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花咲く手には、秘密がある 〜エルバの手と森の記憶〜  作者: ソニエッタ
先生がお花屋さん

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オルガの先生一日目

朝の森は、まだひんやりとして、湿った土の匂いが立ちこめていた。


「じゃ、ついてきて~。はぐれたら置いてくからよろしくー」


のんびりとした声でそう言い放つオルガの背中を、新人たちは戸惑いながらも追いかける。


その中には、数日前にギルド登録したばかりの少年や、元農家出身の女の子、読み書きがやっとの元傭兵風の青年、貴族の青年も混じっていた。


「えっと、オルガさん、地図とか……ありません?」


「地図? ないよー。この辺は感覚。森ってね、生き物だから、昨日あったものが今日ないなんて普通。頼れるのは目と鼻と、足!」


「え、やば……鼻って……無理だろ」


ひとりが小声でつぶやき、周囲の空気がわずかに揺れた。

すると、オルガがくるりと振り向き、にこにこと笑って言った。


「だいじょーぶ。死なせるつもりはないからさ。たぶん」


「たぶん!?」


その言葉に何人かが青ざめたが、気づかぬふりで歩き続けるオルガ。



やがて、光の差し込む小さな沢にたどり着いた。


「さて、ここが今日の練習場所。森の薬草って、見た目そっくりでも効果が全然違うから注意してね~。はい、これ!」


そう言って、オルガは腰のポーチから二種類の草を取り出した。


「右が《傷を治す効果がある薬草》。左が《痒くなっちゃう草》。見た目はほぼ一緒。でも間違ったら大変なことになっちゃう、一日中痒くなっちゃうぞー」


「そ、それは間違ったら大変ですね……」


「だよね~。だからさ、葉っぱの先っぽを見て。薬草は先が“くるん”って丸まってるの。痒い草はピンッてまっすぐ。触れば違いも分かるよー。こっちの方がちょっとあったかい」


オルガは軽やかに指先で葉を撫でながら、感覚の違いを伝えていく。


新人たちは最初こそおっかなびっくりだったが、次第に熱心にメモを取り、質問の手も上がるようになった。


「この花、図鑑で見ました! ちょっと甘い匂いが……」


「あー、それは近づいちゃダメ。花粉吸うと幻覚見えるから。前にマッシモがやられて、三時間くらい森の中で『空飛ぶ豚と喋ってる』とか言って、笑いながら跳ねてた」


「ギルド長……」

「威厳が…」


新人たちが小さく吹き出し、緊張がやわらぐ。


そんな柔らかい雰囲気の中、一人の少女――農家出身のマルタが、小さな悲鳴を上げた。


「きゃっ、ごめんなさい、足滑らせて……!」


急な斜面に足を取られ、転げ落ちそうになるマルタ。


「はい、ストップ!」


オルガが駆け寄るよりも先に、根っこが地面からぴょこりと伸び、マルタの足首をふわりと抱え、転倒を防いだ。


「……いまの、もしかして……」


「えへへ、私の力、植物が協力してくれるの」


オルガは照れたように笑う。


「この森、私が育てた薬草も混じってるから、言うこと聞いてくれるの。みんなとも、ちゃんと仲良くなれたら、助けてくれるかもよ?」


「……なんか、すごいな、オルガさん」

「うん、ちょっと……かっこいいかも」


ぽつりと誰かが言ったその言葉が、小さな波紋のように広がる。

オルガはいつもの調子で「まーねー」と受け流しつつも、心の中でふわりと温かなものを感じていた。




(――この子たちなら、大丈夫そう)


森の葉が、優しく揺れる。

それはまるで、新しい芽が育ち始めたことを祝福するかのようだった。



午後の光が差し込む中、新人たちは薬草の採集に集中していた。


「えっと、ここの新芽のところを優しく摘んで…」


「これってレサ草ですよね? 煎じると疲労回復に使えるやつ」


「正解~! でも、その下の方に生えてるのは毒草だから気をつけてね。うっかり混ぜたら、下痢で一日動けなくなるからね~」


オルガの軽快な声が響き、場に和やかな空気が流れる。



しかしその時、森の奥から何かが這うよう不穏な音が響いた。


「……ねえ、今の音、なに?」


「足音じゃないよな……なんか、這ってる……?」


空気が一変する。鳥のさえずりが止み、森が不気味な静寂に包まれた。


そして――




ズシャアッ!


茂みをかき分けて現れたのは、黒緑色の鱗に覆われたトカゲのような魔獣だった。胴は長く、尾は太くうねっている。目は赤く光り、舌をぴちゃりと鳴らしている。


「な、なんだあれ……っ!?」


「鱗蜥蜴……っ!? 森の外にいるはずの魔獣なのに……!」


「後ろに下がってて〜」


オルガがそう言った瞬間、鱗蜥蜴が舌を伸ばし、木の枝を絡め取って破壊する。


新人たちは悲鳴を上げて後退しようとするが、オルガがぐいっと前に出た。


「えっと、このトカゲっぽいのは何が効いたんだっけなー、えーっと…」


「オルガさん! 考えてる場合じゃ――!」


「……あ、あったあった。これね!」


オルガは少し考え込むと、近くに群生していた、葉の尖った草を掴み、茎をちぎって汁を飛ばした。強い芳香が一気に立ち上る。


「牙避け草。爬虫類系の魔物が苦手な匂いなんだよ。覚えておくと便利ー。あ、ちょっと効いてきたみたいね」


鱗蜥蜴は鼻先をぶるぶる震わせた後、うねるように後退し、そのまま森の奥へと姿を消した。




静寂が戻る。


「あ、あれ……逃げた……?」

「戦ってない……のに……!」

「まさか匂いだけで追い払うなんて……」


オルガは「やれやれ」と言わんばかりに息を吐き、種袋を肩にぽんと投げた。



「植物って、万能じゃないけど……知ってればけっこう便利なんだよ?」


誰よりも魔物に近づき、誰よりも冷静に行動した彼女を見て、新人たちの目が変わる。


「オルガさん……やっぱ、ただの花屋じゃないよな……」


誰かがつぶやいたその言葉に、誰もが無言で頷いた。





****


オルガたちが森で魔物と対峙していたころ、騎士団本部の執務室では、副団長レオニダスが眉間に皺を寄せて報告書に目を通していた。


「……ドレイヴァン家と、エストラーデ王国……やはり繋がっていたか」


レオニダスは報告書を睨みつけたまま眉間を寄せた。


斜向かいの席から、能天気な声が飛んでくる。


「『副団長、そんな顔してると、皺が増えるよ〜』」


「……今のは、オルガの真似のつもりですか?」


「バレた? やっぱり似てたでしょ?」


「似てません。何ひとつ。気持ち悪いです」


「えー冷たいなぁ。最近は副団長じゃなくて“レオニダス”って名前で呼んでもらえてるんだっけ?進展してるんじゃないの?」


「……くだらない詮索はやめてください。相談するならもっとマシな相手を選びます」


「そんな言い方、ひどいなぁ! いつでもお兄さんが恋バナにも人生相談にも乗ってあげるのに。ね? レオニ〜くん」


「その喋り方、アーベル宰相に似てきましたよ。ぞっとするのでやめてください。……報告書の話に戻してもいいですか?」


「どうぞどうぞ〜、副団長殿。で、アルデバラン殿下の参謀からの報告書にはなんて書いてあったの?」




レオニダスはひとつ息を吐き、無言のまま報告書の一頁を指先で軽く叩いた。


「……ドレイヴァン侯爵家の調査記録です。エメリナ側妃の叔母が、隣国エストラーデの有力貴族に嫁いでいたのはご存じの通り。その縁で、側妃自身も若い頃、エストラーデの第二王子ヤーヴィスと親交があったようです。単なる外交的な関係ではなく――私的にも、かなり近い距離だったと記録されています。陛下に嫁いでくる以前まで、交流は続いていたようですね」


「……ふうん。エメリナとヤーヴィスに“個人的な繋がり”が、か」


ルーカスの目の奥に、わずかに警戒の色が差す。


「第二王子ヤーヴィス……今はエストラーデの宰相、だったね?」


「はい。数年前、ガイウス王が事故死し、跡を継いだのが王太子のエミル王。ですが、王は病弱で表に出ておらず、実権は宰相ヤーヴィスが握っています。軍備の拡張、貴族院の粛清、対帝国を意識した動きが急速に進んでいると」


レオニダスは報告書を指で叩き、声を落とした。


「……加えて、ドレイヴァン家を通じて帝国内部の情報が、断続的に漏れていた可能性があると。参謀本部は、その線を強く見ています」


ルーカスは椅子の背にもたれかかり、軽く頭をかいた。


「きな臭くなってきたなぁ…」


レオニダスは黙って頷き、静かに報告書を閉じた。

その眼差しには、すでに剣を抜く直前のような緊張が潜んでいた。



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