56.彷徨える食欲
陽が落ち、魔宝石による外灯の明かりも届かぬガーデンの裏通りを、女はおぼつかない足取りで彷徨っていた。
明確に意識があったわけではない。
ただ内から湧き上がる耐えがたい食欲を、大事な人たちに向けてはならないという忌避感が、仲間の寝静まるアジトから足を遠ざけた。
深夜とは言え、現実の時間の流れとは乖離しているこのゲーム世界では、決して人通りは少なくない。
それを承知の上で裏通りを選んだのは、闇に潜む者の習性か、僅かに残る理性だったのか。
中天に輝くデジタルとは思えない真円の月明かりが足元に仄暗い影を落とす。
そこに新たな人影が重なり、ふらつく彼女は弾かれるように倒れた。
「ああ、すんません。暗くて見えなかったもんで――――」
ぶつかって倒れてしまった彼女に手を差し伸べた男は、すぐに後悔した。
ゲームの中でまで、律義に立ち止まって気を使う必要などなかったのだと。
顔にまで及ぶ包帯の隙間から除く眼は、白目まで暗く澱んでおり、その中に浮かぶ紅い瞳は今宵の満月よりも円く狂気を孕んでいた。
次の瞬間男の喉は嚙み千切られていた。不運にも即死に至らなかった彼は、助けを呼ぶことも強制ログアウトを叫ぶことも出来ずに、地面に押し倒される。
腕、肩口、腹。好物の内臓は最後にとっておくタイプなのか、執拗に外側の肉を食い千切り咀嚼する女から、男は恐怖とおぞましさのあまり目を背けるしかなかった。
「美味シクナイ……。ヤッパリ、オ兄チャンジャナイト、駄目ナンダ……」
そう呟いてしまった己の口から出た言葉を否定するように、彼女は男を貪り食った。
全身の三分の一の肉を失ったところで、男の恐怖はピークに達し、この世界から弾き出された。
影に飲まれた死体を無機質に眺めながら、女は次の食事を求めて彷徨い始める。
己の中にもう一つの人間がいるのを感じる。
一つではなく複数の存在は以前から意識していたが、今この身体を支配している者の力は圧倒的だった。
拘束を解けばいの一番に暴れだす右腕も、今の主人には従順に従っている。
「オ腹空イタ……。パンケーキ、食ベタイナ」
そう呟きながら、女の食事は夜が明けるまで続いた。
◆
「くるりがいなくなった?」
起床一番にレイヴンから告げられた言葉で、僕は自分の失策を痛感した。
拘束が完全ではない以上、縛り付けてでも監禁しておくべきだったのだ。
「この場所に被害が出てない以上、暴走して暴れまわっていると言う訳でも無さそうね」
「今ギルメンに周囲を捜索してもらっている。くるり君は見た目はプレイヤーに近いからね。ガーデンに入っていたとしてもすぐに襲われると言うことは無いだろうが……」
ラヴレスとレイヴンがそれぞれに憶測を語るが、くるりがどんな状態にしても危険な状況であることは間違いない。
もしガーデン内で地下の時のように暴走してしまったら厄介なことになる。
出来ればこのまま渋谷に向かいたかったが、もう一度ガーデンに入る必要がありそうだ。
「当てもなく捜しまわっても意味ねーだろ。オレ様なら臭いである程度居場所を絞り込めるぜ」
扉を開けて入ってきたのは足取りもしっかりしたミゼルだった。
昨日まで立つこともままならなかったことを考えると、ドクターのスキルは解除されたのだろう。
「みてーだな。朝起きたらすっかり元通りだ。ついでに腹も減った。そこらに居る奴、何人か殺していいかい?」
いきなり物騒なことを言い始めるミゼルに、レイヴンは笑いながら応じる。
「ははは、それは困るなあ。どうしてもと言うなら、僕の命でよければ何度か進呈しよう」
「……食材としては申し分ねーが、戦う気のない奴を殺しても、グルメなオレ様の腹は満たされねーんでな」
以前の自分と同じようなセリフに、レイヴンへの信用が硬度を増す。
現実を捨てたという点では同じだが、彼には僕と違って明確な意思がある。
それこそが僕が期待した協力者の証だった。
「くるりの匂いは街の方へ続いてる」
「ふむ、では捜索は街中に限定させよう。君たちはここに残って待機していてくれ」
確かにインペリアルを敵に回した僕たちが街に入るのは危険だが。
「ミゼルが直接出向いたほうが効率がいい。それなら僕たちも同行したほうがいいだろう」
万が一ミゼルが同行者を襲わないとは限らない。
配慮はしてくれているようだが、ミゼルのプレイヤーへの殺戮を制限するような約束は交わしていないからだ。
しかし協力関係となった者に手を出されては、今後の信頼関係を損ないかねない。
「了解した。では僕と一緒に行動してもらおう。誰かに目を付けられても、円卓の僕がいれば話が早いからね」
アジトからガーデンは完全に隣接している形なので、時間はかからない。
念のためレイヴンの部下たちに各所を捜索して貰いつつ、僕とラヴレス、レイヴンの三人はミゼルの案内に従い、ローブで変装しつつ街中に入り、くるりの追跡を開始する。
大通りを外れた裏路地の一角へ入ったとき、ミゼルが反応を示した。
見つめる先の地面には、黒くにじんだ染みが残っている。
「血だまりの跡みたいだけど、完全に致死量ね。くるりは血を流さないから、これはプレイヤーのものと考えていいかしら」
「あの女がここに留まってたのは確実だ。となると、殺ったのはくるりだな。いや……殺ったというよりは、喰ったな」
「喰う……? くるり君は屍食鬼なのか?」
不死種と言ってもそのバラエティは多岐にわたる。
パッと思いつくものでも幽鬼、吸血鬼、リビングデッドなど、有名無名を合わせれば枚挙に暇がない。
さらにはアポカリプスのオリジナル設定まで可能性に含めれば限定は困難だ。
たしか以前に僕の血を飲みたがったこともあった。
「屍食鬼かどうかは知らねーが、食後に魔素が濃くなってるのがわかる。これは本来オレ達魔人種の特徴なんだがな……。それにこの匂い、やっぱ覚えがある。まったく記憶にねーが、オレ様はあいつに会ったことがある……?」
ミゼルが思索に耽るなか、突然周囲一帯から甲高いアラームが響き渡る。
主に大通りの方からだが、レイヴンからもそれは聞こえている。これは緊急通知用のもので、誰かが一斉にチャットを送信しているようだ。
「インペリアルからだ。一方的なギルド通知用メールのようだね。……待ってくれ、動画がある。開いてみよう」
レイヴンのステータスウィンドウが拡張され、全員に見えるように示される。
そこに映るのは会談の場にもいた、円卓のワープゲート使いの女だった。
「は~いこんにゃちわ~♪ 世界のヴァーチャルアイドルこと、インペリアルの広報担当、さっきゅんで~すよ~♪ 突然のメールごめんね~。でも今回はキミたちにとってもお得な情報……、なんと、突発NPC討伐イベントのご案内ですで~す!」
動画から伝えられるNPC狩りイベントと言う言葉に、大通りからはざわめきが聞こえてくる。
NPC狩りはインペリアルの主催によってのみ許可されているので、戦争を好んでこのゲームをプレイしている者たちにとっては待望の機会なのである。
「実は今このガーデン内に三体のNPCが紛れ込んでま~す。こいつらを殺した個人、またはパーティーには次回大型侵攻イベントの優先参加権と、ギルマスからレジェンダリーウェポンが一つプレゼントされま~す♪」
さらに大通りが色めき立つ。
プレイヤー以外には分かりづらいが、これはそれだけ破格の報酬であるという事だ。
「どうやら君達がガーデンに侵入したことがバレたようだな。急いでくるり君を見つけて脱出しないと、ギルド中のプレイヤーを敵に回すことになるぞ」
「ミゼル急いでくれ。一刻の猶予も無いぞ」
「わぁーってるよ! 近いぞ。走るから置いてけぼりになるんじゃねえぞ!」
疾走するミゼルを追いかける間もそこかしこに血だまりの跡が見て取れた。
くるり本人の意志ではないだろう。確実に暴走している。
はたして見つけたところで支障なく彼女を連れてガーデンから脱出できるものか……?
後の事はその時考えるべく、不安を頭の片隅に追いやり、僕たちはくるりの元へと走った。




