寄生花
日がすっかり傾いた頃、レオニダスとオルガを乗せた馬が、森の中の家へたどり着いた。
オルガはレオニダスの腕に掴まりながら、ふわりと馬から飛び降りる。
その様子を見て、レオニダスもすぐに下馬し、軽く手綱を引いた。
「ありがとう、送ってくれて。やっぱり馬って気持ちいいねぇ、森を走るの大好き」
「……それなら、また送る理由ができるな」
レオニダスの口調は相変わらず淡々としていたが、どこか照れたように目線を逸らした。その横顔に、オルガは少しだけ口元をほころばせた。
だが次の瞬間。
「オルガさーん!」
明るい声が、家の前から聞こえた。
「……マルタ?」
見慣れた新人の少女が、手に包みを持ってこちらを見ていた。
いつものように笑っているが、どこか表情が硬い。
「マルタ!どうしたの?もう日が暮れるよー?」
「先生に、お届け物です。今日、ギルドで会えなかったので……」
マルタは包みを両手に抱え、静かに微笑んでいた。
いつもと同じ声。けれど、そこに「マルタらしさ」が見えない。
オルガが笑顔で駆け寄ろうとした瞬間、背後から伸びた手が彼女の肩を掴んだ。
「待て」
レオニダスの声は静かだったが、明確な警告の色を帯びていた。
「……あれは、おかしい」
「え?」
レオニダスはゆっくりと前へ出た。彼の視線はマルタの足元と手の動きに注がれている。
「歩幅が均等すぎる。目線が、まばたきの間隔が、一定だ……」
そして、包みからかすかに漂う香りに鼻を寄せた。
「これは……“ミカリウム油”。隣国で使われる、神経を麻痺させる香油だ。吸い込むだけでも反応が鈍る」
オルガが目を丸くする。
「え、それ、ただの柑橘系じゃなかったの!?でもたしかに、なんか奥に……ツンってするね?」
レオニダスが短くうなずく。
「皮膚からも吸収される。気を抜くと——」
「オルガ先生」
マルタの声が遮った。
その瞳はまっすぐにオルガを見つめていた。まるで「そこに本人はいない」かのように。
「この香り……先生に似合うと思います」
そして、スッと一歩、踏み出した。
オルガが「?」と首を傾げた、その時。
レオニダスは剣を抜かずに、マルタの手首をつかんだ。
「動くな」
マルタは笑った。
だがその笑みの奥で、花が咲いていた。
首筋の下、衣の内側。寄生の花が小さく脈動している。
根のような筋が、皮膚の内側にうっすらと広がっていた。
「なにかに寄生されている……?」
レオニダスが即座にマルタの腕をひねる。
しかしマルタは全く痛がらず、無表情のまま香油の包みを手放そうとしない。
「マルタっ、やめてっ!その花——!」
オルガの叫びに、マルタの指先がピクリと動いた。
その瞬間、オルガは自らの「エルバの手」を発動。地面に根を走らせて、マルタの足を絡め取る。
ぎりぎりのところで、暴走は食い止められた。
レオニダスが無言でマルタの後頭部を軽く打ち、彼女の身体が糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
すかさず腕を抱きとめたオルガは、そっと地面に寝かせ、首元の服をかき分ける。
「……花が咲いてる」
彼女の声は、震えていた。
マルタの鎖骨の下、皮膚のすぐ内側に、小さな花が咲いていた。
花弁は透き通った紫。だが、根のようなものが身体の内へ、脈のように這い込んでいる。
レオニダスが見下ろす。
「何かわかるか?」
「この質感……葉脈の流れ……あと、反応の仕方。どう考えても……これ、エルバの手で生成された花だよ」
「お前以外にも使える者がいるのか?」
「いると思う……」
オルガは眉を寄せた。
「……こんな花、生成本には載ってない。“寄生される花”なんて、見たことも聞いたこともないよ」
彼女の手が、マルタの胸元で止まる。
呼吸は浅く、意識もない。だが命の気配はまだある。
「エルバの手って、基本的には“癒す”とか“守る”のが中心。毒とか攻撃系の花もあるけど、ここまで人を支配するような作り方は、見たことない……」
沈黙が落ちる。
風が木々を揺らし、森の影が濃くなっていく。
「……じゃあこれは、“載ってない”けど、誰かが作ったということか」
レオニダスの言葉に、オルガはゆっくりと頷いた。
「うん。“知られてない種”が使われたか、もしくは……エルバの手の使い方そのものを歪めた誰かがいる。こんな花、人に植えるためだけに作られたような……気味が悪いよ」
彼女はマルタの手を握る。
「マルタは悪くない。誰かに、使われたんだよ……」
レオニダスはオルガの肩に手を置いた。
「この花を、取り除く方法は?」
「やってみる。でも、うまくいくかわかんない。普通の花じゃないし、反応がエルバの手に近すぎる。力を流しすぎると、マルタの方が耐えられないかもしれない」
彼女の手は震えていたが、瞳は揺れていなかった。
「でもやる。……マルタを、助ける」
レオニダスは短く頷いた。
「支える。失敗しても、俺が止める」
森の空気は、夜の気配を孕みはじめていた。
けれどその静けさの中に、確かな決意の灯が、ふたりの間に灯っていた。




