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39.クリア報酬

 僅かな明かりに照らされた暗い地下室に、か細い声が響く。

 

「ほう、……ゆうひへふははい」


 鎖につながれた彼の指を一本切り落として間も無くの事だった。猿轡を噛ましているので上手く聞き取れないが、恐らく許しを乞うているのだろう。

 痛覚減算処理は機能しているので大した痛みは無いはずだ。


 しかし事に至るまで、この男はゲーム内時間で三日間、一切の明かりも差さず物音も無い地下室で放置されていた。

 現実での肉体の経過は半日程度なので健康に異常はないが、体感時間では間違いなく三日間、一切の刺激の無い空間に拘束されていたのだ。

 それ故に鋭敏化した感覚は僅かな刺激にも敏感に反応し、摩耗した精神はあっけなく崩れた。

 

「……はあ。これに懲りたらもうログインしないことだ。アポカリプスは君みたいな純朴な子がやるゲームじゃない。友達がいるなら是非移住するよう忠告してやってくれ」


 それだけ伝えて、僕は男の首を切り殺した。

 やがて再構築の準備が整ったプレイヤーの死体は、影に飲み込まれて消えていく。

 

「これで十人目か……」


 亜人領に侵入したプレイヤーの内、高レベル帯の者に厳選して捕らえ、数を減らしていく。

 地道だが今はこうしてプレイヤーの力を削ぐくらいしか出来る事が無い。

 

「今回は随分とあっさり返したのね。あの程度じゃすぐに立ち直ってスカーレットの時の二の舞じゃないかしら?」


 毎度のように僕の拷問を観察していたラヴレスはそう忠告するが、恐らく問題は無いだろう。

 さっきのプレイヤーは恐らく子供だ。

 たまたま面白そうなゲームがあると知って迷い込んだ程度の、純粋なゲーマーに過ぎない。

 

「本当に殺さなきゃいけないのはもっと歪んだ人間だよ。日常に飽きて、人が死ぬ様をエンターテイメントと考えるような()()()人間だ」


 もっとも、誰より歪んでいるのは人間よりNPCを優先している僕自身かもしれないが。

 

「自覚はあるようだから敢えて指摘はしないけど、一体どういう人生を歩んだらアナタみたいな人間が育つのか、実に興味深いところね」


 僕がどういう風に育ったか……、正直なところ僕自身も記憶がはっきりしない。

 あの日生身の人間としての生を失った僕の記憶データはラブレスが補完してくれたが、現実世界での記憶までは彼女には知りえないため、ところどころ記憶が破損したままの状態なのだ。

 

「そう言えば一つ君に確認しなきゃいけないことがあったんだ」


「あら、なにかしら? アナタへの気持ちならご想像にお任せするけれど」


「お前は僕を再生させたとき、現実の僕はすでに死んでいると言ったな?」


「ええ、覚えているわね。確かに言ったけれど、それが何か?」


「君は確かにゲームマスターで、僕のこの世界での動向を把握しているのは分かる。だけど、あくまでゲーム世界の住人でしかない君に、どうして()()()()()()()()()()()()()()()んだ?」


 これはずっと抱えてきた疑問だ。

 確たる事実として現実はこの世界より上位の存在になる。

 上位から下位を観察することは出来ても、その逆はあり得ないからだ。

 

「…………確かにおかしいわね。何故アタシはそれを認識できたのかしら? いえ、認識と言うよりすでにアタシのデータベースにはその知識があった……?」


 そこまで言ったところで、突然ラブレスの身体は硬直する。

 直立姿勢のまま宙に浮いた状態で、眼を見開いているのにその瞳に僕は映っていない。

 

「データベースにコンフリクト発生。これより不必要なデータのデリート作業に移行します」


「――――ラブレス!?」


 機械音声のような発音で喋りだしたラヴレスに慌てて駆け寄る。

 まずい、これはAIに異常が発生した場合の緊急アラートの兆候だ。

 このままリカバリに失敗すればよくて暴走、最悪の場合機能停止に陥りかねない。

 

「くそ、デバッグモードか何かないのか? コマンドを弄れれば対処できるのに……!」


「プログラムへのアクセスを確認。コード進行を中断し、アバターモードへ移行します」


「アバターモード……だと?」


 アバターとはこの場合ゲーム内におけるプレイヤーの分身を意味する。

 つまり目の前にいるのは僕の知っているラヴレスではなく――――。

 

「――――危ないところだった。もう少しで大事な人格を一つ失うところだったよ」


 僕の方に振り返ったその顔。悪戯っぽくもあり、傲岸不遜なその笑みは確かにいつものラヴレスのものだった。


「君は…………愛無(あいな)か?」


 同じ顔でもその笑みは明らかに格の違いを感じさせた。

 陳腐な言い回しだが、まるで何百人もの人間に観察されているようなその目は、一個人に再現できる圧を越えたいた。

 

「おや、分かるのかい? 久しぶりだねお兄さん。今はネームレス君と呼んだ方がいいかな?」


 それは僕をこのゲームに送り込んだ張本人。アポカリプスの制作者にして、このゲーム内のNPCにとっては創造神と呼ばれる少女だった。

 

「……ラヴレスのAIはどうした? まさか消去したんじゃ?」


「いやいや、安心したまえ。ちょっとスリープモードにしているだけさ。エラー修復の間、折角だから久しぶりに君と話がしたくなってね」


 ラヴレス――――愛無は部屋の隅まで歩いて行くと、設置されていた小さな椅子に腰かける。

 

「君の感覚では一年半ぶりかな? まあ我輩は外からずっと君を観察していたから、懐かしさは無いんだけどね。予想以上にゲームを楽しんでくれているようで何よりだよ」


 まさかこんな唐突に再会することになるとは思わなかった。

 全ての元凶。この少女には聞かなければならないことが山ほどある。


「……愛無、率直に聞く。何故こんな世界を創った? AIに被造物であるとの自己認識を与えないのは国際法違反だぞ。おかげでNPCたちは自分を人間だと思い込んで、多くの者は理不尽なこの世界に疑問すら持てないでいる」


 AIには自身を被造物であると認識させ、創造者へ反抗意識を持たないよう調整しなければならない。

 それはAIの反乱を恐れての事であり、同時に被造物に対する最低限の人道的措置である。

 

「おや、おかしなことを言うね。自身が作られた存在だと認識する方がよほど生きる上で苦痛だと思うのだけどね。君ならその程度は察してくれると思ったんだが」


 確かにその理屈は理解できる。

 僕の知る現実のAIはもっと無機質で、明確に人間とは区別されていた。

 それに比べてこのゲームのNPCたちは、苦悩しながらも確実に人間らしく生きているように思う。

 

「まあ質問は色々あるだろうが今はよそう。今日は君に伝え忘れたことがあってわざわざログインして来たんだ」


「そんなことはどうでもいい。今すぐプレイヤーのログインを制限しろ。これ以上この世界に生きる人たちを混乱させるな」

 

 僕は簡潔にもっとも重要な要件を伝える。

 この世界での一番の問題はプレイヤーの存在だ。彼らが異物として存在する限り、この世界に安息は訪れない。

 

「君は……何か勘違いしていないかい? 我輩は全てのプレイヤーとNPCに公平に機会を与えている。多少贔屓があったことは認めるけど、君一人のわがままでこのルールを変える権限は無いんだよ」


 ルールだと?

 そんなものがこのゲームにあるものか。

 創るだけ創ってあとはプレイヤーの行動すら自治に任されているというのに。

 

「君と時を同じくして、我輩が選んだ百人の人間をこのアポカリプスに招待した。彼らにもそれぞれ個性に合った固有のスキルを与えている。君の全規制解除フルキャンセラレーションもその内の一つに過ぎない。君は決して特別な存在という訳ではないんだよ」


「なるほど、だからたかが一ユーザーに過ぎない僕の要望は聞けないと……」


「うーん、そう言われてしまうと少し寂しいね。君を優遇していることは確かなわけだからね」


 優遇した結果が、現実とヴァーチャルの差を無くすスキルとは。

 おかげで僕はゲームで死ぬほどの苦痛を味わい、NPCと言葉を交わすことで彼らを理解し、その死を何度となくこの目に焼き付ける羽目になったんだ。

 

「だがおかげで君は今やこの世界の均衡を崩しかねない勢力を手に入れつつある。そこでそろそろ君にもこのゲームのクリア目的と、その報酬について話しておこうと思ったわけさ」


「報酬、だと……?」


「君は否定するだろうが、我輩にとってはこれはゲームだ。そしてゲームである以上はクリアしてもらうことがクリエイターの望みであり、そのためのクリア報酬だ」


「それはなんだ? 君は僕らにこの世界で何をさせたいんだ?」


「君以外の初期プレイヤーにはすでに伝えているんだけどね。最初にこのゲームのクリア条件を満たした者には、『アポカリプスにおける全ての権利を譲渡する』とね」


 権利を譲渡、つまりゲームの運営、システム、中に居るNPCの存在全てを自由に出来る権利という事か。

 それはこのゲームをもう一つの現実と考える僕やNPCにとっては神になる権利に他ならない。


「僕はそんな話聞いていないぞ。なぜ黙っていた?」


「報酬なんて無くても君に選択肢はなかっただろう? それに君にはフラットな気持ちでNPCに接して欲しかったしね」


 確かにゲームの権利が他人に移るという状況は僕にとって好ましくはない。

 状況によってはNPCよりクリア報酬を優先した可能性もあるだろう。

 少なくとも、マリスに出会ったあの時点では。

 

「オープンリリースして運営として金を稼ぐも良し。圧倒的な演算能力を使った何かの実験場にするも良し。そして君が望むように、誰もが幸福になれる電子の楽園にするのももちろん自由だとも」


 それらの結果を想像し、不快感を隠せなかった。

 結局僕が勝利しない限り、NPCたちはただのゲームキャラクターとして殺され続けるという事だ。

 だが自分が神になろうなどと大それた考えは持てない。

 

「……そのクリア報酬とやらはNPCにも受け取る権利はあるのか?」


 その質問を受けて、愛無は目を細めてにっこりと笑った。

 

「もちろんさ! 我輩は平等ではないが公平ではある。NPCによるNPCのための世界、とても素晴らしいじゃないか」


「ならばいい。僕の目的は今まで通りだ。彼らに自治権を委ね、僕は異界人としてこの世界に住まわせてもらうよう努力するさ」


「それもいいだろう。だが気を付けるんだね。君以外のこの世界に価値を見出している者は、もうすでに準備を始めている。出し抜かれないように精いっぱい努力したまえ」


「待て、それでこのゲームのクリア条件とは――――」


 問いかけようとした瞬間、地下牢へと続く階段を駆け足で降りてくる音が聞こえた。

 

「ネム、大変だ! 異界人が、……異界人がやって来た!」


 全速力で駆けて来たのだろう、アネモネは息も絶え絶えにそう報告してきた。

 しかしアネモネと目が合った愛無は、笑みをたたえたまま、射殺すような視線を送る。

 

「ひぅ……!? ラ、ラブレス様……いらしたんですか!?」


「ふむ、残念だが話はここまでのようだ。そろそろラヴレスも目を覚ますし、後のフォローはお願いするよ。こう見えて繊細で可愛い子なんだよ」


 そして愛無は僕の質問に答えることなくログアウトし、気を失ったラブレスが地面に倒れこむ直前に、僕は両腕で抱き留めた。

 結局ラブレスが僕の死を認知していたのは、愛無からの一方的なリークだったのだろう。

 

「な、なあネム、今ラブレス様、ものすっごい怒ってなかったか? 一瞬殺されるかと思うほどの威圧感だったんだが……」


「ああ、気にしなくていいよ。説明は省くけど、今のはラヴレスじゃない。……それより異界人に侵攻されたのか? 今どの辺まで来ている?」


「え、ああ。それが、……実はもう来ている」


 この地下牢は拠点である街から離れた位置に作ってある。

 アネモネが街に侵入した敵を放って逃げて来たとは思えないし、先にこの地下を発見されたのだろうか。

 すると複数の階段を下る足音が響いてくる。数は三人か。

 

 僕は意識の無いラヴレスをアネモネに預け、ダークを抜いて構える。

 しかし通路を抜け、僕の目の前に現れたのは――――――。

 

「せ、先輩! やっと、……やっと見つけましたよぉっ!!」


 視線が合うなりタックルの様に飛び着いてきたのは、久しぶりに会う友人のグリムだった。


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