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花咲く手には、秘密がある 〜エルバの手と森の記憶〜  作者: ソニエッタ
<最終章>お花屋さんと森の記憶

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精霊樹

オルガは、不思議な浮遊感に包まれていた。

足を踏み出しても、土を踏む感触がない。

森の中を進んでいるはずなのに、鳥の囀りも、風が葉を揺らす音も消えていた。


肩の上では、白いカラスが静かに羽を休めている。

その瞳は、闇の奥にある何かを見通すように、真っすぐ前を見据えていた。


「このまま……真っ直ぐ進むの?」



囁くように尋ねても、返事はない。


けれど、オルガにはわかった。

この沈黙こそが導きであり、この道こそが正しいと告げているのだと。


光の粒が空気の中を舞い、足元の草が淡く輝く。その光に包まれながら、オルガは静かに歩を進めた。






少し歩くと、景色がふっと歪んだ。

次の瞬間、幻想のようにきらめいていた光は掻き消え、空気の色までもが変わった。


焦げたような匂いが鼻を刺す。


黒い煤が宙を漂い、ひとひらまたひとひらとオルガの肩や髪に降りかかる。

まるでここだけが、切り離された焼け跡のようだった。



「……なに、これ……?」


足元の草は枯れ、木々は黒く焼け落ちている。

白いカラスが低く鳴き、翼を広げる。


その先に、かすかに光る何かが見えた。

オルガは煤を払いながら、ゆっくりとその光へと歩き出した。



光の元へと行き着くと、そこにはどす黒い色をした湖が広がっていた。

湖の中央には、ひときわ大きな樹が鎮座している。


「……精霊樹?」



その幹は今にも消えそうなほど弱々しい光を放っていたが、それでもまだ命の灯を失ってはいなかった。

オルガは躊躇することなく、真っ黒な水の中へ足を踏み入れる。




彼女は一歩、また一歩と黒い水の中へと足を進める。


水面は波立たず、足元は沈まない。

まるで彼女を拒まず、導くように。

冷たさも、重みも感じない。



やがて、湖の中心に辿り着くと、精霊樹の太い根が水面を覆うように広がっていた。


オルガはその上をよじ登り、幹に手を伸ばす。

手のひらに伝わるのは、かすかに脈打つような震え。



「……まだ諦めないで。絶対助けるから」




そう言って、彼女は額をそっと幹に押し当てた。



その瞬間、幹の表面が淡く光を帯び、ゆらりと影が浮かび上がる。

ひとつ、ふたつ……やがて数えきれないほどの人の形が光の中に揺らいだ。


顔、腕、輪郭どれも見覚えのあるものだった。



「……父さま? 母さま……? 」



オルガの母の輪郭が、光の中でふるりと揺れた。淡い光に包まれたその姿は、まるで樹そのものと溶け合っているかのようだった。



光の中には、彼女の両親、そして数人の男女が、精霊樹に抱かれるように静かに眠っていた。

その顔には苦悶の色はなく、むしろ何かを守り抜こうとする穏やかな覚悟が宿っている。



「どうして……こんなことに……」




オルガは震える指で幹をなぞった。

その瞬間、精霊樹の光がわずかに強く脈打ち、彼女の頭の中に直接響くような音が広がっていく。



『……オルガ……きてくれたのね』




脳裏に、懐かしい声が響いた。

オルガは目を見開き、思わず幹にすがりつく。



「母さまっ!」


『精霊樹の力が尽きかけているの。この森も、世界の均衡も……。だから私たちは、命をひとつにして、樹に力を与えているの』


オルガは幹に手を当て、必死にその声を追う。



『オルガ……よく聞いて。精霊樹が傷つけられてから、生命の循環が滞ってしまった。本来なら精霊樹が取り入れて浄化していた瘴気が、いまは溢れ出している……』


その声は穏やかで、それでいてどこか痛々しかった。



彼女はここ最近、異様に増えた魔物たちの姿を思い出していた。



『瘴気は放っておけば形を持ち、魔物となって世界を蝕む。精霊樹の力が尽きれば、この森も—そして世界そのものも、ゆっくりと壊れていくわ』



「じゃあ、精霊樹を治せば——!」



叫ぶようなオルガの声に、母の声が静かに重なる。



『できるのなら、そうしたい。けれど……私たちボスコの民の血は、代を重ねるごとに薄まり、

もう森の記憶を持つ《記憶の種》を生成できなくなったの。それがなければ、精霊樹を元に戻すことはできないのよ』


「記憶の……種……?」


『精霊の時代から受け継がれてきた、森そのものの記憶。その記憶を頼りに精霊樹を元の形に戻すことができる』



森の静寂の中で、母の声がゆっくりと遠のいていく。



『……でも、あなたなら——あなたの手なら、もしかしたら……』




その瞬間、オルガの掌が淡く光を帯びた。

腕輪が呼応するように輝き、光はまるで呼吸をするように脈打ち始める。



「……わたし、の手が……?」




樹の光が一際強く明滅し、根元の湖面がざわめいた。風が巻き上がり、無数の光の粒がオルガの周囲に漂う。



まるで、森そのものが彼女の手のひらに応えようとしているかのように。



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