閑話-最後の呟き
母の腕に抱かれた記憶はない。
母は娼婦で、客の誰かの子を孕んだらしい。中絶を試みたが、うまくいかなかったのだろう。
母は俺に興味はなく、花に話しかければ「気味が悪い」と罵り、俺の存在などどうでもいいかのように扱った。
花だけが答えてくれた。
誰も見ていなくても、枯れかけた蕾が小さく震えて開く。
……それが、唯一の救いだった。
だが母が死に、奴隷商に売られてからは、その救いもただの「呪い」と化した。
畑を豊かにすれば鞭打たれ、鉱山の毒草を枯らせば気味悪がられる。
誰も、褒めはしない。
「便利な奴隷」――それが、俺という存在のすべてだった。
エストラーデ王国、宰相ヤーヴィスに拾われてからも、それは変わらなかった。
飯を与えられ、学を与えられた。
だが心を与えられることは、一度もなかった。
俺は「兵器」として磨かれただけだ。
“花を植え、命を奪え”
ただ、それだけを叩き込まれた。
⸻
オルガを見たとき、胸の奥で何かが軋んだ。
同じ“エルバの手”。
だが、あの少女は真っすぐに人を守るために使っていた。
笑って、泣いて、仲間に囲まれて……。
俺には決して持てなかったものを、当たり前のように抱いていた。
「ああ……もし俺も、お前みたいに……」
そう言いかけて、口を噤んだ。
俺の手は血で穢れすぎていて、彼女の瞳に映るに値しない。
⸻
取調室で、俺は選んだ。
カチリ――。
歯の裏に仕込まれた毒の花の種を噛み砕く。
苦い液が喉を焼いた瞬間、不思議と恐怖はなかった。
“これで、もう道具でいなくて済む”
視界が滲む中で、最後に思ったのはオルガの顔だった。
まっすぐな瞳。
俺とは違う道を歩んだ、同じ「エルバの手」。
「……羨ましいな」
声にならなかったその呟きと共に、セオドルの意識は闇に溶けていった。




