67.アネモネとダークエルフ
黒く凝結した血の跡がそこかしこに残る地下室。
そこは牢屋であるにもかかわらず、魔法光により明るく照らし出されていた。
肉体的苦痛を与える拷問では“見えない恐怖”が効果的だが、精神的苦痛には自分が何をされているのかを、よりしっかりと認識させる必要があった。
ここはネムがプレイヤーを拷問するために使っていた部屋である。
「で、なんか喋ってくれる気になったかい? じいさん」
壁に繋がる鎖に両手を縛られたダークエルフの老人は、捕らえられてからまだ一声も発していない。
「無駄だスミス。こいつは何も話しはしない。ダークエルフは幼少時からそうあれと育てられている。これほどの老齢となればその精神も鉄壁だろう」
しかしアネモネの言葉を否定するように、老ダークエルフは皮肉気な笑みを浮かべて喋りだした。
「ほう、ダークエルフの出自を知っているとは。やはり教会に連なる者だったか」
「……ああ、知っているとも。私も本来ならば、貴様と同じ運命を辿っていただろうからな」
「なるほど。帯剣しているところを見るに、お前も魔法の素養には恵まれなかったようだな」
己の心に浮かぶ過去の情景に、アネモネは苦悶の表情を浮かべて黙り込む。
「エルフが実権を握る教会の暗部……ね。」
スミスの呟きに、アネモネは目を伏せながらもぽつぽつと答える。
「……教会に生まれたエルフは魔法の才能を計られ、その資質によって階級を分けられる」
「何故そんなことをするんだ?」
「選別だ。より優秀な遺伝子同志を掛け合わせ、より優秀な魔導師を生み出すための。だが人間はそれほど単純なものではない。天才から私のような出来損ないが出来ることもあれば、掃きだめから天才が生まれることもある」
アネモネは何かを思い出すようにそう答えると、今度は老ダークエルフに向かって話しかけた。
「ダークエルフは造反や裏切りを抑制するため、幾人かの集団に分けて生活をさせられる。彼らはそれを家族と呼び、同じ境遇を生き延びる者同士、血よりも濃い絆で結ばれていると聞いた。貴様にもその家族がいるはずだ。こんなところで無駄に命を落とす気は無いのではないか?」
「……よくご存じだ。まるで当事者から直接聞いたかのようだな」
「……貴様が無事ここから出る方法は、我々に協力することだ。我々が教会を倒せば、貴様らダークエルフの解放を約束しよう」
「おい、このじいさんを二重スパイにでもするつもりか?」
突拍子もない提案に驚くスミスをよそに、ダークエルフはあっさりとその提案を拒否する。
「それは無理な相談だな。ワシの裏切りがバレた時点でワシの家族は始末されるだろう。そんな分の悪い賭けにこの老人が乗るとでも?」
「ならこのまま使い捨ての奴隷のままでいいと言うのか! 老い先短い貴様はそれでいいと諦めているのだろうが、残された者たちはどうする? 貴様と同じ人生を、家族や同胞にも味合わせるつもりか?」
ダークエルフの胸倉を掴み上げるアネモネを、スミスが背後から羽交い絞めにして止める。
いざとなれば拷問も辞さないと考えているスミスだが、相手が老体ゆえに下手な暴力では殺しかねない。
ダークエルフというものがどれほど凄惨な人生を送ってきたのかスミスには判らなかったが、ネムのように的確に相手の心理を折るようなテクニックでもない限り、口を割らせるのは不可能のように思えた。
「お前の言はご立派だが、少々重みが足らんな。小娘の夢物語に揺さぶられるほど、我々ダークエルフにお仕着せられた境遇は生温いものではない」
自分でも痛いところを突かれたと感じたアネモネは言葉を詰まらせた。
以前ネムが自分や鬼人族の心を動かしたように、自分でもそれに倣ってみたが、彼女にはそれを裏付けるだけの実力も証明できるものも無い。
ましてや同胞のエルフを裏切り、敵となっているものに「仲間のために立ち上がれ」などと言っても空言にしか聞こえないだろう。
だが彼女の言葉は本気だった。その自負があるだけに、それを証明できない自分の不甲斐なさに歯噛みするしかなかった。
「もういい。このじいさんが口を割らないなら、自分たちで調べるしかない。とりあえずすでに王国に入り込んでいるスパイがいないか、もう一度洗い直すぞ」
牢を出ていくスミスに従い背を向けたアネモネに、ダークエルフは言う。
「お前の理想自体は素晴らしいものだ。ワシを納得させられるだけのものが用意出来たらまた来るがいい」
ネムならこの老人を説得できただろうか?
今この場にいない仲間の存在に想いを馳せる。
少しは成長したと思っていた自分は、未だ口だけの小娘に過ぎなかったと痛感させられ閉口する。
そして結局彼を頼りに思っている自分の不甲斐なさにも。
二人が牢を出て行き、一人残された老ダークエルフの心中には、すでにアネモネの存在など微塵も残っていなかった。
そこにあるのはいかにしてこの場を脱出しうるか?
ダークエルフの『家族』は、任務に出るとき必ず誰か一人は残していかなければならない。
それは人質であり、同時に彼らを奮起させるための材料でもあった。
自分が裏切ったり任務に失敗すれば、残された者は悲惨な末路を辿るだろう。
そうならないために彼らは死に物狂いで仕事に励む。
彼もまた、何よりも大事な偽りの家族のために、命懸けでこの場を脱出するのに必死だった。
夜を待ち、その日最後の配膳を持ってきた者を見届けた後、その計画は発動する予定だった。
だがその人物は食事を置いた後、立ち去りもせずその場にとどまり続けている。
食事を済ますまで待っているつもりだろうか?
幸い手足に嵌められた枷は壁に繋がれてはいるが、食事をする程度の自由は効く。
仕方なくフォークとナイフを手に取ったところで、配膳係は唐突に口を開いた。
「そちらはワイルドボアのフィレ肉を使用した料理でございます。上質の卵と小麦をまぶし、採れたての植物から搾油した油で揚げた、この街の名物料理の一つでございますよ」
ご丁寧に料理解説をしてくれる給仕には大した興味を示さず、ダークエルフはさっさと食事を済まそうとする。
「獄中の身には過ぎたものだが、ありがたく戴くとしよう」
しかし給仕の次の言葉が、ダークエルフの警戒心を一気に引き上げた。
「よろしければお帰りの際に手土産の品もご用意いたしましょうか? こちらはパンに挟めば冷めてもなかなかの絶品でございますよ」
手に持っていたナイフを強く握り直す。
脱獄を気取られている以上、日を置いて警戒が緩むのを待つか、今この場で目の前の人物殺してそのまま計画を実行するしかない。
定期連絡を怠れば任務の失敗はすぐに教会に知られる。
彼は迷いなく後者を選んだ。
握られた凶器は最速で目前の首に、その刃を走らせる予定だった。
「同胞を救いたくはないか?」
その言葉は先刻アネモネが放ったものと同じでありながら、その重みは比較にならなかった。 その要因は眼だ。
義憤も憐憫も無く、感情に一切突き動かされることなく、強者が持たざる者に気まぐれに与えるもののような絶対的な慈悲。
目の前の人物の言は金持ちが貧乏人に「施しはいるか?」と尋ねているようなものだった。
そこには実現性の有無を問うような曖昧さは一切無い。
「な、……なんだおまえは?」
圧倒的なまでの威圧感に、アネモネに見せていた余裕の貌は消え失せている。
「ワタシはただ安寧を求める。そのために教会は一度粛清されねばならない。それはひいてはオマエの望みにも繋がるだろう」
ダークエルフには目の前の存在に対し、一つだけ心当たりがあった。
教会に身を置くものとして、体制に不満はあっても神の存在を疑うようなことは無かった。
「昼間あった女の名を教えてやろう。『アネモネ』。その名だけでオマエが望みを託すには十分ではないか?」
今度こそダークエルフは驚愕を隠せなかった。
教皇の一人娘。出来損ないのエルフ。そして彼の娘が命懸けで守った存在。
それを知った以上、彼にはその言葉に抗う理由も術も存在しなかった。。
彼はただ平伏し、全てを委ねるようにその言葉に従った。
翌日、ダークエルフはいくつかの条件と引き換えに、王国への協力を承諾した。




