マンガと現実
中国では、たとえ運転する資質がなくても自動車の運転免許を買うことができるそうです。
バイオレンスですね……。
ヨーロッパには自分勝手なドライバーがおおく、つねにクラクションが飛び交っているそうです。
エゴイストですね。
それに比べると、日本はおだやかです。
「たとえば……週刊誌があるじゃないですか。ジャンプとかマガジンとかサンデーとか」
「はい。中学生のころはジャンプ派が多くいました」
二社会科教諭はお茶を飲んだ。
七五三担任は内心では誇負し、続けて、
「ノルマン現象というのは人気のないマンガが、ほかのマンガも人気がないために、相対的に生き残ってしまうという現象のことですよ」
と、教えた。
「なるほど……。たしかに人気がたりなくて、いつも後ろのほうに掲載されているけれど、打ち切られないマンガってよくみかけますね」
「私のようなつうは逆にそういうマンガのほうが好きなんですよ。巻頭カラーやセンターカラーになるマンガよりも、いちぶの読者から支持されるマンガがね」
それから七五三担任はこういった。
「もしもこの世界がマンガだとしたらどうですか? 人気がでると思いますか?」
「…………」
二社会科教諭は黙った。
食事もやめた。
目をまるくしている。
「どうかしましたか?」
「いえ、狂信的だとか、滑稽だとかいうつもりはありませんが、それでも2次元と3次元の区別はつけられたほうがよろしいかと……思いますね」
「は、はは、ははは……」
いい大人がそんなふうに同僚にたしなめられる。
この光景は……やっぱり。
シュールすぎた。
シュールすぎて笑える。
「まあまあ、ままある下世話な世間話だと解釈してくださいよ」
しまったー。
余計なことをいっちゃったー。
なんか、めっちゃ恥ずかしい。
と、
七五三担任はほぞを噛んだ。ついでに頬も噛んだ。
が、
二社会科教諭はべつに、あきれていたわけではなかったようで、
「そうですね。この世界がマンガだとしたら……人気がでるのか……」
――熟考していた。
「でるかでないかはわかりませんが、でてほしいですね。舞台役者――いわばキャラクターのひとりとして……」
と、感想を述べた。
「キャラクター……ねえ」
満足そうにうなずく七五三担任。
「日常マンガだとしても、生徒会役員共や、男子高校生の日常や、カッコカワイイ宣言や、私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い! や、斉木楠雄のΨ難や、ギャグマンガ日和や、勤しめ!仁岡先生や、スケットダンスなど人気作はたくさんありますからね。
せめてノルマン現象に乗じて、紙面のすみっこで掲載されるくらいの人気はほしいです」
二社会科教諭は現役高校生に合わせて、連載中のマンガをほとんどならべた。
「失礼ですが、辛辣なことをいわせていただきます」
七五三担任は目つきを鋭くし、舌鋒鋭く、
「J・S・ミルは、満足した豚であるよりは不満足な人間であるほうがよく、満足した愚か者であるよりは不満足なソクラテスであるほうがよいといったそうですが、二先生は、豚で愚か者ですか?」
七五三先生は、恋心のせいで多少または少々きつい言葉を浴びせた。
一二先生は、十中八九というか百発百中で、二先生に恋をしている。
だから……なのだろう。
七五三担任は十中八九まちがいなく、一二英語教諭との距離感に四苦八苦しているのだった。
その距離感は、
ただの仕事仲間であり――
知り合い以上友だち未満であり――
そして――なんでもないという関係。
無関係。
「なるほどなるほど。おっしゃる通りです。です、が……」
二社会科教諭は首肯してから、いった。
「この世が少年マンガだと仮定してみましょうよ。高校が舞台になるのはたいてい少年マンガですからね」
高校が舞台でも、少年マンガじゃない。なんてこともありうるだろうが、
「はい、そうですね」
と、様子をうかがう七五三担任。
「あとは推して知るべきでしょう」
「なにをです?」
「少年マンガにそういう哲学者の名前をだすのはタブーでしょう」
「はっ……!」
七五三担任は思わず声を発した。
「そうです。高校生ならずとも、学生は基本的に勉強が嫌いなんですよ」
「それじゃあこんなことを話していても人気はでないと?」
「10週で打ち切られます」
と。
恒例の雑談タイムにシフトしてしまったが、本題はこれからだった。
そう……
放課後から。
これはまだ、前振りの段階である。
「おれはお前を好きじゃない」
九十九はそういって、四十川をふった。
「おれには恋愛感情なんて皆無だ」
四十川はそういわれ、九十九にふられた。
では、彼はほんとうに、無性愛者なのだろうか。
四十川のことを嫌いになってしまったのだろうか。
その答えは『ノー』だ。
『ノープロブレム』だ。問題ない。
すこしややこしくなるが――
九十九は四十川を好きだったのだ。
友だちとしても、女性としても。
しかし……
固執できなかった。
四十川だけに執着することができなかったのだ。
好きか嫌いかでいえば、好きだし――
ライクかラブかでいえば、ラブなのに――
九十九は身勝手に、得手勝手に手前勝手に自分勝手に……四十川をふってしまった。
理由はもちろんある。
情状酌量の余地もある。
原因は――友情と愛情の問題だ。
月見里は四十川が好き。
四十川は九十九が好き。
ならば、
九十九が四十川を好きになったらどうなる?
もちろん九十九と四十川は両想いになるだろうが、
月見里はショックから立ち直れなくなるかもしれない。
だったら、
彼の友人である九十九は、それを応援してあげるべきではなかろうか。
このようなわけがあって、九十九はふったのだった。
ちなみに――
九十九と四十川は――復縁したりはしない。
人生はそんなに甘くない。
ずっと疎遠なまま、終演をむかえることになる。
言葉とはそれほどまでに、
強烈で強力で強弁で強大で強引なのだ。
ペンは剣よりも強い。
「なんかムダに話を引き延ばしてねーか?」という、読者様の声が聞こえてきます。
すみません。
急ぐとかえって進まないんです。
さて。
なーんの関係もありませんが、
ぼくは「眼高手低」という四字熟語が好きです。口は達者だけど、行動は伴わないっていうやつ。
人間それくらいがちょうどいいじゃないですか。
「夢はかなえるためにある」――というひとがいますが、夢はかなわないからこそ夢なんです。
逆にいえば、儚いからこその夢です。かなうような夢を、夢とはいいたくありません。
ていうか、
夢という言葉はあきらめを意味しているのではないでしょうか。
宝くじは夢を買うといいますが、ほんとうに買えると思いますか?




