閑話-皇子と天使-
王宮の一室には、まだ夜の帳が残っていた。
窓に滲む薄明かりが、静寂を少しずつほぐしていく。
結界を張り終えたゼーレは椅子に腰かけ、目を閉じていた。できることはすべて終えた。あとは、ただ祈るだけ。
静寂の中、小さな布擦れの音がしたような気がした。
「……う……ん……」
寝台の上で、エリオットの睫毛がわずかに揺れる。
まぶたが静かに開き、焦点の合わぬ青い瞳が、ゆっくりと天井を捉える。
その気配に気づいたゼーレがはっとして身を乗り出す。
合図を受けて従者が駆け出すと、まもなく廊下に足音が響いた。
「……エリオット……!」
部屋へ駆け込んできたのは、皇太子アルデバランと妃セレーナ。
扉口に立ち尽くしたふたりの視線が、目覚めた息子へと向けられる。
エリオットの瞳が、ゆっくりとその姿を捉えた。
「……父上……母上……?」
かすれた声に、アルデバランの眉がわずかに動いた。
彼は息を整え、静かに息子の枕元へと膝をつく。
「気分はどうだ」
「……変な夢を見てた気がする……でも、体は……軽いです」
そのときだった。
エリオットの視線が、枕元の小さな影に吸い寄せられた。
そこには、たんぽぽの花が一輪、まるで寄り添うようにそっと置かれていた。
エリオットはそれをぼんやりと見つめ、指先を伸ばしかけて——そっと、やめた。
「……夢の中で、金色の髪の天使さまが出てきました」
静かに漏れた声に、アルデバランがはっと顔を上げる。
「とっても綺麗なお花を咲かせてました……あたたかくて、いい匂いで……お花も、天使さまも、ずっと見ていたいくらい綺麗でした……また夢で会いたいな」
アルデバランは、わずかに苦笑しながら、そっと息子の頭を撫でた。
ゼーレもまた、どこか同じような顔をしながら、軽く肩をすくめる。
「そんな綺麗な存在は、夢の中だからこそ出会えるのでしょう。目が覚めてみれば、実際は礼儀も知らぬ、ただの小娘かもしれませんぞ?」
皮肉めいた口調ではあったが、そこには確かに、やわらかな優しさが滲んでいた。