順次佳境へ
10話ぴったり、ぴったんこカンカンといきたかったですが、仕方ありません。もうちょっとだけ続きます。
右心房、左心房、御辛抱のほど、よろしくお願いします!
朝のホームルーム前。
「九に接触したんだって? だったら何でそのとき、オレのこと呼ばなかったんだ?」
3年生の教室にて。
牛腸は憤激していた。
「いやだから」
四十川はまたちょっと態度が戻りつつあり、スカートのくせに股を広げ始めていた。
中身もちらりと見えるため、吐き気をもよおさずにはいられない。
「きたねえ股は閉じろ! それよりも『いやだから』って……。ショックだわぁ」
「こっちもショックよ。小股が切れあがっているのに魅力を感じてもらえないなんて」
股を閉じて、「あとさ。さっきは、『いやだから』って、言ったわけじゃなくて、『いや、だから違うよ』って、否定形で用いたわけ」
「ふーん」
興味なさそうに視線を下げ、「猿人類みたいな、すね毛だな」
牛腸は揶揄した。
どうやら相当、頭にきているらしい。
「ちょっ……。セクハラよ」
「テメーのパンツの方がよっぽどセクハラだよ」
「なんですって……」
「そっちがいけねーんだろうが」
「緊急救急究明九部隊なんて、初耳よ。だいたい九のやつが徒党を組むなんて考えるはずないじゃない」
「知っていようがいまいが、オレがリーダーなんだ。たしかに塾で早く帰ったかもしれないが、それでも一言くらい声をかけてもらわないと困るね」
まるで子供のケンカだ。
遠巻きに眺めていた小鳥遊はそう思っていた。
「ねえ、廿ちゃん」
話しかけるが。
彼女はそこにいなかった。
「おおっ! やれやれ~。薄汚いパンツと、ちっちゃい男のケンカだ~」
あおるように、楽しむように、廿は声援を送っていた。
それもかなり近距離で。
「あんたは黙ってて。――あとパンツはちゃんと洗ってますから」
「お前は舌を動かさずに話せ。――あと身長は……いちおう体育並びでは……前から2番目だ!」
四十川も牛腸も、廿を叱責する。
が。
「性格が薄汚いパンツと、度量がちっちゃい男の子って言ったんだよ~」
スキップするようにして教室から立ち去る、廿ちゃん。
「待てコラー!」
「死ね小娘、オラー!」
彼らも急いであとを追った。
しばらくしてから牛腸は、女の子たちのアリバイを聞かせてもらったという。
「えー、今日は遅刻や欠席をせずに来てくれてありがとう。社会人になるにあたって、それは当たり前の要素だから、できているお前らにいうことではないのかもしれないが、しかしこれからも気を抜かずに、手を抜かずに、がんばっていこう!」
朝のホームルーム。
二担任はひとまず、登校してきてくれた生徒をほめた。
窓はあいも変わらず、ガタガタ震えていたし、ひょうっと、すき間風が侵入してくる。
電車、バス、自動車、旅客機など。そういった交通手段の生徒は、基本的に休みを選択したようだった。
――自分がその立場でも迷わず、「ハッ? 学校? ふざけんじゃねーよ、カス。こっちは単位さえとれりゃあそれで良いんだよボケ!」とか言って、学校をサボり、おまけに、「もし鉄道の運行が復旧していたら行くつもりだったんだよ、それくらい察しがつくだろ。ちっとは考えろバカ!」とでも、いちゃもんつけて公欠にさせたんだろうな。
…………。
九だったらやりそう。
ハハッと、ひとりで笑って、
「今日の連絡はなし。もしなんかあったら、各自怒られてくれ、以上。めんどくせーから、次の授業教室行って寝てくる」
ホームルームは終わった。
2時間目と4時間目が入れ替え授業であることを、二担任はすっかり忘れていた。――そして彼らは、二担任の代理として怒られたのであった。
「なんですか? 話って」
牛腸翔太は、自習室(3)にいた。ここは英語の授業で、特待生が使う教室である。
むろん、彼も特待生の1人だ。
他の教室となんら変わらぬ設備で、逆に暖房は寒いくらいだが、少数精鋭なので、少ない人数で授業が行える。
「萬ヶ原ちゃんの件なんだけど、君そこのクラスよね。ちょっとお話を聞きたいんだけど……いいかな?」
4時間目が終わったので、いまは昼休みだ。
「コロッケパンが食べたかったのに、もうこんな時間です。どうやら機会を逸してしまったようだ」
質問には答えず、遠回しに答えた。
一二英語教諭は相好をくずし、「よかったらあげようか。職員の場合、専属契約でパンが買えるのよ」
「本当ですか?」
「ええ、売れ残りは全部職員が買い取ることになっていて……。だから強権を発動できるってわけなの」
「なんでも大丈夫なんですか。売れ残らなくっても?」
「その通りよ。コロッケパンでも、メロンパンでも、あんぱんでも、ジャムパンでも、クリームパンでも、フライパンでも、フランスパンでも、食パンでも、ソーセージパンでも、カレーパンでも、残飯でも、乾パンでも、ピーターパンでも、揚げパンでも、蒸しパンでも、コッペパンでも、レーズンパンでも、パイパンでも、パンパンでも、チノパンでも、ジーパンでも、審判でも、パンタグラフでも、パンダでも、パンチでも、パンツでも、パン粉でも、パンクロックでも、パンストでも」
止まらなくなってきたので、牛腸は待ったをかけた。
――まじめ一辺倒の授業なのに、意外とふざけられるんだ、この人。
「まあ途中から下ネタとか、なぞなぞみたくなっていましたけど……」
「あらやだ、ごめんなさい。ついつい2次会の方向へ走っちゃうところだった」
頬を赤らめて、「こっつんこ」と頭を殴る仕草は、牛腸にはちょっと気持ち悪く思えた。
「ところで、あまり話したくはないアリバイの件についてですが、今ここでワタクシが他言無用を貫き通したところで、飛耳長目の一二先生であればすぐに情報を仕入れ、御結論を導かれることでしょう。それならば、先に恩を売っておいた方が得というものです。わかりました。コロッケパンと引き換えに、事件の仔細を語らせていただきます」
あらたまった表情で、牛腸は事件のあらましを述べた。
聞いているあいだ、一二英語教諭はうんうんと、うなずいていたが、やがて聞き終えると、
「じゃあ現時点で怪しい人というのは、もちろんアリバイがないっていう意味だけだけど、それは牛腸くんと霹靂ちゃんでいいんだよね?」
痛んだ毛先が頬骨のあたりで、くるんとカールしている一二英語教諭を見つめながら、
「はいそうです」
牛腸はいやな顔ひとつせずに答えた。
「なるほどね」
一二英語教諭は、善意と悪意が交錯したような表情を浮かべながら、「ありがとう。重要なキーを教えてもらった気分よ。お礼にパンを1種類だけ、プレゼントさせていただくわ」
電気を消して、教室を後にした。
そろそろ終わりも近付いてまいりました。