闇の花の囁き
低い石の天井と、錆びた鉄格子の囲まれた小部屋。
明かりは一本の魔法灯のみ。淡い光が、椅子に縛られた男の顔を照らしていた。
セオドル——捕縛されてすでに数時間。だが、その目には怯えも迷いもなかった。
部屋には、ルーカスとレオニダス。そしてオルガがいた。
オルガは壁際に控え、何かあればすぐに” 枷の種”を使えるよう準備している。
「名前と所属を言え」
ルーカスの声は低いが、圧がある。騎士団長としての威厳が空気を締め付けていた。
セオドルは鼻で笑った。
「セオドル・レンクス。エストラーデ王国諜報部、“エルバの手”所属。もうバレてるだろう?」
「誰の命令だ」
「……命令なんて、わかりきったことをきいて…楽しいか?」
セオドルは視線をゆっくり上げ、にやりと口元を歪めた。
レオニダスの拳がわずかに震える。
その時、オルガが静かに口を開いた。
「……マルタに、どうしてあんなことをしたの?」
しばしの沈黙の後、セオドルが呟く。
「彼女は“器”として選ばれただけだ、喜ばしいことじゃないか?」
「……!」
オルガの目が鋭くなる。
レオニダスが剣の柄に手をかけた瞬間。
カチッ。
乾いた音が、セオドルの口の中から響いた。
「しまった、オルガ!」
レオニダスが駆け寄る。だがすでに遅かった。
セオドルの口元から、黒く滲む血がこぼれ始めていた。
オルガが駆け寄り、即座に体力の実を口にこじ入れようとするが、セオドルが最後の力でそれを制するように首を振る。
「“あの場所”に……もう、毒は……根を下ろしてる……」
「あの場所…?もしかして……」
オルガの眉が動く。
「…………君たちが……気づけると……いいね……」
崩れるように、椅子ごと前へ倒れる。
その瞳から、光が完全に抜けていた。
……沈黙。
オルガが手を止め、レオニダスはその場に膝をつく。
ルーカスが、静かに目を閉じて言った。
「……やられたな」
ルーカスが部屋の扉を開けながら言う。
「すぐに、アルデバラン殿下に連絡を…」
オルガは立ち上がり、セオドルの亡骸を見下ろした。
「あなたの“花”が、どこで咲いているのか……必ず見つけるから」
レオニダスがそっとオルガの肩に手を置いた。
沈黙の中、部屋に立ち込める罪の匂いだけが、ゆっくりと消えていった。
*****
騎士団の地下牢を出た一行は、そのまま執務室へと足を運んでいた。
オルガの手には、小さな布袋が握られている。セオドルの持ち物──唯一の遺品だった。
「何か手掛かりになる物があるかもしれない」
ルーカスが低く呟いた。
レオニダスは黙って頷くと、袋の中身を机に広げるよう促す。
オルガは慎重に、中身を一つずつ取り出した。
使い込まれた短剣
破れかけた古文書の断片
奇妙な紋様が刻まれた小瓶
それと、折りたたまれた紙切れ
レオニダスが眉をひそめる。
「……紋様?」
ルーカスが近寄り、小瓶の底を覗き込む。
小さな種が、ひとつ。まるで生きているかのように、瓶の中でわずかに揺れていた。
「花の種か……?」
「でも、これは……」
オルガはそっと指で瓶をなぞる。
「……寄生花とは少し違う」
彼女は紙切れを開いた。
中には簡単なスケッチと、文字とも図ともつかぬ記号の羅列。
「解読できるか?」
「……これ、種を生成する時に使う呪文とちょっと似てる」
オルガの目が真剣な光を帯びた。
「もしかしたら……彼が生成した種を、消滅させる手がかりが掴めるかもしれない」
ルーカスがうなずく。
「いいか、オルガ。焦るな。これは君にしかできない。任せる。俺たちは、城の結界と寄生された者たちの対応に向かう」
レオニダスも扉へ向かいかけたが、ふと振り返った。
「オルガ。……無理はするな。何かあったら、すぐ呼べ」
オルガは微笑んで頷いた。
彼女は再び紙と瓶に向き直り、静かに息を整えた。
闇に咲こうとする“黒い花”に対し、
少女は、決して負けない光を心に灯していた。




