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花咲く手には、秘密がある 〜エルバの手と森の記憶〜  作者: ソニエッタ
先生がお花屋さん

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むず痒い朝

オルガは香ばしいパンの焼ける匂いと、食欲をそそるベーコンの香りで目を覚ました。


「……うーん……いい匂い……」


まどろみの中で鼻をくすぐるのは、懐かしい朝の匂いだった。まだ両親がいた頃なら当たり前だった香り。


けれど、ここ何年もずっと一人で暮らしていると、こうして誰かが自分のために朝ごはんを作ってくれているというだけで、胸の奥がじんわりと温かくなる。


「……レオニダス、か」



彼は非番の時、気まぐれのように早朝から家に入り込み、オルガが寝ている間に勝手に朝食を作っていくことがある。だからこの匂いにも慣れているはずなのに――。




(でも、今回は……なんか違う)




無期限に、同じ屋根の下で寝泊まりする。


その事実を思い出した瞬間、オルガの胸にむず痒い感覚が広がった。




「うわぁ……なんか、変な感じ……」



布団の中でごろごろ転がりながら顔を覆う。


前に泊まったときは全然平気だったのに、なんで今回はこんなに落ち着かないのか、自分でもわからない。




コンコン、と控えめなノックがした。




「起きてるなら、そろそろ顔を洗え。パンが冷める」




低く落ち着いた声が扉越しに届く。




「っ……!」




思わず布団の中で跳ね起きる。


声を聞いただけなのに、胸がどきん、と跳ねた。




「い、いま起きるー!」




慌てて返事をして、寝癖のついた髪を手ぐしで整えながら、オルガは自分の頬がうっすら赤いことに気づいた。




(な、なんで顔赤くなってんのよ私……!今までだって何度も朝ごはん作ってもらってるのに!)




そんな自分に戸惑いながらも、オルガは顔を洗いに向かった。




――キッチンに行けば、きっと当たり前のように立っている。


だけど、今はその「当たり前」が、ほんの少しだけ特別に感じられた。






「うわー!美味しそう!!」


テーブルに並んだ湯気の立つ料理を見て、オルガの目がきらきらと輝く。


焼きたてのパンに、彩り豊かなサラダ。香ばしいベーコンと、とろりとしたスクランブルエッグ。



「レオニダスって、なんか料理がどんどん上達してる気がする…」


「んー、まあな」


レオニダスはパンを切り分けながら、少しだけ肩をすくめた。




「騎士団の寮だとあまり作らないのだが、時々ここに来て料理を作ってるだろ?あれで慣れたのと……レシピ本も見るようになったしな」


そう言って、彼はほんのり照れくさそうにオルガに微笑みかけた。




――その瞬間、オルガの胸がきゅうっと締めつけられる。




いつもは無表情で、鉄壁のように隙のない彼が、こうしてふと見せる柔らかな笑み。


それを真正面から向けられると、胸の奥がじんわりと熱くなり、息が詰まりそうになる。




(……なんか、心臓止まりそう……)




フォークを手にしたまま、オルガは固まった。


まるで一瞬だけ世界がスローモーションになったみたいに、目の前のレオニダスしか見えなくなる。




「……どうした?」


レオニダスが首をかしげる。


「もしかして、あまり腹が減ってないのか?」




「す、すごくお腹空いてる!!」


オルガは慌てて声を上げた。




動揺を悟らせまいと、がくがくしそうな手をなんとか抑えて、素早くフォークを口に運ぶ。


「い、いただきます!!」




――でも、口に入れた味がわからない。


胸のどきどきが大きすぎて、舌の感覚がちゃんと働いていない。




(なにこれ……落ち着け私……落ち着けぇぇ……!)


オルガはひとり心の中で叫びながら、なんとか平静を装おうと必死だった。


「今日はどうする予定だ?」


オルガの胸がまだ落ち着かないまま、レオニダスは優雅に紅茶を口に運びながら問いかけた。


その落ち着いた所作が、逆にオルガの心臓をさらに忙しくさせる。




「え、えと……」


思わず言葉がつかえる。


「ギルドに顔を出そうと思って…ほら、森にこもってるよりは外に出てたほうが、マルタに花を植えつけた人と接触する機会が増えると思うんだよね…」


「なるほどな」


レオニダスは短くうなずいた。


「まあ、そうだな。あくまでもオルガを狙って来てるわけだし、マルタが使えないとわかると次なる行動を起こしてくるだろう」


その淡々とした声が、妙に頼もしく響く。




――でも、さっきの笑顔を思い出してしまって、オルガの脳裏はぐるぐるしていた。


(あー……冷静になりたいのに、無理……なんで私、変に意識しちゃってるんだろ……)



「……顔が赤いが、熱でもあるのか?」


「ひゃっ!?」


不意に顔を覗き込まれて、オルガは変な声を出してしまう。




「ち、違う!なんでもない!元気!!すっごく元気!!」


思わず両手をぶんぶん振って全力否定するオルガ。




レオニダスは少し目を細めると、ふっと口元にわずかな笑みを浮かべた。


「……そうか。ならいいが」


その何気ない笑みに、オルガの心臓はまた跳ね上がる。




(あーもう……これ、絶対長期同居とか心臓もたないよ……!)




朝食を終えた二人は、並んでギルドへ向かうため外に出た。


そこには、いつものように白いカラスが待っていた。


「ごめん、ごめん、忘れてたよー」


オルガは笑いながら体力の実を取り出し、手を伸ばす。

カラスはすぐにオルガの腕に乗り、器用に実をついばんだ。




「……前より懐いてないか?」


レオニダスがぽつりと呟いた瞬間、カラスはぱっと顔を上げ、彼の方へ飛んでいった。


「えっ、ちょっと!?」


驚くオルガの目の前で、白いカラスはレオニダスの胸元に嘴を伸ばし、首飾りにしている小さな種をくわえて引っ張った。


その種は、以前オルガが試しに生成したが、効能がまったくわからなかった失敗作だ。


レオニダスは「色がいい」という理由だけで気に入り、首飾りにしていた。


「おい、やめろ。それは餌じゃない!」


レオニダスが眉をひそめて掴もうとするが、カラスは器用にひらりと肩の上に乗り、種を離そうとしない。


「ふふっ、やっぱり気になるんだね」


オルガは楽しそうに笑った。


「私が生成したものばっかり狙うんだよね。だから畑を荒らされるんじゃないかってちょっと心配」




「……なら、体力の実をたらふく与えてやるしかないな」


レオニダスは短く答え、カラスから種を取り返すと、胸元に戻してそっと指先で撫でた。




そしてふと、オルガを見やる。


「この種の色が、オルガの髪の色に似てる。……だから気に入ってる」




「えっ……」




オルガは思わず固まった。


胸の奥が、じんわりと熱くなる。




レオニダスはそれ以上何も言わず、ただ歩き出す。


「……行くぞ。ギルドに向かう」


「え、ちょ、ちょっと待って!」


オルガは真っ赤になりながら慌てて追いかけた。



白いカラスは、二人の後をついて、ひと声鳴いた。



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