4.迷い鬼の少女
人類の街は不可侵とされる千代田区御苑を囲むように四つの区画に分けられている。
その最西端に位置する居住区に並ぶ形で存在する防衛区画。ここにはガーデンを守る軍事警戒所と、区外の調査、探索などを目的とする冒険者と呼ばれる者たちが集まるギルドが存在する。
そしてその防衛区画の外れ、プレイヤー側が掌握している千代田区と、現在休戦中の魔人種たちが住む新宿区との境界線上にある、もとは映画館だったと思われる廃墟が僕が住処にしている工房である。
プレイヤーはほとんど近寄らず、時折新宿から顔を出す低級のモンスターが迷い込んで来るくらいでとても閑静で寂れた場所だ。
グリムと別れた後、そんな自宅に戻るため廃墟を歩いていると、本来こんなところに居る理由もなさそうな複数人のプレイヤー達が慌ただしく集まっていた。どうやら何かを捜しているようで、高級そうな板金鎧を着た男が手下らしき男たちに「早く捜せ!」と指示を飛ばしている。
一瞬僕を捜しているのかと思ったが、最近は竜種の手助けでPKをした以外、恨みを買うようなことをした覚えはない。その割にプレートアーマーの男以外は対した装備ではないし、職業も近接系ばかりでバランスが悪い。
関係が無いのなら敢えて関わりたくはないと、遠回りをして帰ろうとすると突如地面の影が盛り上がるように黒い靄を浮き上がらせ、少女の輪郭を伴って現れる。
「マリス……どうしたの? 例の鬼型ならグリムが殺さずに追い返してくれるはずさ。彼女はああ見えてきっちり約束は守るタイプだ」
しかし言いたいことは他にあるらしく、首を振って否定して薄暗い裏路地へと続く道を指さしている。
彼女は予知能力でもあるのか、僕の近辺でNPCに関する問題があると現れては無言でその場所へと導こうとしてくれる。
「わかってるよマリス。誰かは知らないが、君が助けて欲しいというなら僕はそうするさ」
マリスの言葉に従って裏路地へと足を踏み入れ、角を曲がったところで不意に何かとぶつかってしまう。何か――――と表現したのはぶつかった相手が視界に入らない程背が低く、華奢で軽かったために即座に人だと認識できなかったからだ。
「鬼型……?」
体重差がありすぎたのか、ぶつかって一方的に倒れた相手は額から申し訳程度に二本の――――見ようによっては可愛らしいとすら思える小さな角らしきものが隆起していた。
肩口まで伸びたおかっぱと鮮やかな和服からすると少女だろう。
そんな彼女はこちらの姿を認めると跳ねるように立ち上がり、手に持った短剣――――他人の所有物だろうか、少女の手には大きすぎる――――を構え直した。
先ほど酒場で話していたオーガとは違うようだが、時を同じくして二人の侵入者は偶然とは思えない。
何か関係がありそうだが。
「心配しないで。僕は君に危害を加える気はないよ」
なるべく怖がらせないように優しく話しかける。
自分に理解できる言葉で話しかけられたことに一瞬驚いたような表情を見せるが、すぐにその思考を放棄して来た道を戻るように逃走を図ろうとする。
しかしそれは少女を追って来たであろう三人の男達により防がれてしまう。
「やーっと見つけたぜ! おいアンタ、そいつを逃がさないでくれよ。手伝ってくれたら多少の礼はするぜ」
退路を塞がれた少女は迷った末に男たちの方を向き直り、威嚇するようにダークを構える。
本来ならまだ一人で突破しやすい僕の方に注意を向けるべきなのだが――――幼さゆえの純粋さか会話ができる僕を信じたようだ。それが少しうれしかった。
だからこそ彼女の顔を失望に変えるのが少し辛くもあった。
「オーガなんか捕まえてお金になるのか? おいしい話なら僕も仲間に入れてくれないかな?」
そう返した僕の言葉にオーガの少女は当惑している。
先ほど味方のように語った相手が次の瞬間手のひらを返したのだ。
普通なら騙されたと考えるところが、この子はそれに対して怒ることを考えられないほど純粋に育てられたのだろう。
「この状況で仲間にしろとは見所があるな……レベルは1……おまえ初心者か?」
一歩前に進み出て応えた板金鎧の男は僕のステータスをスキルで解析したようだ。
こちらも三人が現れた時点ですでに解析は終わっている。この男はレベル60、後ろの二人は20前後。20の二人はどうにかなるだろうが60は真正面からは厳しいだろう。
「オーガの角はな、簡単に言えば魔力の集束器官だ。魔力ってのは要するに他ゲームのMPみたいなもので、切り落として加工すれば魔力を増幅したり補充が出来るんで高く売れるんだよ」
知っている。だがそれなら討伐したその場で角を落として持ち帰れば済むはずだ。にも拘らず彼らがそれをせず、少女を攫ってここまで連れてきたのには別の目的があるはずだ。
「それ以外にも……あるんじゃないか?」
「察しがいいな! 亜人種ってのは一部の好事家には人気がある。流石に規制で行為自体には及べないが、飾っておくだけのペットとしても欲しいプレイヤーってのは結構いる。そしてそういう奴らはいくらでも金を出す!」
僕は男のセリフが言語暗号化のおかげで少女に理解できないことを感謝した。
こんな話は、決して子供に聞かせるべきではない。
男は構わず僕に語り続けてくる。
「おまえもこのゲームでリアルな殺しを味わえるって始めた口だろう? でなきゃこんなマイナーなインディーズゲームに手をだすわけないよな? でもこのゲームはそれだけじゃないんだぜ! 現実では禁忌とされるあらゆる犯罪がやりたい放題だ!! しかも上手くやりゃRMTで一攫千金も十分狙える!」
「つまり君たちはこのゲームを利用して奴隷売買で金を稼いでいると……」
僕やモブさんたちが守りたいと思った世界でそんな不愉快な行為をしていると……?
「ああそうだ。けどインペリアルって廃人プレイヤー達が運営面してこのゲームを仕切り始めやがった! 気に入らないと思わねえか? 自分らはNPCを殺しまくってレベリングして、今も戦争中のくせにやれ人権だの倫理だのと善良ぶりやがって!」
よほど鬱憤が溜まっていたのだろう。聞いてもいないことまで次から次へと語りだす。
だが彼の言葉は正しい。現在のプレイヤーの多くはこの男のようにタブーを犯す喜びに囚われている。それがリアルな殺し合いか、それ以外のものも含むか否かの違いでしかない。
「そうだね。僕もそのインペリアルってのは気に入らないな」
「だろう! だがあいつらを潰すには数がいる! おまえみたいな話の分かるプレイヤーは初心者だろうと歓迎するぜ! 一緒に悪党のロールプレイを楽しもうや!」
「……ところで、腕を怪我しているようだけど」
さも今気づいたようにそんなことを指摘する。
「あ、ああ。さっきそいつに逃げられたときにやられてな。なあに、大した傷じゃない。痛覚減算処理はMAX値に設定してあるしな」
そんな風に宣う彼に、僕は友好の証だというようにポーション瓶を投げて渡した。
「おお、悪いな。痛みは無いって言っても傷があれば多少の違和感は出来ちまうしな」
そう言いながら彼は瓶に蓋をしていたコルクを指で弾き飛ばし、ポーションを一気に煽った。
次の瞬間―――男の身体は口腔から首筋にかけて内部から爆発した。
「なッ!?」
爆発した男の後ろに控えていた二人はもちろん、この後どうすべきか困惑していたオーガの少女までも突然の惨状と爆音に事態を飲み込めずにいる。
ポーション瓶自体は一般的な回復用のものだが、中身は違う。液体爆弾である。
僕はこれを現実世界の薬品名から拝借して、ニトロリキッドと呼んでいる。
衝撃感度の高い液体で、心肺停止したNPCを生き返らせられないかと作っていた蘇生薬の副産物だが、PKを狙うプレイヤーには思いのほか需要があったため多少の備蓄をしていた。
HPの概念が存在しないこのゲームでは、どんなに身体強度上げたプレイヤーでも、急所に致命的なダメージをおえば即死させることができる。
突然の事態に思考が止まっているオーガの少女の手を引き、背後に置いて庇うように立つ。
「出来ればそのまま逃げないで待ってて欲しい。君の仲間も一緒に助けに行かなくちゃいけないからね」
「……! ……とと様!」
グリム達が話していた、単身で襲撃してきたオーガというのは、多分攫われたこの子を助け出しに来たのだろう。
ただの勘だが、そうでもなければ独りで敵地に乗り込むような無謀な真似はするまい。
「……ってめえ、卑怯な真似しやがって!!」
残されていた二人の戦士職らしき男たちはすでに平静を取り戻して、こちらに向けて剣を抜き放っていた。
「卑怯って……PKは奇襲、騙し討ちが基本だろう。格上を殺るならなおさらだ」
「俺たちが格下ってことかよ、レベル1ごときが!」
ロングソードを振り上げ、上段から一刀両断にしようと切りかかってくる。
対してこちらは、再びポーション瓶を取り出し、距離を取りつつ相手に投げつける。
「ひっ!?」
先ほどの液体爆弾の恐怖が残っているのか、一見ただのポーションから必死になって頭部を庇う。
結果として割れた瓶からこぼれた液体は爆発こそしないものの、体中に飛び散ってその体を濡らす。
「な、なんだよ。ただのポーションじゃねえか。驚かせやがって!」
「残念、それは可燃性ポーション――――要するに油だ」
腰のホルダーから取り出したフリントロック式銃にはすでに着火用の魔法式を組み込んだ弾頭を装填している。
発射された弾は袖口を掠めただけだったが、可燃性液に飛び火した後一気に燃え広がり、男の全身を包んだ。
「スキル:突進斬撃!!」
これ以上後手に回るわけにはいかないと判断したのか、こちらが次弾を込める前に最後に残った男が切りかかってくる。
近接戦を得意とする剣士職の必須スキルで、一足飛びで距離を詰めて切りかかる、中距離戦闘職への必須の対応策だ。
二人が倒されてもなお強気で襲ってくるのは、僕のレベルが低いのと、距離を取りつつ小細工を弄する錬金術師ゆえに、まともに戦えば負けるはずがないという自信からだろう。
だがダイレクトセンサリーゲームというのはそんなに単純じゃない。
例えば突進斬撃というスキルは、発動時点でのターゲットの立ち位置に突進し斬撃を行うというもので、発動後にその一連の動きをキャンセルすることは出来ない。
故に一歩横にずれるだけで相手は僕を掠める形で素通りし、そこに誰もいないと理解しながら剣を振り抜いてしまう。
結果的に相手の背後に立つ形になった僕は、無意味に剣を振るしかない哀れな男に、麻痺毒を塗り込んだ短剣でちょっと傷を付けるだけで勝負は決まった。
「戦闘スキルは超人的な動きが出来るけど、その動きは結局は自動だ。プレイヤーを相手にするなら、臨機応変にヴァーチャルの身体を動かせるように練習したほうがいいよ」
聞いているのかいないのか、男は麻痺したまま倒れて動かない。しばらくはまともに立つこともできないだろう。
あらためて首筋にダークを突き立てて、今度こそ死亡させる。
娯楽ゲームにあるまじき激しい血しぶきを上げて絶命した後、他の二人と同様に死体は影に吸い込まれて消えていく。
せいぜいあの真っ白い性悪少女に煽られてくるといい。
事を終えて振り返ると、オーガの少女は僕の頼み通りその場に残ってくれていた。
「すごい……強い…………」
「強くなんかないよ。ただ相手が油断してくれていただけだ。まともに戦えば僕は人間の中でも一番弱いくらいなんだよ」
レベルが上げられない以上、戦闘スキルを覚えるのは不可能だ。ならばと絞りだした弱者なりの戦い方で、別にそれを恥じてはいないが、誇れるものでもない。
「それよりさっき、とと様と言ってたね。きっと君を助けに街に乗り込んで来たんだろう。その人を助けに行きたいんだけど、君も協力してくれるかな?」
「とと様が……お願い、します! とと様を……助けてください!」
追い詰められてさえ助けを求めなかった少女が、初めて声を大きくして懇願してくる。
きっと自分の命よりも父親の身の方が心配なのだろう。多分助けに来た父親も、危険を冒して助けに来るくらいに娘を思っている。
AIで動くNPCとは言え、この思考が人間でなくて何だというのだろうか。
僕は彼女を連れてその父親を助けに向かおうとするが、少女は一歩を踏み出したのと同時に地面に膝をついてしまう。
見れば足に擦り傷が出来ている。逃げるのに夢中で気付かなかったのが、安心して痛みを思い出してしまったというところか。
「だ、いじょうぶ……です。全然……いたくないです。それよりとと様を……」
大した怪我ではないが、幼く華奢な足では小さな痛みでも走るのに支障が出るだろう。
僕は鞄から今度こそ正真正銘、回復用のポーションを取り出し少女に手渡す。
先ほど偽ポーションで派手にプレイヤーを殺したのを見ていたので恐くなってしまったのか、なかなか受け取ろうとしない。
安心させるために先に僕が三分の一ほど口にして差し出すと、恐る恐るだが受け取り服用してくれた。
この程度の傷なら修復に数秒とかからない。傷口はまるで時間を巻き戻すようにもとあったであろう白くてきめ細やかな皮膚へと修正されていく。
「すごい……神官さまの魔法みたい」
「君たちの種族には回復魔法を使える人がいるのか?」
プレイヤー側には神官職も回復魔法も無いが、ゲームの世界で神を信仰することなどあり得ないし、アイテムによる回復手段が先に確立してしまったので、わざわざ回復魔法を覚えようという者もいなかったのであろう。
逆にNPCたちは先に魔法という手段があったのでポーションなどのアイテムに頼るという文化が無いのかもしれない。
「癒しの魔法が使えるのは、神官になれる妖精族だけ……鬼族は、戦うことしかできないです」
少し悲しそうに呟く。
敵対しているプレイヤーである僕を簡単に信用してしまうあたり、この子は戦ったり誰かと争うことを忌避しているのかもしれない。
「……急ごう。君のお父さんは今まさに君のために戦っている」
「……はい」
怪我が治った僕は少女とともに走り出す。
だが俊敏ステータスは比較的高めの僕を置き去りにするように、彼女は疾走していく。
幼いとはいえさすがはオーガ。人間の、さらにステータス初期値の僕とは基礎のスペックが違うらしい。
「……君、僕をおぶって走ったほうが早かったりしない?」
「……ごめんなさい。力仕事はとと様が全部やってくれていたので…………」
「いや、ごめん。冗談だ」
多少本音が混じっていたが、自分の半分ほどの背丈の少女におぶわれるというのはいささか以上に情けない。
結局は彼女が先行し、僕が追いつくまで待ってまた走り出すという、この上なく足を引っ張ってしまう形で目的地まで向かうことになった。