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69.アネモネとダークエルフ2(過去編)

 アネモネとダリアが出会って三十年の月日が経っていた。

 三十年。人間で言えば人生に結論がでるほどの時間だが、長寿が特徴のエルフ族である彼女たちはいまだ夢への道中にあった。

 

 それでも時は確実に変化をもたらし、アネモネもダリアと同じ目線に立てる程度には成長していた。

 しかしそこに至るまでの経過は生易しいものではなく、アネモネの日々は剣術や魔法技術などの生存能力に限らず、治世や交渉術など為政者として必要なあらゆる知識と技術習得のために費やされた。

 

 だが不幸なことに、アネモネはその全てにおいて特筆するような成果を見せることは無かった。

 誰もがそう見なしたように、彼女には天才と呼ばれるような才能は無かった。

 だがダリアはそれで構わないと考えていた。

 

「為政者に必要なのはバランス力です。突出した才能は時に思考を凝り固め、俯瞰的な視野を曇らせます。専門的なことは専門家に任せれば良いのです。それが人の上に立つ者の力なんですよ」


 これにはアネモネも異を唱えずにいられなかった。

 理屈としては納得できても、自分に誇れるものが無いことは彼女の鬱屈した劣等感を肥大化させ、それを覆い隠すために、彼女は相変わらず傲慢な振舞いを抑えられずにいた。

 

 

 

 

 ある時こんな出来事があった。

 まだアネモネの身長がダリアを見上げることしか出来なかった頃である。

 

 亜人領唯一の本が集められた蔵書室へと向かう通路でのこと。

 ダリアを連れだって通路の真ん中を歩いていたアネモネの前方から、教会の実力者たる高位聖職者が向かって来ていた。。

 

 本来であれば階級の下の者、同位であれば先にその地位についたものが道を譲るのが礼節通りなのだが、教皇の娘というだけで役職を与えられていないアネモネは非常に特殊な立場に居た。

 

 その結果二人は通路のど真ん中で鉢合わせてしまったのだが、お互いに道を譲ろうという気はないらしかった。

 

「これはアネモネ様。今日も本を読んでお勉強ですかな? 大変ご立派なことです」


 言葉とは裏腹に、その声音には一切の好意的な色は感じられなかった。

 むしろアネモネには「まだそんな無駄な努力を続けているのか」と言われたように聞こえていた。

 だから彼女もそれに相応しい答えを返す。

 

「当然だ。私はいずれ教皇になる身だ。いずれ貴様たちを使うものが無知では話にならんだろう?」


 それを聞いた相手はあからさまに不愉快な表情を見せる。

 

「なるほどごもっとも。しかし肝心の教育者が後ろのダークエルフというのは如何なものでしょうな。教皇というお立場は神の声を聴き、信徒たちを導く神聖なお役目でございます。それを志す者が、血に塗れた出来損ないのダークエルフに教えを乞うというのは、神に対する冒涜だとは考えられませんか?」


 矛先を向けられたダリアは粛々と頭を垂れる。

 彼女はアネモネと二人きりの時以外は決して本性を見せない。

 あくまで教会の犬として忠誠を尽くそうとする姿を徹底して貫いている。

 

 当然それは彼女の処世術なのだが、幼いアネモネにそれを慮るだけの配慮は持ち合わせていなかった。

 普段は傲慢に振舞っているとは言え、自分を唯一見捨てずに付き従ってくれる者を侮辱されて、彼女の目は明らかな敵意をむき出しにしていた。

 

「私の侍従に不満があるようだが、なんなら貴様が変わりを務めてみるか? 出来るものならな」


 明らかな侮蔑を含んだ言葉だったが、それ以上子供の挑発に付き合うほど相手も子供ではなかった。

 丁寧に辞退を述べると僅かに右に逸れて、そのままアネモネの隣を横切ろうとする。が――――

 

「あっ」


 すれ違いざまに肩にぶつかられたアネモネは、体重差のあまりそのまま倒れ込む。

 

 すぐさまダリアがフォローに入るが、完全に火の点いたアネモネは背後から男に飛び掛かる寸前、その手を強く掴まれる。

 

「この辺りで十分でしょう。相手は大司教です。挑発に乗って手を出せば、咎を受けるのはこちらです」


「……っく! あいつは以前は何かにつけて私のご機嫌伺いに来ていた男だ。それが私に才がないと分かった途端この手の平返しっ――――!」


 怒りに震えるアネモネとは対照的に、ダリアは満足げな表情を浮かべている。

 

「それが今の貴女の現実です。ですが先ほどの対応は悪くありませんでしたよ。いずれ手駒にする相手に対しては決して舐められてはいけません。それはいずれ反逆心となってアネモネ様に牙を剥きますから」


 珍しく褒められたことによって、アネモネの幾分和らいでいた。

 そう言えば他人に褒められたのは何年ぶりだろうか。それだけで今日は一日気分良く過ごせそうだった。

 

「それに、わたくしのために怒ってくれたのは素直に嬉しかったですよ」


 不意打ちのような笑顔に思わず抱き着きたくなってしまった。

 

 この頃からアネモネの中で、ダリアは母親のような、友人のような、そんな初めて血の通った人間関係を感じさせる存在になっていった。




 時を戻して二人の関係が日常になった頃。

 アネモネたちは教会の敷地外でモンスター相手の戦闘訓練を行っていた。

 本来教会所属の人間が外に出るには許可がいるのだが、そこはアネモネの特殊な立場ゆえ、彼女が外界で野垂れ時の死のうがモンスターに襲われようが気にする者はおらず、特に見咎められることも無かった。

 

 襲い来る猿のようなモンスター相手に、アネモネは意外なほどに善戦していた。

 木々の上から襲い掛かるモンスターの爪を的確に躱し、すれ違いざまに剣を叩き込んでいく。

 地面に落ちた敵にきっちりとどめを刺すことも忘れていない。

 普段の訓練とは比べ物にならない見事な戦いぶりだった。

 

「普段の対人戦もこれくらい出来ればねえ」


「そ、それはダリアが強すぎるせいだろう? 近接戦闘で貴様に勝てる者など教会にいるものか!」


 教会から腫れ者扱いされているアネモネの訓練は、全てダリアが一人で行っていた。

 当然戦闘訓練もなのだが、教会の暗部として単独での戦闘、暗殺、潜入などをこなしてきた彼女の戦闘能力はダークエルフのみならず、教会全ての中でも髄一だった。

 

 木剣による訓練でも、素手のダリア相手にただの一度もその身体に触れられずにいた。

 

「やっぱり人を殺すことへの忌避感が原因なんですかね。むかつく神父でも攫ってきますから、一度バッサリ()っちゃいます?」


「やるか! 無抵抗の相手を手にかけるなど聖職者、いや、剣士としての名折れだ」


「はー、その綺麗ごと虫唾が走りますねー。まあ、アネモネ様を守るのも私の仕事なので、貴女は最低限の護身術が使えれば構いませんけど」


 ふたりが軽口というには少々重い会話を繰り広げていると、不意に半分しかないダリアの耳がピクンと跳ねた。


「誰かが近づいて来てますね。それも複数人。荷車も混ざっています。村からの徴税か何かでしょうか」


 二人が音のした方へ向かい、森の隙間から顔を覗かせると、2メートルほどの段差を挟んだ搬入路をウェアウルフの一団が幕に隠された荷車を引きながら、教会の裏口へと入っていくのが見えた。

 守られるように一団中央を進む馬車の中に見える顔に、ダリアは見覚えがある。

 

 テイムの術によって使えそうな人材をあつめて、従軍聖職者を育てる育成機関の男だ。

 

「ウィンストン神父……。私はあの男が大嫌いだ!」


「でしょうね。教会の傲慢と軍拡主義の象徴のような男ですから。ただし今重要なのは荷車の中身の方です」


 檻上に囲まれた荷台には種族問わず一括してうら若き少年少女たちが囚われている。兵士候補というには幾分若すぎる者で占められていた。

 

 さすがにこの場で助けようなどとはアネモネも言い出さず、一団が教会の高い城壁の裏口に吸い込まれていくのを黙って見守っていた。

 

「アネモネ様、すいませんけど先に戻っていてもらえますか。わたくしはちょっと野暮用を思い出しました」


 ダリアの冷酷に細められた目を見て、アネモネは黙って従うしかなかった。

 こういう表情をする時の彼女は、厳しくも優しいアネモネのメイドではなく、無感情に仕事を行うダークエルフに戻っているときの顔だった。

 

 アネモネが黙ってその場を去っていくと、入れ替わる様に背景色に溶け込むような暗い緑のローブを来た老人が現れた。

 

「ラークか。教会内で何か動きはあったか?」


 ダリアの問いにラークと呼ばれた老人は苦々しく答える。

 

「例の儀式計画の再始動の気配が見て取れる。今のはその供物と言ったところだろうな」


「さしずめ出来損ないだったアネモネ様の代替品という事ところか。教会はどうあがいても魔人種との戦争を始めたいらしいな」


「妨害のために何人か始末するかね?」


「一人二人やっても変わりを用意されて終わりよ。病気って言うのは根本を切除しないと意味が無いのよ」


「それにはまだ早すぎる。今のあのお姫様では老獪な司教共に飼い殺しにされるのがオチだぞ」


 そこでダリアは彼女にしてはとても珍しいことに、優しい笑顔で微笑んだ。

 

「あの子はちゃんと成長しているわよ。見た目には分からなくてもね。足りない部分は《あなた》たちが裏からサポートしてやればいい」


「ダリア、お前は……」


「予定よりもだいぶ早いけど、計画を実行に移す。我らダークエルフの未来のために」


「ダークエルフの未来のために。……ダリア、お前の想いはあのお姫様に必ず継がせよう」


「アネモネ様……、あとはよろしく頼みましたよ」


 そうして二人のダークエルフは、落ちかかった夕日の闇に溶けるように姿を消した。

 木の枝で羽を休める小鳥の瞳の向こうにいる、アネモネの視線にはついぞ気付くことは無かった。


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