萬ヶ原事件(終)
萬ヶ原事件編、次で完璧にラストです。
完璧なラスト……じゃ、ないけれど。
――翌朝。
相変わらず、いつもどおりに二担任は登校してきた。
出勤時間については厳粛にとらえているようで厳守こそしているが、しかしあまりにも時間に固執するあまり、早く来てやろうとかそのようなことは一切ない。規矩準縄に対しては、法令遵守、拳々服膺というふうに行動する側面をかんがみて、考えてみると、意外と頑迷固陋で狷介固陋だったりする……のだろう。
いやいや、傍若無人というべきか。
「辞職願い……ですか。なぜワタシがそんな物を書かなければならないのです? 一二先生」
きょとんとし、頓狂な声で二担任は問い返す。
「あなたはいじめを助長しましたよね。今はどうか知りませんが、昔は犯人蔵匿罪は親族、親類縁者による犯行なら不問に付されていました。ミステリオタなので法律も勉強しているんですよ。まあそれはさておき二先生。犯人をかくまったという事実は認めますよね?」
一二英語教諭はせわしくせわしなく忙しくせかせかと、デスクワークをこなしている。
「かくまった? 冗談でしょう。ワタシは精根詰めて容疑者を探しています。それは協力者である一二先生もよくご存じのはずです」
「ではなぜ、百千万億校長先生ないしは八月一日生徒指導部顧問にご一報を差しあげなかったのですか?」
「減給がいやだからです」
二担任は即答する。
「心理カウンセリングにおいて、異常のある人間を診察して、治療しても治らなかった場合、、他のカウンセラーには『いやー、もうすっかり完治しましたよ』と見栄をはることが多いらしいですけど、それとこれとは問題や設問や質問がちがうでしょう? いじめかもしれない事実をかくしているんですよ」
「だから躍起になって探しているんですよ」
「そこまで言うなら交換条件を出しますね。もし断れば、校長ではなく友人の新聞記者に、『うちの某担任はいじめを助長増長成長拡張膨張させている』って密告させていただきますよ」
有無を言わせぬ口調で、仕事の手を止めずに一二英語教諭は言った。
「ワタシは暴飲暴食でも鯨飲馬食でもないので、のむかどうかは条件しだいです」
「条件は先述した通り……。辞表を書いておいてください」
「…………。考える時間を……。ください」
「いやです。早く決めてください」
「鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がすっていうじゃないですか。下手に口に出すより、ヘタレでも口に出さないほうが、じつは深謀遠慮していて、熟慮断行するっていう可能性がありますよ」
なんとか時間を間延びさせて、結論を後回しにしようとたくらむ二担任。
「唐人の寝言はもう充分ですから、早く大英断をくだしてください」
士商法や押し売り、騙し売りにおいて。
まずは相手の判断力、推理力、分析力を根絶することが求められる。――その際もっとも重要なことは、相手に思考するいとまを与えないことである。
だから一二英語教諭は急がせているのだ。
「同舟アイス食うとは言うけれど……」
二担任は悲哀に満ちた目で、一二英語教諭の仕事っぷりを拝見している。
「言わないわよ。それをいうなら同舟相救うでしょ」
「どうやら同床異夢だったでようですね。肝胆相照らす仲だと思って、恋心に胸をどきどきさせていたのは、嘆かわしいことにワタクシだけでしたか。男女間に友情が芽生えることはなく、しょせんは破廉恥な間柄的存在でしたか」
「いや意味わかんないし。間柄的存在って……和辻哲郎って……哲学の人じゃない」
言いながら。
一二英語教諭は二担任のペースにまんまとのせられたことに気がついた。
「ゴホンッ」と短い咳払いをしてから、「さあ、お答えください。拝聴いたしますよ」
一二英語教諭は耳に手をあてた。
「答申させていただきます。ワタシに辞表を書かせて、一二先生はいかがなされるおつもりですか?」
「そんな簡単なこと? 萬ヶ原ちゃんの事件に終止符を打たせてもらうわ。もちろん、全責任はあなたにかぶってもらうつもりだけど。火中の栗を拾うようなマネはしたくないし」
「鵜の真似をする烏にはなりたくないと? 錐嚢中に処るが如し人格者がご謙遜を」
「はいはい。語彙自慢はけっこうです。で、御回答は? 辞表を書くのか、それとも書かないのか」
「書きませ……。……っ。――かきます」
どんなデマでも。流言飛語でも。
メディアに叩かれて辞職したとなっては、退職金がでない。それならば……という判断だが、いまいち腑に落ちない。
「一二先生。もう1度訊きますが、なぜワタシを辞職に追い込もうとするのですか?」
「堂が歪んで経が読めぬようなチキン野郎かと、試してみただけです。ご安心ください。辞表は書いていただきますが、辞めさせる腹心はありませんから」
二担任は、「よくわからん」と呟きつつ。
でもまあとりあえず、舌戦に負けてしまったので仕方なしに。
辞表を書いた。
この意味は――のちにわかる。
コンコン、と職員室にある横滑りのドアをノックし、「失礼します」
生徒が入室した。
「3年壱組の九拓真です。二先生に用があってまいりました」
クラスと氏名を告げ、二担任のもとへ向かう九。
デスクをみると、二担任はなにやら手書きの書類を作成しているようだった。
「おう、なんだ? オレは今日、忙しいんだ。朝のホームルームやんねーから、好きなように準備しとけって黒板に書いといてくれや」
二担任は苛々しているようで、ちょっと棘のある声音だった。
「二先生。どうやらオレはあなたを……。いいえちがいます。あなたも含めた全体。……学校という名の無気力で無秩序で無責任な社会を、妄信しながら盲信していました」
九の口調は詫びるようなものだったが、眼光は鋭かった。
「萬ヶ原事件くらい小規模なものなら、教師に委託さえすれば、たちどころに解決してくれると期待していました。しかし現実はこのありさま。犯人はわからない。萬ヶ原の教材も戻ってこない。だったら学校の汚名とか汚点とか言ってられませんよ。これから警察に盗難届を提出しに行きます。私立校は株式会社といっしょで、羊頭狗肉を売りにしているようですが、こんな学校、さっさとつぶれてしまえばいいんです。再起不能になるようメディアに焚きつけてやりますよ」
憤懣やるかたなさそうに九は言った。それが義憤によるものかどうかは、はかりかねた。
「ナイストゥミーチュー、ミスターナイン。アイム、ワントゥー」
一二英語教諭は。
二担任に助け船を出すため、口をはさんだ。
「ミスターナインって……。ワンピースのアラバスタ編に入る前くらいにでてきたアイツみたいじゃないですか。しかもミスター3とちがって、かなりマイナーなキャラ。インぺルダウンにも出てきてないし」
初対面にもかかわらず、いきなりツッコミを入れる九。
(知らない人からしてみたらだけど)ちょっぴりマニアックだった。
「そのくくりだったら、オレはミスター2だぜ。盆暮れだぜ、ボンちゃんだぜ」
と、なぜかのっかる二担任。嬉しそうな表情をしていた。
きっと好きなのだろう。
「しっかしねえ。麦わらの一味を追い詰めたのは、ミスター2よりもミスター3のほうだし、ミスター2は敵というよりはどちらかといえば仲間っぽかったから、案外純粋な戦闘力でいえば、ボンちゃんはミスター3に劣るんじゃない?」
七五三国語教諭も参入してきた。
こちらは九と面識があるのであいさつは不要だった。
「インぺルダウンでは、ミスター3はバギーと逃げていたけど……」
割愛し、大幅に時間軸をすすめる。
七五三国語教諭はいなくなり。
九、二担任、一二英語教諭の3人は時間差で職員室を出た。――廊下で合流すると、
「正気ですか?」
九は青ざめた顔をしている二担任を尻目に、一二英語教諭の顔を凝視した。
「そんなことをしたら、冗談でなく二先生がクビになっちゃいますよ」
「だいじょうぶ。退職願は書いた」
か細い声で二担任は言った。
「だそうよ。それに安心して、うまくいくから」
涼しい顔で一二英語教諭は階段を上る。
「しかし……」
九はなんとも言えなかった。
「あっ。そうそう。最終確認」
一二英語教諭は、「萬ヶ原ちゃんが所持品を盗まれたという事件があって以来、だれも大荷物を持って帰らなかったわね?」
「ええ……。昨日は知りませんが」
「昨日もそんな人はいなかったらしいわ」
「そうですか……。あとは野となれ山となれ、ですね」
「そゆこと」
弾むような声だった。
――この事件は。
ミステリにおける技術をいっさい無視して。
じつにあっけなく、そして味気なく。
幕を閉じるのだった。
ワンピースの話、長かったですかね(笑)
二次創作にはならないと思うけど。




