騎士の決断、花屋の動揺
朝、レオニダスとオルガは騎士団本部の執務室へ向かった。
部屋にはすでにルーカスとアルデバランが揃っていた。
ルーカスの表情は、いつもの飄々としたものではない。
目の奥がどこか硬く、報告を聞く前から何かを感じ取っているようだった。
「……つまり、五年前にオルガのご両親が向かった場所と、エメリナが関係していると」
アルデバランが簡潔にまとめると、ルーカスは深く息を吐いた。
「五年前、か……」
そのつぶやきは、心の奥を抉るような痛みを伴っていた。
レオニダスはちらりと団長の横顔をうかがう。
「……ルーカス団長」
慎重に声をかけると、ルーカスは視線を落としたまま、低く口を開いた。
「ライラも……その頃だった」
かすれた声。
「『やるべきことがある。すぐ戻る』……そう言って出ていった。
行き先は……教えてくれなかった。問い詰めても、『任務じゃない、私個人のことだ』とだけ……それが最後だ」
オルガはそっと息を呑む。
机の下で、ルーカスの拳がかすかに震えていた。
「……全く関係ないとは思えない」
オルガが静かに呟く。
ルーカスは首を振ることも肯定することもせず、ただ苦い顔をした。
沈黙を破ったのは、レオニダスだった。
「団長……ひとつ確認させてください」
ルーカスが視線を上げる。
「ライラ殿の家族は、植物に関する何か特別な力を持っていたのですか?
エルバの手のような……ボスコの民の血筋に連なるようなものは」
その問いに、ルーカスはわずかに目を細め、考え込むように宙を見つめた。
「……ライラの父方は、薬草に長けていたと聞いたことがある。
彼女自身は“ただの騎士だ”と笑っていたが……草花に触れると、不思議とよく育つことがあった」
オルガの瞳が揺れる。
「やっぱり……繋がってるんだ」
彼女の声は小さく、それでも確信めいていた。
ルーカスはその反応に目を細める。
「オルガ、その“場所”について、何か知っているのか?」
オルガは一瞬迷い、けれどはっきりと首を横に振った。
「……まだ。でも、行かなきゃいけない気がするの」
ルーカスはその言葉を聞き、ほんの少しだけ目を伏せた。
瞳には、言葉にできない焦燥と――まだ手の届かない何かを探す苦しさがあった。
「もし……ライラも同じ場所に向かったのだとしたら――」
そこまで言いかけて、言葉が途切れる。
その先を口にすることすら、恐ろしいのだろう。
その沈黙を、アルデバランが引き取った。
「つまり、その“場所”を突き止めれば、五年前に起きたことの答えが出る可能性がある、というわけだな」
オルガがゆっくりとうなずく。
「……母さまも父さまも、ライラさんも、みんなそこに繋がってる気がする」
アルデバランは腕を組み、思案げに目を細める。
「だが手がかりがない。どうやってその場所を探す?」
オルガがわずかに唇を噛む。
何も知らない――けれど、何もしなければ答えは永遠に出ない。
そのとき、レオニダスが一歩前に出た。
「……なら、俺が一緒に探します」
ルーカスとアルデバランが同時に視線を向ける。
「オルガをひとりで行かせるつもりはありません。彼女は命を狙われたばかりだ。危険すぎる」
言い切る声音は、揺るぎなかった。
オルガが目を丸くする。
「レオニダス……でも、これは私の――」
「お前だけの問題じゃないだろう」
彼はかぶせるように言った。
「五年前の失踪も、側妃の裏切りも、魔物の異常発生も――全部繋がってるかもしれない。
……裏で糸を引いているのが隣国かもしれない。いや、そう考えた方が自然だろう」
レオニダスの声は低く、しかし確信めいていた。
「だったら、俺にも関係がある。騎士としてだけじゃなく……俺自身としてもな」
その言葉に、ルーカスが目を細める。
「隣国が、その場所の情報を手に入れて動いた……そう考えるのか?」
レオニダスは小さく頷く。
「エメリナが話した場所……何にせよ、隣国にとって利用価値のある何かが、そこにあるはずです」
アルデバランが腕を組み、思案するように言葉を継ぐ。
「もし隣国が禁忌に触れたのだとしたら……魔物の異常増加も説明がつく」
オルガは目を見開く。
「……じゃあ、森の異変も、私の両親が戻らないのも……」
「全部、誰かの意図的な仕業の可能性がある」
レオニダスが静かに言う。
その言葉は冷たく、けれど残酷な現実を示していた――。
***
執務室を後にしようとしたオルガは、軽く頭を下げた。
「それじゃ、私は森に戻るねー。お店も放っておけないし」
アルデバランは小さく頷き、ルーカスは片手をひらひらと振った。
「気をつけろよ。ま、レオニダスがいるなら大丈夫だろうが」
「任せたよ、レオニダス」
ルーカスも短くそう言うと、書類へと視線を戻した。
オルガは首をかしげる。
「え、送ってくれるの?でもいいよ?もう昼間だし、森までそんなに遠くないし」
レオニダスは無言でオルガを見下ろした。
「送るんじゃない」
「え?」
「これから当分、ずっと一緒だ」
「え?」
オルガがきょとんとする。
「なんで?」
レオニダスは眉をひそめた。
「お前は狙われた。相手が一度失敗したからといって、諦めるとは限らない」
「……でも、お店が狭いし、レオニダスの寝る場所なんて――」
「前に泊まったときの、ご両親の部屋があるだろ」
彼はあっさり遮った。
「安全が確定するまで、俺はお前をひとりにしない。いつまた襲われるかわからない状況だ」
「……ひとりにしないって……」
オルガは口をぱくぱくさせた。
「え、えーと……それってつまり、しばらく同居?」
「必要ならそうなる」
レオニダスは当然のように答える。
「……嫌か?」
「い、嫌っていうか……嫌じゃないけど!けどっ!」
オルガは顔を真っ赤にして慌てた。
背後からルーカスがくすりと笑う。
「へぇ、前は平気だったのにな。雨で帰れなかったときは普通に泊めたんだろ?」
「えっ……そ、それは、その……!」
オルガは目を泳がせ、ますます耳まで真っ赤になる。
レオニダスがじっと視線を落とした。
「……あの時は『好きなとこで寝てー』って平然と言ってたな」
「い、言ったけど!あれはほら、緊急事態だったし!今回はちょっと状況が……ちが……」
「状況が違う?」
レオニダスの目がわずかに細まる。
「ち、違うっていうか……なんか、こう……!あああもうっ!!」
オルガは両手で顔を覆ってしゃがみ込んだ。
レオニダスの口元が、ほんの少しだけ緩む。
(――やっぱり、今回は意識してるな)
内心で小さく頷きながら、わずかに口角を上げた。
ルーカスが横目で見て、薄く笑った。
「レオニダスの判断は正しい。お前の安全が最優先だ」
「……はぁぁぁ……」
オルガは観念したように肩を落とすが、顔はまだ赤いままだ。
レオニダスは淡々と告げる。
「決まりだ。じゃあ行くぞ」
「え、もう!?」
「今すぐだ。余計なことを考える前にな」
「よ、余計なことって何!?」
オルガが抗議するも、レオニダスは涼しい顔で扉に向かった。




