花屋にて
「ただいまー」
森の中、ぽつんと建つ花屋の扉を押し開けると、微かに土と薬草の匂いが鼻をくすぐった。
机の上には、“種生成本”がそのまま開かれている。
オルガは肩から荷物を降ろし、ため息まじりに腰を下ろした。
「……やっぱ、なんか足りないなー。呪い花」
本のページをぱらぱらとめくりながら、脳裏に浮かぶのは、皇子の眠る静かな顔と、
芽吹きかけて止まった、あの光の花。
「もう一回やり直し、っと。たぶん、力の込め方と呪文の配列かなー?」
指でページの角を折りながら、ぽつりとつぶやいていると――
「おーい、開いてるー?」
表の扉が乱暴に叩かれ、軽い声が響いた。
「あー、セレンじゃん」
オルガが立ち上がると、ちょうどそこに現れたのは、
冒険者姿の女魔法師――セレンだった。赤いマントに杖を片手にぶらさげて、いつも通りに元気そうな顔。
「久しぶりー。ギルド長が言ってたけど、なんかすごい依頼きてるらしいじゃん?」
「今さっき帰ってきたー。あれ、マッシモ絡みだったんだねー。皇子、呪われてたー。失敗したー。いまやり直し中ー」
「お、おう……テンションふつうだな」
セレンは困ったように笑いながら店内に入ると、すぐ棚の薬草を物色し始めた。
「で、魔法草、まだある? 三本くらいでいいんだけど。ダンジョン、けっこう厄介でさー」
「あるあるー。ちょっと待って。昨日干してたやつ……あった」
オルガは棚の奥から薄青い乾燥草を取り出し、紙袋に入れて手渡す。
「ダンジョン、私も行きたいなー」
「今度なー。けど、オルガが一緒だとさ、魔物が出てこないし、
ダンジョンも活動停止してすんなりクリアになっちゃうから、冒険者的には稼ぎにならないんだよねー」
「えー。便利じゃん」
「便利すぎるのも困るんだっての。稼ぎがね、稼ぎが」
「じゃあ見学だけー。なんもしないー」
「……それが一番危ないやつな気がする」
セレンが笑って肩をすくめる。
「それにしても、皇子かあ……すごいじゃん。あんた、王族と顔見知りになったってこと?」
「まだ顔見知りではないよ。寝てたもん。ずっと」
その父親の皇太子とは顔見知りになったけど。
「呪いねー、王族ともなると恨まれて大変だな。
呪いって、人の怨念とか不の気持ちが入ってて厄介だよな」
「うーん、そうだね。厄介な感じ」
「失敗したって、花咲かなかったのか?だから珍しく不貞腐れてるのか」
セレンの問いに、オルガは少しだけ考えてから答えた。
「うーん……ちょっと悔しい、っていうより、なんか、もやもやする。」
「……なるほど、あんたらしいね、まぁ、今回皇子様の件が失敗だったとしても、オルガなら何回かやれば成功するでしょ。あんたの力はうちのギルドのお墨付きだからなー」
そう言って、セレンはくすっと笑った。
そのまま魔法草の袋を揺らしながら、手をひらひらと振って帰っていく。
「うんー、ありがとー」
扉が閉まり、再び静けさが戻る。
オルガは本のページに視線を落とし、つぶやいた。
「よし。今度こそ、ちゃんと咲かせよう。“呪いの花”」
外では、森の風がざわりと揺れた。