花屋の昼下がり
「うーん……ずっとお家に帰れなかったし、愛想を尽かされちゃったのかな?」
オルガは花屋のカウンターから外を見つめ、少し悲しそうに呟いた。
「あの食い意地の張ったカラスのことだ。どこかで良い餌場でも見つけたんじゃないか?」
レオニダスがそう答えながら外にちらりと目をやり、店の床掃除を続けた。
寄生花の騒動から一か月。問題はまだ山積みだが、ラウエル帝国はやっと混乱から通常の日々へと落ち着きつつあった。
非番のレオニダスが店主顔負けの手つきで開店準備をしていると、開いたドアの向こうから大男が顔を覗かせた。
「おい、レオニダス……やっぱりここにいたのか! 少しは騎士団寮に帰れ。
お前、見かけによらずなかなか重い男だな。そのうちオルガに鬱陶しがられるぞ」
ギルド長マッシモがそう言い放つと、レオニダスはやや面倒くさそうな顔をして答えた。
「私の非番の過ごし方に口を出される筋合いはございません。それに、アルデバラン殿下から直々にオルガの護衛を命じられています。ご不満があれば、殿下に直接申し上げてください」
「はぁ……まあ良い。
ぼーっとしているオルガにはお前みたいな奴がちょうど良いのかもしれん……」
「私って、ぼーっとしてる……?」
オルガが自分を指差して首をかしげると、レオニダスは優しく彼女の頭に手を置いた。
マッシモは二人のやり取りを居心地悪そうに見つめ、話題を変えるように口を開く。
「そろそろ、冒険者と騎士団の合同魔物討伐遠征について詰めねばならんだろう?
アルデバラン様とルーカスは隣国のことで手一杯だ。遠征の指揮をとるお前とまず話をしたかったんだ。なのに城におらず、花屋で床掃除とは……」
マッシモが笑いを堪えながら言うと、オルガが自信満々に答えた。
「床掃除だけじゃないの。昨日の夜にお肉を仕込んでくれてて、お昼ご飯は私の好きな鶏肉の煮込みも作ってくれるの!」
「レオニダス、お前また泊まっていたのか! まぁ相手がオルガだからあれだが……女性の家に泊まることに少しは躊躇しろ!」
「あなたは私の父親か何かなのですか? 何をやろうが私の自由でしょう」
「お前の父親というよりは、オルガの保護者のようなものだ!」
レオニダスは興味なさげに顔をそらすと、話を本筋に戻した。
「討伐の話し合いは私もしなくてはならないと思っていたところです。そちらは連れて行く冒険者を選んでくれましたか?」
「ああ。いつ魔物が溢れ出してスタンピードが起きるかわからないからな、いつでも出発できるように準備はしてある」
「はーい! 私も準備できてるよ! たくさん体力の実とかー、魔力回復のやつとかー、眠らせるやつとかー、いっぱい持ってくね!」
オルガの呑気な声に、マッシモは信じられないという顔でレオニダスを見た。
「おいおいおい、まさかとは思うがオルガを連れて行く気か?! お前、正気か?!」
「私はいつも正気ですが。まあでも、オルガがいると魔物が寄ってこないですからね、そこら辺の対策は考えています」
「魔物が寄ってくる草があるから、それを燃やしながら歩けばいいよ!」
そのやり取りにマッシモは頭を抱えた。
「オルガ……お前を危険な目に合わせたくない。お前の両親――マーシャとトリスタンに顔向けできん!」
「マッシモ、魔物討伐に一緒に行くことで、側妃さんが言っていた“特別な場所”の手がかりが掴めるかもしれない。その場所は“血筋の者”でなければわからないらしいから、私が行かなきゃだめなの」
マッシモは重く息を吐き、レオニダスに向き直った。
「……レオニダス、覚悟はあるのか?」
「命に代えても、オルガを守る。」
レオニダスの宣誓は短く、しかし揺るがぬものだった。オルガはその答えに目を見開いた。
マッシモは苦笑混じりに長い息を吐き、最後に言い渡すように告げた。
「だが何かあったら、レオニダスを盾にしてでも逃げろ。わかったな? レオニダス、お前は死ぬな。死んだら俺が地獄まで迎えにいって、もっと酷い目に遭わせてやるからな」
オルガは小さく頷くと、真剣な目でマッシモを見返した。
レオニダスはオルガの肩に手を置き、軽く力を込めて頷く。
「だが油断するなよ」
マッシモはそれ以上口を挟まず、重い足取りで店の外へと向かった。
「遠征の件は、騎士団塔で詰める。遅れるなよ、レオニダス」
扉に手をかけたところで、ふと思い出したように振り返る。
「そうだ。マルタがお前に会いたがっていたぞ」
「マルタ! 元気にしてる?」
オルガの顔がぱっと明るくなる。
寄生花事件で最初に倒れ、長く眠りについていた少女。
オルガの力で救われた後、今は新米冒険者として少しずつ歩みを取り戻している。
「……あぁ。オルガに触発されたんだろうな。薬草の扱いは、今や中堅冒険者にも引けを取らない」
マッシモの言葉に、オルガの胸にじんわりと安堵と誇らしさが広がった。




