閑話-騎士団長の休日-
騎士団塔の執務室。
窓の外から金属がぶつかる音と、男たちの唸り声がかすかに響く。
レオニダスはそれを片耳に聞きながら、書類の山に向き合っていた。
──最後に剣を振ったのは、いつだったか。
思い返そうとして、すぐにやめた。
ここしばらくは、王族絡みの後始末ばかりだ。騎士というより文官だな、と自嘲気味にため息をつく。
そのとき、ノックの音。間を置かずにドアが開いた。
「やっほー!騎士団長いるかなー?」
軽薄そうな声とともに現れたのは、宰相アーベル。
入るなり、部屋をひととおり見回す。
「アーベル様。返事を待ってからドアを開けるのが礼儀というものです。団長は休暇中です」
「え? 聞いてないよ? ルーカスいないの?」
「なぜ貴方に逐一知らせねばならないんですか。ようやく一件落着しましたから、今のうちに休まなければ、次はいつになるかわかりません」
「そうだよねぇ〜。最近魔物も変に増えてるし。原因もよくわからないしね〜」
アーベルは返事を待たず、勝手にソファへ腰を下ろす。
「……何してるんですか」
「僕、紅茶でいいよ?」
呆れたように睨みつけたレオニダスは、無言で立ち上がり、ポットに魔法で水を注ぐ。
手を添えると、やがて湯気が立ち上った。
「ルーカス、ちゃんと休めてるといいけどね」
アーベルの声は、いつになく低く静かだった。
その一言に、レオニダスの手が止まる。
「……本当の意味で休めるようになるのは、ライラさんが見つかったときです。気持ちのどこかが、ずっと張り詰めたままなんでしょう」
「もう五年だよ? 普通なら諦める頃だよねぇ。ほんと頑固だよ、あの人。……僕で我慢してくれれば楽なのにね、あはははっ」
「……それ、冗談で言ってるように聞こえないのでやめてください」
レオニダスは顔を上げず、静かに言った。
アーベルはレオニダスの声色に口をつぐんだのだった。
****
ルーカスは、ただ馬を走らせていた。
道を選ぶでもなく、方角も決めず、ただ風の吹く方へ。
休暇のたびにこうして馬を出すのが、もう習慣になっていた。
ライラが見つかるまでは、止まる理由もない。
目的地がない旅は、ただ“探している”という行為だけが支えだった。
──五年。
それは「もう」なのか。「まだ」なのか。
やるべきことがあるからと、すぐ戻るからと、そう言って笑ったきり。
ライラは、それきりだ。
思い出そうとするたび、記憶の輪郭は少しずつぼやけていく。
どんな声で笑っていた?
どんな声で、自分の名を呼んでいた?
くっきりとしたはずの彼女の表情が、まるで霧の中にあるように遠ざかっていく。
ライラは騎士だった。
自分と肩を並べ、剣を振い、無茶をして、笑って──
そうして、ある日気づけば、ただの戦友ではいられなくなっていた。
親愛が変わったのは、いつだったのだろう。
気づいた時には、もう手遅れだった。
「……」
ふと、馬が足を止める。
目の前には見覚えのない丘と小さな林。帝都からは、もうかなり離れている。
ルーカスは軽く手綱を引き、馬の首筋を撫でた。
「悪いな、つきあわせて。……俺が気づけばよかったのにな」
馬は何も答えない。けれど、その耳が少しだけこちらに向いた。
「……これ、休暇中に帰れるかな。レオニダスにまた小言言われそうだな」
苦笑しながら、もう一度手綱を握る。
馬は静かに前脚を踏み出し、またゆっくりと歩き出した。
終わりが見えなくても、足を止めるわけにはいかない。
それが、彼にとっての唯一の希望だった。




