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花咲く手には、秘密がある 〜エルバの手と森の記憶〜  作者: ソニエッタ
<最終章>お花屋さんと森の記憶

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風の囁き

オルガがかつての側妃エメリナと面会してからというもの、彼女の言葉が頭から離れなかった。


“精霊の使いは、きっとそばにいる”――その一言が、脳内で何度も繰り返される。




いつもなら迷いなく編み出せるはずの種の生成も、今日は失敗続きだった。


ため息を吐いて生成本を閉じると、キッチンに向かい、先日レオニダスが得意げに焼き上げたクッキーを一つ口に放り込む。

甘さが口いっぱいに広がるが、不思議と心は晴れなかった。




ここ最近、レオニダスが片時も離れず側にいてくれた。

だからこそ、久しぶりの一人の時間に、胸の奥に小さな空洞を感じてしまう。



「……一人でいることなんて、前は何ともなかったのに」



わざと気持ちを切り替えるように水を一気に飲み干し、立ち上がって扉を開ける。

視界に広がった畑は、この数ヶ月で少し荒れてしまっていた。


しゃがみ込み、慣れた手つきで雑草を抜きながら、ふと考えが巡る。




(精霊の使い……家に来たことがあったのかな?)



両親ともに“種”を作る力は持たなかった。けれど植物への才は確かにあった。


ならば母方と父方、共に精霊の使いがいてもおかしくないのではないか――。



(……見えていないだけで、本当はもう傍にいるのかも。早く精霊樹に行かないと……時間がないのに)



不安が胸に沈殿していくのを感じながら、考えを巡らせていると――。




「お花屋さーん! お花くださーい!」


店の入り口から元気な声が響く。




「はーい! いま行くねー!」




オルガは慌てて立ち上がり、手と膝についた泥をぱんぱんと払うと、笑顔を浮かべながら客の待つ店へ歩みを進めた。




「ありがとう!すごい綺麗な花束!」


花を買いに来た女性は、オルガがまとめた花束を大切そうに抱え、嬉しそうに挨拶をして店を後にした。


オルガが畑に戻ろうと扉に手をかけた、その時だった。




「きゃあああああっ!」




外から、先ほどの女性の甲高い悲鳴が響き渡る。


オルガは慌てて外へ飛び出した。



視線の先――少し離れた路地で、黒い体毛の魔物が数匹、地面を爪で抉りながら女性へ迫っていた。


(どうして……? この森にあんな高ランクの魔物が出たことなんて一度もない。それに群れで……!)




考えるより先に足が動いていた。


「逃げて!」




花束を抱えた女性に魔物の爪が振り下ろされる。


その瞬間、オルガは女性の前に飛び出し、両腕を広げて立ちはだかった。




ゴッ、と風を裂く音。鋭い爪が肩を裂き、鮮血が舞った。




「っ……!」


焼けるような痛みに思わず声を詰まらせる。




(この魔物なにかがおかしい、すごい興奮状態だ……!)




歯を食いしばりながら両手を地面に突き、必死に力を込める。


石畳の隙間から勢いよく蔦が伸び、魔物の足を絡め取った。




「早く逃げて! ギルドに行って、マッシモに伝えて!」




縛り上げられた魔物は唸り声をあげて暴れ、蔦が軋みをあげる。


(強い……! このままじゃ……!)




体は震え、肩から流れる血が服を濡らす。


それでもオルガは、必死に足を踏みとどめていた。




暴れる魔物の力に、絡みついた蔦が次々と裂けていく。


オルガの額から汗が流れ落ち、震える腕から力が抜けかけていた。




(だめ……押さえきれない!)




鋭い牙がこちらに向けられる。


思わず目を閉じた、その時――。




どこからか風が吹き抜け、足元の大地が脈打つように震えた。


枯れかけた街路樹の根が突然生き返ったように伸び、魔物の胴を絡め取る。




「えっ……?」




驚いた瞬間、胸の奥に熱のようなものが流れ込む。


それは自分のものではない、不思議な力の気配だった。




導かれるままに両手を突き出す。




「――っ!」




魔物の足元から棘を帯びた蔦が噴き出し、黒い体を容赦なく貫いた。


耳をつんざく悲鳴が響き、魔物は数度のたうつと、そのまま崩れ落ちる。




オルガは荒い息を吐き、膝をついた。


肩の裂傷がずきずきと痛み、視界がかすむ。




「……やった、の……?」




倒れた魔物は動かない。


それでも、恐怖と高揚が入り混じって胸が震えていた。




「一瞬……誰かから力をもらった気がした……」




ぽつりと呟くが、答える声も姿もない。



ただ、風が頬を撫で、背後の花々が小さく揺れただけだった。


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