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花咲く手には、秘密がある 〜エルバの手と森の記憶〜  作者: ソニエッタ
<最終章>お花屋さんと森の記憶

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魔物の生まれる場所

村に着いてから、もう三日が経った。


レオニダスをはじめ、騎士や冒険者、魔導師たちは、どこから魔物が発生しているのか、その手がかりを掴むため交代で討伐と森の調査にあたっている。



オルガはというと、あの場所——精霊樹へ辿り着くための糸口を探して、日替わりで護衛をかえながら、気の向くままに森を散策していた。


ここ数日、彼女は自分でも理由がわからないまま、レオニダスを少しずつ避けている。あの村娘アマンダが嬉しそうに彼へ話しかけ、レオニダスが穏やかに耳を傾けていた光景がどうしても頭から離れなかったのだ。


(別に、怒ってるわけじゃないけど……)


そう自分に言い聞かせながら、彼と目が合いそうになるたびにオルガは生成本を開いたり、薬草を並べ直したりして誤魔化した。


「オルガ、今日は俺と一緒に森に行くだろ?」


「今日はセフォラと森を見てくる……」



笑顔を作って答えたが、声が少し上ずっていた。レオニダスはわずかに眉をひそめたものの、それ以上は何も言わなかった。






その夜、


オルガは宿の窓辺に腰掛け、静かな村の灯を見下ろしていた。庭ではいつものようにレオニダスが剣を振っている。

月明かりが彼の輪郭をなぞり、汗の粒を銀色に光らせていた。



(……やっぱり、好きなんだと思う)




胸の奥がぎゅっと痛む。


突然自覚した気持ちと、どうにもならない想いが入り混じり、オルガは胸にこもった息をゆっくりと吐き出した。




眠気はどこにもやってこない。


外の風の音ばかりが耳に残る。

気がつけば、夜が明けかけていた。


耐えきれず、オルガは寝台から身を起こすと一人で音を立てずに部屋を出た。


きっとレオニダスもまだ眠っているころだろう。




ひんやりとした朝の空気が、火照った頬をやさしく撫でる。


恋をするのも、嫉妬を覚えるのも、すべてが初めてだった。どうやってこの気持ちを扱えばいいのか、わからない。


(もし、レオニダスがこの関係に名前をくれていたら——)



そんなふうに考えてしまう自分が、少し嫌だった。





東の空が淡く白み始める。


森の方から吹いてくる風が木々を揺らし、葉擦れの音が、オルガの胸のざわめきと重なった。



(……森の匂いが、昨日より濃い)



ふとそんな違和感を覚えた。


木々のざわめきが、いつもより低く重たく響いている気がする。まるで、森そのものが何かを訴えようとしているような。


足が勝手に森の奥の方へと向かっていた。近づくほどに空気の質が変わっていき、風がざわめきを止め、鳥の声も消えた。


オルガの胸の奥で、何かが静かに脈を打ち、腕にうっすら浮かぶ光の紋様。


「……呼んでるの?」


呟いた声が、霧の中に溶ける。


そして、見た。



木々の根元、地を這うように漂う黒い靄。

それはじわりと形を変え、脈動していた。

まるで生きているかのように。



(腐った土の匂い……これ、瘴気……?)




足がすくむ。


靄の中心が、どろりと泡立つように盛り上がり、その中から何かが生まれ落ちる。

獣とも影ともつかない、全身が闇でできたようなその姿がぎしぎしと音を立ててこちらを向いた。

まるで、この森そのものが苦しみ、歪んだ姿を生み出したかのようだった。



(森が……泣いてる?)



その瞬間、オルガの胸が痛み光が弾ける。

腕の紋様が燃えるように輝き、眩い光が彼女を包み、光の中から一羽の白いカラスが姿を現した。


その羽ばたき一つで世界が白く染まり、

風が爆ぜ、黒い瘴気が悲鳴のように揺らめいて、影の魔物は崩れ霧に溶けて消えていった。



静寂の後、焦げたような匂いと薄く立ちこめる白い靄だけが残った。


オルガはその場に膝をつき、荒く息を吐く。

胸の鼓動が鳴り止まない。



「……レオニダスに……知らせなきゃ」








*******






「……なんだ、ここは。」




朝の陽光が木々の葉を透かして差し込む——はずだが、その一帯だけはまるで夜の続きのように灰色の霧が重く垂れこみ、風もなく鳥の声も途絶え、光が届く前に空気そのものが死んでいるようだった。


足元の草は黒く変色し、土は湿ってぬかるんでいる。近づくほどに靴底が沈み、焦げたような匂いが鼻を刺した。


オルガはその光景を見つめ、唇をかすかに噛んだ。

さっきまで夢ではないかと思っていた光景——瘴気と、あの影の魔物。


それが、ほんとうに現実のものだったと突きつけられる。



「ここが……魔物の発生地だと思うの。さっき見た時より……霧が、濃くなってる」



レオニダスは剣を抜き、周囲を見回す。


朝日を浴びた金属がわずかに光ったが、その輝きさえ灰に染まるように鈍く見えた。


背後ではマッシモが部下に目配せし、数人の冒険者が散開する。


「……瘴気の濃度が異常だ」



マッシモは短く息を吐き、鼻の奥を刺すような瘴気の匂いに眉をひそめた。


「……妙だな。俺たちが森を捜索したとき、こんな場所には辿り着けなかった」


レオニダスはその言葉に小さく反応し、隣に立つオルガへと視線を移す。

その眼差しは鋭く、しかしどこか確かめるような静けさを帯びていた。


「オルガ。……ここへ導かれたのか?」




問いかけに、オルガはわずかに目を見開く。足元の黒ずんだ土が、まるで脈打つように波を打ち、彼女の腕の紋様が淡く光を放った。




「……わからない。ただ、気づいたら足が勝手に——」



オルガは一瞬ためらったが、両手を胸の前で握りしめて言葉を絞り出す。


「……森が泣いてる感じがしたの」


オルガの声はかすかに震えていた。



「来てみたら、灰色の霧が立ちこめてて……それが、魔物になった」



言葉が途切れた瞬間、場に沈黙が落ちた。

誰もが息をひそめ、ただ耳を澄ます。




風が、ゆっくりと吹き抜ける。

そのたびに、灰のような霧がふわりと揺れ、木々の枝を撫でていく。


まるで、森そのものが呻いているようだった。




マッシモが思わず唾を飲み込み、低く呟く。


「……まるで森が、自分の中で生まれた腐敗を吐き出してるみてぇだな」




突然、レオニダスは剣の柄に手をかけ、オルガを守るように半歩前へ出る。

その眼差しは、霧の奥に潜む何かを見据えていた。



遠くの木々の奥で何かが蠢く音がし、葉が震え、地面が低く唸る。


その刹那、オルガの胸の奥が熱を帯びる。


淡く浮かび上がった光の紋が、まるで心臓の鼓動と重なるように脈を打った。



「——来るぞ! 構えろ!」



レオニダスの声が鋭く響いた瞬間、灰の霧が裂けるように揺れた。


そこから現れたのは、形を持たぬ何か。

獣のように四肢を這い、影のように歪んだ輪郭を持つ。


その全身からは、黒い靄が滲み出し、地を這うたびに草木がしおれていく。


「……なんだこれは……?」


マッシモが息を呑むと同時に、

その影が低く唸り声を上げ、霧を巻き込みながら一気に飛びかかってきた。


レオニダスが前へ踏み込み、剣を振り抜く。鋼の閃きが空気を裂き、灰の霧を切り裂く音が森に響き渡った。


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