秋月の笑んだ日
2021年9月21日、23時45分。
「注文の品は、あるかい?」
「ああ、あるよ。こんな真夜中に呼びつけやがったんだから、倍額払えよ」
「うまそーー! やっぱし、団子はみたらしに限るってモンだよねぇ。いや、そんなことよりさぁ。知ってるかな。遠吠えってね、狼同士がコミュニケーションをとるのに使われるんだよ。どうどう、知ってた?」
「……へえ、何だって、そんな常識めいた蘊蓄を自信たっぷりに披露できるんだ。お前は」
「自信たっぷりって……急に褒めないでくれ。照れる」
「誰が褒めたよ。だ、れ、が」
「や、止めたまえ。頭を小突くのは止めたまえ。痛いじゃあないか」
「まったく……そんなことより、今日はどうして俺を呼び出した? 何か用事でもあったっけか。パシリ以外で」
「用事って……忘れちゃったのかい? 毎年の約束じゃんか。お月見の時期になったら、一緒に遊ぼうよ、って」
「それは覚えている。中秋の名月だろ。ただ──今日は違うんじゃあなかったか? 生憎、カレンダーはもう2、3カ月分は捲ってないが」
「………………どういう意味?」
「意味も何も、言った通りだ。当時、ネットで得たばかりの知識を、毅然とした態度でお前は教えてくれた──『中秋の名月と満月の日は、必ずしも一致しない』って」
「あぁ、よく覚えてるね。
そうなのだよ。中秋の名月と満月はイコールじゃあない──場合もある。
ネットで月齢カレンダーとか、見てみるといい。たまには、イコールで繋がっているから」
「へえ。それが今年なのか。どんな理屈で、そうなるんだ」
「……説明したとして、半分も頭に残らないだろう。キミには」
「それもそうだな」
「即答かよ。まあ、兎も角、それらの日付が今年は8年ぶりに一致している。珍しいよね」
「珍しいよね、じゃあない。今日は中秋の名月じゃあないと思ってたからな。夜通しで、格ゲーする予定だった。お前のせいで、パアだ」
「君って、意外とゲーム好きだよねぇ。そうしてると、年頃の男子高校生そのものだよ」
「意外も何も、俺だって現役の高校生なんだが」
「……そういう意味で言ったつもりじゃあ──まあ、別にいいか。
しかし、格ゲーとはね。フフ、腕が鳴る……久々にボコってあげようか?」
「お前は女子の割には、そういう男勝りな点があるな」
「ちょっと! 前時代的な偏見は止めてもらおうか。令和にもなって男女差別なんて、当今流行らないぞ」
「そうだったな、悪い。しかし、誰がお前とテレビゲームに興じると言った?」
「興じないとも、言ってないよね」
「よく分かってるじゃないか。ハメ技は禁止だぞ」
「いいよ。快勝してやる」
※※※
2021年9月22日、4時26分。
「矢張り嘘だったか。一晩中ハメ技の実験台にされるとは」
「なんだよ。滅多なことをいうものでは無いよ。人聞きの悪いことを。ハメ技も何も、君が勝手に自爆しているだけじゃあないか。壁際に追い込まれると、適当にボタンガチャガチャし始めてさぁ」
「それを壁ハメと言うんじゃないか……。まあ、小賢しい策なんて練らなくても、勝てれば良いんだ。勝てれば」
「1ストックも取れて無かったよね?」
「うるさい」
「あ、拗ねちゃった」
「……………………」
「……………………」
「…………なあ、一つ良いか」
「何だい? 再戦の申し込みなら、5分くらい待ってくれないか。眠い」
「以前、倒れただろう。街中で、突然」
「藪から棒だこと。いや、しかしそんなこともあったねえ。……でも、ただの貧血さ。たまたま朝食を抜いてたんだ、その日は」
「馬鹿言え。喀血だった」
「よく見てるもんだ。でも、唇を切っただけだよ」
「救急車を呼んだのは、俺だ」
「いやぁ、大袈裟なんだって。本当に、何もなくて──」
「何も、無い訳があるか」
「…………もしかして、怒ってる?」
「怒ってない。隠し事をされるから、腹が立っただけだ。……おい、何だ。その薄ぺらの目は」
「……別に。訳ありげな面持ちなのは、お互い様だろうよ。そっちだって、二言三言文句でも付けたそうな顔してるじゃあないの」
「ケチ付けようなんて、カケラも考えちゃあいない。ただ──朝の四時だからよ。思いついただけだ。そして、迷ってる」
「迷ってる?」
「……………………」
「………………何を、迷ってるって?」
「あーいや。その、なんだ。今日は学校サボって、どっか行かねーか? ……2人で」
「はあ? もしかしなくても、それってデー──」
「そう取ってくれて構わない。どうだ? 学校サボって、昼間から外出するのが嫌なら、それこそゲームの続きをしたって良い。徹夜明けの宝玉集めとか、中坊の頃みたいに、一緒にやらないか」
「…………へぇ」
「きっと楽しいぞ。童心に帰ってよ」
「確かに。楽しいだろうね」
「なら──」
「ま、断るんだけどさ」
「…………理由を聞いても?」
「いや、別にね。それが本心から出た言葉だってんなら、私だってやぶさかではないんだけどね。
こう見えて、やっぱり年頃の娘でありまして。人並みに、憧れとかはありますしねェ」
「だから、その理由を聞いているんだが」
「ふうん……理由は言わずとも知れてるだろう? 下手な気遣いをするし、相変わらず、ここぞという時は臆病風に吹かれる。そんなだから、私よりゲームが下手なのだよ。ヘタレ野郎」
「……否定はしな──って、後半は関係ないだろう」
「いいや、あるね」
「そうか。なら、証明してもらおうか。リベンジマッチだ」
「? いや、だから再戦は──」
「もう5分経った。文句はないはずだ」
「……あ、そう。几帳面なこって。じゃあ、やろうか」
「応」
※※※
2024年9月17日。
「今年は、満月の前日らしいな」
それは、おおよそ1年ぶりにやってきた墓前でのことだった。
大学生活も既に2年目に差し掛かっており、すっかり慣れた頃。もうそろ夏休みが終わりかけという貴重な夕刻を、俺は墓石の手磨きに費やしていた。
水をかける。布で擦る。
水をかける。布で擦る。
水をかける。布で擦る。
ほんの数年前を、懐かしみながら幾度も繰り返したその手順は、すっかり板に付いていた。
喜ばしくはないのだが、慣れてしまうものは仕方がない。
「お前がまだ生きていたら、どんな反応をしたんだろうな。
喜んだのか、悔しがったのか。あるいはその両方か。
何にせよ──いや、考えても詮無いことだ」
掃除を始めた頃、頭上にあったはずの太陽は、いつの間にやら地平線より潜り込んでいた。
……これ以上は近所迷惑か。
「さて、そろそろ帰るとしよう。また、来年」
空を見上げれば案の定、凡そ満月といって差し支えないだろう秋月が、浮かんでいる。
じっと夜空に在り続ける姿は、人の顔貌の様ですらあった。
分かっている。
そんなはずはないと。
あれはただの模様だ。
小惑星の衝突。クレーター。冷え固まった溶岩の塊。
それ以上でも、以下でもない。
「……我ながら、臆病というよりも──センチなだけか?」
左手をズボンのポケットに突っ込み、苦笑する。
空いた右手で掃除道具を背負い、立ち上がる。
墓場から出た後、俺の足取りは軽い。
行くべき場所が決まっていたからだ。
帰り道は最寄りのコンビニに、串団子を買いに行った。
みたらし団子を。