魔物の襲撃
捜索隊がダンジョンの中腹に差しかかったとき、先頭を進んでいたルーカスがぴたりと足を止めた。
「……何かおかしいな」
低く発せられた声に、騎士たちが周囲を警戒するように視線を走らせる。
「魔物が一切出てこない。それに、通路がまったく変わっていない」
ダンジョンは生きている──そう呼ばれるほど、侵入者の存在に反応し、構造を自在に変化させる。それゆえ、入る際には必ず“入り口”と“現在地”を魔法でタグしておくのが常識だった。
だが、今回は必要なかった。
「……それが、オルガを連れてきた理由だ」
後方で歩いていたマッシモが、ぼそりと呟く。
「オルガが中に入ると、ダンジョンの機能が鈍くなる。通路は固定され、魔物も出にくくなる。今回のような捜索には最適ってわけだ」
「そんなことって、あるのか……?」
ルーカスが振り返り、無言で苔のついた壁を撫でているオルガを見やる。
マッシモは肩をすくめた。
「詳しいことはわからないが……オルガの両親も似たような感じだったからな。植物系の力があるものがボスコの民やら精霊の末裔やらの話は、あながち間違ってないかもしれんな、ダンジョン自体が精霊や古き神の領域だとすれば、相性が悪いというのも道理だ」
騎士たちが言葉を失う中、場にそぐわぬ声が響いた。
「ねえセレン、わたし前から一緒にダンジョン行きたかったの、いつもダメって言ってたけど、やっと一緒にこれたね!」
ふわりと肩越しに顔をのぞかせたオルガに、セレンが眉をひそめる。
「しょうがないよー。魔物が出ないんじゃドロップアイテムも出なくなるんだもん。わたしの儲けがゼロになるの、つらいんだから」
「まったく魔物が出ないわけじゃないよ? 奥にいる強いやつは普通に襲ってくるからー、気を抜かないでね」
オルガは一拍おいて、ゆっくり首をかしげた。
「それ、先に言ってよ」
セレンが肩をすくめる横で、マッシモが小さく息を吐いた。
「まあ、魔物が減るってだけでもありがたいよ。普段ならここまで来るのに倍はかかる。……もう少し奥に進めば、何か手がかりがあるはずだ」
隊は再び歩き出す。通路の先にかすかな光が揺れている。
オルガが壁を見ながら、ふと立ち止まった。
「……あれ?」
「どうした?」
ルーカスが警戒して振り返ると、オルガは床の隅にしゃがみ込み、何かをつまんでいた。
「この草……焼けてる。誰か戦ったんじゃないかな」
マッシモが目を細める。
「アルデバラン殿下の護衛隊か? それとも……」
「どっちにしても、近いってことだね」
ルーカスが剣の柄に手をかける。
「用心しろ。そろそろ、“出る”ぞ」
そのときだった。奥の暗闇から、ぞり……と何かが這うような音が響いた。
通路の先、影の中からぬるりと現れたのは、獣とも人ともつかぬ、黒く染まった魔物。
ぬるりと通路に這い出したそれは、四肢を持ちながらも骨格がゆがみ、黒く濡れた皮膚がところどころめくれ上がっていた。目はない。ただ、音に反応するように、頭部がぎこちなくこちらを向く。
セレンが短く息を呑む。
ルーカスが剣を抜き放つ。
「マッシモ、後衛を頼む。オルガ、下がれ」
その指示に、オルガはきょとんとした顔をしたまま、じり、と一歩下がった。
「……えっと、あれ持ってきたはず」
ぽつりと呟き、足元の袋から何かを取り出す。
「オルガ、動くな!」
叫ぶルーカスの前で、魔物が跳ねた。異様な速さで距離を詰め、セレンが咄嗟に防御魔法を展開する。
だがその瞬間、オルガが放った小さな葉っぱが空中で弾け、ぱんと乾いた音を立てた。
ふわりと白い粉が舞う。
魔物の動きが、ぴたりと止まった。
足元に広がるのは、瞬時に芽吹いた草の輪。淡い光をまとった花が、一斉に魔物の周囲を包み込んでいた。
「……動けなくなってる?」
セレンが驚いたように呟いた。
オルガは頷く。
「うん、痺れ草」
マッシモが小さく吹き出した。
「……オルガ……まったく、びっくりさせないでくれ」
「うーん、でも止まったから、いいでしょ?」
魔物は、ぎしぎしと歯ぎしりのような音を立てながら、しかし一歩も動けずにいた。
ルーカスが剣を構え直す。
「今のうちに仕留める。援護を頼む!」
ルーカスの剣が、静かに振り下ろされた。
魔物はくぐもった音を立てて崩れ落ちる。血は出ない。ただ、地に染みこむように黒い液体がにじんでいた。
「ふぅ……片付いたか」
セレンが杖を肩に担ぎ直し、ルーカスが通路の奥に目を向ける。
「妙だな。……この通路、ずっとまっすぐ続いている」
その時だった、ずしん、と地鳴りのような音が、通路の奥から響いた。




