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花咲く手には、秘密がある 〜エルバの手と森の記憶〜  作者: ソニエッタ
先生がお花屋さん

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マッシモのお願い

風に揺れる葉が、さわさわと擦れる。小鳥のさえずりが、その隙間を軽やかに縫っていく。


今日も森は、いつも通り穏やかだった。

オーブンに入れたクッキーの甘い香りが、ほのかに風に乗って流れてくる。


オルガの意識はもう、それだけだった。焼き上がりまであと少し。


それを邪魔するように、やけに大きな声が飛んできた。


「このままじゃまずい…。オルガにしか頼めない……魔物も増えている、早く冒険者を育てなきゃ……って、聞いてるか?」


「……ギルド長。その件はギルド内で解決すべきかと。オルガは関係ありません」


ぴしゃりと遮ったのは、隣で茶をすすっていたレオニダスだった。


その声に、マッシモの眉がぴくりと動く。


「おいレオニダス、お前が言うな。王族のゴタゴタに巻き込んだ張本人がどの口で……ってか、なんでお前がここにいるんだ?」


「今日は非番です」


「非番だからって、なんでオルガの家にいる?」




「……」


レオニダスは答えず、茶を一口すするだけだった。


そのやり取りすら、オルガにはどうでもよかった。今はクッキー。それ以外の話は、全部雑音。



(……早く、クッキーできないかな〜。)




朝からずっとこの調子だった。


レオニダスは勝手に家に上がり込み、マッシモはさっきから騒がしい。




にぎやかというより、うるさい。




「オルガ、お前が薬草の取り方を教えた新人たち、覚えてるか?あいつら、今じゃ立派にランク上げてるぞ。ミーナも褒めていた、薬草の扱いだけは一級品だって。だから頼む、新人講習を受け持ってくれ。お願いだ!」


マッシモの声には、いつになく切羽詰まった響きがあった。


「このままだとスタンピードが起きるかもしれん。今のうちに基礎を叩き込んどきたいんだ」


ようやく、オルガは顔を上げた。


マッシモをちらりと見て、ふうとため息。



「はいはい。森に連れてって、薬草の見分け方と採り方教えればいいんでしょ?

マッシモには散々、実験台になってもらったしね〜。その恩は返しとくよ」


「おお……その言葉、嬉しいやら怖いやら……」


青ざめたマッシモが身震いするのを、オルガは気にしない。


そのとき、レオニダスが静かに口を開いた。


「魔物の件ですが、騎士団も討伐隊の編成に入っています。このままでは本当に危険です。それにしても……なぜ、この国だけが、こんなにも魔物に悩まされているのか」


「……ああ。何が起きてるのか、誰にも分からん。だが、ただの自然現象じゃねえことは確かだ」


森に吹き抜ける風が、ふと重たくなる。




オーブンのタイマーが「ちん」と鳴った。


「……あ、できた!」



オルガが立ち上がると、二人の男たちは同時に口を閉じた。


クッキーの香ばしい匂いが、ほんのひととき、不穏な空気を塗りつぶした。



甘い香りに誘われて、マッシモが鼻を鳴らした。


「おお……これはまた、いい匂いだな。さすがオルガ。香りだけで腹が鳴る」


クッキーをひとつつまもうとして、オルガに目だけで威嚇される。


マッシモは指を引っ込めたものの、名残惜しそうに天板を見つめ続けていた。




「それ、私が作ったんじゃないよ」


「……へ?」



「レオニダス」


そう名指しすると、レオニダスは何事もなかったかのようにうなずいた。




「オルガがまだ寝ていたので、暇つぶしに。レシピどおり、分量も時間も正確です。それに途中で天板を回したので焼き加減も完璧です」


マッシモが目を丸くする。


「え、お前が!? っていうか、完全に不法侵入じゃねえか!オルガ、鍵をかけろ、鍵を」



「鍵はかかっていましたが、鍵をどこに隠してあるか教えてもらっているので」



「……それもどうかと思うぞ!」



「問題ないでしょう」




そう言って、さも当然のようにクッキーを一枚差し出すレオニダス。


マッシモはおそるおそるかじった。




「……うまっ。なにこれ、外サクサクで中ほろっと崩れる……甘すぎないのもいい……!」



「さすがレオニダスだね。融通きかないけど、味は文句なしだよー」



オルガもひとつつまんで、ぱくりと口に運ぶ。


さっくりした食感、じんわり広がるやさしい甘さ。……うまい。悔しいけど、文句のつけどころがない。



「当然だ」



レオニダスはわずかに胸を張った。

その顔には、ごく控えめ――しかし確実な得意げがにじんでいる。



マッシモはそれを見て、そっと心の中で突っ込んだ。




(いやそれ、褒められてねえぞ……)






****




「じゃあ、講習は二日後からでいいな? 朝、ギルド前に集合ってことで」


マッシモが念押しすると、オルガはだるそうに手を振った。


「はいはい、朝でしょ朝。寝坊しないように、って自分に言っとく〜」


「頼んだぞ。ほんとに助かる」


マッシモはそう言って玄関へ向かい、靴を履きながらふと振り返った。




「それにしても……焼き菓子も戦闘もやる副団長って、なかなかだよな。器用すぎるってのも、考えもんだ」



ぼやくように言って、笑いながら去っていった。



扉が閉まり、ようやく家の中に静けさが戻る。

……と思ったのもつかの間、奥の部屋からふわりとページをめくる音が聞こえた。



レオニダスが、茶を新しく淹れ、椅子にもたれて本を読み始めている。



「……あのさ、レオニダス。いつ帰るの?」



「あと数章で区切りがつく」



「そういうことじゃなくて……」


オルガは言いかけて、ため息をついた。

まあいいか、と思い直す。


クッキーもまだあるし、静かにしてくれるなら邪魔ではない。




けれどそれでも、やっぱり――




(ほんとに、いつ帰るんだろうな……)




オルガはぼんやりそう思いながら、空いたカップを片づけに立ち上がった。




風がまた、葉を揺らしている。


森は今日も、平和だった。










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