9話 キャッチボール (2)
「なるほどな・・・。良い送球がくるフリをしてランナーを止めた、か。いわゆるフェイクプレーの一種だろうな」
「やっぱり、すごいことなの?」
「ああ。特にその状況判断がな。もしショートが走者に触れるような素振りやタッチをすると、”走塁妨害”を取られるリスクがある。空タッチしないでランナーを騙すのは、ルールを熟知した上でのギリギリの駆け引きだな」
「中学生で、そこまでできる?」
「普通は難しい。ほとんどの選手は暴投にジャンプしてしまうだろうな、届かないと分かっても。とっさの判断でそこまで頭が回る子は、そうそういないさ。相当な野球知識もあるだろうし」
少年野球の監督をずっとやっているお父さんの言葉を聞いて、わたしの見立てが間違っていなかったことが嬉しくなる。
小さいころ、お父さんに野球の面白さを教えてもらった記憶が蘇ってくる。
その時のように、お父さんの野球観に触れて、わたしは少し早口になっていく。
「あとね、ランナーコーチの声で、試合の流れって変わるものなの?」
「変わるさ。ほんのわずかなきっかけでな」
父さんはすっと右手を挙げ、対岸の空で翻弄されている凧を指さした。
「野球には”流れ”がある。結果論だと言う人もいるが、俺は確かに存在すると思ってる。どちらに風が吹くか、切り替わるターニングポイントが必ずあるんだ。ほら、あれ」
さっきまで気持ちよく泳いでいた凧が、突風に煽られてバランスを崩し、きりもみ状態で地面へ落ちそうになっていた。男の子が慌てる中、後ろにいたお父さんがサッと糸を掴み、グッ、グッと力強く、それでいて慎重に糸を引いた。すると、凧は空気を孕み直し、再び上空へと安定して舞い上がった。
「風は気まぐれだ。放っておけば、凧はすぐに落ちてしまう。でも、糸を操る人間が『今だ』という瞬間に引っ張れば、凧はまた持ち直して高く舞い上がる」
お父さんはわたしを見て、静かに言った。
「そのショートの子がやったのは、まさにその糸を引く作業だ。イニング間のキャッチボールも、フェイクプレーもな。相手に行きかけた流れを、強引に、でも繊細・・・ときに予感して・・・引き戻したんだ。そういうプレーができる選手のことをメジャーでは”ゲームチェンジャー”って呼んだりもするかな」
「ゲームチェンジャー・・・」 その響きに、わたしは胸をときめかせた。不規則に動く凧から糸の手元まで視線を落とした。目に見えない強い風の中で、必死に糸を引いて凧を支えている。誰にも気づかれないような指先の感覚で、全体のバランスを整えていた。
「レオネスの壮田選手みたいだね。守備だけで何点分も貢献しちゃうような」
「おいおい、大きく出たな。壮田は日本のショートでもトッププレイヤーだぞ。中学生でそこまでの領域には・・・」
父さんは苦笑したが、わたしは止まらなかった。
「でもね、そのショートの子、肩もすごく強いんだよ。三遊間の深いところから、ノーステップでビュンって送球してアウトにしたの! ピッチャーもできそうって思っちゃった」
「ほう、それだけの強肩と野球脳があれば、十分できるだろうな。フェイクプレーができるなら、マウンドでの駆け引きもできそうなもんだ」
「だよね。わたしもそう思った」
「お前・・・、その子の話をする時、すごく楽しそうだな」
お父さんに言われて、思わず顔をあげた。お父さんは目を細めてわたしを見ていた。




