穢れた槐の花も美しき。
「なぁ、お前調子乗ってんじゃねぇぞコラ?」
不良Aはそう言うと、俺の胸ぐらを掴んで、校舎の壁に押し付けてきた。
かかる吐息がタバコ臭い。
こいつ、絶対隠れて吸ってるな……。
俺は顔を顰めると、はぁ……と溜息をつく。
遡ること数分前。
終礼も終わり、特に用事もなかった俺は、そそくさと帰宅しようと下足室に向かっていた。
(あれ、何か入ってる……。手紙か?)
上履きを脱いで、スニーカーを手に取ろうとしたところで、自分の下足箱の中に一通の封筒が入っていたことに気づく。
ピンク色の便箋。
ハートマークのシール。
(これって、アレだよな?)
噂に名高い、ラブレターというものではないだろうか。
でも、こういうのって普通、朝に見かけるものだよな?
「……まぁ、どうでもいいけど」
俺は封筒を手に取ると、スニーカーを履いて、いつも人気のない裏庭にあるガゼボへと向かった。
(……よし、誰もいないな)
周囲が無人であることを確認すると、俺は早速その封を開けた。
そこには、可愛らしいが丁寧さのある文字が、つらつらと記されている。
内容は果てして、ラブレターそのものであった。
「『放課後、屋上で待ってます』……ね」
俺は手紙を懐へ仕舞うと、鞄を片手に校舎の屋上へと向かった。
普段開放されている屋上への扉をくぐると、一際強い風が俺の頬を撫でる。
「あ、一君!」
屋上へ上がると、こちらに向かって話しかける女子生徒がいた。たしか、隣のクラスの桜ノ宮槐さん、だっけ。
「桜ノ宮さ――」
「来ちゃ駄目!」
「え?」
彼女はそう叫んで、停止を促した。
瞬間、怪訝な顔をするが、その理由はすぐに判明する。
「よぉ、ニノマエ。相変わらず呑気そうなツラしてんなぁ?」
下卑た笑い声と共に現れたのは、数人の不良グループ。一見して、半分が女子で構成されているようである。
「えーっと、どなたでしたっけ?」
見覚えのない生徒に、俺は首を横に捻る。制服から判断するに、どうやらここの生徒ではないらしい。
つまり不法侵入(?)である。
「なぁ、お前調子乗ってんじゃねぇぞ、コラ?」
「いや、調子に乗るも何も。これ、どういう状況?」
身に覚えのない罪で、不良Aに絡まれた俺は、説明を請う様に桜ノ宮さんに目線を送る。
しかし彼女も、何がなんだか今ひとつ分かっていないようで、眉をしかめて首を横に振るのみである。
「しらばっくれるんじゃねぇ!お前、姐御の妹誑かしたそうじゃねえか!あ゛ぁ゛ん?」
いや、ほんとに意味わかんないんですけど。
不良Aは胸ぐらを掴みながら、こちらに向かって、すごい形相でガンを飛ばしながら、そんなことをいう。
「とにかく、落ち着いて話し合いま――」
――ガゴンッ!
――しょう。そう言おうとした刹那。不良Aの援護射撃をするかのように、鉄製の扉へと、壁ドンならぬ足ドンをする不良B。
「もういい、セナ。俺がやる」
不良B(男)は、こめかみに青筋を立てながら、不良Aを下がらせる。
「おい、ガキ。ニノマエとかいったな?」
「はい」
「お前、姐御の妹に手ぇ出したってことが、どういうことから分かってんのか?」
「いや、全く。これっぽっ」
次の瞬間。
視界の端に、突きを放つ予備動作を捉えた俺は、体を横に捻って不良Bの顎先にショルダータックルを見舞った。
「「ぐはっ!?」」
ほぼ同時に、俺の脇腹を彼の突きが捉えた。
不良Bは数歩下がると、目つきを鋭くしてこちらを睨んだ。完全に戦闘態勢に入っている。
周辺視野で確認すると、他の不良共も戦闘態勢だ。
……六対一って、卑怯じゃないかな?
そんなことを考えていると、不良Bは片腕を伸ばして、他の不良たちの行動を制した。
「ニノマエ、なかなかやるじゃねぇか」
「そりゃどうも」
「どうだ?ここで一戦交えてみるか?」
「それ、俺にメリットないですよね?」
臨戦態勢は崩さずに、俺は肩をすくめて見せながら質問に質問で返す。
正直、喧嘩は嫌いだし、できればしたくはない。
それに何よりメリットがない。
デメリットならあるんだけど。たとえば退学とか病院行きとか。あ、あと内申にも響くよね。
それちょっとやだなぁ……。
「なら、俺に勝ったら手を引いてやる。今後一切、俺はお前には関わらないと約束しよう」
俺は……ね。
負けたら第二の俺がお前を制裁に来るだろう!とか、そういうパロディですかい?
……やだなぁ。めんどくさい。
「君だけじゃなくて、ここにいる貴方たちの仲間も含めて、じゃ駄目ですか?」
「……わかった。ただし、俺より上の人らは分かんねぇぜ?」
「面倒だけど、じゃとりあえずそれで」
俺は息を吐くと、左足の内側を前に出し、右足を引いて、胴と面を防御する形で拳を構えた。
「腹の立つガキだな……」
ぼやいて、不良Bも構えを取る。
両腕を八の字にして、顔面の前に構える形だ。
(なんか、ボクサーみたいだな……)
その割には最初の突きは軽かったけれど。
「行くぞ!」
そんな観察をしていると、不良Bは雄叫びを上げながら右フックを繰り出してきた。
思ったより早い。
俺は体を半回転させながら、相手の手首を掴む。次の瞬間、不良Bの視界はぐるりと360度回転した。
「は?」
男は続けて左アッパーを繰り出してくる。俺はそれを右腕で流しながら、左手で牽制の裏拳でこめかみを狙う。
しかし、それはいつの間にか防御を離れていた腕によって防がれ――あ、これ投げられるわ。
とっさにバックステップを踏んで、彼の繰り出そうとしていた膝車をかわす。
「お前、ひょろそうな見た目して、もしかして喧嘩馴れしてるのか?」
「神社で一時期、護身術を習っていた程度ですよ。……それより、あの時何したんですか?」
最初。
向かってくるフックを躱して、背負投げを完璧に決めたはずだったのに、彼は何ともなかったかのようにその場に立っていた。
あの低さで打ち付けて、どうやって立っていられたのか。不思議でならない。
「ハッ。教えるわけねぇだろ」
男はそう告げると、また構えてこちらの様子を伺った。
(たぶんだけど、彼に投げ技は通じないんじゃないかな……。あと何回か繰り出してみて、検証してみないとわからないけど)
面倒なこと極まりない相手だ。
そう思いながら俺は、彼がまた攻撃に出てくるのを待つ。
「そっちが来ないならこっちから行くぜ!」
まるで漫画のようなセリフを吐きながら、今度はワンツーを繰り出す不良B。
拳ではダメだと判断した俺は、手刀を作って攻撃を弾きながら、貫手と手刀と裏拳をメインに、速度重視の攻撃を撃ち込む。
数撃の攻防。
その中で小手返しやら大外刈り、膝車、一本背負いなどを試してみたが、予想通り彼には投げ技が通じなかった。
俺の放つ掌底を体を捻って、彼は肉迫する。
腰にためた拳撃が、俺の鳩尾を狙って繰り出されるが、それを内側に流して体をスライドさせ、ラリアットをかませるフリをした。
不良Bはそれにつられて腰を後ろに逸らす。
視線ががずれ、放たれるはずの渾身の一撃が威力を大幅に落とす。
俺はその隙を狙って、肘を直角に振り下ろした。
「せいっ!」
不良Bに見事ヒットした肘鉄は、丁度胸骨の中あたりに直撃。
衝撃が肉を伝って心臓を圧迫した。
「ぐふぇっ!?」
肘鉄を食らった彼は、奇声を上げると、口から泡を吹き、白目を向きながらその場に崩れ落ちた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
俺は息を整えると、崩れ落ちて無様をさらけ出している屍(死んではいない)に視線を落とす。
――必殺技、死拳。
文字通りの必殺技。一歩間違えれば死んでしまうこともあるらしい。
発動したのは本当に偶然である。
俺は不良Bの脈を確認すると、小さいながらもまだ命はあるようであった。
(これは……流石にやりすぎたかな)
放置しておいてもいずれ目が覚めるだろう。後遺症はどうかは知らないが。
俺は、不良Aに視線を送る。
すると彼女は、ハッとしたかのように再起動を果たした。
「お……お前ら!こいつ運ぶの手伝え!
……っ!くそっ!覚えてろよニノマエ!」
不良Aはどこぞの世紀末のような捨て台詞を吐きながら、ぞろぞろとその場をあとにした。
「ふぅ……。これで、一件落着……とは、いかないよなぁ」
俺は天を仰ぎながら、面倒臭そうにそうつぶやいた。
「一君!
大丈夫!?怪我とかしてない?」
「うん、大丈夫。桜ノ宮さんこそ、何もされてない?」
「私は大丈夫。
……だけど、一君は、これからちょっと大変そうだね……」
ん?それ、どゆこと?
怪訝に思った俺は、桜ノ宮さんに詳しい説明を求めた。
そして俺は、その説明を聞いて体中からブワッと冷や汗が流れ出るのを止められなかった。
「私のお姉ちゃん。ちょっと大きめの不良グループのリーダー……みたいなんだよね……。
だから、その……。目をつけられちゃったかも、しれない」
……マジで?
「ほんっとごめん!私が一君に告白なんかしたばっかりに、こんなことに巻き込んじゃって!」
「い、いやいや。
桜ノ宮さんのせいじゃないから!」
つまり、あの不良Bは下っ端ってことか……?
はぁ……。めんどくさいなぁ……。
この先、どんな珍事に巻き込まれることやら。
それを想像しただけでも吐き気がする。
あ、ちょっとお腹痛くなってきたかも。
「そ……それでなんだけど、ね?」
おずおずとしながら、彼女は下から目線で俺の目を見つめてくる。
「こんな私でも、付き合ってくれますか?」
「……」
ここで嫌ですって言ったら、多分この展開から察するに「何私の妹泣かせてんだ、あ゛ぁ゛ん?」って感じで、彼女のお姉さんが殴り込みに来るかもしれないなぁ……。
そんな面倒なこと、絶対に嫌だ。
じゃあ、逆にオッケー!って答えたらどうなるだろう。
桜ノ宮さん、学校では一二を争うほどの美少女だしなぁ。
そこは悪くないんだけど……。
はぁ……。
どちらにしろ面倒くさい。
――だけど、もっと面倒くさいのは、ここで彼女の心を傷つけて、泣かれてしまうことだ。
イエスともノーとも言えない。
タラシとも言われるかもしれないが、これは今、俺の人生を左右しているに違いないと、脳みそが警告を発している。
間違える訳にはいかない。
「も、もし答えられないなら――」
「――ごめん、桜ノ宮さん。君の気持ちには、答えてあげられない」
彼女の言葉にかぶせるようにして、俺は答えを告げる。
桜ノ宮さんは、その答えをはじめから分かっていたかのように聞き入れると、それでもと彼女は、涙を浮かべながら、必死に笑顔を作った。
「そう……だよね。こんな話されたんじゃ、嫌われても当然――」
「や、違うから。そういうんじゃなくて」
しかし、更に続けられた俺の言葉で、更に彼女は絶句する。その瞳には、怪訝の色が浮かんでいた。
「どういうこと?」
「俺さ。まだ桜ノ宮さんのこと、よく知らないからさ。
まずは、友達からじゃ、駄目かな?」
……やっべ。
このセリフ、自分で言っておいてなんだけど、凄い恥ずかしいわ。
俺は紅潮している顔を見られないようにと、掌で顔を隠しながらそう伝えた。
「……っ」
彼女の息を呑む声が聞こえる。
それが、やけに色っぽく聞こえてしまったのは……おそらく気のせいだろう。
俺は指の隙間から彼女の様子を伺い見る。
するとそこには、少し火照った笑顔で佇む桜ノ宮さんの姿があった。
「……はい!よろしくお願いしますね、一君!」
「あ、はい。よろしくお願いします、桜ノ宮さん」
――こうして、一十一と桜ノ宮槐は、友となり、そして同時に、俺の憂鬱な日常が幕を開けたのであった。
お読み下さり、ありがとうございます。
初めて恋愛物に挑戦してみましたが、どうでしたでしょうか?
何かご指摘等ありましたら、遠慮なくお願いします。
あ、質問等あれば、感想欄によろしくお願いします!
それではまた、いつの日か。