そして、夫のフレデリックは所謂幼馴染みというものです。ルーサーフォード家の皆様は、使用人に対しておごり高ぶることもなく、同じ人間であることを念頭において接してくださいますので、畏れながら私も旦那様には幼いころから妹のように可愛がっていただきました。

 夫のフレデリックは、旦那様の乳母の息子で旦那様とは乳兄弟にあたります。現在は、屋敷の副執事兼旦那様専属執事を務め、いずれは父の後を継ぎ、筆頭執事になる予定です。

 フレデリックは、乳兄弟ということもありまして旦那様とは親友のように仲が良く、気の置けない間柄です。ですので、ここ数年の旦那様のことに関しては、誰よりもフレデリックが気をもんでいたのは間違いありません。


 七年前の戦争で旦那様は、当時十九歳だったにも関わらず、敵国の将の首を討ち取り武勲を上げ、我が国を勝利へと導きました。クレアシオン王国にとっての英雄となり、旦那様は我が国の女性の熱い視線を一手に集めることになりました。ですが、間の悪いことに旦那様にとって衝撃的で屈辱的な出来事が重なったのも災いし自分を取り合う女たちの醜い部分を嫌というほど知ってしまった旦那様は女嫌いになってしまったのです。

当時はまだフレデリックの恋人で赤ん坊のころから知っている私には以前となんら変わりありませんでしたが、それ以外の――特に女嫌いの原因にもなった結婚を視野に入れた若い貴族令嬢を蛇蝎の如く嫌うようになり、寄せ付けもしませんでした。夜会でも男同士で集まって、ダンスの誘いを軒並み断り、精々、親友でもある王太子殿下の頼みで殿下の妹姫様と踊るだけだったそうです。

 見合い話も軒並み断り、送られて来た姿絵は日の目も浴びることなく焼却処分されました。年々、酷くなっていく女性不信と女嫌いに旦那様のご両親も我々使用人も旦那様の結婚は正直、諦めておりました。旦那様には親子ほども年の離れた今年九歳の弟君がいますので爵位と家を継ぐのはそちらになるのだろうと皆が思っておりました。

 だというのに、二か月ぶりに屋敷に戻ってきた旦那様は父と私、そして、メイド長を呼びつけて「婚約してきた。一か月後に結婚式を挙げる」と宣いやがったのです。

 ええ、これには本当に驚きました。父は冷静沈着で有能な執事なのですが父の開いた口が塞がらなくなっていたのを私は生まれて初めて見ました。メイド長に至っては気絶しそうになって父に支えられていたほどです。

 貴族にとって結婚は盛大なイベントであり、使用人にとっては忙殺されるのを覚悟するものでもあります。婚約期間を短くても一年は設け、ありとあらゆる準備を整えるのです。

 だというのに、旦那様が私たちに示した期間はたったの一か月です。

 これが旦那様がどこそこの夜会でも警邏の最中にでも運命の相手に出逢って、一秒でも早く夫婦になりたいとかいう我が儘でしたら我々使用人一同も心から応援し、過労死も厭わず身を粉にして働き、祝福したところですがまず結婚する理由か最低でした。


『見合い話がうんざりだからだ。結婚すればそれも消えるだろう、目隠しみたいなものだ』


 本当に平然とこう宣いやがりました。

 呆気にとられて言葉も出ない私たちに旦那様はこう続けました。


『披露宴もしないし、部屋も母が使っていた部屋をそのまま使わせる。持参金なしで、ただ嫁に貰うだけだからお前たちも何もしなくていい』


 ここでメイド長は気絶し、フレデリックが呼んだメイドとフットマンによって運ばれていきました。

 辛うじて意識を保っていた父がお相手が誰かと尋ねました。


『オールウィン家の次女だ。それ以外のことは知らん。では私は仕事に戻る』


 ぶん殴りそうになった右手を押さえ、私と父は再び騎士団に戻る旦那様を見送りました。この時、殴らなかったことをフレデリックは思い出す度に褒めてくれます。

 そして僅か一か月後、奥様――リリアーナ様が当家に嫁いで来られました。

 クレアシオン王国では、新婦はウェディングドレスのまま婚家に向かい、夫婦二人で家の中へと入ります。そこで家族や、貴族や裕福な家庭であれば使用人に迎えられ、教会を出る際に再び降ろされていた新婦のヴェールを新郎が上げて家族と使用人に改めてお披露目をします。

 ですが、奥様は誰にも付き添われず、結婚式ですらご両親やご姉弟の姿はなく、たった一人、ボロボロの旅行カバンに六着のドレスと弟のセドリック様から貰ったお祝いのお手紙やセドリック様との想い出の品だけを持って、当家にやって来たのです。

 我がルーサーフォード家を馬鹿にしているとしか思えない所業に筆頭執事である父のアーサーもメイド長も挨拶だけしてすぐに辞してしまい、私は奥様と二人きりになりました。奥様は持参金もなかったので奥様の財産は本当にその鞄の中身と身に纏う随分と古い中古と思われるウェディングドレスだけでした。

それに奥様が来るまでの一か月間、本当にオールウィン家のご令嬢なのかどれだけ探っても分からなかったのです。

 向こうの使用人たちは、ただ「お嬢様を宜しくお願いします。全てはそちらにお任せします」と言うばかりで、リリアーナ様について何一つ教えてくれなかったのです。

 もともとオールウィン家の次女はいるのかいないのか定かではありませんでした。病弱な妹がいると母と姉が言っているのは確かでしたが誰もその姿を見たことがなかったのです。それにオールウィン家は由緒こそありますが近年はあまり良い噂のない家でしたので、私たち使用人は女運の無い馬鹿旦那様が架空の偽物令嬢を掴まされたのではないかと疑いました。ルーサーフォード家は大貴族でとても裕福ですので、そのお金が目当てなのかと思ったのです。それに本物のご令嬢であれば、こんな嫁入りはあんまりです。私だってドレスやワンピースを新調して、素敵な結婚式とささやかですが披露宴を行ったのですから大貴族のルーサーフォード家の結婚がこれでは……という想いがあったのです。

 私室に入り、誰にも上げてもらえなかったヴェールを私が上げました。

 この時の衝撃は今でもはっきりと覚えております。

 リリアーナ様は、これまで私が見たこともないくらいに美しい人でした。

 その儚げな雰囲気も相まって月から舞い降りた女神だと言われたら、その通りだと頷けてしまうほど、奥様は美しく可憐なお顔立ちでした。その髪は淡い金色で瞳は星の光を宿す綺麗な銀色でした。不安に曇るそのお顔が、花が咲くように綻んだらそれはそれは美しいのだろうと私は暫し見惚れてしまったのです。

奥様には侍女がついて来なかったので、私が急きょ、奥様の侍女に決定し、その日からお世話をさせて頂くことになりました。

 ウェディングドレスを脱がせた後の着替えも全て自分でして、バスルームで「肌を見られたくないのです。ごめんなさい」と泣いた奥様に何かそこに偽物だという証拠でもあるのかと一瞬、疑ったのですが、奥様はずっとずっと怯えたままでした。何度も何度も一介の使用人である私に「ごめんなさい」とそう繰り返して、小さな体を更に小さくして蹲ってしまった奥様に流石の私だって良心が痛み、肌が見えないようにガウンを渡すことしか出来ませんでした。


 それでも奥様は、馬鹿旦那様が夜には帰って来ると言うと不安そうにしながら少しだけ嬉しそうにしたのです。あんな馬鹿旦那でも奥様にとっては生涯を共にする夫なのだと感心したのですが、当家の馬鹿旦那様は糞旦那様でした。

 奥様は、夫婦で過ごすはずの初めての夜をたった一人で泣きながら過ごされたのです。

 この時、旦那様を蹴り倒しに行かなかったこともフレデリックはことあるごとに褒めてくれます。


 正直、最初の頃は使用人から奥様への風当たりはなかなかに厳しいものでした。

 なぜなら奥様は、全く持って貴族の令嬢らしくなかったのです。私を「エルサさん」とさん付けし、使用人が主人に話しかけるような丁寧な口調で話しかけて来るのです。貴族令嬢でもご丁寧な方はいますが、それでも奥様は異常でした。その上、そのことを筆頭執事である父に注意されると喋らなくなってしまったのです。

 そして、食事の何が気に入らないのかスープとパンしか食べませんでした。前菜も主菜もデザートも他のものには何一つ手をつけず、かといって、何が嫌なのかと尋ねても奥様は黙ったままでした。しまいにはそれらも食べなくなってしまい、紅茶ばかりを飲んでいました。

 父は「そこらへんの平民か使用人が身代わりに寄越されたのではないか」と疑って、本格的にオールウィン家に探りを入れ始め、私以外の使用人は奥様を避けるようになりました。

 私は、奥様への態度を決めかねていました。

 なにかずっと違和感があったのです。

 だんまりを決め込む奥様はいつも不安そうで、心細そうで、食事をする時の奥様は何かに怯えているように私には見えたからです。

 初日のバスルームで小さくなって泣いた奥様の姿がずっと、私の心に蟠っていたのです。


 そして、一か月が経ったある日、奥様はダイニングへ向かう途中で熱を出して倒れてしまったのです。

 大至急、モーガン先生を呼んで診察していただいた結果、栄養失調と極度のストレス、過労、不眠による発熱と言われました。

 私はモーガン先生に奥様が肌を見せたがらないのですが、そこに何があるのかと尋ねました。するとモーガン先生は、とても悲しげな顔で「君や奥様のように若い娘さんがあんなものを抱えたら、誰にも肌を見せたくなくなるような傷痕だよ」と教えてくださいました。それがどんなものかの詳細は教えてくださいませんでしたが、私もそれ以上は尋ねられませんでした。

 モーガン先生のお薬で熱が少し下がり、奥様にお水を運んだ時、私は奥様に「少しで良いから食べて欲しい」とお願いしました。嫁いでまだ一か月だというのに奥様は目に見えて痩せ細ってしまっていたので、懇願に近かったかもしれません。

 奥様は、最初、黙ったままでしたが私が根気強く待ち続けた結果、リリアーナ様の悲しい生い立ちを話して下さいました。そして、それ故にいつまた鞭で打たれて、殴られるのかと怖かったと教えてくれたのです。

 奥様は、黙っていた訳でも、食べたくなかった訳でもなかったのです。恐怖に心を支配されて、それらが出来なくなってしまっていたのでした。

 私は、使用人がするには余り失礼だと分かってはいましたが、震えながらぽろぽろと涙を零す奥様を抱き締めずにはいられませんでした。旦那様以上に糞みたいな家族に奥様はずっと虐げられていたのかと思うと私も涙が止まりませんでした。


 その日の内に私は奥様の事情を使用人たちに話し、翌日には、父のアーサーとメイド長が奥様に謝罪し、無礼を詫びました。父も漸く向こうの使用人が口を割り、リリアーナ様は正真正銘の伯爵令嬢だという証拠を掴んでいたのですんなりと納得してくれました。

 謝罪する私たちに奥様は逆に恐縮していましたが、父の態度が軟化し、メイド長も優しくなり、私に話したことで心の枷も緩んで安心したのか、日に日に回復し、私と一緒ならば色々なお料理も食べてくれるようになりました。半年ほどは慣れない生活に寝込むこともありましたが、それでも奥様はだんだんとこの家に馴染んでいったのです。二か月が経った頃、初めて奥様の笑顔を見た時は、恥ずかしながら泣いてしまいましたが。

 奥様は、その生い立ちを悲観するようなことはなくいつも弟のセドリック様のことを想う優しい方で私たち使用人にもいつもお礼を言ってくれる素敵な方でした。私や父が奥様にマナーを教えれば、スポンジのように吸収し、見る見るうちにどこに出しても恥ずかしくない貴婦人へと変わっていきました。それでも控えめで穏やかなところは変わりませんでしたし、なかなかその丁寧過ぎる口調は直りませんでしたが、優しく愛らしい奥様は当然ですが皆に好かれて大切にされるようになりました。


 ここで皆の怒りの矛先が向けられるのは、自分が望んで結婚した癖に帰って来もしない旦那様に向けられるのは当たり前のことでした。

 何より私は、あの初夜の時、旦那様の帰宅を告げた時に奥様が嬉しそうにしていたことを知っていた分、憎々しくて仕方ありませんでした。

 奥様は、期待をしない方です。誰かが自分のために何かをしてあげたいと思っているとは微塵も思っていないのです。期待をしないことで奥様は多分、ご自分の心をずっと守り続けていたのでしょう。それは無意識下で行われるほど強固なものでした。

 その奥様があの時は、自分を妻にと望んでくれた旦那様に「期待」をしていたのです。十五歳の少女は、きっと結婚に夢を見ていたでしょうし、誰にも愛して貰えなかった奥様は旦那様が愛してくれるのではないかと淡い希望も抱いていたのではないでしょうか。

 それをあの馬鹿は、自己中心的な理由で裏切ったのです。

 翌朝、広いベッドの上に座り込んでいた奥様の虚ろな顔は、今でも忘れられません。泣きはらした目をしているのに、愛して貰えなかったことに憤るわけでも、旦那様の身勝手さを憎むわけでもなく、「やっぱりね」と諦めてしまっていたのだと思います。

 私とて旦那様側の事情は重々承知してはいましたが、二十五歳の良い大人が十五歳の少女にする仕打ちではありませんでした。


 奥様は、今も絶対に期待をしません。

 いつでも諦める準備をしているのです。裏切られた痛みを知ってしまっている奥様は、とても臆病になってしまっているのです。

 そんな中、国でも指折りの騎士の癖に間抜けな理由で記憶喪失になった馬鹿旦那は、奥様に一目惚れをしたらしく(奥様は月の女神のように美しいので仕方がないと言えばそれまでですが)ご機嫌取りに必死です。正直、不愉快です。簀巻きにして軒下につるし上げたいくらいには不愉快ですが、奥様があんな馬鹿旦那にも優しいお心をお持ちなのでそれは我慢しています。

 あれだけの酷いことをされておきながら、奥様は自分を妻として迎え入れて何不自由ない暮らしをさせてくれているからと旦那様に常に感謝の心を持っているのです。


「エルサ」


 奥様が私を呼ぶ声に思考の渦に呑まれていた意識を引き上げ、はい、と返事をします。


「特別にエルサにも切ってもらいました。私のお花とお揃いですよ」


 はい、と手渡されたのは立派なアジサイの花鞠でした。ピンクのアジサイの花は私の両手にあまるほど大きな花鞠を作っていました。これ一つ飾るだけで部屋は明るく華やぐでしょう。


「私は、旦那様の瞳と同じ色にしました」


 奥様の手には、鮮やかな青のアジサイがありました。

 初心で純真で天使みたいな奥様は、旦那様の一挙手一投足に頬を赤くしていますが、決して、期待はしていません。固くなに旦那様が自分を構うのは「記憶喪失になって不安だから」と信じているのです。でもそれは旦那様の自業自得なので私は絶対に否定しません。ですが多少の情は旦那様にもあるので肯定もしません。

 それでも、女嫌いのことを差し引けば、ウィリアム・ルーサーフォード様は、良い男です。見た目や家柄を抜きにしても、真っ直ぐで馬鹿正直で優しく愛情深い男であることを幼馴染である私は、知っているのです。

 奥様が、惚れてしまうのもやむを得ないほどに、あの馬鹿旦那は魅力的な方なのです。


「奥様、そろそろ部屋に戻りましょう。午後からはクッションカバーの仕上げをしませんと」


「あ、そうですね。それにリボンも仕上げないといけませんものね」


 奥様がはっとしたように口元に手を添えました。


「奥様、また何か欲しい花があればわしに言ってくださいよ、ここになければ爺が市場で目利きをしてきますでの」


「はい、ありがとうございます、ジャマルおじいさん。おじいさんのお花はとても綺麗だから、きっと旦那様の御心も解れることでしょう」


 ジャマルは、それはどうでもいいと言いたげに適当に頷いていました。耳が遠いと皆が言いますが、普通の音量よりも少し小さい声で喋る奥様の言葉は、この爺、絶対に聞き逃さないのでちょっと疑惑の目を向けてしまいます。

 私はジャマルから花の入った籠を受け取り、またおいで、というジャマルに見送られて私と奥様は屋敷へと戻ります。

 花を贈るつもりが、花を贈られる旦那様の顔が見ものですね。

 けれど、隣を歩く奥様は白い頬を少しだけ淡く染めて、優しく目を細めて手に持った青いアジサイを見つめています。その横顔のなんと純美で可憐なことでしょうか。同性の私でもドキリとしてしまいます。

きっと、奥様にはまだその自覚はないのでしょうけれど、そこには確かに淡い恋心がありました。

私はそんな奥様に心の中で改めて誓いました。

 

――奥様を悲しませたら、あの糞旦那様の方を家から追い出す、と。


帰る家のない奥様と違い旦那様は騎士団ででも領地ででもいっそ王城でも生きて行けますので無問題です。


「旦那様の不安が少しでも和らぐといいのですが……」


「奥様の優しさが詰まっておりますから、大丈夫ですよ」


「そうかしら?」


 首を傾げた奥様に私は、はい、と頷きました。すると奥様は、はにかんだように嬉しそうに笑って下さいました。

 何があってもこの笑顔を護ろうと心に誓って、私も奥様に笑顔を返すのでした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 「ここで皆の怒りの矛先が向けられるのは~旦那様に向けられるのは」←「向けられるのは」が2回も繰り返されているのは冗長的過ぎるというかくどいし、往々にして文法上稚拙と捉えられる所となるでしょう…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ