1 狂い出した歯車
少女は夢を見ていた。
幼い頃に森で迷った時に出会った不思議な少年の夢。
ーーーこの世界は変だよなあ、中世とか近世とか、ご都合主義に混じり合ってる。チキュウの歴史学者が見たらブチギレそう。
ーーーお前もチート気味だよな。ずりい。
共に野山を駆け上り、魔獣を倒し、食事をとった。およそ四年の年月を共に過ごした少年。
夢はふわふわと、浮いては沈む。
それは正しく記憶の整理だった。
少年と出会ったのは六歳の時。
少女の父親が亡くなったのは十六歳の時。
ーーーお父様…。
走馬灯のように巡る、少女の夢。
ーーーどうして帰ってきて下さらないの、お父様。
「………っ!」
少女ーーーー、シャロンは目を覚ました。
心臓が大きく脈打っていたが、額に浮かぶ汗を拭って大きく深呼吸をした。
「あー…忌々しい…」
あの頃とは大きく変わった少女の口調。
ふと辺りを見回すと眠っていたはずの寝具はなく、ねっとりとした土の上だった。
どうやらここは、森の中らしい。
「…また嫌がらせ?」
よぎるのは、最近やって来た親子。
これはまた、随分と手の込んだ嫌がらせだとどこか他人事のように思う。
しばらく放心した後、彼女は立ち上がった。
座っていても仕方がないので、森を抜ける事に専念する。
「お父様ね…私もあの頃は可愛かったなあ」
今じゃクソ親父で丁度いいと感じているのに。
夢を反芻して小さく笑う。
父親が死んだと聞かされた時、彼女に悲しみなどなかった。
「へえそうなんだ」と呟き紅茶を飲んだくらいだ。
それからこれからの領地をどうするつもりか、死ぬならやる事やってから死ねなどと考えていたりした。
なぜなら彼女は、滅多に家に居ない父親に変わり長いこと政務をこなしていて、その忙しさで正気ではなかった。
彼女の家は王家に次ぐ四大公爵家の内のひとつ。
であるのに、彼女の父、公爵家当主には幼い頃から失踪癖があった。
三日間、誰にも知らせず行方をくらませたり、一週間ほど勝手に他国に出ていたり。それが月に三回ほどのペースで行われた。そのように家を空けていればもちろん公務が進むはずもなく、彼は公爵家としての責務を放棄している状態にあった。
それがとても不味いことだと娘のシャロンは理解していた。
世間体もあり、当主不在を知っているのは執事長と一部の官僚だけだったので、彼女は父親に代わって密かに領地が円滑に回るように動いていた。
だがある時期『貴族のプレッシャーにはもう懲り懲りなんだ。娘に後を継がせてくれ』と書き置きを残し、父親は一切帰ってこなくなった。
シャロン、齢にして十五の頃だった。
わーお、なんてものではない。滅多に会わない父親に真顔で殺意が湧いた瞬間であった。
そこからは心を無にして、使えない人間を抑えて消して飛ばして、使える人間にどーんと仕事を押し付け押し付けの繰り返し。
今までは、公務を放棄してる父親の尻ぬぐいは、家族である私の役目だという思いから頑張れた。いつかはちゃんと働いて、父親として愛情を分け与えてくれるかもしれないと、僅かながら信じていた。信じてたからこそ、帰ってくるまで繋ぎとして頑張れた。
(娘に対して月一度だけの二分しか話さないやつに父親像なんて期待したのが馬鹿だった)
その一年半後、父親の遺体が王都の端で見つかったと連絡があった。
官僚も執事長も安心した顔で「やっと正式に当主ですね。おめでとうございます」と言っただけだった。
シャロンは発狂した。
「まさかあの適当な書き置きで私が当主になると?私は女で、しかもまだ十七の子供よ?そんな奴に公爵家を明け渡す気なの?順当に叔父が継ぐべきよ!」
「いいえ。シャロン様ほど領地を理解されている方はおられません。私たちは貴方様なら全てを預けられます。シャロン様以外の下で働く気はありません」
と全面的な信頼の言葉を貰ってしまった。
しかし重荷がすぎる。下手に優秀な部下を集めてしまったばかりに、彼らがいないと公爵家は回らないのだ。
なんとか説得して私は退こうと考えに考え抜いた。
そうして過ごした1週間ほど。
豪華な馬車に揺られて突然見知らぬ母娘がやってきた。
シャロンの父との婚姻証明書と連れ子の娘の養子縁組、極め付けは公爵家の後継の事が記されたという父の遺書を携えて。
真っ赤な紅を引いた女は、するどく口角をつりあげ扇子を広げた。甘い香りを周囲にふんだんに撒き散らし、屋敷の前で堂々と叫んだ。
「わたくしはこれから、この公爵家の当主となる者です!あの男の娘はいまして?シャロンと言ったかしら。すぐに連れて来なさい!」
庭師、執事、官僚、メイド、屋敷中の全員が耳を疑った。
直後使用人達はザワザワと「頭が沸いておられる」「誰なの。不敬が過ぎるわ」「早く衛兵取り押さえろよ」などと騒いでいた。
だが女は周囲の喧騒を気にすることなく、庭にいたシャロンを見つけるとツカツカという音に合わない爆速で近寄ってきた。
すぐさま護衛が間に割り入る。
「先ほどもお聞きになったとおり、わたくしが今から公爵家を引き継ぎますわ。法的証拠はこちらに。彼がこの世から去ってしまったことはとても悲しく思いますが、わたくしはこの家を立派に繁栄させる所存です。貧相な貴方でもいい伴侶を見つけて差し上げるわ」
突如湧いて出た話に思考停止している間に、護衛は抜刀しかけていた。とりあえず止めて、王家に確認を取る間は母娘を離れに泊めた。
(悪くない話ではあるのよね。あの女性が公爵家当主にはなり得ないと思うし。これなら叔父の方がマシと部下が動くわ。叔父に頼った時点で公爵家は叔父のもの。それに王家とも上手く繋がってなんとでも出来そうだし)
なので何も気にせず過ごしていた。その態度が気に食わなかったらしい女と一悶着があり、そこからが拗れの始まりになり、義母と義妹からの嫌がらせが始まった。執拗に繰り返されるありとあらゆる行為に特にダメージは受けていなかった。
だがシャロンが幼い頃から飼っていた魔獣を、重傷を負わせ離れに放置していた日。シャロンは親子を消すことにした。
○○○○○○○
(不覚だわ。あの女には思ったよりも脳の容量はあったのね。こんなとこに連れてこられる前にさっさと消しておけば良かった)
森を真っ直ぐ進むが、周囲からは人工物が見えてくる気配がない。
葉や蔓を避け、所々破れてぼろぼろになった服を膝下で括り、開ける様子が一切ない森の中をまだまだ歩く。
(この服も嫌がらせで寄越されたにしては良い服なのよね。男物なだけで)
年頃の女ではあり得ない短さで切りそろえられた髪が肩をかする。つい四日ほど前に連れ子の娘に切られた。
「いっ」
木の根に転びかけた。眉をひそめて足元をじっと見つめていると、そこに突如大きな影がさした。
「…!」
慌てて顔を上げる。
『ガァアアアアアッッ‼︎』
「ぎゃーーー‼︎」
(あ、違う、きゃーよね。今のは令嬢の悲鳴として不合格でした。やり直させて頂けますかしら)
下らない事を考えながら、一目散に来た方向へ逆走する。転ばないよう必死に走り、チラリと後ろを見た。
「ヒィッ!!!」
シャロンの体より大きく鋭い牙、木よりも太いヒゲ、細長の頭に白銀のたてがみと更に大きな図体。
(あ、ああああちら様もしかして伝説の龍ってやつですか!?初めて見た!あれ、なに、どうしたら倒せるの!?)
見なかった事にして一層走る足を速めた。何故か龍はシャロンに狙いを定めていて、通った道は一本道に凄まじいクレーターが出来上がっている。
(走ってばっかじゃダメ、何か反撃しないと!いい感じの枝でもあればそれを媒介になんとか出来るのに…!)
足を必死に動かし、荒々しい呼吸をしながら周囲を見渡した時だった。
「─────伏せろッ!」
「!?」
飛んできた声に条件反射でしゃがみこむ。即座に頭上を掠めた影が龍の喉元に向かって突っ込んだ。突き刺したであろうそこから血飛沫が撒き散らされる。
負けじと龍も鋭い爪で男をえぐろうとするが、その腕ごと切り倒された。
最後の咆哮とばかりに龍の口から大きな魔法が放出する気配があったが、それよりも早く男は龍の頭を潰し、トドメにその身を四等分にした。
大きな音をたてて砂埃を巻き上げ頭が地面に落ちた。
決着はついたようだった。
呼吸も忘れて眺めていると、血で汚れた剣を拭き取った人物がこちらに声をかけてきた。
「怪我はなかった?」
「っ!だ、大丈夫、です。…その、助けていただいてありがとうございました」
震える声を誤魔化しながら、なんとか礼を述べる。
恐怖を感じているのは、先程の龍に対してではない。
「良かった。怪我はないんだね?」
「…っ、はい」
(こいつ…龍を仕留めた後、笑ってた。助けられたこっちがゾッとするほど、恍惚とした表情で…倒せて嬉しいとかそういうのじゃなくて…何というか…)
性的興奮という言葉が正しいだろうか。
シャロンはかつてないほどの恐怖を感じた。今すぐに、ここから立ち去れと本能が警告していた。
「…どうかした?やっぱりどっか怪我しちゃった?」
「ほんとに、大丈夫です…!申し訳ありません…助けて貰ってなんですが、急いでおりまして…このご恩はいつか必ず…!」
一礼し素早くその場を離れようとした瞬間、凄まじい殺気が飛んできた。
「……ッ!」
「おっかしいなぁーーーどうして逃げようとするの?僕、命の恩人だよ?取って食いやしないんだから、そんなビビんないでよ」
(ああまずいわ)
軽い口調で話す男だが、いまシャロンが指先ひとつでも動かせばその腕を躊躇なく落とすことは本能で理解できた。
「ふふっ。ねえ、さっき追われてた時どうやって倒してやろうかって考えてたでしょ。駄目だよ、龍なんてものに襲われた人間はさ、絶望するか神に助けを請うかしかしないもんだよ」
男は興味深々にシャロンを見下ろした。
「…生憎ですが、絶望や神に助けてもらえた事がありませんので」
「ふぅん、訳ありってこと」
つい滑った口を覆い、目をそらした。
「…あの、申し訳ないのですが本当に急いでて…」
「急ぐ、ねぇ。どこに行くの?この森を渡るにしては軽装すぎると思うんだけど」
「えーと、近くの村まで」
「ふうん。でも悪いねえ。この森に入ったやつを素通りさせるわけにはいかなくてさ。本部まで来てもらうよ」
「本部…!?」
改めて男の格好をみる。
着崩されていて分かりにくいが、その肩に着いている腕章はこの国の騎士が身につけるものに見えた。
シャロンにぞわりと悪寒が走る。
「ここって…まさか………」
「んー今更だねえ」
「う、うそうそ、さすがにそれは…」
頭を抱え出したシャロンに男は無慈悲に告げる。
「さて、王家の森侵入の現行犯だ。ここで捕縛させてもらうよ」
「あぁぁ…!!!」
王家の森ーーー王族が管理するこの国一番の不可侵の土地。その未開の地には伝説の幼獣や絶滅危惧種な魔獣が生息していると言われる。最も神聖で最も危険な場所。
度々レアな魔獣や魔薬草を求めて密猟者が足を踏み入れるが、帰って来たものは誰一人としていない。
全員、魔獣の腹の中か、王家の人間に消されたかだ。
「────あ、きたきた」
「このガキか。転移魔法を使って侵入したというのは」
突如頭上から聞こえてくる別の声。驚いて上を見上げると高い木の上に人影が見えた。
「そうそう。でもなんか変な子でさあ。ようっく調べたほうがいいと思うよ?」
「貴様に言われなくともその準備はできている」
「もー。そんなにカッカしないで。仲良くいこう?」
「誰が狂った紅部隊なんかと。いいからさっさと任務を遂行しろ」
「はいはあい。─────じゃあ、君、またね?黒の尋問は大変だから頑張って死なないようにね?」
そんな不吉な警告とともに首に鋭い衝撃が走った。
彼女は静かに意識を落とした。
あらすじ:
シャロンは公爵家令嬢だったよ!
失踪癖のある父のせいで当主代理やってたけど、うっかり父が死んじゃって当主にさせられようになったよ!
そこに父と結婚してたっていう義母とその連れ子が登場!
快くお家を開け渡そうと思ったけど上手くいかなくて、嫌がらせを受ける日々になっちゃった!
そんで森に飛ばされちゃってあら大変!
なんかやばそうな人間に出会っちゃってもうどうしよ〜う!
次回、令嬢ピーンチ!