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花咲く手には、秘密がある 〜エルバの手と森の記憶〜  作者: ソニエッタ
<最終章>お花屋さんと森の記憶

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記憶の種

オルガは光に包まれた自分の手を見つめながら、眉を寄せた。


生成本には『記憶の種』なんて載っていない。

そもそもオルガは、ずっと本の指示に従って種を扱ってきた。

形も用途もわからない種を、何の手がかりもなく作れなんて無茶にもほどがある。



そう思った瞬間、脳裏にふっと浮かんだのは

精霊樹に毒を植えつけ、傷つけた張本人——セオドルだった。


生成本なしに、独自のやり方で種をつくり続けていた男。


「あの人にできて、私にできないわけがない……」




胸の内で強くそう呟いた瞬間、精霊樹の周囲に漂っていた光が一気に広がり、オルガの視界がまばゆい緑に染まった。



目の前に広がったのは、精霊樹がまだ若かった頃の森の風景。

輝く草花、そのまわりに飛び交う精霊たち。



「これ『森の記憶』……?」




感覚が流れ込んでくる。

何万年と絶え間なく続いている命の循環。


湿った土の匂い。

若葉が芽吹くときの微かな力。

大樹の根が大地から吸い上げる、ゆっくりとした鼓動。


春の匂いと、夏の光。

秋の静けさと、冬の眠り。


森が巡らせてきた季節と命の気配が、

まるでオルガの中に刻まれていくようだった。



光はどう生まれるのか。

命がどう還り、次へ繋がるのか。



姿形のないはずのそれらが、

彼女の両手の中で、ひとつの形へと収束していく。


オルガの掌に集まった光は、やがら小さな渦となり、脈打つように明滅し始めた。



「……できる……の? 私に、本当に……」



責任の重さに声が震える。

精霊樹を癒せるかもしれない唯一の存在として、自分が選ばれてしまった事実が、胸にずしりとのしかかる。



そのとき、樹の内側から微かに声が響いた。


『怖がらなくていい……オルガ。あなたの手は、ずっと人を救ってきたでしょう?』



「……母さま……」



『今日まで紡がれてきた生命の循環は、あなたの中にも息づいている。あとは、その流れを信じるだけでいいのよ』



オルガは深く息を吸うと、ゆっくりと目を閉じた。


胸の奥に満ちる、大地の脈動。

指先に集まる光の温度。



それらすべてが、ひとつの形へと重なっていく。




澄んだ音が、湖の空気を震わせた。

オルガの手のひらに浮かんだのは、小さく、しかしどんな宝石よりも力強い輝きを放つ種。


金でも銀でもない。

葉の緑でも、花の色でもない。


すべての季節を内包したような、

命の色そのものの光。



「これが……記憶の種……」



オルガが呟くと同時に、精霊樹がゆっくりと光を増した。



それはまるで——ようやく辿り着いた、と

樹自身が安堵の息をついたかのようだった。



だがその瞬間。


湖の向こう側から、低く、地を裂くような唸りが響いた。



「……っ!?」



精霊樹の影、闇の底から蠢く黒い気配。

瘴気とは比べ物にならない、濃厚な悪意が迫ってくる。


オルガは種を胸に抱きしめ、息を呑む。

闇の底からの唸り声は、やがて形を持って姿を現した。


湖の水面が波打ち、黒い瘴気が渦を巻く。

そこから這い出してきたのは、腐敗した肉片をまとい、骨の露出した巨大な影。


「……ドラゴン……!?」


だが、それはオルガが知る竜ではなかった。


腐敗臭を撒き散らし、翼はボロボロに裂け、

滲み出る瘴気が地面を腐らせていく。

生きているのか、死んでいるのかさえ分からない。

存在そのものが歪んだ何か。


精霊樹が侵された毒と、長い年月によって蓄積された濃密な瘴気が凝り固まって生まれた負の結晶。


ゾンビのような竜は、うつろな眼窩で精霊樹を見上げると、耳をつんざくような咆哮を上げた。

そして、崩れたはずの翼を広げて信じられない力で空へと跳び上がる。


「ちょ、ちょっと待って!!」


竜は破れた翼を無理やり羽ばたかせ、

黒い尾を引きながら、空の裂け目を突き抜け森の外へと飛び去った。


向かう先はただひとつ。


「……っ!レオニダスたちが危ない!」


胸が凍りつく。


あれが村に向かったら——

村だけじゃない。騎士団ごと、すべて飲み込まれる。


「だめ! 精霊樹を治して、はやく戻らなと……!」


オルガは抱えた記憶の種をぎゅっと握りしめ、

震える足に力を込めた。


「守らなきゃ。レオニダスも、村も、この森の未来も」


握りしめた記憶の種が、微かに震える。

——違う。震えているのは、自分の手だ。


(もし……失敗したら?この種で精霊樹を救えなかったら……)


胸の奥に、黒い不安がじわりと広がる。


そのとき——


『オルガ……恐れなくていいわ』


ふっと、暖かい声が頭に響いた。

母の声。

いや、精霊樹に抱かれた、みんなの声。


『その種は、あなたの森を愛した記憶で完成したの。大丈夫……あなたが信じれば、必ず応えてくれるわ』


オルガは息を吸い込み、そっと目を閉じる。


「……信じる。絶対、助ける」


そして両手で包むように記憶の種を持ち、精霊樹の幹へそっと押し当てた。


瞬間、種が光の粒になってほどけ、幹に吸い込まれるように消えていく。


同時に、精霊樹全体が低く震えた。

大地の鼓動そのもののような振動が、根から幹へ、幹から枝先へと光となって走っていく。


黒ずんでいた樹皮が、まるで古傷が癒えていくように淡く輝きを取り戻し始めた。


「お願い……戻って……!」


オルガは幹に両掌を押し当て、涙をこぼしながら必死に祈る。


その願いに呼応するように、精霊樹の中心から光が爆ぜ、湖全体へ波紋のように広がった。

どす黒かった水はみるみる澄み渡り、腐敗した空気を新しい風がさらっていく。




森が、まるで長い眠りから目覚めたかのように、静かに、確かに息を吹き返していった。






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