動機と動き
牛腸の動機、それから時間差トリックは、恋愛におけるただの添加物みたいな感じなので、結構シンプルです。シンプルかサンプルかと問われれば、シンプルと答えます。
――って具合の出来栄えです。(要するにいつも通りです)
――昼休み。
「牛腸くん、いまごろ怒られているよね」
九と萬ヶ原は学生食堂にいた。
勘違いしないで欲しいのだが、べつに犯人が見つかって嬉しいから外食をしているとか、とりわけめでたい気分だから学食にしているとか、そんなことでは一切ない。
萬ヶ原が弁当を忘れたというから、ひさびさの食堂でランチをしていたのである。
「大丈夫。二担任にしてはめずらしく、校長とか生徒指導部にバレないよう、うまくはからってくれているらしい。もちろんバックにはよくわからん女教師がついているのだろうが」
一二英語教諭との対面は今日が初めてだった九。
名前を知らなくても無理はなかった。
「ふーん、だったら良いんだけどさ」
萬ヶ原は、麻婆丼ハーフサイズをレンげですくって食べていた。
容量はご飯茶わん一杯ぶんくらいだろうか。
「優しいねえ。相手はお前に危害を加えた犯人なんだぜ」
「それだけ気概のある人だったってことでしょ。保健体育でもあったじゃん、失恋を学術に活かす『昇華』っていったっけ? これでよりいっそう牛腸くんは勉学に打ち込めるね」
九は豪放磊落な性格の萬ヶ原をちらりと一瞥した。――なるほど、敵意も悪意も丸ごと呑み込めそうな大きな口をしている。
なんといってもひと口がでかい。そのうちレンゲごと食べてしまうのではなかろうか。
いや――それでも。
舟を丸呑みにするほどの大きな魚は小さな川にはすまないというけれど、呑舟の魚枝流に游がずとはいうけれども。
わけのわからん事件に巻き込まれて、呑舟の魚もさぞかし迷惑だったであろう。
剣呑剣呑。
「あっ。――そういえば、動機ってなんだったの? 怨恨? 怨嗟?」
「なぜそうなる……。そんなに怨みつくってたのか、お前は」
あきれたぜ。なんとかの魚さん。
「いやー、だって成績悪いのに海外旅行に行けちゃうんだもん、わたしー」
うれしそうにして、食べる動作を中断する萬ヶ原。
たしか進路が専門学校だから、勉強とかはもうしなくていいんだっけ? もちろんあっちの学校ではやるのだろうけど。だから海外に行けるってわけか。
「にしても唐突だな。驚嘆しながら仰天しちゃったぜ」
「言ってなかったっけ? 英語愛好会に加盟してるってこと」
「そいつは知ってる」
「そこで、ヨーロッパにホームステイができるっていう企画が実施されたから……」
「おお、いいじゃんっ! 行ってこい。みやげもよろしく」
と、激励したところで。
ようやく本題に入った。
「えーと、動機だったっけ? 言っておくが、べつに嫉妬とかじゃねえぞ。海外旅行に行けていいなーとか、うらやましいなムカつくなーとかは、オレが思っているだけだから」
「ああ、そう。で?」
セルフサービスの茶をすすりながら、萬ヶ原は注目していた。
「惚れた腫れたってやつだよ。牛腸のやつ、胸中ではお前のことが好きで手中に入れたかったらしいんだけれど、萬ヶ原は自分なんて眼中にないんだろうなあと悲観しての犯行だったらしい。良くも悪くも、インパクトを重視しただけで、印象に残ってくれたらそれでいいとか。――よくわかんねえことをほざいてた」
きっと。
牛腸は萬ヶ原のことが好きなのだと、伝えたかっただけのだろう。
ただそれをする勇気が足りなかったから、今回のように裏目に出てしまったのだ。
「あれ? あれれ? こんなこと――言ってなかったっけ?」
萬ヶ原は思い出したように、「牛腸くんって、脱糞してすぐに体育館へ向かったんでしょう。だからわたしの私物を隠す暇はなかったんじゃないの?」
「そう。オレもそう思っていたから、初めは心外だけど辛辣だけど、『霹靂』が犯人なんじゃないかって疑っていた。しかし結論はあまりにも単純でシンプルすぎて、灯台もと暗しっつーか、魚の目に水見えずっつーか、とりあえず足をすくわれるかたちになったわけだが、牛腸はいったいどうやって時間を捻出したんだと思う?」
えーっと。
レンゲをご飯の中に沈めて、沈思黙考する萬ヶ原。
彼女のように深く考えてしまうと、不覚にもわからなくなってしまうのだ。
はたして彼女は誤答を述べた。
「まずは下準備が必要だね。そのために、わたしが普段から使っているスクバと同じ種類のスクバを用意しなきゃいけないでしょ」
萬ヶ原は自信満々に間違えていく。まずこの時点からして、ちがう。
下準備とかは全くいらない。
「瓜二つのスクバをそろえたら、それで準備オッケー!」
「じゃあそれからどうするんだ?」
九があいの手を入れる。
「わたしのスクバと、用意しておいたスクバを丸ごと入れ換えちゃうんだよ」
萬ヶ原の言葉ではわかりにくかったであろうから。
わかりやすく説明しよう。できるか不安だが。
『萬ヶ原のスクバを<A>、牛腸が用意したという架空のスクバを<B>とおく。これらは見た目に差異がないものとし、機能も利便性も体積も質量も持ちやすさも色合いも装飾も等しいものとする。牛腸はうんこが終わってからすぐに、おのれのスクバ<B>と、萬ヶ原のスクバ<A>を交換した。だがこの際、<B>にはなにも入れてなかったので、結果的に萬ヶ原は教科書類を「盗まれた」と、誤って知覚してしまった。錯覚してしまった。本当はバッグ丸ごと盗まれていたのだとも気づかずに……』
わかりやすいかわかりにくいは、ともかく。
これは廃案である。
「なるほど。要するに中身だけを盗んだんじゃなくて、バッグごと盗んだといいたいわけね。おもしろいが、それは不正解だ」
けんもほろろに否定してから、九は正当を教えた。生徒だけに。
「あーなるほどそうだったのか、これは斜術トリックというよりは作者の怠慢だなと、まあ推理小説とか、刑事ドラマとか、そういうメディアならバッシングを受けるであろう、本当にくだらないことなんだけどさ。物理トリックじゃなくて心理トリックなんだけどさ」
「焦らさずに教えてよ」
萬ヶ原は唇をとがらせた。いささか冗長すぎたか。
「つまりだ。うんこしてくると言って個室に入れば、たいていの人は信用するだろ。してなくても、べつに困るわけじゃないから、疑う必要もないし」
「ってことは?」
「そう。うんこを『しなかった』っていうのが、今回の時間差トリックの肝だ。本格推理じゃなくって、がっかりだな」
「なんだ。単純すぎて、目から鱗が落ちなかったよ」
「だよな。陳腐かチンポでいったら、チン腐だよな」
「はあ……」
なんてことをぬかしやがるんだか、この男子は。
万感の思いを込めた萬ヶ原の嘆息は、だれに届くわけでもなく消えさった。
そして間もなく。
――萬ヶ原は麻婆丼を完食し、ごちそうさまでしたを言って、九といっしょに食堂を出た。
一二英語教諭が書いた推理小説……いわゆる「作中作」とかいうやつも書いてみたいです。




