浮気確率63%
浮気者だった彼氏と別れた次の日。突然私は、目の前にいる男性がどれだけの確率で浮気するのかがわかるという能力に目覚めた。
能力そのものはすごく単純で、男性の頭上に『浮気確率』という言葉とパーセント表記の数字が見えるというもの。男性は既婚者であろうと独身者であろうと関係なく見えるが、女性は見えない。もちろん最初は失恋のショックで幻覚が見えてるだけだと思ってた。だけど何日経ってもその数字は見え続けたし、さらに頭上に浮かぶその数字が、あながち間違っていないということがわかるにつれ、この能力が本物だと信じるようになっていった。
一途な性格で評判だった既婚者の男友達の頭上には3%という低い数字が表示されていたし、女たらしで有名な友達の彼氏には96%という高い数字が表示されていた。冴えないおじさん上司の浮気確率が高くてその数字を疑ったりもしたが、よくよく話を探ってみると、不倫がバレて妻と離婚調停中なんてこともあったりした。逆に芋っぽくて女っ気のない同僚の浮気確率は0%に近くて、お前はそもそも浮気しないんじゃなくて、できないだけだろと心の中で突っ込んだりした。
そしてこの能力を使って男性を観察しているうちに、これは私にとって強力な武器ではないかと考えるようになった。少し前までの私は、男性は全員浮気する生き物だと信じていた。しかし、実際に色んな男性の浮気確率を確認してみると、浮気する確率が低い男性も意外と多くいるということがわかった。イケメンで浮気確率が低い男性は大体既婚者だったりはしたけれど、それでもこの統計的な事実は私の希望になっていた。
三十路を過ぎ、結婚のタイムリミットが近づきつつある。昔は綺麗なお嫁さんになるのが夢だった。だから、結婚願望は人一倍強い方だと思う。そして、何度も何度も浮気男に引っかかって、散々泣かされてきた私としては、浮気をしないというのが結婚相手に求める最低条件だ。この能力を使えば、その条件に合う男性を簡単に見つけ出すことができる。これはまさに私が最高のパートナーを見つけるために神様がくださった贈り物なのかもしれなかった。
だとしたら、失恋を引きずってぐずぐずしている暇はない。私は理想的な結婚を求めて、早速行動に移した。ありとあらゆる婚活サイトに登録し、たくさんの男性と効率的に出会える婚活パーティに片っ端から参加を申し込んだ。そして私は短い時間でテンポよく男性と一対一で対話できる機会を使い、浮気確率が低い理想的な男性を探し求めた。
30代前半の公務員。浮気確率82%。不合格。40代後半の自営業男性。浮気確率20%。確率はギリギリ合格だけど、年齢的になし。30代後半の大企業社員。浮気確率53%。ちょっと迷うけど、浮気確率が高いから不合格。そんな審査を心の中で繰り返しながら、私は男性を見極めていく。特殊な能力を持つ私にしかできない完璧な戦略。この能力さえあれば、すぐにでも理想的な男性を見つけて、そのままゴールインすることができる。私はそう信じきっていた。
しかし、現実はそんなに甘くなかった。浮気確率が低い男性が少ないというわけではなかった。むしろ、街ですれ違う人や知り合いと比較すると、平均値自体は低い。それでも、浮気確率の低さに惹かれてこちらから話しかけてみると、言動の端々に男尊女卑の考えが垣間見えたり、会話が全然弾まなかったり、こっちの話を聞かずに一方的に自分の話ばかりしたり……そんなのばっかりだった。逆に、浮気確率が高くて不合格とジャッジした人に限って、会話が弾んで楽しかったり、ささやかな気遣いや優しさが見えたりして言いようのないもどかしさを感じることが多かった。
浮気しないということは絶対に譲れない条件だ。だけど、婚活パーティで出会う浮気確率の低い人は、浮気をしないのではなく浮気できないだけなんじゃないかと思うような人ばかりだった。人並みに恋愛をしてきて、それなりに異性からモテてきた私が、彼らを本気で好きになることができるかと聞かれたら、正直難しい。結婚生活という長い時間を共にする相手だからこそ、心から好きになれる人を、一緒にいて楽しいと思える人を選びたい。そんな婚活の壁にぶつかった時、私はふと、親友の舞香に言われた言葉を思い出す。
「浮気しない男はいると思うけど、多分そういう男を律子は好きになれないと思う」
彼女のその言葉が今の私に深く突き刺さる。浮気はされたくない。でも、できるのであれば、好きな人と結婚したい。たったそれだけの願いが贅沢だというのだろうか? 今までだって少なくない男性から、それも友達が羨ましがるような男性から求められてきたという実績がある。それなのに、こんなささやかな願いすら叶えられないなんて絶対におかしい。
私はそれからもがむしゃらに婚活に参加し続けた。しかし、いくらお金と時間を費やしたところで、私の理想とする男性は現れなかった。私は心身ともに疲れ果てていた。一生独身で生きていくしかないと考えるようになり、友達と会った時もついつい不安と愚痴を吐いてしまうようになった。そんなある日。私を見かねた舞香が、気分転換に合コンでもどうと提案してくれた。こちらとしては、遊び目的のチャラい男性しか来ない合コンに参加するモチベーションはない。気持ちは嬉しいけど、やっぱ行かないと一旦は答えたけど、数合わせのためにどうしても来てと舞香に懇願され、私は渋々参加を決めた。これはただの息抜きで、私は数合わせのために参加しただけ。浮気確率63%の拓哉と出会ったのは、そんな軽い気持ちで参加した合コンだった。
顔はタイプだし、話も面白いけど、浮気確率が高めだからなし。拓也に対する私の第一印象はそんな感じだった。それでも婚活で冴えない男とばかり話している私にとって、拓也は心から楽しく会話をできる素敵な男性だった。会話のテンポも、気遣いも、さりげなくみせる色気も、彼のすべてが私を魅了した。浮気確率が高いにしては誠実で真面目な部分もあった。正直今までたくさん遊んできたけど、そろそろ腰を落ち着かせなきゃとは思ってるんだ。そんなさりげない一言が、私の心をぎゅっと掴む。
駄目だ駄目だと思いながらも、結局連絡先を交換し、食事やデートを重ねていった。もちろん婚活は並行して続けていたけれど、冴えない男性たちと拓也を無意識のうちに比べてしまう自分がいて、ただただ無為に時間が流れていくだけだった。拓也は優しかったし、一緒にいてとても楽しい。浮気の前科はあるらしいけれど、そのせいで彼女を傷つけてしまったことをすごく反省していた。会うたびに、話すたびに、拓也への気持ちが昂っていくのがわかる。それでも、彼の頭上に浮かぶ浮気確率63%という数字のせいで、一歩前へ踏み出す勇気がどうしても出てこなかった。
だから、拓也からプロポーズを受けた時も、私はすぐに返事をすることができなかった。少しだけ時間を下さい。そんな風に言葉を濁して、私は拓也のプロポーズへの返事を保留にさせてもらった。家に帰り、私は一人で拓也との結婚について考えを巡らせた。浮気だけは絶対に許せない。これだけは譲れない。その観点で言えば、浮気確率が6割を超えている拓也はリスキーではあった。しかし、彼以上に素敵な男性と今後出会えるのだろうかという疑問が私の心を不安にさせる。
そして様々な心の葛藤を続けるうち、突然ある考えが私の頭に思い浮かぶ。浮気をする確率が63%であるならば、逆に残りの37%は浮気をしないということ。今まで私はその確率だけを見て相手を判断していた。しかし、それは本当にランダムな確率なのだろうか? ひょっとしてその数字は、付き合っている相手によって変わるものなのではないだろうか?
私は立ち上がり、姿見鏡の前に立ってみる。三十路を過ぎたとはいえ、昔から美容と健康には気を遣っている。二十代に間違われるくらいには若々しく見えるし、容姿だって中の上くらいはあると思う。家事だって得意だし、年相応に経験を積んできているから、十代の頃みたいに相手を束縛し過ぎてしまうことだってない。そういう条件を冷静に分析してみると、私は上位37%の女性だと言えなくもない。拓也が浮気をしない37%。私はその確率を引けるだけの女性ではないだろうか?
そのように考えた瞬間。今まで私が抱えていたもやもやが一瞬で消えていくのがわかった。希望で胸が一杯になっていき、今まで確率という数字に踊らされていた自分が馬鹿らしく感じた。大丈夫。きっと私はうまく行く。今後も自己研鑽を怠らず、素敵な女性であり続ける必要はあるけれど、私の頑張りさえあれば、きっと拓也は浮気なんかしない。そうに違いない。鏡に映った自分にそう語りかけると、鏡に映った私もにこりと微笑み返してくれた。私は小さく頷く。そして、プロポーズの返事をするために、机に置いておいた携帯を手に取った。
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幼い頃に夢見ていた結婚式は、本当に素晴らしいものだった。披露宴会場の一段高いメイン席に座りながら私は幸せをぐっと噛み締める。皆が楽しそうに微笑み、私たちを祝福してくれていた。みんなの幸せそうな表情を見るだけで私の胸がいっぱいになる。おめでとうと声をかけてくれる友達と言葉を交わしながら、私は隣の席に座っている新郎、拓也の横顔を見つめた。拓也は親友の舞香と楽しげに話し込んでいる。拓也の筋の通った鼻も、キリッとした顎のラインも、そして頭上に浮かんだ浮気確率63%という数字さえも、そのすべてが愛おしく思えた。舞香が何かを喋って拓也が楽しそうに笑う。その素敵な笑い声が、これからの愛に満ちた結婚生活を暗示しているみたいだった。
舞香が私の視線に気が付き、拓也に何かを耳元で囁いてから私の席へとやってくる。
「おめでとう律子。カッコいい旦那さんを捕まえてさ……本当、羨ましいな……」
舞香がちらりと私の夫へ視線を送りながら、私を祝福してくれた。ありがとう。私はお礼を言い、何を拓也と話してたの? と何気なしに聞いてみる。舞香は少しだけ間を置いた後で、あなたのことをよろしくねって拓也くんに言ってたのと返事をした。
「ねえ、前に舞香が私に言った言葉って覚えてる?」
「なんだっけ?」
「言ってたじゃん。『浮気しない男性はいるけど、そういう男たちをきっと好きになれない』って。最初はそんなことないって思ってたけど、その言葉って本当だなって思い返して、きちんと受け入れることができたから結婚を決意できたんだと思う。拓也は前は浮気をしてた人で、浮気しない男性じゃないのかもしれない。でも、私がもっと頑張って浮気されないような女性になればいいんだって、そう思えたの」
私は舞香にそう伝えながら、自分で自分の言葉に感極まっていく。舞香が察して、そっと私の肩に手を置いた。私は目元の涙を拭い、舞香の顔を見上げる。
「私、頑張って幸せになるね……!」
その言葉と同時に私の視界が涙でぼやけていく。きっと幸せになれる。私はもう一度その言葉を繰り返す。浮気なんてしない私の大好きな人と、一生お互いを愛し続け合う生活。そんな幸せを私はきっと手にすることができる。同意を求めるように私は舞香に微笑みかける。涙でぼやけた視界の中で、親友の舞香が不敵な笑みを浮かべたような気がした。