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鳥居の下であいましょう  作者: 無月
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1話 ひまわり笑顔の白狐


「今日も、暑い」


 私は澄み渡った青空を眺め一言呟く。

 頭上で照りつける太陽。枝木に止まり騒々しく鳴く蝉。お線香と畳みの匂いがほんのり漂う座敷には縦横無尽に首を動かす扇風機がうなっていて、ちゃぶ台の上に置いた飲みかけのお茶は汗をかいている。

 そんな夏のひと時。私は障子戸を全開にして、柴犬のハッピーと一緒に縁側で気持ち良く寝転んでいた。


「ちょっと恵美、薄着でそんな所で寝てたら風邪引くわよ」

「はーい」 


 早足に慌しく縁側を行き来しているお母さんが渋い顔で睨んでいる。

 確かにティーシャツ短パンじゃ風邪を引くと言われても仕方ない。のそのそと体を起こし、束ねた長い髪を直しているとハッピーも同じく欠伸をして私をまたぎ庭にある犬小屋に帰っていく。


「暇してるならハッピーの散歩でもしてきたら」


 お母さんのキンキン声が鼓膜に響く。日向ぼっこっで忙しいから散歩は後でするなどと口走れば、絶対に雷がこちらに飛んでくるからやめておく。

 犬小屋で寛いでるハッピーをちらりと見た後立って、居間にある日除け用の麦藁帽子をかぶりそのまま庭に出てサンダルに足をかけた。


「夕方までには帰るのよ。この辺はすぐ暗くなるから」

「了解でーす」


 犬用のリードとビニール袋を持ち、片手でハッピーを撫でてから家を出る。少し歩いて、私はわざとらしく肩をすぼめて周りを見渡した。

 

 緑が生い茂る雑木林と途方もなく続く田園風景と日本家屋。

 大きなショピングモールもコンビニもない。自販機を探すのでさえ車で二十分もかかる距離にあってとても不便。今歩いている所も青々とした木々が茂り、横には小川がサラサラと流れている。

 道も舗装されてなくて、歩きにくいし草が生え放題。湿気がないのだけが救いです。なるべく日陰に入りながら歩いてはいるけど、そこから抜ければ容赦なく照り付ける太陽。日差しを背に熱を感じながら、私は重い息を吐き出した。それと同時に苦い記憶も一緒に零れる。


『僕、新しいカメラ新調したんだよねー』

 

 お父さんの何気ない一言で、私の暮らしは一気に変わった。


 中学二年生の八月はじめ、お父さんの仕事の都合で一年間だけお母さんの実家に住むことになった。

 カメラマンであるお父さんは風景専門にフリーで活動してて、作品を出展するため田舎で撮りたいと駄々をこねてきたのだ。

 お父さんに告げられた時は私とお母さんも驚いてたんだけど。これがどうしてか、お母さんは親指を立てて了承しちゃいましたよ。そんな私は両親について行くしかなく、流されるまま家族一同引越しする事になった。

 

 はっきり言って、田舎で暮らす事になって正直戸惑った。一年間とはいえ友達にだって会えないし、慣れ親しんだ場所にあった雑貨屋や本屋にも行けそうにない。

 そんな私の気持ちをよそに時は流れていき、家族と一匹はお母さんの実家へとやって来た訳です。

 小さい頃に一度だけ訪れてたのが最後でしたが、趣がある日本建築の家とシズネおばあちゃんの温かな笑顔は変わらず、私たちを出迎えてくれた。

 

 だけど、問題なのはここから。

 最初は引越しの手伝いやら買いだしにと忙しかった。けど、それが終わると何もする事がなくなり、手持ち無沙汰になってしまい暇続きな日々。気がつけばあれよあれよと八月中旬。


「……夏休みが終われば新しい学校」


 憂鬱。授業についてけるかとか。新しい学校には馴染めるかとか、そんな悩みで頭の中いっぱい。

 前向きな性格だったらこんな悩みも平気かもしれないけど、私は前と後ろを行ったり来たりで内心不安。あがり症だから変なことを言って恥をかくかもしれない。どうしようもない悩みではあるが深刻な問題。ほんと、学校が夏休み明けからで良かった。


「ハッピー、私がんばるから」


 話をちゃんと聞いてくれてるのか分からないけど、クーンと鳴きながらハッピーは毛づくろい。

 子犬の頃はコロコロして可愛かったのに、今では体は横に伸びてお腹はプルンプルンだよ。ホッペを両手でつまむとお餅みたいに伸びていく。


「柔らかい――……きゃっ!」


 ぼんやりしていたせいか、強い突風が吹いて体があおられその拍子に麦藁帽子が飛ばされてしまった。勢いに乗って高々と上昇していき、清みきった空に点を残す。


「あ、そっちはダメだって!」


 私の叫びもむなしく、風に漂う麦藁帽子は薄気味悪い竹林の中に吸い込まれてた。

 竹林から覗く隙間には年期が入った赤い鳥居。下手をすれば倒れてしまうのではないかというぐらい傷んでいて、人の手入れがされいない。薄闇に続いている石階段の先は遠くぼやけていて気味が悪い。


 けど、そうはいかないとばかりに手に持っていたリードが力強く私を引っ張っていく。


 階段を爪を鳴らして駆け上るハッピー。風化した石階段は上るとガタガタ揺れてとても危険で、うっかり滑りでもしたら大怪我どころではすまない。

 息つく暇もなく階段を駆け上がると目の前には入り口と同じくらい大きな鳥居。

 ようやくハッピーが止まると、私は大きく深呼吸をして先を見る。そこには立派な巨木が植わっていた。しめ縄らしきものは地面に落ちていて、枝葉が沢山生えている。最上段には大きな社があるけど、黒く煤けており辛うじて形を保っていた。破損し朽ちた社は到底人を出迎えられる状態ではなく、両脇には壊れかけた石垣と一体の狐の像。


 私は社の前まで歩き、天井に括りつけられた鈴紐を揺らす。

 

 カランカラン。

 

 人がいない寂れた神社に乾いた音が遠く空彼方まで消えていく。

 本来は人の願いを叶え、幸せを願う場所な筈なのに、これではこの土地にいる神さまがなんだか可哀想だ。

 私はポケットに入っていた五円玉を壊れた賽銭箱に投げ、見よう見真似で顔の前に両手を合わせた。

 神社なのだからお願い事を一つくらいは聞いてくれるだろう。

 

「えーと。あがり症が、改善できます様に……」


 小さな呟きとともに、葉擦れる。

 持ち上げていた両手を離し、一息ついて後ろに振り返ると、鳥居の下には人が立っていた。 

 きれいな横顔で仰ぎ見ている大人の男性。頭から足の先まで新雪のように白く。神官用白衣に身を包んだ姿に、さらさらとなびく髪の隙間から人間ではあり得ないものがついている。

 大きな狐の耳に、よく見ればお尻にも柔らかく細長い物体。日射でおこる陽炎の様に、覚束ない地面の揺らめきが見せた幻なのではないかと目を疑った。


「尻尾?」


 おもわず声に出してしまった。それに気付いた狐耳の男性は大きな山吹色の両目をこちらに向け、触りごこちが良さそうな耳を上下に震わしている。


「こんにちは」


 低くて甘い声が私の耳を撫でると、狐耳の男性はふにゃっとした顔で挨拶をして尻尾を左右に振っていた。背筋はのびのびと、表情はひまわりみたいに朗らかで明るい笑顔だ。

 蒸し返す暑さをも吹き飛ばすような表情に私の心臓は早鐘を打ち、胸をきつく締めつけられ肌は粟だった。


「こ、こんにちは?」 


 暑さで参った頭で相手に挨拶を返すと、彼は首をかしげている。


「君は、僕の事が視えるんだね」

「え? 視える? て、違う。す、すみません。きれいな狐さんだなーて思っちゃって。いや、何言ってるんだろ」

「きれい? ふふ、容姿を褒めらるなんて何だか照れくさいね」


 彼は口元に手を当てて涼やかに微笑んでいる。


「う……」 

 

 この人は誰とか、単純な理由は頭から吹き飛んでいた。

 私は、顔を赤くして逃げる様に階段を駆け下りたけど、慌てて走ったせいか足は絡まり体があらぬ方向に。

 これは駄目だ。

 打撲骨折の未来が視える。

 でも、痛みはやってくることはなくて。その代わり反対側におもいっきり引っ張られる。

 目の前には、狐耳の男性が驚いた顔で見つめていた。鼻腔にくすぐる清涼な香りに、意識は一点に集中して固まる。これは、腕を掴まれていますよね。


「大丈夫?」

「ぶぁっ!!?」


 許容を超えて意味もなく叫んだ私に彼は心配そうな表情だ。


「いきなり叫んで、もしかしてどこか痛いのかい?」

「い、痛い所はありません! しっ、し、失礼します!!」

「あっ、ちょっと待っ……」


 私は男性の細い腕を勢いよく解いて、ワンワン叫ぶハッピーを抱えて全速力で逃げた。



 ◆◆◆◆◆



 翌日。 

 

 ラジオ体操の音が鳴る前に私は目を覚まし、誰もいない台所に立っていた。

 ボウルの中にある塩で湿ったご飯をしゃもじでよそって盛りつけて、ご飯をラップに包む。そして、それをおもいっきりまな板に向かって叩きつけた。

 バシンバシン。

 ドシンドシン。

 破裂音にも似た音が家中に響く。


「恵美ちゃん、騒々しいけど。一体何をしているの?」


 音で目が覚めたのか、おばあちゃんが不安気な表情で台所にやってきた。テーブルの上に置いてあるへこんだおにぎりに視線を向けている。


「ごめん、うるさかったよね」

「あらあら、おにぎり。こんなに作って、何処か出かけるの?」

「う、うん。ちょっと道を覚えたくて」


 怪しげな神社に行ってきますとは流石に言えない。

 実際問題、道を覚えないと学校に行けないので嘘は言ってないです。はい。

 そんな私をよそに、おばあちゃんは細い体を揺らしてニッコリしながら冷蔵庫を開けていた。


「なら、お茶もいるわね。冷蔵庫にあったかしらねー」

「ありがとう、おばあちゃん……」


 その後、おばあちゃんは何も聞かないでくれた。悪い事はしてないけど心がチクチクする。

 私は散らかした台所を片付けて、そそくさとおにぎりが入ったバスケットを持って家を抜け出しあの神社に向かった。


「わ、私は謝罪しにいくだけ。助けてくれたお礼をするだけ。あれだ、階段の下とかに置いていけばいいのよ」


 朝とはいえ、ブツブツ大きな独り言は傍から見たら変質者のそれだ。

 なら、行かなければいいじゃないかなんて思うけど、どうにも狐耳の男性の笑顔が頭からちらついて離れない。普通は危ないのだろうけど、どうしても気になる。気になりすぎて寝不足だ。


「私、なんでこんな事してるんだろ。意味わかんない」

 

 そうこう考えている内に例の怪しげな神社に着いていた。

 上り始めの鳥居階段下には耳と尻尾が落ち着かない様子の狐耳の男性が立っている。

 なんでそこにいるの。これじゃあおにぎり置いて帰れないよ。

 私はびくびくしながら近づくと彼はこちらに気づいたようで微笑んで片手で手を振っていた。


「良かった、また会えたね。今日はあのワンちゃん、いないのかい?」


 快活な声が聞こえてきて私は視線を下に逸らして口を開く。


「えっと、連れて来ませんでした」

「そうなんだ。彼とはいいお友達になれると思ったんだけどな。残念」


 本当に残念そうに耳や尻尾をすぼませていたが瞬きの間に緩やかに尾を動かしている。


「はいこれ、落ちてたんだけど君の?」


 狐耳の男性は片手に持っていた麦藁帽子を笑顔で手渡してくれる。

 私が麦藁帽子を受け取ろうとした時、彼の冷たい指先が触れて危うく受け取りそこなうところだった。何とも言えない気恥ずかしさに段々と高揚していく顔を俯き隠して頭を下げる。


「帽子、ありがとうございます。あの時は、いきなり逃げてごめんなさい。恥ずかしく、なっちゃって」

「恥ずかしい? どうして?」

「わ、笑わないで聞いてくれます?」

「うん、聞く聞く」


 私は深呼吸を繰り返し息を整えた後、拳に力を入れて彼に視線をぶつける。



「私あがり症で、あと男性とあまりお話とかしたことがなくて、それでおもわず逃げました!」



 短い沈黙の後、彼はキョトンとした顔で口元に手を押さえながらぷっと噴き出していた。


「ぷっ、ふふ、あははは」

「わ、笑うなって言ったのに酷いです!」

「ごめんね、てっきり僕の事が怖いから逃げたんだと思ってたんだ。違うなら安心したよ」

「これでも、勇気出して言ったのに」

「そっかそっか、あがり症なのによく頑張ったね。えらいえらい」


 頭を優しくポンポンと置いて子ども扱いする彼に怒りの声を出そうとしたが、相手の笑顔に負けて何も言葉が出てこない。行き場のない気持ちを隠して、私はぎこちない笑みを向ける。


「な、名前言ってませんでしたね。私、牧野恵美(まきのえみ)です」

「恵美だね。僕は(まどか)、どこにでもいる狐だよ」


 どこにでもいる狐には見えない。

 普通はもっとこう獣じみた姿を想像するけど彼はどう見ても人の形をしている。

 童話や昔話で狐や狸が化けて人になるような感じなのかと色々考えたが、黙ったままの私に彼は眉を下げて困っている様だった。


「だ、黙ったままでごめんなさい。ちょっと普通の狐には見えないので」

「うん、まあこんな風体で言われても困っちゃうよね。あれだ、神社の守り狐なんだよ。ちょっとだけ力を得ているから人の形になれるんだ」

「守り狐?」

「うん、農業が盛んとする地域には稲荷神社が多いんだよ。豊作を願ってお祭りなんかやってたみたいだけど、この神社は寂れちゃって、神さまもいないんだ」

「神さまがいない?」

「うーん、いなくなっちゃったって言った方がいいのかな。昔、神社が全焼しちゃって人が来なくなっちゃったんだ。人の願いで神さまは存在してるから」


 寂しげ笑いが私の耳に響く。

 円さんはこの寂れた神社で長い間ずっと独りで過ごしていたのかな。

 そんな考えが頭を巡って、私はなんて声をかけていいか迷った。寂しかったですねとか、辛いですねとか言ったところでその気持ちは彼にしかわからない。

 どうしようかと悩んで不意に、私は手に持っていたバスケットを見て。


「あの、お腹空きませんか?」


 精一杯考えて選んだ言葉はこれだった。

 半ば混乱気味にバスケットを前方に掲げて円さんに差し出す。


「私、おにぎり作ってきたんです。一緒に食べましょう」

「一緒に?」

「あ、もしかしてご飯食べられないとか」


 円さんは驚いた様に瞬きをして、眉を八の字にして笑っている。


「大丈夫。一緒に、食べよう」

「はい!」


 私たちは鳥居下の階段に隣同士に座り、間にバスケットを置いて中身を開けた。が、中身は見るも無残な半壊したおにぎりで埋め尽くされている。塩気たっぷりに握ったのが裏目になって、時間が経ったそれは確実に塩辛くなってそう。


「う、やっぱり駄目。これを食べたらお腹が苦しくなる」


 私はをバスケット閉めようとしたけど、円さんの手がそれを静止した。そして、おにぎりを掴んで口へと持っていって食べている。


「ま、円さん!?」

「しょっぱおいしいね。うん、おいしいよ。すごく、おいしい」


 円さんは満面の笑みでおにぎりを頬張っているが、両目からは大きな涙を流している。

 私はその姿に驚いて慌ててハンカチと飲み物のお茶を取り出す。 


「どうして泣きながら笑ってるんですか?」

「どうしてかな? 久しぶりに人のご飯を食べたから嬉しくなっちゃったのかもね」

「な、泣かないでください。ほら、これで拭いて下さい」

「ありがとね恵美。ありがとう」


 笑いながら泣く円さんは私の作った塩辛いおにぎりを嬉しそうに食べている。

 その姿に、私もなんだか嬉しくなった。今度はちゃんと上手に作れるようになろう。料理の勉強をしておいしいものを食べさせてあげたい。

 

 新たな目標を胸に、私は隣にいる円さんの表情豊かな横顔を見続けた。 


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