68.アネモネとダークエルフ(過去編)
亜人種にとってエルフ族というのは特別な存在だった。
多種族よりも遥かに長命であるが故の知識と経験、そして卓越した魔法技術によって亜人を導く立場にあった。
そんなエルフ族の中でも特別才に秀でた者は、彼らをまとめ上げるため『教会』という組織を創り上げ、創造主の御心の名の下に教義を広めた。
その宗主こそ教会の設立者にして『教皇』として君臨する、亜人たちの王だった。
その唯一の子にして、次代の教皇として期待された存在こそ私――――。
それがアネモネの最古の記憶だった。
神に祝福されし子として、周囲からあらゆる寵愛と教育を与えられたアネモネが、自分は特別な存在であると自覚するのは必然だった。
しかしその境遇は、彼女が八歳になったときのある出来事を境に一変する。
幼いアネモネは言われるがままに巨大な水晶に手をかざし、そこから放たれる白い輝きに、その場に集った聖職者たちは驚愕のあまり誰もが言葉を失った。
「白、白だと……? 教皇の血を受け継ぐアネモネ様が……、まさか……」
それは魔力を計るための測定器のようなものだった。
アネモネは当然誰もが自身の才能に驚き、言葉も出ないものだと思っていたが、その場から一人、また一人と去っていくのを見るにつけ、その自信は砕けていった。
そしてその場にたった一人残されたとき、自分の価値に気付いてしまったのだ。
彼女の魔導士としての才は、決して低いと言うほどではなかった。しかし教皇の後継ぎとして担ぎ上げられる者としては期待外れだったのだ。
それ以来アネモネの周囲には最低限の世話係以外誰も寄り付かなくなった。
そしてその者たちですら、ひと月として同じ顔が続くことは無かった。
生まれた時から蝶よ花よと育てられ、肥大化した自尊心は、いまさら彼女に大人たちから見放された可哀想な少女を演じるには確立され過ぎていた。
今日もいつものように、アネモネに嫌気がさした世話係の代わりに新顔がやってくる。
この頃になると彼女も、どうやって従順な世話係を使って苛立ちを解消してやろうか。そんなことばかり考えるようになっていた。
しかしドアをノックして入ってきた人物を見るなり、アネモネの感情は怒りに包まれた。
長い銀髪を後ろでお団子状に纏め、アネモネの頭三つ分ほど上から見下ろす涼しげな瞳。
メイド服の上に乗る小さな顔の横には、エルフの魔力受容器官たる長耳が半ばから切り落とされた、痛々しい傷跡が見て取れた。
「なぜダークエルフが私の部屋に居る!?」
アネモネは勢いに任せ、ベッドにあった枕を掴むとそれを全力で投げつけた。
入室してきた人物は微動だにせずそれを顔面で受け止めると、可愛らしい「ぽふっ」という音が鳴り、それがずり落ちると何事も無かったかのような満面の笑顔を覗かせる。
「お初にお目にかかります。本日よりアネモネ様の教育係を務めさせていただきます、ダリアと申します。」
恭しく頭を下げる礼儀正しい態度にも、アネモネの怒りを抑えるには力不足だった。
「出来損ないのダークエルフが私の教育係だと……? どこまで私を軽んじれば気が済むのだ母上達は!」
「確かにわたくしはダークエルフでございます。ですが、今のアネモネ様の教育を任されるになんら不足は無いと自負しておりますよ」
ダリアと名乗った女性は悪戯っぽく微笑みながらアネモネを挑発する。
幼さゆえに自制の利かないアネモネは怒りに任せ、魔力で小さな氷柱を編み出すとダリアに向けて容赦なく撃ちだした。
またもダリアは動くそぶりを見せず、あわやその綺麗な顔に氷柱がめり込まんとする寸前に、光の膜が氷柱を砕き、魔力の光へと還元して霧散した。
あらかじめ詠唱しておいた耐魔法防御魔法だろう。
一撃目を防がれたアネモネは次々に小さな魔法を打ち出してくるが、それを気にも留めずにダリアは一歩一歩とアネモネに触れる距離まで近づいてくる。
「く、来るな! それ以上近づくな!」
思わず振り上げた拳を撫でるようにいなしたダリアは、その勢いを利用してアネモネを床に叩きつけた。
呆然自失になりながら天井を見上げるアネモネの視界に、ダリアの顔が覗き込んでくる。
「これが今のアネモネ様の実力です。もっと強くおなり下さい。そして貴女こそが教会を支配する次期教皇になるのです」
「教皇……」
その言葉はアネモネの感情を揺さぶった。
自分が無能だと詳らかにされて以来、誰一人として彼女に教皇の話を持ち出す者はいなかった。
だがすべてを諦めるには、彼女はまだ幼すぎた。
「言われるまでもない。私は教皇の一人娘だ! 私以外に誰がその資格があるというのだ?」
「良い心意気ですが、今の貴女はただのわがままな子供です。何の知識も能力も無い、ダークエルフに堕とされなかったことを幸運と思うべきレベルのただの無能です」
図星を突かれたアネモネは、怒りに任せて立ち上がり、再びダリアに掴みかかる。
それを軽くいなし、今度は情け容赦ない拳の一撃がアネモネの顔面に炸裂し、数メートルは吹っ飛ばされて背後にあった棚が壊れるほど強く打ちつけられた。
激痛のあまり顔に手を当てたアネモネは、熱くぬめるものを感じ、生まれて初めて自分の血を見た。
「これがアネモネ様の現状です。蔑んでいたダークエルフに手も足も出ず、これだけ騒いでも誰一人心配して来てくれもしない。きっと司祭どもは、わたくしが教会への復讐心でアネモネ様を殺してくれれば、……とでも考えているんでしょうね」
きっとダリアの言う事は真実なのだろう。
魔力測定の儀式以来、誰もがアネモネを疎ましい目で見ていた。
幼さゆえの敏感な感受性で、アネモネはそれらを感じていた。自分は望まれない存在なのだと。
それを虚勢を張って、誤魔化していた。そうしなければ心を保てなかったのだ。
「どん底を味わいなさい。それでこそ貴女には頂点に立つ資格がある。無能の厄介者として見捨てられた貴女が教皇になってこそ、わたくしたちは報われる」
ダークエルフの凄惨な生き様は知っている。
魔法を神の恩寵として神聖視する教会において、無能の烙印を押された彼女たちは、教会の闇と咎を一身に背負う、いわば掃きだめだった。
「だから私が教皇になって、ダークエルフの復権を成せというのか……?」
「そうです。貴女がこのカビの生えた体制に革命を起こすのです。そのために必要な知識、技術はすべて、このわたくしがお教えしましょう」
アネモネの前にダリアの手が差し出される。
それを思い切り払いのけて、アネモネは自分の力で立ち上がった。
「……いいだろう。貴様の奸計にのってやる。私を見限った愚か者たちを跪かせてやる!」
正直なところ、この時のアネモネには教皇の座もダークエルフの境遇もどうでもよかった。
ただ悔しかったのだ。誰にも愛され敬われていた自分が、今や不出来な芸術品を見るように顔をしかめられる。
幼いゆえに何の実績も経験も無い彼女には、他者からの評価こそが自己を確立する全てだったのだ。
「ダリアと言ったな、貴様もだ。この私に手を上げたこと、いつか後悔させてやる!」
鼻血を垂らした顔で、それでも必死の形相で自分を睨みつける幼い童女を見つめながら、ダリアは満足げに歯をむき出しにして笑う。
「よろしいです。お互いの目的が達成されたあかつきにはわたくしの首を差し上げましょう。……ただし、もし道半ばで膝を折るようなことがあれば、わたくしが貴女を殺してあげます。ダークエルフ統括者ダリアの名において、アネモネ様に永遠の安息を――――」
そこまで言ってダリアは膝を付き、この日初めてその衣装に相応しい忠誠の姿勢を見せた。




