萬ヶ原事件(結)
やっとこさっとこ「萬ヶ原事件編」を終わらせることができました。
みなさまのほぼ無音に近い、けれども懸命な応援のおかげであります。
あとはもう萬ヶ原が告っちまえば、それでお開きです。もうちょっとだけ付き合ってくださいね。これはあくまでも恋愛がメインですから。
「予定通りの予定調和ね」
一二英語教諭は。
警備員から事前に借りていた、ペンチのような物をたずさえ、教室後ろにあるロッカーの前でしゃがみ込んだ。
正方形の箱のようなロッカーが壁際に隣接するようにくっつけてあるのだ。大きさは、サッカーボールが1個、余裕で入るくらいだった。そこには鍵をかけるスペースがあるので、皆一様に南京錠をぶら下げている。
登校時間よりも早いため、3年壱組の教室にはだれもいない。
「これから霹靂ちゃんのロッカーの鍵と、牛腸くんの鍵を破壊させていただくわね」
言って。
ペンチのような物で南京錠をはさみこみ、切断する彼女。
恩赦も容赦もまったくなしに、霹靂と牛腸の鍵をぶっ壊した。二担任の責任で。
AKB48の軽蔑していた愛情という曲で、『責任転嫁のプロセスで、偉い人を泣かせる』という歌詞があったが、まさしくそのシーンのようだ。いやしかし、それだと二担任が『屋上に靴をちゃんとそろえて』ピョーンをすることになるぞ。
おもしろいから、ぜひともやっていただきたいものだ。
さて。
そんな二担任はというと。
ずいぶん曇った顔をしていた。きっと苦悶に満ちた表情なのだろう。
「犯人がわかったわよ。なんのミスリードもたいした手間もなく答えにたどり着いちゃうと、江戸川乱歩の二銭銅貨を思い出しちゃうけれど、これって思い出っていうやつなのかしら」
「二銭銅貨でしたら、サイコロジカルトラウマなのでしょうよ」
茫然自失していた二担任はぶっきらぼうに言った。サイコロジカルトラウマとは心理学用語である、念のため。
「まあたしかに、あれはちょっと手の込んだいたずらでしたよね。いや暗号というべきか。それにショッキングな結末でしたしね」
九も、霹靂または牛腸のロッカーに入っている、萬ヶ原の所有物らしきものをみていた。
「あの作品は如実に、主人公の悪意とか敵意とか、そういうものを描写できていたわよね。乱歩の短編はじつのところ、それほど評価していない私だけれど、それでも傑作と言わざるを得ないわ」
上機嫌で『牛腸』のロッカーを眺める一二英語教諭。
中から彼の私物(?)を取り出し、確認すると、『萬ヶ原瑞穂』とネーミングがしてある。間違いなく否応なしに、萬ヶ原のものだった。
すると。
ここでようやく……。
一二英語教諭が一日千秋の思いで待ち焦がれた――紛争だの抗争だの闘争だの論争だのといういさかいが惹起された。
それは当人が……。
もとい、牛腸翔太が教室の戸をあけて九たちと対峙したからである。
はじめ、わけがわからず、うすら笑いを浮かべていた牛腸ではあったが、一二英語教諭がもっている『萬ヶ原』の教科書類をみて、瞬時に笑みは凍りつき、怒りに点火し激昂へと転換された。
たいする九サイドは、警戒こそしてはいたが、ロッカーを前にしゃがみこんだ姿勢のままだった。第3者からしてみたら窃盗犯さながらだ。もちろんこの場合、立場は反転しているわけだが。
「説明してください! 何故勝手にだれの許可も得ずに他人の鍵を壊してまでロッカーを開けて、しかも他人の私物を強奪しようとしているんですか? これは立派な犯罪ですよ。――犯罪は立派じゃないけど」
牛腸は手振りも交えながら、熱弁をふるった。
「たしかにその通りね。これは二担任がやったことで、全責任は彼にあるのだけれど」
一二英語教諭はサラッと、しれっと責任逃れをする。
「だったら二担任を起訴しますよ、訴迫しますよ、追及しますよ、糾弾しますよ、弾圧しますよ、圧迫しますよ、迫撃しますよ、撃沈しますよ、沈没させますよ、没落させますよ、落ち零れさせますよ、零になりますよ」
ひと通り。
牛腸を蛙鳴蝉噪、騒がせたところで。
「起訴と告訴のちがい、わかる? いまの述懐を拝聴させてもらった限りではたいそうな間違いをおかしているようだったけれど、これは10回くらい言って聞かせる必要があるかもしれないわね。でももし、ただの誤解だったら説明は5回で許してあげるわ。――さて質問。『起訴』と『告訴』のちがいは何でしょうか?」
一二英語教諭はクイズを出した。『起訴と告訴のちがい』
ミステリ好きならば簡単にわかる問題だが……さて牛腸の回答は。
「起訴は民間の人。要するに一般の人が裁判沙汰を起こすことで、告訴は、警察が裁判所に逮捕令状をもらって犯人を捕縛し、そいつを裁判にかけるとき、検事が裁判所に起訴すること」
……しばし沈黙があり、牛腸の顔は不安そうになった。一二英語教諭の表情に変化はない。
「起訴は『検察官』が裁判所にうったえること。告訴は『被害者』が裁判所にうったえること。こっからは雑談だけど、告発は『無関係』の人が裁判所にうったえること。さらに掘り下げると、起訴と告訴は刑事事件をあつかい、提訴は民事事件をあつかうのよ」
一二英語教諭は淡々としゃべった。
「へえ」
牛腸は……わずかに若干ではあるが、一二英語教諭は変人なのではないかと疑った。
「さあて牛腸くん。――私はキミを論破し喝破し説破したわけだけれど、肝心なことをないがしろにしてしまうところだったわね」
一二英語教諭は、自ら水を差すように仕向けた。「二先生の悪因悪果……。つまり窃盗をさ」
「そうでしたね。正直に愚直に言わせてもらうと、二先生のことは樗櫟散木だと思っていました」
開口一番に、牛腸は二担任を非難した。
が、九はあいにく寡聞にしてそのような言葉を知らなかったので、
「ちょれきさんぼくってなんですか?」
と、一二英語教諭に尋ねた。
「ウドの大木とか唐変木みたいな意味よ。――役に立たない物や人のことね」
「あー、なるほど」
しきりにうなずき、納得する九。それは年上に向かって言っていい言葉かどうかは微妙だが、しかしながら絶妙に正鵠を射た巧妙な表現といえよう。
「まあな。驥尾に付すことが多かったから勘違いされちゃっていたわけだな」
仕方なしに自己防衛をする二担任。
しかしここは先生らしく、「一般社会において身勝手な行動をするということは……」
と、生徒がなにも知らないのをいいことに、道徳観念を説き始める二担任。
それをあっさり無視して。
「あらやだ、そろっと生徒が登校してくる時間ね。ここじゃあ都合が悪いから会議室に移動しましょう」
一二英語教諭は廊下に出ながら、「というわけで、会議室の暖房をつけておいてね。電源は職員室に行けばあるから。それと朝礼には参加できない旨を、百千万億校長に話しておいてね。もちろんアドリブで。――それじゃあお気をつけて」
二担任はダッシュで職員室へと向かった。
なかなかにかわいそうな人だなあと、九、牛腸に哀れに思われていた。
会議室の窓から降雪や積雪は確認できなかったが、それでも寒さは氷点下なみだった。太陽もいちおうは出ているのだろうが、光線が放たれることはなく夕方よりも暗い演出だった。厚い雲が上空をおおっているのだ。
そんな気温であるから、歯をがちがちいわせて、ぶるぶる震える二担任。
少年マンガで得た知識だが、その生理作用はシバリングというらしい。――九は二担任をみながらどうでもいいことを考えていた。
「さて、牛腸くん。――さいきんではTPPの話題が世間をにぎわせていますけれど、私が言いたいのはTPOです」
「TPO? 耳慣れないですね、NPOの間違いじゃないですか?」
「…………。話が進まないからそれはさておきましょうか」
さすがに授業を無断で休むわけにはいかないので、一二英語教諭は焦っていた。二担任とは好対照である。
「TPOというのは、時(Time)、所(Place)、場合(Occasion)をわきまえて行動しましょうという、いわゆる社会の規範みたいなものです。それを破ったからあなたはここに連れてこられたわけだけど、そこまでは理解できる?」
「できません。なぜ二担任は免罪されるのですか?」
「されません」
「ではなぜ彼を怒らないんです? まさか以毒制毒とか言いませんよね」
ここまできて、尚。
牛腸は引き下がらなかった。引き下がれなかった。
もしここで押し負ければ、保護者に連絡されることは火をみるより明らかだからである。――優秀な生徒ほど、そのような事態を避けたがる。
「大人はね。叱って許してもらえるほど、甘くないの。あなたの胸三寸で、二先生の生殺与奪が決まるわ」
冷酷に告げる一二英語教諭。
「論点を外されましたが、まあいいです。では逆に問いましょう」
牛腸は突き刺すような鋭い視線を二担任に向け、「なぜロッカーの中にあるとわかったんですか?」
「簡単な話よ」
回答権が一二英語教諭に移る。「終業式を想起してみて。荷物を持ち帰るためにみんな大きめのバッグを用意するでしょう。だけどここ最近、バッグを複数持参してくる人も、大きなバッグを所持する人もいなかった。となると、盗品は持ち帰られていないんじゃないかなと……」
「なぜです? ――たとえばですよ。ぼくが自分の私物をロッカーに入れて、萬ヶ原ちゃんの私物を持ち帰るっていう可能性もあるはずではないですか」
「じゃあ家に残った萬ヶ原ちゃんの教科書類はどうするつもり? もちろん焼却してしまうのがベストアンサーかもしれないけれど、萬ヶ原ちゃんに送られてきた脅迫メールの件もあるでしょう? 九と別れろとかいうやつ。あれと照合してみて、それはありえないなと思ったわけよ。複合的に考えてみた結果、九くんが、萬ヶ原ちゃんと別れた頃を見計らって、それから返すつもりだったんじゃないかなって邪推したわけ」
「暴論だ。そんな理由で……」
「それともうひとつ。たいして仲が良いわけでもないのに、萬ヶ原ちゃんのためにずいぶんと働いていたらしいじゃない?」
「だれからそんなことを……」
「萬ヶ原ちゃん庇護同盟の方たちからよ」
「お手上げです。もういいです。いろいろ破綻しているようで、荒唐無稽にみえるけど、そこんところしっかりしている。探ればそのうちボロは出るんでしょうけど……」
と。
まあ無益にむやみに抗弁することをやめた牛腸ではあるが、「二先生のことが許せません。人権を無視している」
ここでも一二英語教諭は責任をもってフォローしようと試みたが、
「やりたければオレを告訴すればいいさ。そん代わり、お前も家庭裁判所でかけられることになるぞ」
「いいですよ。あなたが免職になれば至極の喜びだ。さあもう犯罪者同士、警察に自首しに行きましょう」
「待てよ」
と口をはさんだのは、二担任でも一二英語教諭でもなく、九だった。
「なに逃げようとしてんだよ。――まずは萬ヶ原にちゃんと謝れよ。告訴するかどうかはあいつが決めんだからよ」
「いいだろ、そんなこと。放っておいてくれよ」
牛腸はしんどそうに言った。悔いているのか、しだいに涙声に変わってきた。
「いいわけねえだろ! お前の人生にも大きく影響してくるんだぞ。この不況下、犯罪者がつける仕事はたかが知れてる。あんなに勉強してきたじゃねえか。上場企業に就職するんじゃなかったのか?」
後半は勢い任せのでまかせだった。上場企業に就職するとかそんな話は聞いていない。
「…………。でもよ。親に知られちまったら…………。オレんちエリートだからさ。……心配かけちゃうだろ」
牛腸は背を向けた。声が震えている。
「心配すんな。お前が黙っていてくれるっていうのなら、違法捜査をした身の上だ。オレも黙っているっきゃねえだろ」
二担任は。
教師としてそれはどうだろうか、倫理的に道徳的に客観的に総合的に背徳者となるのでは? いやいや敗北者というべきか。
そう捉えられても仕方のない発言をしたわけだが、なにぶん皆が興奮状態にあったので気にする者はだれもいなかった。
「はいっ。終わり!」
パンッ……と。
両手のひらを打ち鳴らし、「九と牛腸、いろいろ迷惑をかけたな。もう教室に戻っていいぞ」
二担任は男子生徒2人を会議室から追い出し、
「それでは間に合ったことですし、朝礼に行きましょうか。一二先生。――あと……そうだ。霹靂にロッカーのカギを粉砕したことについての謝罪があるので、あとでいっしょに来てくださいませんか?」
「しょうがないわね」
会議室の電気を消し、生徒がすでに退室したことを確認してから、一二英語教諭は戸を閉めた。
「わかったわ。それよりも朝礼に出席するつもりなら走るわよ。早く早く」
なぜか笑顔で駆けだす一二英語教諭。朝から元気だ。
「――ってなにやってんの?」
振り向きざまにあきれた顔を見せ、「靴ひもくらいちゃんと結んでおいてよ。――あとネクタイが曲がってる。ヒゲもそってない。スーツがよれてる」
などと、一二英語教諭は母親みたいに口やかましく指摘しまくった。
うわー、ガチで帰りたいなあと、そんな衝動にかられながら、二担任は頭痛にも襲われていた。
まさしく泣きっ面に蜂である。
ちなみにこのあと。
このあとすぐというわけではないが。後日談として。
二担任は一二英語教諭と、朋輩というか儕輩というか同輩というか……とりあえずそういう経緯をへて恋仲になってゆくのだが、こちらの恋愛はあえて語るまい。主役はあくまでも生徒にゆだねることにする。
セリフ「二先生」、「一二先生」
地の文「二担任」、「一二英語教諭」
使い分けが難しいです。たまにミスっちゃいます。




