オルガの講義
ギルドの裏手にある乾燥小屋。日が落ちる前の柔らかな陽射しが、吊るされた薬草の影を壁に落としていた。
「よし、あとは魔避け根の仕分けだけっと……。あ、マルタ、手を貸してー」
「はい。何をすればいいですか、オルガ先生?」
オルガはマッシモに頼まれて、高ランク向けの「魔物が嫌がる薬草講座」を開く準備をしていた。新人冒険者のマルタを助手に、薬草の整理や説明の練習に勤しんでいる。
「先生じゃなくて、オルガでいいってばー。で、これ見て。これとこれ、見た目はそっくりだけど、魔物に効くのはこっちね」
オルガは二本の似たような根を並べて見せた。どちらも細長く、くねくねと曲がっている。だが、一本は切り口から白い香気をほんのりと漂わせていた。
「……片方は匂いがありますね…」
「そうそう。ほら、目つぶって嗅いでみ?」
マルタは少し戸惑いながら目を閉じ、根に顔を近づけた。ふわりと鼻先に触れるのは、ほんの少し鼻に刺さるような、森の奥に迷い込んだ時のような匂い。
マルタは、思わず微笑んだ。
「オルガさん、すごいですね。本当に“感覚”だけで覚えてるんですね。あのとき、地図なしで森に入るって言われたときは、正気じゃないって思いましたよ」
「それ褒められてるのかなー?」
「もちろん、褒めてますって」
二人の間に初めて、ほんのりとした笑いが流れる。
***
講座が開かれたのは、冒険者ギルドの広い講堂。高ランクの冒険者たちがずらりと並び、期待とややの警戒を込めた目をオルガに向けている。何人かは、マッシモの顔を立てて来たのだろうが、オルガはまったく気にせず、堂々とした態度で話し始める。
「はいはい、注目~。今日は、身近に生えている草や花で魔物を撃退する方法を説明するよ。生き延びる確率が一ミリでも上がるかも?」
そのぶっきらぼうな開幕に、ざわめく聴衆。少なくとも、誰もがオルガの言葉に興味津々だ。
「マッシモに強い魔物に絞ってやってほしいって言われたから、まずはドラゴンから~」
ドラゴン。Aランクの冒険者でも手強い相手だ。硬い鱗に覆われているため、簡単には剣が通らず、少しでも躊躇すれば火を吹かれたり、爪でひっかかれたりして命を落としてしまう。
「ドラゴンのどこに急所があるかって言うと、実は体の一部に柔らかい場所があって、そこを狙って刺せば倒せるんだけど、みつかりにくいし、個体によってその場所は違うから探すのが大変なの。でも、この『ルルの実』をドラゴンの口に入れると、急所の色が変わるの。だから、ルルの実を見つけたら、絶対にポケットにいれておいてね!」
講堂内に、どよめきが広がった。
「嬢ちゃん、ドラゴンの何が分かってんだ。命がけで戦うんだぞ? そんな葉っぱや実でどうにかなるもんじゃないだろ!」
予想通り、高ランク冒険者の一人がヤジを飛ばす。それでもオルガは動じず、にっこりと笑う。
「今回は特別に、飼育されてる子供のドラゴン連れてきたよ~」
オルガがその言葉を放つと、聴衆の表情が一変する。何人かの冒険者は目を丸くし、互いに顔を見合わせた。
オルガは、準備しておいたルルの実を取り出すと、慎重に小さなドラゴンに近づけた。
「これが、ルルの実だよ。これを口に入れると、ドラゴンの急所の色が変わるんだ。さぁ、見てて」
彼女はルルの実をドラゴンの口元に差し出すと、ドラゴンはしばらくにらみつけていたが、興味を引かれて実を口に入れた。
「ほら、見て!急所の色が変わったでしょ?」
ドラゴンの体表に、明らかな色の変化が現れた。オルガが指し示すと、聴衆もその変化に驚き、次々と目を凝らす。
「もちろん、ドラゴンによってその位置は違うから、実際の戦闘では注意が必要だけど、これでどこを狙えばいいかがすぐに分かるようになるから、頑張って食べさせてね〜」
オルガはドラゴンの急所に触れ、軽くその部位を指で押さえた。
聴衆の中から、何人かが感心の声を上げ、オルガの話に引き込まれていった。
「薬草や花が、こうして戦闘の決定打になることもあるんだよ、魔物との戦闘において命を守る一手になるってわけ」
うオルガは小道具を取り出すと、さらに説明を続けた。
「さて、じゃあ次はドラゴン以外の魔物、例えばゴブリンとかオークとか、そういう相手に効く草を紹介するよー。特に魔避け草は、戦闘を避けたい時には便利なんだから、覚えておいてね」
オルガはギルドの広間に並べた草や花を一つ一つ指差しながら、解説を始めた。ひときわ目を引くのは、やや紫がかった葉を持つ小さな草「ノルムの葉」だ。
「これがノルムの葉。魔物の目をくらますために使うんだよ。葉を破ると、この匂いが周囲に広がって、魔物が方向感覚を失って、その場から離れたくなるんだ。戦いたくないときに使うには最適。だから、これも常に持っているといいよ」
オルガは、ノルムの葉をちぎって手に取ると、その匂いを漂わせてみせた。聴衆の冒険者たちも鼻をひくひくさせながら、じっと見守っている。
「ただし、魔物によっては匂いを感じ取れない場合もあるし、強い魔物には効かないから油断は禁物。それに、何度も使うと慣れてきて効果が薄れるから、あまり頼りすぎない方がいいよ」
その言葉に、何人かの冒険者が納得したように頷いた。
「あと、爬虫系の魔物は牙避け草の匂いが苦手なんだよ、サーベルタイガーとかキャットオンとかはビアンカきのこをあげると大人しくなっちゃう、それとーー
次に紹介するのはこれ、『サウラスの花』。魔物に対して攻撃的な感情を引き起こすから、逆に魔物が攻撃してきやすくなる。これ、逆手に取って、魔物の注意を引きたいときに使うんだ」
オルガは、青紫色の花を手に取ると、その花の特徴を詳しく説明した。その花が持つ特殊な成分は、戦闘中に一度使うと、その場の戦況を一変させる効果があることを伝える。
「でも、この花を使うときは注意。味方にも影響を与えるから、あまり無闇に使わない方がいいよ。それに、植物の使い方は使い手次第。しっかり理解してから使うこと」
オルガの話を聞いていた冒険者たちは、真剣にメモを取りながら頷き合う者もいる。中には、オルガの知識に感心している者もいるようだ。
その中で、ある冒険者が手を挙げた。
「嬢ちゃん、あんたの話は面白いが、実際にこれらを使ってみないと意味ないだろ。試してみようぜ」
オルガはにっこりと微笑んで、その冒険者を見た。
「いいよ、さっきのドラゴンを使って実演してみようか」
一瞬、場が静まり返る。誰もがその実演に興味津々で、目を凝らしていた。
オルガはサウラスの花を取り出し、ドラゴンの前に立てると、花の香りを空気に放った。
「さあ、ドラゴンの注意を引いてみるよ」
花の香りを嗅いだドラゴンは、急に頭を上げ、目をギラギラと光らせてオルガに向かって突進してきた。
「ほら、魔物が攻撃的になる。これがサウラスの花の力だよ」
その様子を見ていた冒険者たちは、さらに感心した様子で頷き合う。
この実演が終わると、オルガはしっかりとした声で締めくくった。
「こんな感じで、植物の力は使い方次第で戦況を変えることができるんだ。だけど、もちろん無駄に使っちゃだめ。状況を見極めて、いかに賢く使うかが重要だからね」
聴衆は納得したように拍手を送り、オルガは少し照れくさい顔をしながらも、満足げに講座を締めくくった。
講習が終わり、場内がざわつきながらも、オルガは笑顔で片付けを始めた。高ランク冒険者たちはそれぞれ興味深そうに話し合いながら去っていき、マルタもそろそろ後片付けを手伝おうと歩み寄った。
しかし、その足取りはどこかふらついていて。
「マルタ、大丈夫?」
オルガはすぐに気づき、マルタの様子を見て問いかける。マルタは顔をしかめ、手を額にあてた。
「う、うーん…なんか、頭が痛くて…さっきの講習、意外と疲れました」
「無理しなくていいよ?ただの薬草の講座なのに、結構身体に響くんだよね、あれ」
オルガは少し心配そうにマルタを見つめながら、そっと椅子を引いて彼女に座るように促した。
「はぁ…でも、何か知らずに力入れちゃって。ずっと考えてたから、ちょっと脳みそ使いすぎたのかもしれません」
マルタはちょっと笑顔を作って見せたが、それでも顔色はあまり良くなさそうだった。オルガは水を取りに行こうとすると、ふと立ち止まってマルタを見つめた。
「ちょっと休んでから帰った方がいいかもね」
オルガはマルタに水を渡し、彼女が少しでも楽になるようにと、そっと背をさする。
「ありがとう、オルガさん…」
「いつでも頼ってね、私がができることは手伝うからさ」
二人はしばらく静かに休憩を取りながら、その日の講習のことを振り返り、少しずつまた笑顔が戻り始めた。




