その願いを叶えるために
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三学期に入って、桜に似た薄桃色の花に蕾が膨らむ。
ここまで、いろいろあったけれど、あと少しで卒業式だ。
ディオ様は、長い遠征から帰ってきてすぐに私に会いに来てくれた。やはり、あの時の事は現実だったようだ。ほんの少しの間だけ、ディオ様が消えたのだと先に帰ってきたフローラが教えてくれた。
私を前にして微笑んだディオ様は「リアナ……リアナが覚えているかわからないけど、最初の約束を守るよ」と言った。
最初の約束ってなんだろう。でも、たぶん黒いドレスを着る前の子ども時代に、フローラとディオ様とは出会っていた。以前フローラが言っていたことを思い出す。確かに悪役令嬢の記憶を持った私は、前回の人生で子ども時代に出会っているのだ、ディオ様に。
「……覚えていないか。でも、リアナのことは俺が守るから。たとえ、過去のことだってあんなふうに泣かせたままにできない」
――――ディオ様は私を真っすぐに見つめる。その瞳は、いつものように私の中の誰かを見るのではなく、私自身を見ているような気がした。
「リアナ……一緒に来てくれるかな」
ディオ様が私の手を握る。そう言えば、兄が追ってくるのを振り切って、ディオ様に抱えられたまま階段を飛び降りた瞬間が、なぜか懐かしく脳裏に浮かんだ。
ディオ様と一緒に訪れたのは、ミルフェルト様のいる禁書庫だった。
「よく来たね?リアナ」
そこにいたのは、ミルフェルト様だった。でも、今日の格好はいつものかわいらしいドレスではなく、黒い男性の盛装だった。そのまま、ツインテールが解かれ、手にしたハサミでミルフェルト様は髪の毛を切り落とす。
「あっ、もったいない……!!」
思わず叫んでしまった私の目の前に、美しいアイスブルーの髪の毛が晴天の湖面が煌めくかのように、ひらひらと散らばっていく。
目の前のミルフェルト様を、幼女だとはもう思えない。どこからどう見ても美少年だ。たったこれだけのことで、制約が完全に解かれたことを私は理解する。
一瞬の変化に目を奪われているうちに、すっかりミルフェルト様の髪の毛は短くなっていた。
「……こんなものかな」
「ミルフェルト様……」
「そんな残念そうな顔しないでよ。こんなボクもいいと思わない?可愛いリアナ」
確かにこれもいい……なんだか、トア様の弟みたいだ。
衝撃の展開から我に返って顔をあげると、兄もライアス様も、フローラも、トア様までもが勢ぞろいしていた。
「さ、行こうか」
髪の毛が短くなって、すっかり美少年になってしまったミルフェルト様が私の手を掴む。いったいどこに行くというのだろう。
「ボクも外に出ることにしたから」
私が返答する間もなく、扉は開かれて外の世界へと出てしまった。そこはなぜか図書室ではなかった。
(世界樹の聖域……全員が入る方法があったなんて)
そして、いつのまにか小さかったミルフェルト様の手は、大人の男の人の手になって私の手はすっぽりと包まれてしまった。
その手を見つめながら、私は「見ても……いいんですか?」と恐る恐る聞いた。
ミルフェルト様のご尊顔が、耳元に近づいてくるのを視界の端にとらえる。美しいアイスブルーの色彩だけが瞳の端に映り込んだ。
「いいよ……もう、隠すこともできない。以前、本当の姿を見せる時に言う言葉を忘れないでほしいと頼んだこと覚えてくれているかな?」
「――――ミルフェルト様。私……っ」
「リアナのこと、誰よりも好きだよ」
その次の瞬間、私の大好きなアイスブルーをした髪と瞳が目に入る。そこにいるのは、どこかディオ様にも兄にも似ている男性で。その悪戯に成功したかのような笑顔は、確かにミルフェルト様なのに。
「――――自由を選ぶ勇気をボクにくれてありがとう」
そう言ったミルフェルト様は、そのまま世界樹に目を向けるとそちらへと向かっていく。
「ミルフェルト様!」
振り向いてくれないミルフェルト様の体から、黒い魔力が溢れだす。それはもう、蔦の形をしていない。そう、それはまるで黒い竜のようだった。
「竜と人の間に生まれた……」
私は思わず『春君』のプロローグをつぶやく。その直後に、我に返って追いかけようとしたのに、兄に手を掴まれた。
「リアナと俺たちの役割はこれからだから……追いかけるな、リアナ」
兄の手が震えている。でも、私の手を掴む力は、とても強くてどうしても振りほどくことができなかった。
そっと、愛おしげにミルフェルト様が世界樹に触れると、ミルフェルト様からあふれた魔力にすべての黒い蔦が吸い込まれて一つになっていく。
その光景は、あまりに美しく、荘厳で……恐ろしかった。
そして、次の瞬間には私の心臓に絡みつく蔦も小さな竜に姿を変えて、その竜へ吸い込まれていった。急にすべての光の魔力が私の体に戻り、強い違和感とともに魔力が溢れだすのを感じる。
私の体から出た魔力と自分の体からあふれ出た魔力でできた竜が一つになる姿を見つめていたミルフェルト様が、ようやくこちらを振り返る。
「ディオ……キミの願いを叶えてあげる」
ミルフェルト様の言葉に、一度だけディオ様が頷いた。
「え……ディオ様?」
ディオ様が、私の頬にそっと口づけする。まるで、別れの挨拶みたいに。
その手には、いつの間にか七色に輝く賢者の石が握られていた。
――――ディオ様のいる世界を私は守りたい。
――――俺が生きている限りリアナをすべてから守るから。……幸せになって?
私が、今の私になる前……幼い頃した約束が果たされることはなかった。あの時、約束してくれたディオ様は自分の運命を理解していた。それでも、私はただ、あなたがいた世界を守りたくて。黒いドレスはあなただけを思い続ける私の決意で……。
「あの時の君を泣かせたままにしておくことができないから……」
ディオ様の光の魔力と漆黒の闇の魔力が賢者の石に吸い込まれていく。
そのまま、光と闇に世界が取り込まれる直前、いつもの温かい大きな手が私の手を決して離さないとでも言うように強い力で包み込んだ。
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