閑話-名前-
オルガは森の花屋を臨時休業にして、帝国騎士団の畑にいた。土の匂いに囲まれながら、腰を下ろし、黙々と草を間引いている。
「……ここ、なんの種植えたっけ? 忘れちゃったな。変なのじゃないと思うけど……」
物騒な独り言に、傍らにいたレオニダスは微かに眉を動かす。
「アルデバラン殿下は運が良かったが……この畑の植物には、オルガ嬢の許可が出るまでは触れぬよう、皆に伝えておくべきだな」
「うん、そうして〜。死人が出たら責任とれないしね〜」
悪びれもせず笑うオルガに、レオニダスは目を細めた。
それは笑顔ではなく、信じがたいものを見る時の顔だった。
そこへ、遠くから陽気な声が飛んでくる。
「オルガさーん!」
「ん? ……あ、ルイス!」
オルガは立ち上がり、泥のついた手をパンパンとはたきながら、手を振った。
若い騎士――ルイスが、駆け足で近づいてくる。
「レオニダス副団長、お疲れ様です!」
眩しいほどの笑顔、声に力があり、動きにも無駄がない。
まだ十代か、せいぜい二十代前半だろう。
同じく若手に分類されるはずのレオニダスも、ここ最近の混乱のせいで、その顔はどこか老けて見えた。
「ああ……ダンジョンではよくやった。立場も腕も上の相手に剣を向け、それでも殿下を守り抜いたと聞いている。立派だ」
「いえ、騎士として当然の務めです!」
その言葉に偽りはない。だが、それがまたレオニダスには眩しく映った。
今の自分は、机と報告書に囲まれる時間の方が長い。
――それに。
「ルイスさ、すごい怪我してたのに生き延びててびっくりしたよ。あの時だいぶ経ってたでしょ、私たちが来るまで」
とっさにツッコミたくなるようなオルガの言い草だが、レオニダスの関心は別にあった。
(ルイス……だと?)
違和感が胸をかすめた。
オルガが、名前で呼んでいる。
(俺には“堅物”か“石頭”、良くて“副団長”なのに……)
微妙な感情が胸をざわつかせるが、レオニダスは努めて表情を変えずに口を開いた。
「……アルデバラン殿下の護衛に選ばれたはずだが、こんなところで油を売っていていいのか?」
「いえ、副団長。殿下からのご指示でして! オルガさんに“体力の実”をもらってきてほしいと仰せつかりました!」
「今、摘んだとこだよ〜。はい、これ」
オルガがざっくり束ねた実を手渡す。
「ありがとうございます! あ、これ袋です!」
ルイスはぴしっと姿勢を正して礼を言うと、また明るい笑顔を残して去っていった。
「ルイス、またね〜」
ひらひらと手を振るオルガを横目に、レオニダスは黙ったままだ。
その背中に、もやもやと名状しがたい感情がじわりと広がる。
(……“またね” か)
ルイスの背中が見えなくなっても、オルガは名残惜しげに手を振っていた。
レオニダスはその横顔をちらりと見て、少しだけ沈黙を置いてから、口を開いた。
「……オルガ嬢」
「ん?」
「俺の名前、知っているか?」
オルガは「こいつなに言ってんの?」という顔でレオニダスを見上げる。
「知ってるけど?」
「そうか。では、言ってみてくれ」
「……え、なに、急に。テスト?」
レオニダスは腕を組んで静かに頷いた。
オルガは首をかしげながらも、小さく唇を動かす。
「…..レ…..レオ…ニダス?」
「おそるおそる言うな。正解だが、なんだその扱いは」
「いや、あんまり呼んだことないなーって思って」
オルガは軽く笑って、しゃがみ直してまた土をいじり始めた。
レオニダスは少しだけ眉をひそめる。
「ルイスのことは、名前で呼んでいたな」
「うん。なんとなく」
「俺は?」
「えー、その時の気分かな」
「……名前で呼べとは言っていないが、そろそろ“石頭”やら”堅物”はやめてくれないか?」
「でも合ってるよね?」
レオニダスは小さくため息をついたが、それ以上は言わなかった。
だが、去りかけた背を、オルガの声が追いかける。
「レオニダス」
一拍おいて、彼は振り返る。
オルガはしゃがんだまま、泥のついた手を振って笑っていた。
「またね〜」
……ルイスの時と、まったく同じ笑顔で。
レオニダスは苦いような、それでいて少し頬が緩むような、妙な心持ちのまま、無言で手をあげて応えたのだった。
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